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封建社会の中の貧しい農民

明治時代の貧しい農民を描いたNHKの 「 おしん 」 を観ました。 貧しくとも清く、正しく、真面目に働き、お涙頂戴のクドイ物語と思いきや しっかり作られたドラマだと思いました。 字も読めない両親 ( 貧乏子沢山 ) の元を離れ、奉公に出され義務教育も受けられず 朝から晩まで働き、休みのない毎日。 明治時代は日本全体が、あのような状態だったのかは判りませんが 「 小作人は字など読めなくとも良い、親方の言う事だけ聞いていれば良い、 口ごたえは1人前になってからにしろ、何も考えずに畑を穿り反していろ、 自分の子供に飯も食わせられないのは、己の甲斐性が無いだけだ 」 という事柄に 主人公のおしんが、反発しているようにも感じました。 真面目に一生懸命働くのは、良い事だとは思いますが、余りにも無駄な事が多すぎます。 井戸からの水汲みの仕事だけ観ても、釜炊きの横に井戸が有れば済む事です。 昔から井戸は屋外に有る物である、伝統、其処の習し、丁稚奉公の仕事である、等々。 上から頭を押えつけられ、反抗すると生意気だ、貧乏人のくせに、女は学問など不要、飯炊きを覚えろと 今見ると無茶苦茶な時代が封建社会だったのでしょうか? 明治時代を統治していた御上の政策 ( 貧乏人は何も考えなくて良い ) だったとすると 今の時代にもまだその名残が有るように思います。 何処かに記載されていたと思いましたが、「 明治維新は未だに完了していない 」 のでしょうか?

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noname#5551
noname#5551
回答No.7

〔#6の続きです〕 「おしん」の時代の前提条件、特に東北農村部が何故貧乏続きだったか、という理由を幾つか挙げておきます。 (近現代史はそれほど詳しくないので、学校で習うことに毛の生えた程度です。御了承ください) 稲は南方原産で東北での栽培は不利、という話は#4で書きましたが、さらに戦国時代~明治初期に至るまでの数世紀の間、地球全体は小氷期で不安定でした。 農業は天候に左右される産業で、現代でも冷夏の年は不作です。それがさらに大盛り状態(3.3年に1回の凶作・9.6年に1回の大凶作)で起こったのがこの時期で、小氷期後もすっかり飢饉が無くなったわけではありません。 不作&凶作の年が多くなれば、蓄えも出ません。当然、貧乏になります。 (ネットで調べたところ「おしん」が奉公に出たのは明治40年の設定で、東北大飢饉の2年後) 小氷期はいつも寒いわけではなく、ふらふら暖かくなる時もあるそうなんですが、そうすると今度は長雨で、川が氾濫したりします。 氾濫すれば稲は全滅、下手すりゃ村も全滅、水が引いた後は全て自分達の手で工事をして直さなくてはいけません。 当然、貧乏が続きます。 そこへ江戸時代なら大名が、明治時代なら維新政府が、お金が欲しさにめいっぱい搾り取っていきます。 もちろん、貧乏に拍車がかかります。 さらに、台湾や朝鮮から輸入米がやってきてライバル増加、流行り病にイナゴの害、津波に台風も襲ってきます。 この頃の近代国家は一般に“修正前の資本主義”が基本方針で、これはつまり「国家は国民の金儲けの邪魔はしないほうがよい、その代わり貧乏は自分で何とかしろ」という発想です。 輸入規制も社会福祉も後回しなので、貧乏はそのまま貧乏で据え置かれます。 …これを全部“東北農民の工夫の無さのせい”にするのは酷だと思いますが…。貧乏が伝統ですか?と仰いますが、スキで伝統になったわけじゃなし(^^;)。 むしろよくぞ耐えたって気が。 (そしてこの後、昭和の大恐慌になって、2.26事件の原因になるのだった…) *オマケ* 調べているうちに、現在の東北の数々の名ブランド米の元になったという品種を見つけました。 “農林一号”といって、開発者の並河重成氏はおしんとほぼ同年代の人です。 (つまり当時はまだ寒冷地に強く、高く売れるお米が無かった) 戦前の新潟米とかは不味くて人気が無かったそうです。現在はコメドコロなのに意外だ。 おしんの時代は確かに不自由の多い時代です。 しかし一方で、義務教育が無料化したり、職業婦人が登場したり、自由民権運動が盛り上がったりもしてますから、現代の日本に繋がる新しい技術や思想が胎動しつつあった時代でもありました。 おしんに仮託される当時の子供達が、経験や伝統でアタマの硬くなった大人たちより先に時代の匂いを嗅ぎ取っても不思議ではありません。それが世の中への反発になることも当然あったでしょう。 そうやって大きくなった彼らが、親世代よりも少し新しくなった考え方を抱えて生き、新しい技術で新しい工夫もしていったのです。 時代はそうやって、少しづつ動いていくのだと思います。

