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歴史を学ぶ

歴史を学ぶことにどんな意味がありますか。教えて下さい。

  • 歴史
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質問者が選んだベストアンサー

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回答No.8

この質問は定期的に投稿されますね。 かく言う私もこの質問に対して、万人が納得できる大義を明確にできずにいます。 ■■■万人が歴史を自己のこととして認識し、その意義を見出すことができる答えを求めています。一番の障壁だと思うことは「今の存在自体に、人は無意識である」ということだと思います。■■■ ≪歴史とは未来を想像するための源泉≫ 今を認識し、未来への希望・不安などを想像するために、過去がある。 生きる(=未来)ために「これから何がおきるか」「何が必要か」を認識するために過去がある。 過去とは経験であり、今とは経験の積み重ねであり、それは記憶である。そして、未来は記憶の中から選択されるものである。 ≪個性とは歴史そのもの≫ 個性とは、癖・習慣・思考傾向などさまざまですが、個人の集団=社会は多くの個々人の個性から構成されます。当たり前のことですが。 この集団のうち、個人の個性の公約数が大きいものが民族などになるのだと思います。 個人の経験の公約数が社会としての経験であり、記憶であり、個性であると。 すわなち、社会としての個性(=思考傾向など)は歴史なくしてはありえないものであると。 ≪歴史の意義はひとつではない≫  そうだと思います。それぞれの個々人やそれぞれのケースによって異なるのだろうと。 ただ、「好奇心」「面白いから」という個人の中で完結する理由に大義は見出しにくいと感じます。しかし、これを否定などはしませんし、むしろ肯定しますが、大義(いい加減な物言いですみません)という意味でのことです。 ただ、本投稿は歴史を哲学的に突き詰めた論考を参照していません。 怠惰な性格が災いして、先人の研究を紐解くにまで及んでいないのです。 そんな者の投稿ですので、たかが知れていますが、日常の中で「時に考えたこと」を書き込みました。 駄文・言葉足らずは承知の上です。あしからず。 ■余談、、、 知人で近世史の研究者に同様のことを問うた返答は「ルーツ探し」の一言でした。 その知人が歴史にはルーツ探し以外の意義は見出せないと意図していたわけでないと思いますが、迷い・淀みなく言い切りました。 あまりの断定口調に、それ以上の質問<ルーツ探しがそれを探す者にとって一体何であるのか?なぜルーツを探るのか?>をせずに、そのままその場をやり過ごしてしまいました。

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  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.10

歴史を学ぶ意味は、「学ぶ人の数だけある」としか申し上げることが出来ないと思います。 歴史というのは、自然を相手にした「自然科学(物理・生物・化学など)」のように、万人に適用できて万人に役に立つ(あるいは万人を殺す)ような、法則なり摂理なりが見つかる分野ではありません。 まぁ、分野によっては寄与することもあるかもしれませんが(法制史・経済史など)、それでも研究者・受取手の主観による部分が多い分野ですしね。 とはいえ、幾つかの類型分けはできますね。 以下に参考程度に分類してみます。 1・物語としての歴史 こちらは、先人たちの人生や歴史的出来事を「ストーリー」として楽しむための歴史です。 もともと、「ストーリー(story)」は「ヒストリー(history)」からの派生語です。 つまるところ、「歴史とは物語である」という事です。 例えば、NHKの大河ドラマにしてみたり、司馬遼太郎のように小説に仕立て上げたり。 もっと言えば、神話や伝説、民間伝承なんかも、「物語としての歴史」です。 多分、多くの日本人はこの立場で歴史を学んでいると思います。 また、「歴史のif」を楽しんだり、学会ではトンでも説と言われてる説を楽しんだりできるのも、「物語」故ですね。 2・歴史的教訓を引き出す。 時間は一直線であり、まったく同じ事が繰り返されることはありませんが、それでも人間社会では似たような問題に直面することが多々あります。 そのときに、過去の人が「どのように解決方法をとったのか?」や、逆に「なぜ失敗したのか?」などを分析し、自らが直面した問題に対処するときの役に立てましょう、、って立場ですね。 そういった意味合いでの歴史的著書は、ヘロドトスの『歴史』やマキャヴェッリの『ディスコルシ(ローマ史論)』などがありますね。 3・国家・民族としてのアイデンティティー確立のため 次に多いのは、こちらですね。 人は、時に「私たちはどこから来たのか?どこへ向かうのか?」という根本的な問いを発します。 自然科学分野が発展した今日は、有史以前の類人猿あたりも研究されますが、それは自然科学分野にお任せして、歴史は有史以後を対象とします。 ※有史とは、「人の歴史が有る」という意味です。もっと具体的には文字史料が残っていて検証可能な過去の事です。 この根本的な問いに答えるのが、「正史」とか「国史」とか「民族史」とか言われる「歴史」です。 これらは、ある特定の集団がどのような「歴史」をたどってきたかを示します。 そして、ある特定の人々が、ある特定の集団・領土・資源などを所有するための正当性を与える為に示されます。 この類の歴史としては、ユダヤ教・キリスト教の聖典『創世記』、中国の司馬遷の『史記』、日本だと『日本書紀』や『古事記』なんかが当たります。 以上が、主な理由ですね。 どの面から切り込んでいくかは、学ぶ人の主観次第です。 ただ、学術的なレベルになると「証拠と証明」が求められます。 この「証拠と証明」が出来なければ、「事実としてあった」とは認められません。 ただ、同時に「事実としてなかった」とも認められませんが。 歴史とは、現在に残った過去の一部にしかすぎませんから。 その「歴史」をどう生かしていくかは、我々一人一人の主観次第です。

