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東京及び東京近郊の鉄道について
地方の出身なので素朴な疑問ですが、分かる方詳しい方は回答して頂けると嬉しいです。都内及びそれを結ぶ鉄道会社は、JRに限らず、お互いの駅を直通で結んだりしていますが、この目的やいつ頃から始まったのか?分かる方いらっしゃいますでしょうか? 分かるかた詳しい方教えてください。
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●目的:私鉄・国鉄と地下鉄を接続することで、郊外から 都心に乗り換えることなくスムーズに移動できるように するためです。東京では運輸省と都の主導により都市 計画の一環として路線が整備されました。 このように、私鉄どうしの直通は基本的になく、あく まで地下鉄との直通に主眼を追いています。地下鉄の 両端が別々の私鉄・国鉄に接続することはありますが、 この場合も両路線の直通は目的としていません。 ちなみに両端が国鉄( JR )と直通している東西線は 目的が異なり、中央線・総武線の慢性的な混雑を解消する ために、その代替経路として建設されました。千代田線と 常磐緩行線の直通も同じ目的だったはずです。 ●いつ頃から始まったのか?:最初に開通したのはおそらく 昭和37年の日比谷線-東武伊勢崎線だと思われます。既存の 銀座線と丸の内線は、車両の構造的に他社乗り入れが不可能 でしたが、その後に建設された地下鉄は基本的にすべて、 私鉄・国鉄への直通を前提に建設されていたはずです。 ちなみに、京王電鉄はかつて、都電への乗り入れを検討して いました。新宿のバルト9の手前に京王のビルがありますが、 そこは京王が路面電車だったころの新宿駅の名残なんです。 そのため京王の線路幅はいまでも、都電と一緒なんですね。 日本全国でも京王・都電・都営新宿線・東急世田谷線、函館 市電のみが採用している 1372mm 軌道です。
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- ultraCS
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基本的には、現在の相互乗り入れは運輸政策審議会の答申に基づいて行われています。 最新のものは、平成12年1月27日の答申第18号「東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について」ですが、これは、ほとんど未来予想図です。 http://www.ktt.mlit.go.jp/kikaku_sinkou/1.3_18toushin.htm それに先立ち、昭和60年の答申第8号で現在のフレームがほぼ確定しています。それ以前だと、運輸政策審議会の前身に当たる都市交通審議会で答申が出されていました。さらに遡ると、昭和32年の建設省告示第835号「東京都市計画高速鉄道網」に行き着きます。ここで、現在の東京圏の地下鉄網と乗り入れ構想の初期のモデルが提示されました。 で、実際の答申の実現は、京成(そのためにわざわざ全線を改軌)と都営一号線(現浅草線)が嚆矢となります。 もっとも、こういった構想自体はけっこう古くからあって。 ・東京市電に対しては、京王線の他に京成や京浜、渋谷まで来ていた頃の玉電なども乗り入れを計画していました。王子電軌や城東電軌などの後に東京市に市有化された私鉄も同様です。 ・小田急などは自前で都心(日比谷)乗り入れをする地下鉄会社の設立を申請しています(免許まで取得したかは失念)。 ・都営浅草線の一部は元々は京浜電鉄が都心乗り入れを構想して地下線の免許を受けた区間を東京都が譲り受けて工事したものと記憶しています。 ・メトロ銀座線については、玉電の乗り入れ構想や井の頭線との直通の構想がありましたが、実現はしていません。 ・建設省告示に基づき、乗り入れを構想して実現しなかったのは三田線の高島平から東武東上線の大和町(現和光市)間(池袋スルーを東武が嫌ったという噂)と、東急田園都市線直通(こちらは後に目黒線直通として復活)くらいかと
お礼
丁寧かつ詳細なコメント感謝いたします、相互の鉄道間の問題がありながらも今の首都圏の鉄道網は整備されたのがよく分かります。自分でも色々調べてみます。
- spock4
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東京では、郊外へ路線を延ばす各私鉄が、山手線で終点となっている路線を都心へ延ばすための手段として始まったと記憶しています。 相互乗り入れの第一号は、京成と都営1号線(現浅草線)。
お礼
コメント&参考URLありがとうございます。相互乗り入れは京成、浅草線だったとは初耳です。そう考えると鉄道は面白いですね。
お礼
詳細なコメント感謝いたします。軌道の幅までコメントしていただきありがとうございます。さまざまな角度で学べました。