mirrorz
質問者

お礼

御返答ありがとうございます。 明治の時代で、合理的な発想の出来る人は、現代人よりも賢いと私も思います。 明治時代には義務教育が既に有りましたが、それは建前で貧乏子沢山の家庭では満足に勉強も出来なかったと思います。 当時の日本が、教育を重視していたとは思えません。教育を重視していたならば、強制的にでも学校に通わせて 生活費を補助する位の事 ( 明治政府にそんな余裕は無かったですか? ) をしなければ、貧乏からは抜け出せません。 ( 貧乏は繰り返す ) 農業は、体力と頭脳を使う難しく大変な作業で、何も考えずに土地を穿り返していただけでは、何か有ったときには餓死してしまいます。 その土地に合った作物 ( 粟、稗、麦、蕎麦、芋 ) を今までの経験や知識を使い収穫量を増やす事は、あの当時出来なかった事なのでしょうか。 粟、稗など家畜の食べるものであり、米や麦を食べたいと考えていたとしたら、どうなのでしょうか。 東北地方へ出張で何度も行った事が有りますが、どんな場所でも食事をするとボリュームがあり美味しく値段が安く食べられます。 地元の方々も優しく、誠実で我慢強く、頑強な体と精神を持っているのでは、と感じました。 見方を変えると、現地の方は良い意味で贅沢な食事をするのが、当たり前なのではと考えましたが、それは間違いでしょうか? 先祖が、貧しい生活をしていたので、せめて食事だけは良いものを、お腹一杯食べたいと考えた結果でしょうか? また、雪が降る時期は農作業が出来ませんので、今でも寒冷地から出稼ぎをする方が多くおられます。 真面目に一生懸命仕事をこなしますが、体を壊したり、行方不明になったりする話を聞いた事が有りますが 家族と離れ辛い労働 ( 劣悪で危険な作業 ) をするのは、仕方の無い、当たり前の事でしょうか。 東北出身の若い方と話をした時に、何故、地元を離れたのかを聞いたのですが、寒い、雪が積る、仕事が無い、からではなく 「 何もなくて、つまらないから、息はつまるけど 」 と言っていました。 また、地元では中学を出たら働きに出るのが普通だそうです。( その土地では常識 、勉強は二の次 ) 地方では若者が都市部へ流出して、過疎地が増えているそうですが魅力の無い、ある意味閉鎖的、排他的で 土地にしがみついた昔ながらの生活ならば、その考え方を封建的な考えと結びつけるのは強引でしょうか? 先祖代々の土地を守る為ならば、どんな代償でも払う、真面目に働いていれば、それだけで良い、この土地は誰にも渡さぬ、という考えは、全く無かったのでしょうか? 大地主のお金持ちの中にも、封建的な考え方 ( 高圧的、身分、格が違う ) を今だに持っている方がおられるように思います。 また、「 己の分を弁える 」 という言葉を聞くことが有りますが、「 私はこの程度だから、でしゃばっちゃいけないから、分を弁えないといけない 」 と言ったり その考えを他人に押し付けたり、消極的になったり、尻込みしたり自分の意見を言わずに押し黙ったりするのは日本人の伝統芸ではなく 「 奥ゆかしい 」 だけでしょうか? 仕事で自分の意見を言わなかったり、消極的になるのは、その人の才能の無駄だと思います。 