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ゆとり教育は正しいか?
2002年からゆとり教育が導入されました。 しかし知識量が減るなど問題が起き世間から批判をあびました。 その反省をもとに40年ぶりに総授業時間数が増えるなど学習指導要領の見直しが検討されています。 そこで質問します 総授業時間を「増やす」が良いか また「今のまま、または減らす」が良いか 理由をつけてお願いします。
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- Ama430
- ベストアンサー率38% (586/1527)
「ゆとり教育」はマスコミの命名のようですが、誤解を招く名前と思います。 2002年の導入直前にすでに批判が相次ぎ、といって手直しの余裕がないので「標準」としていた指導要領を「最低基準」と言い換えることで、安易に高密度化を図りました。 問題は総授業時間の増減だけでなく、こうした指導内容がどうなのかという点にウェイトがあると思います。 週5日制を維持するなら、授業時間は増やせません。 増やしたとしてもそれは書類上のことで、「身が入らない授業」を増やす結果になると思われます。
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
それ以前に、「どのような教育がこれからの時代に必要か」を論じるべきです。 いわゆる学歴社会に通じる、詰め込み教育は知識量は増えるものの、それを応用し問題解決力を高めることが出来ませんでした。ずっと参加している数学オリンピックの成績を見ても、日本は毎年計算能力は高いのに応用能力は弱い、という結果です。 今までは大量生産・大量消費のマスカルチャーの時代でしたから、質のよい労働力として、均一の知識量を保有している層を大量に雇用して生産すれば、日本の成長につながっていました。 しかしこれからは、少子化などの国内問題、温暖化・グローバル化する世界経済など地球全体の問題に対応できる人材を輩出できるようにするのが、教育の課題といえます。 その意味では、ゆとり教育と称する中の、総合学習は一定の効果をあげているようです。(今年は数学オリンピックで総合2位です。応用問題が克服されているということでしょう。) また日本は、技術力もあり質の高い労働力、頭のよい人材がたくさんいるのに、iPodがなぜ生まれないかも考えないといけません。ちなみにiPodなどの製品の8割までは日本の技術・製品だそうです。 でも日本人は、あのような製品を作るアイデアを出し、取り入れ、製品にすることが出来ないのです。 知識量をただ増やすためだけの総授業時間数の増加なら反対です。もちろんπを「およそ3」などと教えるほど簡略化するのは反対ですが、知識の総量を増やすより、応用力をもっと高める、国語・算数・理科・社会と別々に知識として覚えるのではなく、すべてが社会に必要なツールとして総合的に利用する総合学習などはとても重要だと思います。 単純に昔がよい、ゆとりが駄目ということではなく、両方を吟味して、今後必要な教授方法を選択すべきだと思います。
- snowplus
- ベストアンサー率22% (354/1606)
ゆとり教育を推進したのは日教組 ゆとり教育はそもそも子供を馬鹿化させる事が目的なんです 思惑通り子供は馬鹿化しました 100害あって一里なしの政策 これがいいなんていってる人は少しヤバイですよ
- negitoro07
- ベストアンサー率24% (389/1569)
別に授業数を国が決定すべきだとは思いません。 そもそも、指導要領は最低限の教育水準を保障するもの=一種のユニバーサルサービスだと思えばいいんです。 その意味では、今のままで良いんじゃないですか? あとは、学校なり自治体なりで自由にやればよいと思います。生徒の学力を高くしたいなら、もっと時間を数を増やす。特訓コースを設けて、2学期で1年分を勉強して、プラスアルファの内容も教えればいいんです。
- ohkinu1972
- ベストアンサー率44% (458/1028)
ゆとり教育の問題は、時間の削減もさることながら、 内容を強制的かつ極端に平易な方向へもっていったことだと思います。 総授業時間を増やして、反復学習、実験・体験、発展的内容や 体育祭などの活動もしっかりできるようにするのが良いと思います。
- potachie
- ベストアンサー率31% (1065/3387)
「ゆとり教育」の本質はともかく、授業時間削減の根本的な理由は学校完全週休2日制の実施にあります。休みを増やした分、家庭と地域の教育力を信じたわけですが、失敗したとしたらこの部分が原因かと思います。 子どもは、土曜日休みが必要か、を考え、その結論から考えた方が良いかと思います。 正攻法でいくなら、学校の授業時間は現状維持で、家庭と地域の教育力を育成する、ということじゃないかなぁ。