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自信をつけるには

30代の主婦です。元々はすごく自分に自信があり、それなりに色んな結果も残していたんじゃないかと思います。でも今は自信がありません。 家事をしても、ここまでやれば合格というラインはありません。私や他の人が「合格!」と思っても主人がそう思わなければ不合格です。終わりのない家事だけに満足感を得ることはできませんでした。 家のことだけやろうとするからかと思い、仕事を始めました。(経済的な理由もあります)仕事では大きなミスをすることもなく、かといって人より抜きんでて仕事ができるわけではありません。きちんとまじめに仕事はしてますが、誰だって仕事はしています。ですので全く自信にはつながりません。 むしろ家事と仕事の両立で肉体的に疲れています。誰でもやってることなのに私はこんなに疲れてしまって…と、逆に自信をなくしてしまいました。 私の中では「専業主婦だって家事という仕事をやってるのだから偉い」という考えはありません。また「仕事だけやってれば偉い」というのも主婦なのでありません。 結婚して主婦である以上、家事も仕事もきちんとして初めて1人前だと思っています。でもそれがいっぱいいっぱいです。 自信をつけるには家事と仕事が両立出来ることなのですが、私自身の心身の限界が低すぎます。 自分に自信がないため、将来への夢や希望が見出せず(自分はダメな人間なので、どうせ出来ないと思ってしまう)、そのため現在も楽しむことができません。夢や目標があるからこそ、今が楽しめるタイプなので。 どうしたら自信をつけられるようになるのでしょう?どうしたら家事と仕事(私の場合子供もいますので育児もですが)両立できますか? 希望も持てないため、自分の存在意義を見出せず、死んでしまいたいと常に思ってます。 食欲もあるし夜も眠れるので、うつ病などではないと思います。

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noname#84191
noname#84191
回答No.2

質問者さんが思う・考える自信とは具体的にどの様なものなのでしょうか? まず、それがないと自信がないと言っても、ご自分でも分からないことでしょう。 ましてや他人からは窺い知れない話しです。 家事と仕事が両立できる・・すっと、文字を読む、言葉を聞くとなんとなく納得してしまうような言葉です。 が、これでは全く何を言っているのかが分りません。 もちろん、質問者さんにはそれなりのイメージがあるのでしょう。 が、イメージを具体化させないと、イメージはどの様にでもふくらみますし、どの様にでも縮みます。 例えば、100m走るとします。 質問者さんは、100mを早く走りたい・・と言っている様なものなのです。 そう、早く走りたいの・・早く走れれば良いね・・とまでは言えますが、具体的な支援は出来ない事でしょう。 それが、現在15秒で走れます・・それを13秒にまで縮めたい・・となれば、話は別です。 では、一度走ってください・・となります。 走る姿を見て、フォームが悪いのか、走り方が悪いのか、あるいはこの点を伸ばせば良いのか・・などは、少々経験がある人なら分かります。 もちろん、練習量の絶対量が少ないなども、具体的な話の延長線上で数日観察すれば分かるでしょう。 当然、やる気の問題も少しの間で分ります。 具体的でない言葉を幾ら言っていても、気分はその気かも知れませんが、結果は見えないことでしょう。 もちろん、自信をつける方法は色々とあります。 が、それも結局はやる気・・ 別な言い方をするなら、具体的な目的なり目標なりを設定して、それに大して毎日の地道な事・あるいは当たり前の事の繰り返しが出来るかどうか・・などにかかっています。

noname#79479
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですね、家事と仕事の両立って抽象的すぎますね。でも大雑把に言ってしまえば「専業主婦がやっているレベルの家事」「フルタイム正社員がやっている程度の仕事」「家庭教師がついてる程度の教育」を求めています。これはあくまで仕事や家事・育児についてだけ言えることであり、たとえば趣味を持つとすればそれで食べていける程度までの技術向上を求めます(じゃないと意味がない)。 しかしながら心身の限界が低いため、家事は手抜きになってしまうし、仕事はパート程度しかできない。子供も素直に育っていますが勉強は今一つです。趣味をやってても単なる道楽で浪費するだけに過ぎません。 もちろん限界が来るまでやってるのかと言われたらやってないのです。自分に甘いので。限界が来るまで、自分が納得できるようにやれば自信がつくと思いますか? 過去、無理をしすぎて心身を壊したことがあります。どうしてもそのことを考えると怖い気持ちがあります。でもそうするしかないですね。きっと…逃げてるのだと思います。

noname#79479
質問者

補足

一つ補足をしますと、過去に家事・育児・仕事それに自分の趣味まで頑張りすぎてた時期がありました。面白いようにすべてうまく行きましたが、数年後私はぱったり体が動かなくなり、仕事はおろか家事も育児もろくに出来なくなった時期があります。 当然周りからは責められますし、生きる意味をなくしました。私はそれらができるからこそ生きてる意味があり、できなくなったら生きる意味はないんだろうと。 恐らく次に家事・育児・仕事のどれかができなくなったら、自ら命を絶つだろうと思います。両立できなければ生きている意味がないのですから当然です。でも死にたいわけではないので、そうならないようにしたいのです。

その他の回答 (1)

  • blazin
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回答No.1

自信というのは貴方なりの手ごたえ、感覚があってこそ生まれるものですからね。貴方が持つべき自信。それは貴方が毎日を貴方なりに精一杯生きているか?貴方なりに出来る事は丁寧にしていきながら、毎日を大切にしているかどうか?そこにある筈なんです。 毎日の日々の生活の充実。それには一人一人個人差があります。 置かれている立場や状況によっても全然違う。 貴方は貴方の立場で何が出来るか?何をすべきか? それをまずは考える。できない事までをあれこれ背負おうとして無理やりな存在意義のようなものを作り出す必要は全く無い。 貴方が出来ること。やりたい事。やらなければいけない事。 それを貴方なりにこなしていくプロセス。それが大切なんですよ。 その中で貴方なりに上手くいく事もあれば、行かない事もある。 そういう経験試行錯誤を経て生み出してきたもの。それが自信という体感実感に基づく心の確かさですからね。 貴方は貴方なりに、で良いんです。 存在の意義。それは存在している事が意義なんです。 意義を無理につける必要なんて無い。 貴方が妻であり親である事。それも絶対的な存在意義でもありますからね。もう少し力を抜いて、日々を見つめて感じていく中で動いていくことこそ貴方らしさの源になる筈ですからね☆

noname#79479
質問者

お礼

回答ありがとうございます。毎日を大切にしてるかと言われるとしてないんだと思います。 私は楽なほうに流されがちです。凄く弱い人間だと思います。ですので、例えば家事だって面倒だなと思えば手抜きをします。面倒だなと思うのが月に1度くらいなら愛嬌でしょうが、2日に1回、毎日だったりしたら洒落になりませんね。 きっと仕事をやれば精神的に強くなれると思いましたし、過去専業主婦だった時、仕事をしないから自分に甘いんだと言われたこともあります。ですので仕事をすれば変われるだろうと思ってました。 スポーツに挑戦したりもしましたが、結局変わりません。 私の悪い考え方なのでしょうが、結果が残ってないとダメだと思います。自分に甘いんだと分かってからそんな自分を変えようと出来る努力は精いっぱいしたつもりですが、結局変わってないため、やっぱりダメだなと。 プロセスを評価するという考えであれば、ここ1~2年の私は確実に努力してきたはずなのですが、どうもそこに意義を感じることができません。 結果がすべてだという考えを改めることができれば、少しは変われるのかもしれませんが。

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