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【日本史】東北には何があった?
こんにちは。 日本史にはあまり詳しくないのですが、ちょっと疑問が浮かんだので 質問したいと思います。 戦国時代くらいまで東北の事が歴史の文脈で語られる事 はほとんどなかったように思います。 新潟の上杉氏が最北端だったような…(ものすごいうろ覚え)。 後に征夷大将軍が制定されました。これは東北の夷を討伐 する最高責任者の称号ですよね? 多分、上記でめちゃくちゃなことを言っていると思うのですが、 上記の記述の訂正と、東北に何があったのかを教えて下さい。 よろしくお願いします。 追記:古代日本にはもう一つの独立した国家があったと言って いる人もいますね。
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- junt
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No.7さんまでの解答だけで実に楽しく良く分かるとおもいますが、皆さんの書いていないことを一つ、東北は、古代日本の先進地帯だったのです。三内丸山遺跡は最新の研究で紀元前3500年前のもので、1500年間栄えていた事がわかったんですよ。今でこそ金も取れなくなりましたが、昔はたくさん取れた事も分かっています。藤原秀衡は 宋朝に経典を買うためだけで1万5千貫の黄金を送っているのです。半端じゃないです、だいたい56トンですから、今より金が価値のあった時代,今より遅れた技術しかなく、生活に関係ないところにそれだけ使っているのですから、実際に産出された量は数十倍、いや100倍を超えたのかもと推測されているのです。
- SCNK
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正確には歴史上はなかったということでしょう。特に日本史としてはです。 歴史学とは文献によるものですから、文献が無い以上は考古学の分野となります。したがってせいぜい蝦夷がいて征伐したというところでしょう。 文献が発見されれば歴史上の事実として今後付け加えられるでしょう。
- yapoo
- ベストアンサー率14% (265/1865)
先に書いてる方々の言うとおりですが 他には青森県の十三湖の所を拠点として 安藤水軍っていうのが大活躍していました 鎌倉時代に日本海貿易を独占していたとか 鎌倉時代からちゃんと青森県まで各地に城はありましたよ 鎌倉時代の武家の書物の「あずまかがみ」(吾妻鑑とか吾妻鏡とか 東鏡とかって書かれてます)には 東北のことも出てきますよ
- alchera
- ベストアンサー率45% (209/457)
ほほほ♪平泉を愛するわたしとしては避けて通れない設問です。 もっとも知識の正確さには疑問があるので、間違いを見つけたらどなたでも随時訂正お願いしますね♪ 古代東北に○○があった!などとトンデモ本系で語られているようですが、この際それは置きます。今の段階では信憑性に欠けると思うし、どう考えてもヘンだろう、という話もたくさんありますので。 三内丸山遺跡のことは全国規模のニュースになって、おそらく質問者さまも目になさったことでしょう。集落の規模も大きく、時期も長い。縄文時代にそういう集落があった以上、突然その賑わいが断たれることは却って不自然な気もしますよね。 質問者さまがおっしゃった「古代日本の独立国家」というのがトンデモ系のことなのかはわからないのですが、真面目な話として、鎌倉の頼朝が奥州藤原氏を滅ぼすまでは、北日本は独立国家といっていい状態だったと思います。 奥州藤原氏のことはご存知ですか?奥州藤原氏は4代百年しか続かなかったとはいえ(しかし鎌倉の源氏があっという間に消えたことを考えると百年は長い時間です)、きちんと要件を満たした地方政権だったと思います。たしかに同時代の中央の官位制と比べたら完成度は劣ったかもしれません。また、朝廷との関係においては相手を立てなければならない立場にもあった。でもおそらく奥州藤原氏とその支配下にある人々の中では、朝廷は「対するもの」(=対抗するもの、ではありません)であり、お上という意識はなかったのではないでしょうか。 ……などと、具体例を挙げずに私見を述べてもちっとも説得力がありませんね(^_^;)。わたしのわずかな知識で具体例を並べるよりは、高橋富雄氏の著作をお読み下さい。氏は東北大学の教授であった方で、中世東北が専門です。著作も多く、新書でも何冊も見つかりますし、文章も読みやすいです。 