「 おしん 」 の両親の生活ぶりは、封建主義、社会主義、民主主義でも同じだったのかも、しれませんが 人間の能力の違いには、そんなに変わりが無いと私は考えます。 封建社会は、身分制度で上下関係が非常に厳しく、お上からは野良犬のように扱われ 打ちのめされ、能無しと言われ、あのような 「 もう、どうにでもなれ 」 というような考えを植え付けられ 「 おしん 」 の家族は、家長である父親の言う事は、嫌でも聞かなければならなかったが、おしんは、親の言う事を聞かない事で 精神的に良い方向に向かう場合があったと考えます。 「 おしん 」 には実在した人物がいて、それを基に物語を作ったそうですが明治時代は 「 おしんは異端児、突然変異、生意気、変わり者、村八分、殴られて当たり前 」 と すれば、周りの村人は正常な意識の人間なのでしょうか? 実際の話、お前らのような者は 「 働いて、働いて、働いて、そして死んでゆけ 」 と、言われたことがあると聞いた事がありますが 農民が大人しくしているのをいいことに、お上が好き勝手な事をやっていたように感じてしまいます。( 身分的、経済的に低い者への、下らない優越感 ) また、東北出身の会社の上司が、「 昔は貧乏で、雪が降り積もって学校へ行くのも、農作業をするのも大変な毎日だった 」 と言っていたので 私が、「 大変で辛く、土地も痩せていたならば、その土地から離れれば良いのでは?」 と言ったら、激怒してしまいました。 私は悪気も無く、大変ならもっと気候の良い肥沃な土地に移れば良いのにと、思っただけでしたが その上司が言うには、「 昔から住んでいたから、痩せた土地でも其処が好きだったから、貧乏で大変だったが辛くはなかった 」 との事でした。 昔は情報も無く閉塞的な環境で、昔ながらの大変な生活をしていたが、今は日本全体の事が解っているので、農村地から若い方が出ていってしまいます。 効率の悪い収益の上がらない、借金ばかりが増える仕事は誰だって嫌がると思いますが、明治時代は 「 何処へ行っても同じ、みんな同じ暮らしをしている、労働する喜びを噛み締めろ、辛いのはお前だけでは無い 」 と有無をも言わさぬやり方で 余計な知識や情報が入ると統制しにくくなるから、または使いずらくなるからとだと、考えてしまいました。 失礼な言い方かもしれませんが、村人は無駄な努力をしていただけなのでは、と思います。 ( 毎日働けるだけで良い、怠け者は根性無し、我慢していれば何時か良い事があるかも、努力だけで満足、収穫は二の次、というような意識 ) また、東北出身の別の上司と言い争いになってしまい、挙句の果てに「 お前は、共産党員か? 赤なのか? 新入りのくせに!」と怒鳴られましたが 政治の話をしている訳では無いのに何故、共産党が出てくるのか良く判りません。良い意味での頑固は構いませんが、意見が食い違っただけで 訳の判らない事を言われて、明治時代のお上の不条理な物言いのようなものなのでは?と今、思い返しています。 封建的な考えが、お上から押し付けられたので無ければ、昔ながらの非合理的で伝統重視の考え方は、その土地の風土病ですか?( 失礼 ) 支離滅裂な文章で申し訳ありません。

