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これはどういう心理?

・・・ある古い映画のシーンを思い出しました。 仲の悪かった同僚が最後に仲直りをするのですが、 その時のシーン。 「イヤァ。おれが強情だったんだよ」 「いや、こっちこそ頑固だったんだ」 「や!おれが強情だったんだって!」 「俺が頑固だって言ってるだろ。わからん奴だな!」 ・・・といって再び取っ組み合いの喧嘩になるのですが、 何故か分かるんですよね。 「俺はお前より悪い」 「悪かったのは俺だ。ということではお前に負けたくない!」 というような心理。 単に「意地っ張り」という一言では片付けられないと思います。 絶対に相手より低い位置(自分の方が悪かった)に頭を置かなければ気がすまないというのは・・・ 普通なら「そりゃ何と言ったってお前が悪いよ」というのが 「普通の」心理ではないでしょうか? 結構私自身の心理とも重なるところがありますので、 質問させて頂きました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • simo213
  • ベストアンサー率19% (15/78)
回答No.1

ん~、単純に自分の非をみとめて相手より寛大であるとお互い見せたい からこのような状態になるのではないでしょうか?

noname#37669
質問者

お礼

なるほど。そういうことなんでしょうね! ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

映画のシーンに関して、一度づつぐらいの応酬でしたら社交辞令として珍しくはないでしょうが、再び喧嘩になるほどというのは、お互いにカタルシスの発散を阻害されたために新たな怒りが嵩じてくるということかなと思います。 カタルシスとは浄化ですが、浄化されるべく期待されているのは何らかの罪悪感なのでしょう。 この罪悪感が何によってもたらされているのかは状況によるでしょうし人それぞれでしょうが、基本的には罪悪感を持つということが手段として使われている要素もあろうかと思います。 何の手段かというと実際的な自分(自我)を罰するための手段ということです。 執拗に「悪かった」と繰り返すのは、自我に対して禁制を働かせることによって超自我的満足を得ようとする目的があるように思われます。 表面的には「低い位置に頭をおく」ことになるでしょうが、精神的本質の部分では必ず満足が伴なう行為と言えるでしょう。 ただ、これが手段、すなわち方便として半意図的に為される場合、自我的にすなわち合理的に相手と関わろうとする意志を(一旦)封印する目的も備わってくるような気がします。 そういった姿勢からある種の傲慢さが垣間見えることがあるのも事実とすれば、そういう理由からなのかもしれません。 誤解のないように申し上げますが、これは時と場合によって誰しもが経験することでしょう。 「>そりゃ何と言ったってお前が悪いよ」というのは現実的(自我的)判断でもありましょうが、相手が人間であることを思えば正否という以外の要素も加味すべきと超自我的には判断することもあるのでしょう。 それはそれで善として成立するわけですが、偽善として機能してしまう場合もあるということなのかもしれません。  

noname#37669
質問者

お礼

>表面的には「低い位置に頭をおく」ことになるでしょうが、精神的本質の部分では必ず満足が伴なう行為と言えるでしょう。 そうでしょうね。 本心から思ってるわけではないですね(笑) 何か気になっていた場面なので質問してしまいました。 ありがとうございました。

回答No.2

問題解決の主導権をとりたいために相手に譲歩する心理ではないでしょうか ご無理ごもっとも。何をおっしゃいますやら と表面上はいいつつも、この問題の悪いところは 私のほうが良くわかっているのだから任せて欲しい あなたが正しいのだから悪いようには扱いませんよ こうして相手を立てることによって、貸しを作る 問題発生の苦境を次のチャンスで挽回できる要素を確保する ことで解決しようとしています 営業では良く使われるレトリックですね

noname#37669
質問者

お礼

>こうして相手を立てることによって、貸しを作る 問題発生の苦境を次のチャンスで挽回できる要素を確保する ことで解決しようとしています 営業では良く使われるレトリックですね そうですか。 営業の現場ではこれに似たような場面があるのですね。 深いですね・・・ ご回答ありがとうございました。

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