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マーラー

マーラーの、交響曲はスケールの大きなものばかりですが、なぜ大規模な作品ばかり、作曲したのでしょうか、ベートーベンは第九のような大規模なものもありますが、完成度の高い作品をコンパクトに作曲しているものもあります、スケールが大きいと、聴衆に受け入れがたいところもあるかと思います,ブルックナーも,そうですね,皆さんは、マーラーやブルックナーの交響曲を好んでよく聞きますか、私は苦手です

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  • bagnacauda
  • ベストアンサー率18% (228/1247)
回答No.4

勝手な想像で書きます。 想像1 音楽に限らず芸術家は、オリジナリティというか、全く新しいものを創造しようとする人間なのだと思います。 マーラーも当然のことながら、「全く新しい音楽」を創りたかったはずです。誰の模倣でもない全く新しい自分の音楽を書きたかった。 それが「様式」「形式」「音の厚み」「楽器編成」という面でも現れたと言うことなのだと想像します。 10のシンフォニーは、様式がバラバラです。 想像2 優れた指揮者であり、時代の寵児たらんという野心の強かったマーラーは、大作曲家の楽譜に加筆して演奏してしまうような男であり、オーケストレーションに過剰なまでの「自信」があったはずです。 マーラーのシンフォニーのスコア(総譜)って、「オイオイ、、、」というものですし、当時の指揮者にも極めて厄介だったはずです。 マーラーにしてみれば、他の指揮者に対する挑戦・挑発もあったのかもしれない。 僕は、マーラーが嫌いじゃありません。苦手でもないです。 というか、1年の内、何回かマーラーしか聴かない1週間みたいなのがあります。 確かに第一楽章は揃いも揃って「長大」だし、「大げさ」で、「音の厚み」も半端じゃない。 でもね、繰り返して聴いていると、その音が聴こえるようになるんですよ。そして中間楽章がちょっと心地よく聴こえるようになる。 音楽って聴くのに「訓練」を必要とします。 単なる「感性」じゃない。少なくともクラシック音楽を聴くためには、音楽を聴くための「知識」「技術」「経験」そして「体力」すら必要なのだと思います。 マーラーの「音」が聴こえるためには、ベンチプレスで少なくとも自重10発以上挙がる必要がアル・・・・なんて、訳は無いけれど(笑)、それなりの音楽的な積み重ねは必要です。 僕がマーラーを「良い」と感じ始めたのは、40歳を過ぎて初めてオーケストラのアマチュア奏者としてマーラーのシンフォニーを演奏してから。 英語耳が出来るように、気が付いたら、「マーラー耳」がついていたような気がします。(笑) ということは、マーラーの音楽って、やはり「本物」なのだと思います。 因みに、マーラーの妻、アルマは、僕が歴史上の有名人で寝て見たい女ベスト10の中に入っています。(笑)

ccc35201
質問者

お礼

音楽を聴くのに体力考えたこともないですね。ひとつの趣味でも奥が深いですね。音楽をもっともっと聞かなくては、理解できませんね

その他の回答 (4)