その他の回答 (6)

noname#5551
noname#5551
回答No.6

#5です。補足を有難うございます。 迷信や、昔ながらの方法に盲従した非合理的な“思い込み”が進歩を遮る、というご指摘は確かにその通りで、全くの正論です。 現代人でコレが出来ない人なら、大いに批判に値します。 しかし、「おしん」に登場する明治末期の貧農達に、現代風の合理的科学的な思考回路を求めるとなると、やっぱり無理矢理感が拭えません。 (誤解しないで欲しいのですが、私はアノ手の非合理的発想やあきらめぶりを良いとは思わないし、当時の人達も実はそれほど良いとは思っていないのです。 ただ、当時の東北各地の農村部はああいう後ろ向きな考え方が支配的になっちゃうくらい、貧乏の袋小路のどんづまりだったのです) 現代の我々が(そこそこに)迷信に頼らずに済み、(比較的)合理的な発想が出来、(それなりに)将来に向けて建設的な発想が可能なのは、彼らより資質が上なのではなく、永年の近代科学教育の成果、多くの辛難をいかに人類が克服し続けたか体系的に学んだ結果に過ぎません。 例えば、“現代の基準で普通=そこそこ合理的現代人”を記憶喪失させて知識だけ奪い、生まれつきの才能や個性はそのままで明治時代にタイムスリップさせたら、やっぱり“明治時代での普通=非合理的でも伝統重視”な発想しかしなくなる可能性が高いと思うんです。 他の回答者さんのご指摘にもありますが、違う下地で育った過去の人間を、現代の感覚で判断するのはアンフェアではないでしょうか。 逆に、当時の時点で合理的な発想の出来る人は、現代人の何十倍もエライと私は思うのですが。 明治期の人々の非合理的ぶりが批判されて当然なら、こうした人達への評価も必然的に下がってしまいます。 “過去への批判”は「当時の時点で何が出来たか」の前提で考えて初めて、「現在の自分達が同じ道を歩まずに済むか?」の材料になり、生産性のある作業となります。 御質問文から、mirrorzさんは単に過去に憤っているだけでなく、過去から現代に繋がる“なにやら非合理的な考え方の名残”を感じ取っておられるように思えました。 もしもそうならば“過去への批判”はもっと精緻に行うべきです。 あと、おしんが教育を受けられなかったのは明治政府の政策の影響ではなく、おしんの家の経済状況に彼女の労働力が必要だったからか、或いは単に親のアタマが世間の流れについていけなかったからだと思われます。 戦前は確かに封建的色彩の強い時代でしたが、こと教育に関しては富国強兵のために国民全員に受けさせるべく躍起になっていました。当時すでに義務教育が原則無料になっています。 (ネットで調べたところ無料化は明治33年で、これに伴い女子も就学率は大幅に伸びたそうです。  おしんが奉公に出たのは、アマゾンのビデオ紹介によれば明治40年です。)  参考:http://wp.cao.go.jp/zenbun/seikatsu/wp-pl97/wp-pl97-01401.html 諸悪の根源の東北農家の貧乏ぶりについては、長くなるので別に書きます。

noname#5551
noname#5551
回答No.5

井戸が家と離れてあるのは、身分の低い人間を苛めるためではなく、単にソコに水脈が通ってて且つ地面が掘りやすかったから、だと思いますが(^^;)。 住宅に適した土地が日当たりの良い地盤のしっかりした場所(=井戸は掘りにくそう)であることを考えれば、井戸と家が離れていたって、別におかしくないのでは??? (台所に井戸のある家も見たことがありますが、それは水脈がたまたま下を通っているラッキーな家だと思われます) それに(土木建築の専門家ではないので具体的にどのくらい、とは指摘できませんが)当時は掘削機も何にもありません。人力で掘るとしたら、一体どれだけのコストと時間がかかるのやら。 その施設を全て戸別に整えられなかったからといって“無茶苦茶な時代”とは、それこそ無茶なのではないでしょうか。 壁の厚さにしても、当時は竹を組んだ上に土を塗っていたりしたはずですが、あれって無尽蔵に厚く出来るものなんでしょうか? 塗ったら乾かさなきゃいけないし、中に人が住めばその湿気を吸うから、厚すぎると湿気が溜まって腐りやすくなりそうな気がするのですが…。 封建社会の時代、身分の低い人代わりを食っていたのは、確かにその通りだと思います。 しかし御質問文に挙げられているような“当時の技術や知識を前提とした場合は無くても仕方がないもの”を持ち出されても、論の立てようがありません。 せめて、当時の時代状況で実在可能で、且つ東北には“封建的な思想ゆえに”導入されていなかったものを挙げていただけませんか? お返事待ち、ということで、“補足要求”と致します。 追伸: ●「おしん」時代の東北の農村部が貧しかったのは、気候条件も大きく関わっています。寒ければ、南方起源の稲は不作になりやすく、不作になれば貧乏にならざるを得ません。 ●寒さを防ぐのなら、床は厚くするより、却って無いほうがいいかもしれません。 北方の原住民族・アイヌ諸族の伝統的な家屋は床が無く、軽く掘り下げてじかに火を焚いていました。火の熱が地面に伝わって、簡易床暖房になる仕組みです。