奥州藤原氏の前には安倍氏がいます。その前にはアテルイがいます。 質問者さまがおっしゃる征夷大将軍としてもっとも初めに有名なのは平安時代の坂上田村麻呂だと思うのですが、彼とアテルイは同時代人です。(ちなみに家康なども征夷大将軍ですがこの頃には実態を伴わない称号になっています) 田村麻呂とアテルイの関係を書いた小説には高橋克彦の「アテルイ」が……あれ?題名が違う?「火怨―北の耀星アテルイ」ですね。同じ作者の「炎立つ」と合わせてお読み下さい。 高橋克彦氏も「シイタゲられてきた東北の復権」に熱心な方で……でもそのあまり少々素材を英雄的に扱いすぎるきらいがあると思うんですよねー。小説だからそれでいいのですけれど。なのでぜひ、先の高橋富雄氏のアカデミックな方向の本も。 独自に大陸と交易をしていたり、朝廷との丁々発止のやりとり、藤原氏が残した美術・建築群、藤原氏初代清衡の波乱万丈の人生。中世東北には面白い話がいっぱいありますよ。でもリアルタイムで体系的に書き残されたものがないので(当時あったとしても平泉炎上の時焼失しただろうと思います)、なかなか日が当たらないんですよねー。 言いたいことがたくさんありすぎて、まったく!全然!とりとめのない文章になりましたが、その中からワタシの熱をお汲み取りいただいて(^_^;)、少しでも中世東北に興味を持ってくだされば嬉しいです。 わたしの知らないところで、他にも「もっと知られていいはずなのに隠れている」歴史がたくさんあるんだろうなー。いろんな地方の皆さん!がんばりましょうね!(何を?) どうも長々とお邪魔致しました。m(__)m。
- petunia
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戦国時代以前の東北といえば、三内丸山遺跡(縄文時代にレベルの高い生活を送っていたらしい)、坂上田村麻呂、奥州藤原氏(義経をかばった)が有名どころでしょうか。(私、歴史は苦手だったので) 中尊寺の歴史が下記にあり、少しはご参考になるでしょうか。
東北地方にはエミシ(蝦夷)という中央政権から独立した古代民族集団がいました。東北地方は縄文時代に既に当時の日本の先進地域と同等かそれ以上に発達していたことは「三内丸山遺跡」の発掘によって明らかとなっています。 朝廷がこのエミシ征討に派遣したのが坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)です。朝廷は彼に征夷大将軍の肩書きを与え(797年)蛮族を平定するように命じたわけですが、実際に現地で見るエミシは独自の文化を持った民族であり決して蛮族ではないとわかり征夷大将軍は敵と和睦を結び敵の大将アテルイを伴って帰国しました。アテルイを東北の権威として認め平和裏に、現代流に言えば平和条約を結ぶのが目的だったのでしょうが、朝廷は蛮族など見たくないとアテルイを死刑にしています。 アテルイの墓は処刑のあった大阪府北部の枚方市にあります、またアテルイの記念碑が京都の清水寺にあり東北地方からの旅行者が必ず訪れるところとなっています。関西にはアテルイの会があり1200年前の悲運の勇将を毎年偲んでいるそうです。エミシと現代のアイヌが同じかどうかには異論があるようです。 東北地方はこのように古くから日本の他の地域にひけをとらない開かれた地域ですから戦国大名の国取り合戦中から徳川体制が確定する17世紀まで多くの大名が 出ています。有名なのは伊達、松前、最上等です。詳細は下記URLを参照して下さい。 http://f2.aaacafe.ne.jp/~kshine/sengokudaimyou.htm http://www.ipc.shizuoka.ac.jp/~q0916026/rekishi.html
戦国時代、今の東北地方にも沢山の城があり、今の仙台には伊達政宗もおり戦争も有りました。 参考urlの戦国期の東北の合戦のページや、下記のページをご覧ください。 http://www.asahi-net.or.jp/~yu9t-skrd/link/touhoku.htm
- taknt
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それぞれ県の由来みたいなものを探して調べるといいでしょう。 それ以上のことは、多分 わからないと思います。 例 青森市の由来 http://www.nebuta.co.jp/shouwa/rekisi/top.htm http://travel.mimo.com/j/info/C/ca/aom/t05.html