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神社に鐘突き堂があるのは何故
自宅から車で15分くらいの所にある菅原神社に鐘突き堂があり、年越しの時だけ 除夜の鐘を打っています。鐘はお寺にあるものだと思っていました。神社なのに 鐘がある理由を知っている方がおられましたら、教えてください。
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明治政府になるまでは、仏教と神道をいっしょに祀る、 神仏習合・神仏混淆はあたりまえで、普通の習慣でした。 大きな神社には、神宮寺が付属していましたし、 お寺には、鎮守様が祀られていました。 ところが、明治政府になり、天皇の宗教=神道を国教としようとし、 神社から仏教色を払拭する、廃仏毀釈がおこなわれました。 そのおかげで、たくさんの貴重な仏教文化財を失う結果にもなったのです。 しかし、地域によっては、激しい運動になった所もありますし、 反対に、古い文化を何とか残そうとした人たちもいました。 建物を神社建築に偽装したり、うその申告をして取り壊しを免れた 神社内の仏教建築は各地に残っています。 多分、その鐘突き堂も、そのような建物ではないかと推測できます。 先人が苦労をして(時には命をかけて)残した遺物であれば、 大切に守っていかねばなりませんね。
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- moriken34
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アフガンで、仏像が、破壊されましたね。 あれと同じようなことが、明治に時代に おきていたのです。 よかったですね。鐘楼が残っていて フェロノサに感謝してください。日本のお寺を、救った人です。 お寺を、文化財にして、外国に売られるの食い止めたのです。 つまり、文化財保護法 国宝ともいいます。 京都は、今はすばらしいが、明治になったとき すべて、荒れ寺になったのです。 生活のために、仏像 建物が売りに出されたのです。 天皇が、神様なので神社だけが、崇拝されたのです。 神仏分離になったのです。
神仏混合のお寺には鐘突き堂があり、神社の境内に仏像を安置して、神仏混合時代の形式を残しているところも有ります。 神仏混合については、参考urlをご覧ください。
- kokiriko
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済みません、神仏混淆でお寺を合祀した物のようです。
- kokiriko
- ベストアンサー率22% (121/535)
明治時代に廃仏毀釈があり、仏教のお寺が神社に変わった事があります。 おそらくそのときに神社に変わったのではないでしょうか?