mirrorz
質問者

補足

こんにちは。 身分の低い人間を苛めるためだとは全く思っていません。 井戸の事を取り上げたのは、喩として書きました。 昔から日本人は、島国で平地の少ない資源の無い土地に暮らしてきて いろいろな知恵や工夫で、便利な生活を目指して生きてきたと思っています。 しかし、その土地の風習や戒め、伝統、精神論、根性論などで雁字搦めになっていたと思います。 「 そんな事をするとバチがあたる、祟りがある、米が取れなくなる 」 等々。 実際の話、村人が畑に麦を植えたが一人だけ周りと違う蕎麦を植えたら非難を受けたそうです。( 暗黙の了解を破る、人と違う事をする ) しかし、その年は天候不順で麦が全滅、蕎麦を植えた一人だけ収穫できましたが 「 自分だけ収穫して!全く! 」 とまたもや非難をあびたそうです。 収穫できたのだから、喜んであげるのが当たり前だと思いますが、その余裕が無いのか、視野が狭いのか 頭が回らないのか、堅いのか、何も考えていないのかは判りませんが、そんな事では何時まで経っても生活は楽にならないし 村が全滅してしまいます。 村人は、「昔からやってきた事だけやっていれば良い、しょうがない、しかたが無い 」 と考えていたのではないでしょうか。 「 おしん 」 の中でもこの 「 しょうがない、しかたが無い 」 という台詞が出てきます。 貧乏は昔からの伝統芸、文化ですか? 寒冷地の暖房ですが、床が無いほうが良い場合があるのですか。 雪国の方々は、冬の間の過ごし方を熟知されていると思いますが 「 冬は寒いのが当たり前、昔は囲炉裏の火だけで過ごしたものです 最近はストーブが有りますが、灯油を一冬でドラム缶1本使ってしまいます、雪国では当たり前です 」 と思ってしまいます。( 特別暖房費が役所から出ている出ていないの問題以前の話 ) 雪国では常識かもしれませんが、工夫した家を建てて或いは改築して断熱効果の高い ( 隙間風の入らない ) 家ならば 暖房費を節約できるのでは?と考えてしまいました。 自分の子供にも満足に食べさせてやれず、口べらしや姥捨て山に自分の親を捨ててきたり 甲斐性無しと小言を言われても何もしないような、その人間の頭のモノの考え方です。 「 どうせ俺は小作だし、学も無い、難しい事は判らない、お役人さんや長老の言う事を真面目にやっていれば間違い無いだろう、そのほうが俺も楽かも 」 と 自分で勝手に思い込んでいたり、謙ったりしている、その考え方が今も有るように思います。