  • Yelm
  • ベストアンサー率19% (63/324)
回答No.9

90年代アフリカの小国ルワンダでは多数派のフツ族が少数派のツチ族を虐殺しおびただしい犠牲を出しました。 その虐殺の大元となったのは同地を植民地支配していたベルギーが間接統治の為に流した「白人の血を引く高貴なツチ族がフツ族を支配していた」とするでっち上げの歴史でした。 アフリカの大部分の地域では歴史を文書として残す習慣が無いため、このような偽りの歴史は簡単に広まってしまい、結果として国家や民族のあり方そのものをゆがめてしまった事がしばしば見られます。 日本においてはあまり意識されませんが、歴史を学ぶ事は現在に生きる人間にとってもかくのごとく大きな意味があるのです。

noname#82952
noname#82952
回答No.7

さあてね。意味なんかないかも。 飛鳥時代や奈良時代なんかのことを勉強するより 今のトレンドを知っておいたほうが他人との会話には役立つだろうし。 過去の歴史を知っておかないと、文化や政治が理解できないとも思わないです。 まあ、まったく知らない、というのも問題あるかもしれませんが 過去10年ぐらいの歴史を押さえておけば生きていく上で支障はないように思われます。 でも私は歴史がおもしろくて仕方ないです。 歴史が好きな人って、たいていそうじゃないかな。 単におもしろいから本を読んだり、調べたりする。 小説や漫画読むのと変わらないのでは。 ただ学び方によっては「正しくものごとを認識する能力」や「考え方」が養えるのではないか、と思ったりします。 残念ながら日本の歴史は正しく認識されていないと感じています。 旧石器捏造事件などもありましたし、天皇陵の発掘調査ができないなどの制約もあります。 また権威や活字に対する妄信などもあるでしょう。 そのような情報の混乱の中からいかにして正しい情報を拾くか、という能力は 社会生活を営む上でも応用できるのでは。 歴史は謎にみちている。歴史は大きなクロスワードパズルのようなもの。 あっ、やっぱり単に面白いから、歴史が好きなんですね~。 ま、いいじゃないですか。それで。

回答No.6

例えばですけど、 和歌山県東牟婁郡に北山村という行政村があります。 この村は村の周囲を三重県と奈良県にのみ接していて、和歌山県には 接していません。なのになぜ和歌山県に属しているのでしょう? それは昔の生活や商業のあり方を知らないと説明できません。 また イランイラク戦争の時にイランに取り残された日本人をJALも米軍も 救助に行くのをためらう中、トルコ航空だけが日本人を助けるためにだけ 飛行機を飛ばしてくれました。それはなぜでしょう? その理由を日本人は誰も知りませんでした。 しかしトルコの人は誰も理解できました。なぜならトルコでは歴史教育の 中で日本との間にあった過去のことを教えていたからです。 歴史を学ばなければ現在起こっていること、今目の前にある「なぜ」を 説明できないのですよ。

