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この日本語は正しい?
今日テレビを見ていて思ったのですが、 「あなたと一緒にいられることができ」 って正しいんでしょうか? 「いられる」っていうのも「でき」っていうのも可能を表している気がするのですが…。 親に聞いたら、「いられる」っていうのは自分を下げて言う使い方だから、正しいんだみたいなことを言ってたんですが、「いられる」に謙譲の意味ってないですよね? あるのって尊敬の意味ですよねぇ。 よろしかったら文法的に正しいのかどうか教えてください。 よろしくおねがいします。
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言葉の表現で、正しいとか間違っているというのは、どういうことなのか、と考える必要があります。間違っているというのは、例えば、「彼は大学を卒業した」は正しいですが、「彼は大学に卒業した」は間違いです。 これは「卒業する」という動詞において、助詞で規定される補語成分を加えるとき、「卒業する」という動詞の対象は「を」を使い、対象以外の状況補語は「に」を使うという、この動詞の用法が現在あり、「大学を卒業した」の意味を「大学に卒業した」と「に」補語では表現しないという慣用があるからです。 「彼といられることができる」というような表現は、「間違いではなく」、「冗長表現」とでも言います。「馬から落ちて落馬して、女の婦人に笑われて」というような言葉がありますが、これらの表現も「冗長」なのであって、「間違い」ではないのです。 いかに「間違い」だとか「正しい」というのが、主観的な色眼鏡で変化するかの例が、実際にあります。 「泳ぐことが出きる」が間違いだという主張がありますが、主観的な判断です。例えば、例文で言うと、「わたしは中学生のとき、まったく泳げなかった。これではだめだと思い、高校でがんばって、泳ぐことができるようになった」というのは、「泳げるようになった」でもいいですが、「泳ぐことができるようになった」でも何もおかしいことはありません。 「生きられることができる」というのも間違いのように思えます。しかし、これも冗長なのであって、前の「られる」の可能と、後の「できる」の可能で、質が違う場合は、この表現でないと表現できないという場合もあります。 「あの戦争を通じて生きられることができたのは幸いだった」は、「あの戦争を通じて生きることができたのは幸いだった」とは意味が違うのです。どちらも変な表現に聞こえますが、「生き延びる・生き延びられる」とすると、変ではなくなりますが、違う意味になります。 「彼と一緒にいられることは幸せだった。本当に、一緒にいられることができて幸せだった」という言葉の場合、後の表現は,強調のため、「可能」を二回繰り返していることになります。 表現が変に感じられるとか、不自然に感じられる場合、目下の日本語で間違いの場合もありますが、表現が変な感じがするだけで、間違いでない場合も多々あるのです。 「女の婦人」というのは変な表現ですが、意味的にも文法的にも,間違いではありません。
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- kimosabe
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「~ことができる」という表現は、明らかに可能の意味。ここに異論はないでしょう。 問題は、「いられる」の「られる」です。 「いる」は、話し手自身の動作でしょうから、「られる」が「尊敬」の意味とは考えられません。もしこれが「尊敬」ならば、自分で自分を敬うことになって不自然です。 また共通語では、「いられる」を「いる」の尊敬語として用いることはまずないでしょう。 「~が~に~される」という受身文もあてはまりません。 「自発」説があったようですが、現代語では、自発の「れる」「られる」は、 彼女の身が案じられる。 故郷がなつかしく思い出される。 彼の苦悩が察せられる。 わが身が情けなく思われる。 のように、人間の精神作用・心理作用を表す動詞につくのがほとんどです。 したがって、「いられる」の「られる」を自発と考えるのも難がありそうです。 (自発は、「自然可能」とも呼ばれ、いわゆる「可能」と明確に区別しにくい例があるのもまた事実ですが) というわけで、結局「いられる」の「られる」は「可能」の意味です。 「可能」をさらに分類して「能力可能」「条件可能」などといった枠組み考えることはできるでしょう。しかし現代共通語で、それらを違った形で言い分けることはありません。下の能力可能の例で納得していただけるでしょう。 彼は10分以上水に潜っていられる。(○) 彼は10分以上水に潜っていることができる。(○) とすれば、「いられることができて」は、「可能」が無意味に重複していますから、典型的な悪文です。 冗長(冗漫)は、文章や話が、くどくて長ったらしいことですから、ここでは関係ないでしょう。この回答自体が冗長だったでしょうか。 rui37さんはけっして鈍くないです。