noname#3394
noname#3394
回答No.4

こういうことは学校の教科書などで語られる封建社会や貧農のようすを現代の我々の生活との単純比較で見てしまうと、いかにその当時が悲惨だったか、というイメージだけが湧いてしまうものです。 私の父の実家は明治以前には足軽の身分で一応武士の端くれだったようですが、その生活は父が生まれた大正時代でも明治以前とほとんど変わらず、父などは小学生のときは冬でも素足に草履だったそうです。これが小作人だと草履さえもない家もありました。 私が生まれる前に亡くなった明治生まれの祖母(父の母親)も死ぬまで読み書きができませんでした。それでも普段の生活に不自由しなかったそうですし、学がなくても聡明な人で読み書きができないことで人からバカにされたこともなかったそうです。 子供の頃に江戸時代に建てられた萱葺きの父の実家によく行きましたが、当時の田舎の家で冷房などもちろんなかったですが、真夏でも家の中では気持ちがいいほど涼しく、庭の母屋から離れたところにある厠など生活空間が今から考えても非常に合理的に作られていたようです。 父の実家とは対照的に母の実家は戦前まで地主で、江戸時代は城勤めの二本差しの武士だったそうですが、普段の生活は父のところとそう変わるものではなく、家の造りも同じようなものでした。しかし、戦後、農地改革があるまで地主と小作人の差は歴然としていて、小作人が母の実家を訪れると土間にひれ伏して頭を土間にすり付け、母の家族が「頭を上げて下さい」と言っても「私たちは小作ですから」と言って絶対に頭を上げなかったそうです。 今から考えると明治時代の一般人は悲惨な生活をしていたように思えますが、そういう過去の積み重ねの上に今の社会があるのですし、明治時代は考えようによっては現代よりも貧乏人や学のない人たちが這い上がれるチャンスがあったでしょうし、貧困からなんとか脱出しようというエネルギーが人にパワーを与えていた時代ではないでしょうか。 参考になれば幸いです。

mirrorz
質問者

お礼

アドバイス有難うございます。 字が書けない、読めない、計算が出来なくとも豊かな心を持っていた方は たくさんいたと思いますが、字が読めない、計算が出来ないと、騙されたりして 土地を取り上げられた方もいたと思います。 寒冷地の方が、昔の家は大きくて一冬に灯油をドラム缶で1本使ってしまうと 言っていましたが、もっと外壁、床を厚くして断熱効果を最大にすれば良いのに、と勝手な事を考えてしまいました。 大きな御世話ですか? こんな貧乏な生活は嫌だと、逆境をバネにハングリー精神で今の日本が有ると 思っていますが、今の日本人にそのパワーは有るのでしょうか。

  • kawakawa
  • ベストアンサー率41% (1452/3497)
回答No.3

おしんが世界でも受け入れられた理由はご存知ですよネ。 多くの国で,リアルタイムの身近なドラマであるとして人気を博したのですネ。 現在においてもおしんと同じ状況の国が沢山あるわけです。 日本は驚異的な発展をしました。 その根本は義務教育制度による識字率の向上だったのですネ。 けれども,貧村部では中々無理だったのです。 今の時代に当時の名残が強く残っているのは; 銀行や官公庁で求められる「ハンコ」ですネ。 字を書くことができないことを前提に「ハンコ」を押すことを求めているのですから。 「ハンコ」というのは「愚民」の象徴だと思うのです。 ハンコ文化が署名の時代になったときに明治初期の呪縛が消えるのではないかと思います。 以上kawakawaでした

mirrorz
質問者

お礼

アドバイス有難うございます。 今の日本人が 「 おしん 」 を観て 「 かわいそう、昔の人は大変だったんだね 」 と 思うだけなのか、逆境に耐えながらも勉強をしたい、仕事を一生懸命して家族に楽をさせたい 既成概念に囚われず自分で考え、人の話を良く聞いて自分の考えと違うと 異論を唱える芯の強い利発な女の子だな、と考えるのかは判りませんが 自分の境遇と比べて 「 俺の方がましだ、同じだな 」 と 自虐的に、傷を嘗め合うように観るのは間違っていると思います。 字が書けない代りが 「 ハンコ 」 だったとは知りませんでした。

noname#21649
noname#21649
回答No.2

国粋主義的な考え方の方の著作(例.愛国公党の機関紙等) や 官僚の考え方(どなたかが応えていた愚民思想でしたか?) に広く現れます。地方大学は.「東大卒業生(=官僚)が常に優秀であるためには.愚かな人間を育成しなければならないから.作った」の言葉に代表されるように.愚か者を育成するのが.文部省における地方大学の使命です。 教育改革においても.この方針が貫かれていて.金がある人間は海外留学でもして.適切な教育を受けで.ある程度金がある人間には.私立で多少マシな教育をして.貧乏人は公立学校で.愚か者育成教育をして..なんていう内容ですから。 大学入試のレベルはある程度以上の大学では.教育改革以前の水準と変化していません。しかし.高等教育以下では.ゆとり教育として教える範囲が極端に狭くなっています。 したがって.最近の教育改革によって.明治の頃の教育方針に近くなったといえるでしょう。