  • jupitan
  • ベストアンサー率36% (227/616)
回答No.5

興味深いご質問でしたので前回に引き続き再度回答いたします。 (ただ、前回のお礼を{その節は有難うございました}拝見いたしまして今回も問題提起というかご質問内容はさておき、ご質問者さんと私共との音楽に対する聴きかた、感じ方、理解度?という点に関しては若干の相違を感じますが・・・いえいえ、決して私とて音楽に関してはまだまだ若輩者ですのでそのあたりも何卒ご考慮頂きたく思います) さて、よほどコンパクトという言葉がお好きみたいですね?笑 (確かにベートーヴェンのSymは奇数番号が大規模、ドラマチックなのに対し、偶数番号はおとなしめの曲が多いのも結果的に偶然なのでしょうかね?) 確かに、マーラーなどは当時の世紀末の風潮も多大に受け(当時、世紀末のウィーンで活躍していた画家のクリムトなどともよく比較されますが)また、楽器の進歩・種類に合わせ音楽自体も大編成化していく中、マーラーもオーケストラに自身の音楽表現の可能性を見い出している一人であり(自身、指揮者でもあった)、それは器楽のための総合的最高の表現形式である交響曲にあたかも画家が生涯の各時期ごとに大作を描きあげると同様の意味合いがこめられているとも思えます・・・ ただ、楽器編成が大きい・演奏時間が長い・実際の響きや演奏効果(色彩的なものや音楽的な深さ、芸術的価値や内容等々)といったものは単純に他の作曲家の作品と比較検討は出来ないでしょうし、我々、鑑賞する側の個人の音楽的嗜好(好き嫌い)も多分に関わってきます。 つまり、作家・小説家でも長編ばかり発表している人や反対に短編やエッセイ専門の人もいますしね。読み手はやはり長編の壮大な展開・ドラマ性こそが最高だと言う人もいれば、詩や短編の中にあたかも全てが凝縮している、もしくはそれこそが真実だと仰せでも決して間違ってはいないでしょうし。 そういった意味でもマーラーやブルックナーの各交響曲(勿論、それぞれがあの巨人ベートーヴェンを念頭に置き意識しているのは明確です)は一作一作がとても意味のあるもので(作品研究・分析等の音楽学的観点や各作品を実際に演奏する側にとっても面白くて深くやりがいのある曲)、やはり優れた作品には違いないでしょう。 尚、個人的にはブルックナーの方が好きです。 特にNr.4「ロマンティック」、Nr.5、Nr.9、といったところでしょうか。確か彼は教会のオルガン奏者だったのでその響きは荘厳で厚くてとても惹かれます。また、時にはドイツの深い森の響きも(イメージ的に)聴こえたりします。 そう、全曲を聴いてて長いな~、早く終わらないかな~なんて思ったことはありませんね。 それに比べ、マーラーはブルックナーの保守的・伝統的な響きとは違い、新しい試みが随所に伺えてきわめて斬新で面白い響きはするものの(作品によっては合唱や独唱も入ったり)、どこか、にぎやか過ぎて俗っぽさが拭いきれないものを感じます。(すみません、私だけかも・・・)しかし、冒頭に述べましたように当時の時代背景を鑑みながら聴くと不思議にフィットするんですね。(確かに不思議な音楽ではあります・・・)。あれは確かヴィスコンティの映画だったでしょうか?マーラー自身が登場し、彼のSym.5の有名な美しい緩徐楽章がゆったりと流れていたのは・・・

ccc35201
質問者

お礼

私も長いのがいいのか短めのがいいのかわかりません、人により感じ方は確かにさまざまなことはあるでしようが、私はあまり長いのは苦手です

  • guekfbd
  • ベストアンサー率51% (212/414)
回答No.3

活躍していた時代的に、楽曲内で使用できる楽器の選択の幅が増えた時期ということも一因なのでは? たとえばベートーヴェンの頃にはチューバはありませんでしたし、もっと前のハイドンの時代に至っては、 晩年の頃になってようやくクラリネットが使われ始めたぐらいです。 つまりはその時代その時代に存在している楽器の種類によって楽曲の表現に限界があったわけで、 極端な話、昔の作曲家達は、大編成の曲を書きたくても、楽器の選択の幅が無さ過ぎて 作ろうにも作れなかったという可能性もあるのではないでしょうか。 参考までに、ベートーベンの第九に関して言えば、合唱とソリストが抜ければ編成は大して大きくありません。 マーラーやブルックナーあたりが活躍した19世紀後半~20世紀の初頭の頃って、 現代でも使用されている楽器体系のスタンダードがようやく完成した時期ですし、 他にもワーグナーやリヒャルト・シュトラウスなどの大編成の曲を好んだ作曲家が比較的多かった時代ですから、 「大規模な曲」というのはこの時代の流行のひとつだったのではないでしょうか。 ま、かくいう私もマーラーとかよりは、同じ時代で言えばチャイコフスキーやブラームスのような 中規模編成の曲の方が聴き易くて好きですけどね。

