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「笑い」とはどう考えればいいんでしょう
「笑い」がなんなのかよくわかりません。 例えば、夢で「恐怖夢」はあるけども「笑夢」というのはない?少なくとも、夢で自分が考えたギャグの落ちで、笑って起きた経験は私にはありません。 心の原始的な部分にある感情には、どうも「笑い」はない。「喜び」は原始的感情にあって、「恐怖」とか「不安」とかとならんで、現実場面にも時々出てきますね。うまいものを食べるとか、好きな異性を前にするとか、セックスの最中とか、友人との談笑中とかあるでしょうね。それは表情的には「笑い」に近いものとなっています。でも、似て非なるものじゃないでしょうか。もちろん「喜び」と「笑い」はかなり、正の感情、生き生きとした感情という方向性でオーバーラップしているんですが、掛かっている次元が違うのか。やはり、原始的というところから超えた、文化的という側面を持たざるを得ないものなんでしょうか。
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笑うというのは泣くのと同じように感情の帳尻合わせないではないでしょうか。泣き笑いというのもありますしうれし泣きというのは笑いに似ていると思います。
- nisekant
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参考までに…… 心身性癲癇の現象論──一般的情動の顕在化 一般的情動の型 一般的情動は次のような性格をもっている。 (1)人間、状況、物事一般に向けられた感情であり、対象は限定されない。 (2)内部感覚刺激によっても外部感覚刺激によっても引き出され、長く持続する。 (3)目的指向的行動を導く。 (4)人間や人間集団を同化また異化する働きをもつ。 スピノザは色彩の三原色にならって感覚の三要素──欲望、悦び、苦痛──を取り出した。デカルトは感情を六つ──驚き、愛、憎しみ(怒り)、欲望、喜び、悲しみ──に分類する。 ヒュームは感情を直接的/間接的、善/悪、苦/楽、という具合いに二分していく。ウィリアム?ジェイムズは感情を悲嘆、恐怖、激怒、愛のような激しく持続的な「粗感情」と倫理的、知的、審美的感情、といった「微感情」に分けた。 1913年にヤスパースは「感情を細分していくと詰らない結果に終わる」と警告したが、プルチクは1980年にそれまでの分類を整理して八つの基本的感情を、期待/驚き、怒り/恐れ、嫌悪/受容、悲しみ/喜び、という四つの対に対置させた。 「情動球」の上では情動は快?不快に大別される。個体維持と種族保存に対する脅威が現れたとき不快の情動(怒り、恐れ、悲しみ)が、脅威が除かれたとき快い情動(喜び、好感、満足)が現れると考えている。 六つの一般的情動──動物は自己の内部状態(情動)を行動で表現する。哺乳動物には次の六つの基本的行動型が観察される。(1)探索、(2)攻撃、(3)防御、(4)落胆、(5)喜び、(6)愛撫。対応する情動は(1)欲求、(2)怒り、(3)恐れ、(4)悲しみ、(5)悦び、(6)愛情、である。人間の場合、癲癇発作時に観察される患者の症候や訴えから、患者の情動を推定することができる。 一般的情動の追加例──哺乳動物の六つの行動情動型を人間にも当てはめようとすると、例えば人間の(1)ハニカミ、(2)不安、(3)憂鬱、はどこに入るのだろう。 驚きを別にすると、我々の六つの情動型はデカルトの六つの基本感情にほぼ照応する。ハニカミは未知のもの、見慣れぬものに対する情動である。恐れも同じである。癲癇発作に伴う患者の恐怖感は未知のものと既知のものの境界が失われるために現れる。 不安は未来の出来事への警戒を促す不快感である。憂鬱は時間的に延長された一般的情動の一つである。 発作時に現れる一般的情動 癲癇発作に伴って現れる患者の情動反応を六つの情動型と比較してみる。 欲求──発作時に近くの人を排除する、誰かを探す、身を隠す、何かを探す、仕上げる、といった患者の欲求が観察されることがある。プライバシーを得たある女性の患者は風呂場と床で排泄した。 恐怖──恐怖感は発作に伴って最も多く現れる情動である。発作に対する恐れではないかと考えられたが、患者自身がこの解釈を否定し今まで経験したことのない突発的な、そして理由のない強い恐怖であると訴えている。恐怖にはしばしば幻聴、悪寒、消化器官の異和感が伴う。 2000例の癲癇患者を観察した神経学者デニス?ウィリアムズは、発作時に恐怖感に襲われた14例の大脳側頭葉に病変と異常病変があったと報告している。辺縁皮質の異常放電も報告されている。 患者の訴えから「オソレ」という言葉の内容を豊かにすることができる。例えば、ある患者はオソレを畏れ、怖れ、恐れ、説明不能、急迫感などと表現し、またある患者はパニック、不安、危惧、驚き、愕きなどと説明する。落下感、空洞感、災厄の懸念、予感、切迫感を訴えた例もある。恐怖感はしばしば居所からの離脱と救出を求める衝動を伴う。 グリーンとシーツは、側頭葉の部分切除手術中に、ある患者の海馬前部の電気刺激が患者の潜在的恐怖感を喚び起こすことに気付いた。ジャスパーは、海馬と扁桃体のどちらかを刺激された患者が恐怖を伴う発作に襲われるのを観察した。電気刺激による海馬の放電が扁桃体に達したとき、患者は恐怖感を伴う発作に襲われる。海馬の放電は扁桃体に向かう下降神経線維に沿って拡がり、新皮質(理性脳)には達していなかった。 恐怖感に伴う妄想──恐怖感に様々な妄想が伴うことがある。誰か後に立っているという妄想、誰かに追われるという妄想などである。無力感や全てのものが無価値にみえる。誰か後に立っているという妄想に取り憑かれた患者に絶対に振り向かないよう指示したところ、発作が抑制された例を思い出す。 変形された恐怖感──発作時に変形された恐怖感が現れる場合がある。身辺の事物に対する非現実感、自分に対する非実在感、奇妙感、別世界感などである。勿論、患者は非現実感を「遠くへ出かけたような」、「この世界の外で」というような言葉で表現する。自分が自分の外から自分を観察している、という妄想と共に息苦しくなり、動悸が高まる患者の例をジャクソンは心理的二重視と呼んだ。幻覚も妄想に入るだろう。ペンフィールドとペローは、発作時に意識が喉から腹に移ると共に自分自身が様々な場面に登場する幻視が現れる32歳女性患者の例を報告している。彼女は海馬領域に病跡があった。幻聴の現れる他の患者は、自分の発作を次のように表現している。「自分が二人になり、一人は本当の自分でもう一人は幻聴の送り手になった」。ペンフィールドは「患者は演技者と観客の二役を演じている」と書いている。 怒りと関連する情動──扁桃体の刺激によって怒りの表情と動作が現れることは動物実験で観察されている。扁桃体を切除すると野生動物も大人しくなり、人間に従順になる。 人間の患者の場合、発作時の粗暴な行為によって推測される一過性の怒りの表情は、たかだか胃や頭部をよぎった電気刺激として患者に記憶されるため組織的な観察が難しい。脳波計の記録も、患者の粗暴行為への周囲の抑止措置に対する本人の正常化努力を示している。筆者が面接したある患者は次のように話した。「体内の電気が私にそうさせるのです。私は気違いなのです」。