mirrorz
質問者

お礼

御返答ありがとうございます。 自分の立場や地位を守るために、愚者育成教育が有るとすれば爆笑してしまいます。 頭脳明晰で日本をより良くしたいと考えている孤高な人間ならば、そんな事は 考えないと思います。学校の勉強しか出来ない中途半端な方々が行政を仕切っていて 「お国のやっている事に興味なんか示さないで、他にもっと楽しい遊びが有るから、そっちで遊んでいてね 」 と 云われているような気分になります。 昔は、行政や銀行、大企業には文句や苦情を言いませんでしたが 今は、そこまで一般庶民は無知ではないと思います。 庶民から税金を吸い上げ、無駄金を使い非効率な仕事をやっている行政に 一般庶民は呆れています。

  • densha
  • ベストアンサー率29% (333/1123)
回答No.1

 時代の問題で、当時はソレが普通だったのでは無いでしょうか? 今見ると、すごい変な事に見えます。 そういった脚本なのでしょうが・・・・  また、明治維新は政権の交代で、若干民主主義的要素を汲み入れた政府に変わっただけの話です。 女性に参政権もないし、低所得者にもありませんでした。  井戸の位置などは、それなりの合理性があると思います。 家屋内で掘削作業というわけにもいかないし、 屋内の湿気は避けたいですね。 洗濯・行水にも使うし、離れに使用人が住んでいる際は、使用人も困ります。 また、井戸を塞ぐのは(現在でも)タブーとされています。  その時代は、交通事故などで死ぬ人も少なかっただろうし、悲惨な航空機事故も無かったと思うし、いたいけな子供を虐殺するキ○ガイが横行する時代でも無かったと思います。 その時代毎の良い面・悪い面は、仕方のない事だと思います。 ソレを現代で憤るのも不毛な事です。 (良い方向に昇華出来ればよいですが・・・)  選挙で選ばれようとも、身分や地位・役職がある限り、 封建的であると感じる事があるのでは無いでしょうか? >明治時代を統治していた御上の政策  仮に当時の人々全員が現代人の倫理観・政治観だったとしても、幕府亡き後、瞬時にして議会制民主主義は無理でしょう? ローマは1日にしてならずです。 >今の時代にもまだその名残が有るように思います。  明治時代の「貧乏人は何も考えなくて良い」が、 現代の「何も知らされない国民」に通じると感じたのですね。 わたしも、同感です。  それに、制服警官が常時拳銃を携帯しているなんて、実に野蛮な国です。(と、英国人は思うかも・・・) そして、その事に恐怖を感じない国民も異常かも・・・  今の時代も、将来は変な時代だったとドラマになるでしょうね。

mirrorz
質問者

お礼

アドバイス有難うございます。 明治維新は革新的なものでは無く、民主主義の要素を少しだけ取り入れただけなのですか。 井戸の水を毎日汲んで竈まで運ぶ作業を、少しでも楽にしようと 井戸水を室内に導くような工夫をしたとしたら、その人間は褒められるどころか 「 余計な事をするな!楽しようとして!昔から決まっている事だ 」 と 怒られると思います。自分も同じ作業をしていたから同じにすれば良い、と 考えているのか、何も考えていないのかは判りませんが、井戸の水汲み 1つとっても、そんな事をしていたら時間の無駄ですし何時まで経っても 生活は楽にならず、自分の首を絞めているだけだと思います。 身分や地位の有る方々が、おられるのは一向に構いませんが 貧農民を、日本に生まれ生活できるだけでも、ありがたいと思えと まるで虫けらのように扱っていると感じてしまいます。 明治時代が変な時代だとすれば今の時代は、もっと変てこな時代なのでしょうか。

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