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デカルト以降の哲学者で・・・
デカルト以降の哲学者で心身問題について考えた人を教えてください。 出来ればその人がデカルト肯定派(二元論)か否定派(一元論)かも教えていただけるとありがたいです。 出来るだけたくさん教えて下さい!よろしくおねがいします。本が出版されている方だと尚良いです!
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偏りを承知で人に教えられる範囲で。 マルブランシュ マルブランシュは機会原因論(occasionalisme)という説を唱えました。マルブランシュはデカルトの心身二元論を受け入れた上で心身の因果性を認めず、(あらゆるものが物心のどちらかである以上)因果的な力を持つのは神のみだと考えました。例えば、腕を上げようとするとしましょう。腕を上げようと私が思うのはあくまで腕が上がるきっかけ(occasion)にすぎず、本当の原因は神であり、神が上げてくれている、というわけです。 ライプニッツ ライプニッツは有名な予定調和(hamonie préétablie)を唱えました。予定調和にはモナドというわけの分かんない概念が出てくるのですが、これを述べると長くなりそうなので、なしで説明します。曰く、あらゆるものは独立に、好き勝手に動いていますが、そこには創造者たる神によって秩序、調和(hamonie)が傾向として(自由を侵さない限りで)あらかじめ(pre)たてられています(établie)。これを心身関係に適応すれば、心と体はそれぞれ別々に動いているわけですが、両者がぴったり一致しているのは神のこの創造時の計画による調和というわけです。 原典に当りたいなら訳が分かりやすい中公クラシックスの『モナドロジー・形而上学叙説』がよいかと思います。 ヒューム ヒュームは我々の心に与えられるもの一切(外的内的ひっくるめて)を「知覚」(perception)と呼びました(彼独自の用法です)。彼によると物質的実体は知覚として与えられる可感的性質ではなく、それらが属するものとして想定されているものであるため、知覚として与えられないことになります。一方、心についても同じように諸知覚が属するような実体を単体でそれ自体では知覚できないため、精神的実体は見当たらないことになり、彼は有名な「知覚の束」と心を結論付けます。 以上より物質的実体も精神的実体も知覚として与えられる限りではその有無を問題にできない以上、彼は心身問題を解決するのではなく、解けぬ問題と解消しました。 ヒュームの心身問題に関する見解は『人間本性論』(あるいは『人性論』とも)の第一巻第四部に述べられています。