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日本には霊という考えがないのか?
例えば工事現場とかで何か死亡事故があったりしても工事が延期されるだけで最終的には工事を最後まで進めてしまうと思います。 その完成した建物には霊がいっぱいついていていつか不吉な出来事が起こるのにも関わらず… この間の造船所の事故だって死亡者の霊がいっぱい船についてしまったと思います。しかしあの船は普通に使われるんでしょうが、死亡者の霊によりあの船も同じ運命になってしまうと思うととても怖いです。 日本はあまりにも霊と言う考えを持つ人が少な過ぎるのではないでしょうか? 物事には必ずしも科学的な証明で説明できないものだってあると思うんですが…
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そんなこと言っていたら、生活できません。 戦国時代、戦争、原爆、大震災・・・、日本中でも多数死者が出ています。 あなたが、毎日通勤、通学で、平気で歩いている足元にも、多数の死者が転がっていたかもしれません。 平気で仕事をしているビルの土地に、多数の死者がいたかもしれません。 そのために供養というものがあります。 供養すれば大丈夫という考えでないと、生活ができないと思いますよ。
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- gadovoa
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あなたが本気で思っているならあなたは国宝級です。なんでも霊のせいにすると科学が進歩しません。また死んだ人間よりも今生きている人間が大事です。あなたが一番勘違いしていることは「霊」に対する恐怖です。あなたのお婆さんがもし死んでいたら、お婆さんの「霊」はあなたをきっと不吉のどん底に落としいれるでしょう。怖いですね。でも私のお婆さんの霊はいつも私を守ってくれます。勇気付けてくれます。夢にも出てくれてます。もし目の前に出てきてくれたらきっと私は合いたかったと涙するでしょう。こういう友人がいました。沖縄のひめゆりの塔に行ったとき「死者の叫びが聞こえて近づけなかった」と、たぶんあなたも近づけないでしょう。私はすごく失礼だと思いました。日本のために一生懸命に戦って命を落とした人に敬意を表さない行動です。みんなが戦って死んだから現在の日本があり、戦争の悲惨さを伝えているのに、「怖い」で全てが片付けるのですから。また日本の仏教には悪魔は存在しません。霊も50年たったら消えるのです。日本は霊に対しては大変関心ある国です。お盆には先祖様が帰ってくるのですよ。ちなみに私は霊視できますがあなたの住んでいる場所は昔戦争で死んだ人間が多くあなたの家にも普通に住み着いてます。家の近くに何か祠みたいのがあるでしょう。注意してくださ。あなたがその霊に気づいたらあなたも霊の世界に引っ張られますので。嘘ですが(本当かも)
霊と言う考え方はありますよ。 墓地の事は霊園とも言います。 考え方と言うのは、沢山あります。 事故での死者の霊が憑いたと書かれていますよね? では、葬式を行って納骨した場合、その人の霊は何処に居るのでしょう? 船(地縛霊?)とお墓(先祖霊として)と家族(守護霊として)などに分散して憑くのでしょうか? この辺、どうにも理解しにくい物があるのが考え方になります。 弔われたら、その先に居るのであれば、船についている事にはなりませんよね? それとも、沢山に分裂してとなるのでしょうか。 日本でも、霊として有名な所では、平将門の首塚が有名です。 日本の経済、政治の中心に近い位置に今でも祭られています。 誰もそこを開発しようとする人は居ません。 あと、もっと貴方にとっては衝撃的な事になると思いますが、高層ビルや、超マンション、高層のショッピングセンターでは、少なからず何人かの転落事故でなくなられています。 あまりにも日常的なのでニュースにも流れません。 さらに、関東で見れば、最近不景気もあり、ほぼ毎日のように、列車への飛び込み自殺が起こっています。 (ニュースにも出なくなってますけどね。) それらはどうなってるでしょう? 飛び込まれた電車が脱線転覆してたら、毎日のように起こらなければなりません。 電車の事故などは大きな事故になりますので、大勢のけが人が出ますから必ずニュースには出るはずです。 霊に対する考え方と言うのは、考え方によっては矛盾もはらむ物で説明が付かないことも多いでしょう。 ただ、逆に、霊を信仰している人にとっても矛盾が多くなるものでもあります。 単純にはかたずかない物ですが、気にしすぎる物でも無いと言う事です。
別に日本だけに限らないような気もしますが・・・例えばかのテロ事件でビルが丸ごとなくなったグランドゼロはそれこそ何千人もの霊がとりついていて不吉なことがおこりまくるはずですが、跡地再利用計画中です。 それに過去の歴史から行けば東京とか京都、広島、海外ならロンドンとかパリなんかは人が住んじゃいけないほど霊的影響を受けているはずです。 ようするに「そんなこと気にしたら生活していけない」のです(もちろん最低限の供養は必要ですが)。