回答No.5

こんにちは。 こちらの質問も参考になるのではないかと思います。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q117539836

  • mick32
  • ベストアンサー率55% (107/193)
回答No.4

ネットから拾ってきたものです。 他の回答者様の回答を参考にして下さい。 お茶濁しになれば幸いです。 友達が「歴史とか勉強する意味ねぇよ。過去じゃん」と言ってきた。 僕は迷わず彼の右頬をぶん殴った。 友達は半泣きになりながら「何すんだよ!」と叫んだ。 僕はもう一度拳を振り上げる。咄嗟に防御の姿勢をとる友達。 拳を下ろしながら僕は言った 「そうやって防御できるのも過去を学んだおかげだろうが!」 ハッと何かに気付いたように、友達は涙を流し謝ってきた。

  • furupai
  • ベストアンサー率20% (103/494)
回答No.3

もちろん過去の教訓を未来に生かすという意味もありますが、それよりも自らのアイデンティティーを確立するため、という事の方が大きいとおもいます。 人は過去から未来へ、先祖から子孫へと続いている縦軸と、家族、友人、会社、地域の共同体との結びつきである横軸、この二つのXY軸の糸の交点で「個」を安定させて、自らを律しながら日々暮らしているのです。意識的、無意識的にせよです。 歴史のつながりであるY軸を省いてしまうと、誇りや美学といったものが育ちにくくなり、犬猫とさほど変わらない動物のような人間になってしまうのです。 動物が認識できるY軸の範囲は、せいぜい自分の親と子供ぐらいです。 過去をさかのぼり自分の先祖に敬意を持ち、先祖に負けない立派なネコになろうとか、共同体の未来や子孫の将来に想いをはせる犬などいないのです。 簡潔に言えば、歴史意識を持たない者は動物と一緒であり、歴史意識を持つ者こそが人であるということです。 歴史意識を持たない者は縦軸がぶっつり切れているので、なんとか自らの「個」を安定させようと横軸を一生懸命強化しようとします。 友達がたくさんいればいるほど素晴らしいとか、友達が少なくて悩んでいますとか。 もしくはアイデンティティークライシスに陥り、「自分はこの世で生きていく価値や意味があるのだろうか?」と持たなくてもよい疑問を持ってみたり。 教えてgooにもたくさんいますよね。 これらは自分が縦軸である歴史と切り離されてしまっているがゆえに、必死に横軸でつながりあるいは自らの存在価値を見出し、なんとか「個」を安定させようとしているのですが、所詮横軸は横軸であり縦軸にはなりえないのです。たとえ100人友達を作っても心のむなしさ、不安感は消えることもなく、同じ穴のムジナといっしょに電車の床や地べたに座り込んでしゃべったり、ものを食べたりするのです。 まるで犬猫のように。 最近見たテレビの中で、先祖の歴史を何百年も代々語りついでいるアフリカの未開の部族の長に、「なぜあなたは歴史を語り続けるのですか?」とインタビュアーが問うていました。 族長は答えました。 「歴史を語りつがねば、浮き草のように人はこころのより所を失い、部族は必ず崩壊する」 今の日本にもあてはまるのではないでしょうか。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.2

ときに未来を予想する必要があります。例えばこれから株価はどうなるかとか、円高はどこまで進むかとか来年の今頃に仕事はあるかしらんとかそういうことも含みます。 そのとき、未来の予想には過去のデータが必要不可欠です。過去がそうだからって未来もそうだとは限らないのですが、他に信用できるものがないので仕方がありません。 かくして、過去に浮気したことがある人だからこれからも浮気するんじゃないかとか、この馬はこの前回のレースがこうだったから次のレースはこうなるんじゃないかとか予想するわけです。 競走馬の血統から株価チャートに至るまで、こういうのも全部歴史です。

noname#155097
noname#155097
回答No.1

過去を教訓とし、今に活かせるものは活かすことでしょう。

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