(京極夏彦)「鉄鼠の檻」の関口君
最近京極さんのシリーズを読み始め、ただ今鉄鼠の檻を読了しました。
読み終わった後、「鉄鼠の檻」の関口君について少しもやもやしたので、皆様の意見が聞きたいなとおもい、今回投稿させていただきます。宜しくお願いします。
鉄鼠の檻のネタバレ(?)があると思いますので、未読の方はご注意ください。
【質問】
鉄鼠の檻の関口君と題しましたが、とくに気にかかった物語のラストに関してです。
「鉄鼠の檻」のラストで、京極堂が「明慧寺」の正体を暴き、「犯人」について語ったあと、
仁如(松宮 仁 鈴子の兄)は13年前に起こった松宮家の火事の真実と「鈴子」との関係について語ります。
ただ、その後者については関口君が「彼に話させてやってくれ」と促しますよね。
そして京極堂に「やめろ」と言われ関口君は黙りました。
京極堂の制止の声に、仁如は結局「いいえ話したいのです」という感じで「鈴子」と自身について、自身の感情について語ってしまいます。
そしてそれを「鈴」は聞いてしまう。
兄の言葉に、「鈴」は自身で「鈴=鈴子」だといい。兄に怒りを露わにする。
京極堂は「鈴子」の「憑きもの」を落とすのは難しいと最初から解っており、慎重にやりたかったでしょう。仁如が全てを語り、自身が楽になる前に、違う手順を踏みたかったのかもしれません。
その後、慈行和尚が寺に火を放ち、その火の中へ「憑きもの」が落ちないまま「鈴子」は逝ってしまった。(最後のセリフから、落ちなかったとはいいきれませんが)
下手な状況説明で申し訳ありませんでした。
私が結局皆様にお聞きしたかったのは、
「関口君のせいで、この結果になってしまったのかもしれないのではないか」
もしくは
「今作の関口君の感想」
です。
私は最後のこの流れをみていて、正直関口君に怒りを覚えました。
私は、1作目から関口君のすぐ彼岸にいきかける危うい状態や、頼れなさが大好き(言葉でうまく表現できませんが)で、
1・2・3作と巻を追うごとに酷くけなされながらも(笑)
彼岸からは少し離れて来ている・・・状況に心が振り回されず少し考えられるようになったというか・・・ある意味強くなってきていると感じという、成長を楽しんでいました。
・・・が、今作では自身の疑問の解消に素直というか、すぐ話の腰を折ってしまう場面が何度もあります(関口君がいないと読者側はなにも解らないけれど←)
最後の場面については特に慎重さがかけているなと感じたんです。
今作は涼子、久遠寺、菅野と関口君にとって、トラウマにあたることが呼び覚まされて、「鈴子」についても涼子と重ねていました。
そしてこれまでの事件の悲劇を見てきたはずなのに・・・。
なぜあのセリフを言ったのか。(仁如の気持ちが痛いほどわかるから?)
なぜ事件が終わった後、自分の発言についてなにも感じていないのか、または「鈴子」について罪悪感がないのか(いやあるかもしれないのですが)
嫌な言い方をすると関口君が、「出る幕でないのにでしゃばって、事が悪化した感」が残り、読み終わった後、ひどくもやもやしてしまいました。
関口君があの場面にいなくても、仁如は勝手に語るだろう。
なにをしても京極堂には「鈴子」の「憑きもの」は落とせなかったんだ。
関口君はああいう性だからしゃーない\(^o^)/
とあれこれ理屈をつけるんですが、どうもスッキリしないので、質問させていただきました。
長々と個人的な感想を書いてすいませんでした。
そしてあまりにも個人的過ぎる質問で申し訳ありません。
「関口君について」で限定するのが無理であれば、「鉄鼠の檻のラストについて」の感想でもなんでも構いません。皆様の意見、感想をお聞きしたいです。
どうか宜しくお願いします。
(あとなぜか関口君と呼び捨てで呼べなくてすいません)
お礼
ありがとうございました!