ccc35201
質問者

お礼

なるほど、書きたくても書けなかったということもあるのですね、流行に飲み込まれた面もあったのでしようか

回答No.2

QNo.3980846「気軽に聞けない」の続きですね!! こんばんは!前回にも、投稿させて頂いたhossannpapです。 前回、ハイドン(1732~1809)~モーツァルト(1756~1791)~ベートーヴェン(1770~1827)~チャイコフスキー(1840~1893)に至る西洋史と音楽史の関係での変化と発展を書きましたが、ご質問の、マーラー(1860~1911)は、当に、前回に、ご説明した流れの極みとも言えるでしょう。 もう一度、おさらい的に書けば、ハイドンからチャイコフスキーまでの間に、有産階級の為だけの音楽が、不特定多数の一般庶民の為の音楽になり、作曲家も、パトロンの注文に御用聞きで作曲した時代から、作曲家自らが、自分のメッセージを込めて多くの人向けの作曲に変わって行った時代でした。そして、楽器の発達に伴ってオーケストラの編成も大きくなって行きました。 ここまでが、私が、前回、お答えした概略です。 そして、お尋ねのマーラー!!答えとしては、前回の流れの延長であり基本的な説明は、前回と同じです。 勿論、マーラーは、個人的にも、幼い時から驚異的な才能をあらわし、後に、ウィーンで音楽を学ぶのと期を一に、歴史学や哲学も修めている事や、又、ワーグナーやブルックナーから大きな影響を受けている事からも、音楽のスケールが大きくなって行った事に、条件と流れが整っていたと思えるのではないでしょうか。 「番号付交響曲10曲」と「大地の歌」を合せた「全11曲」の交響曲の内、5曲も声楽が付き、中でも、第8番「一千人の交響曲」は、曲の長さだけでなく、8人もの独唱者に大編成の合唱群と大編成の管弦楽団を要する事は、優れた指揮者であったマーラーが、長さと大編成を率いて、メッセージ伝達を損なわずに、何処まで長大が出来るかの、実験的な想いも有ったのだろうと思います。マーラーの楽譜が、視覚的にも面白いと言う話もよく聞きます。この事も、決められた約束事の中で、新しい事への挑戦であったと考えれば、理解がつきます?それは、ウォルフと親交が深かった事からも想像出来そうですし、新しい音楽を生み出す挑戦者の姿勢が見える様に思います。 最後に、私も、二人とも、時々・・・苦手です(苦笑!) 其々に、熱狂的ファンが、オカルト的強固さで、いらっしゃいます。その様な方には、話を振らない様にしています。一度チャンスを与えますと、私の耳と頭は、地獄ですので・・・・・ふう~!

ccc35201
質問者

お礼

いつの時代でもチャレンジ精神は大切ですね、マーラーは、惜しみなく発揮していったのでしょう、頭は下がりますが、私はあまり長大なのは苦手です

回答No.1

中学の頃、モーツァルトの「愛ね・暗いね・なはとむじーく」(変換相違ですが面白いのでこのままにしておきます。)を聴いてクラシックに魅せられましたが、高校の時の親しい友人が、マーラーとブルックナーを紹介してくれて、世の中にこんなに長大なスケールの大きい曲があるのかと、びっくりしました。気難しいと言われるベートーベン以上に気難しいというか、それこそ古井戸の奥底を垣間見るようなこれでもかという位暗ーい、暗ーい、地底から響いてくるような曲なのに、なぜか私の魂の奥底にストっと落ちてくるような、その不思議さに共感し、心底から癒されるようでした。 世の中は、明るく、面白く、わかりやすいものを歓迎し、暗く、つまらなく、わかりにくいものを拒否する傾向にあります。当然と言えば当然かもしれませんが、世の中がすべて、お笑いタレントの芸のように、単純明快に、面白く展開しているかと思えば決してそうではなく、どこの職場も問題をかかえ、そこに適応できない人たちを切り捨て、うつ病などの不適応な人々を量産している現状です。 モーツァルトの「愛ね・暗いね・・・」のように、短くても完成度の高い曲を好まれるのは結構ですが、たまには、長ーい、暗ーい曲にも挑戦してみて下さい。最初はとっつきにくくても、何回も聴いている内に、作曲者の意図や心理状態が読めるようになるかもしれません。第一印象が悪い曲を「そんなの関係ない」と切り捨てず、長い目で見てつきあってみると、気難しい曲や人にも、じっくり付き合ってみようかという心のゆとりが出てくるような気がします。 もっとも、昔の人もあまり長い曲は嫌いだったと見えて、作曲家の生前は演奏を拒否された名曲も数多かったと聞いています。

ccc35201
質問者

お礼

わかりました、音楽も人間と同じなんですね。付き合えば付き合うほど、味がでてくる、やはり魅力がありますね

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