- nakaizu
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「られる」には可能、自発、受身、尊敬 の四つの意味があります。 この場合、受身と尊敬の意味で使われることはないでしょうが、自発の意味で使われることがあると思われます。 例えば長年共に暮らしてきた故人に対してならば あなたと一緒にいることができてよかった。× あなたと一緒にいられてよかった。○ となります。この例では「られる」は可能の意味も兼ねているでしょうが、「日常的に一緒にいる」「自然と一緒にいる」状態だったのでよかったという意味があると思われます。 このように単純な可能の意味以外で使われるときには「できる」との併用も可としてよいのではないでしょうか。
お礼
自発の意味だと考えることもできるんですね。 絶対可能だと思ってました。(思い込み) ううん。 ありがとうございました。 もう少し他の人の意見も聞いてみたいので、しばらく放置(?)させていただきます。
- sahko
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少なくとも今は正しいとはいえないかもしれません。 ただ、多くの外国語は出来るという意味をいくつかに分けており、日本語も更に細分化されるのかと思います。 可能体は、1;能力として出来る(英語が話せます) 2;条件が整って出来る(夏になれば泳げます) で、許可としては使いません。 一方、~ことができる、も少し条件があり、 例 田中さんは泳げます。(○) 田中さんは泳ぐことができます。(×) 田中さんは1000メートルを18分で泳ぐことができます。(○) ということです。 つまり、出来る(もしくは可能体)、の中身は今現在3種類あって、 世間の常識、法律、規則に許されて出来る。 主語の事物の能力が一定に達して出来る。 条件が整って出来る。 の三種類になるようです。 で、ご質問の文を見ると、 一緒にいられる→一緒にいることが社会的に許される。 ことが出来る→条件が整って出来る。 とみることが可能だと思います。 こういう区分けは今の日本語文法にはないようですが、言語はいつでも過渡期であると考えればそれも当然かと思います。
お礼
なるほど、日本語も、今もだんだんと変わってきているのですね。 「泳ぐことができる」って使えないんですか?! びっくりです。普通に使ってました。 なぜ駄目なのでしょう? 「1000メートルを…」はいいのになんで駄目なのか分からないです。 あ、泳ぐに可能形があるからでしょうか? そうすると「1000メートルを…」は「泳げます」は駄目なのですか? よろしかったら分かりやすく(笑)おねがいします。 回答ありがとうございました。
- Mell-Lily
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間違っていると思います。 ○ あなたと一緒にいられる ○ あなたと一緒にいることができる × あなたと一緒にいられることができる いる 尊敬語 … いらっしゃる、おられる 謙譲語 … おります 「いられる」は、尊敬語でも謙譲語でもありません。可能の意味です。
お礼
ありがとうございました。 でも、色々聞いてみると一概に間違いとも言いきれないようですね。 そういえば『いる』には別に尊敬語も謙譲語もあるんですよね。 そうするとやはり可能の意味ですかね。 私も「一緒にいられる」か「一緒にいることができる」だと思いました。
- katori
- ベストアンサー率26% (215/810)
「一緒にいられて」もしくは、 「一緒にいることができて」の、どちらかが正解でしょう。 「いられる」に謙譲の意味はないと思います。 理詰めで説明できなくて悔しいけど、本能的に違うと思う。 「いる」の可能形以外のなにものでもないでしょう。 尊敬の意味もないと思うのですが・・・。 この場合「あなたと一緒にいる」のは「私」ですよね。 自分に対して尊敬は使いませんよね。 「あなた」を主語にするのなら、 「私と一緒にいらしてくれて」とか、 「私と一緒にいてくださって」とか、そんな形の尊敬になりそうです。 どちらにしろ「いられることができ」は、おかしいと思います。 そういう間違い、多いですよね。
お礼
私もなんかおかしい気がしたので親にきいてみたら、『正しい』といわれたのでここで聞いてみました。 『られる』に謙譲はないですよね。よかった。 TVで流れてたので気になって質問してみました。 ありがとうございました。
お礼
たしかに正しいか間違ってるかって一概にこうだと言いきれませんよね。 冗長表現…そんなものがあったのですね。しりませんでした。 ううん、微妙な違いが私にはわからないのですが、ぱっと見たかんじでは同じでも違うのですね。 そうすると、「いることができる」っていうのも冗長表現に属するのでしょうね。 文法的には間違ってはいないんですよね? 「あの戦争…」の例文ではどうちがうのか良くわからないのですが、(鈍くてすいません)「生き延びる」となるとまた変わってしまうのはなんとなく(笑)わかります。 日本語ってむずかしい(笑)