• 締切済み

完璧主義でいつまでたっても自信が持てません

こんばんは。 私は完璧主義のようで、自分のやっている仕事に対して自信が持てません。少し相談させてください。 名前も知られた大学院を卒業し、世間一般には有名企業と言われる企業にいます。 肩書きだけを見れば、エリートの端くれと見てくださるかたも 多いと思います。 性格については、周囲の友達や同僚は、明るいと言ってくださいます。 こんな私ですが、自分でも気が付かないうちに、完璧主義になってしまっていました。 いつも自分が取り組んでいる仕事に自信を持つことができません。 その時、その時は精一杯がんばっているはずなのですが、 もっとうまくできたんじゃないか、もっと早くできたんじゃないか、 とか、なんでこれだけしかできなかったんだろうと思ってしまいます。 ある程度時間がたち、自分がやってきたことを振り返っては、このようなことを思ってしまいます。 入社してすぐに事業を企画するような職場に配属になり、 2年が過ぎました。 事業の性格上、事業の結果が出はじめるのに数年はかかり、 自分の仕事の取り組み方や、自分の能力について測ることが難しいです。 仕事内容で、成果がはかれないとすれば、 あまり感心できませんが、同期の存在はベンチマークになってくれる だろうと思います。 しかし、他の同期は営業(営業数字)やSE(工数)といった、 比較的成果を判断しやすい部署に配属です。 なので、私が自分と比べる相手はいつも入社10年目ぐらいの人です。 入社2年目と10年目では、求められることが違うとはわかるのですが、 あの人にできてどうして私にはできないんだろう、、、、と、また 自信をなくしてしまいます。 親しい友人に相談したら、自分をもっと褒めてあげなさい。 完璧主義を捨てなさいと言われます。 でも、私にはその方法がわからないのです。 どうしたら自信を持てるようになるのでしょうか。 どうすれば完璧主義をなくすことができるでしょうか。 ちょっと暗い相談になってしまいましたが、どなたか教えてください。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • nobchan
  • ベストアンサー率23% (121/519)
回答No.7

#4です。女性ということで、失礼いたしました。 「この質問者は男性であろう」「わたしは完璧主義者であろう」 どちらも、「思い込み」という人間の心理が考えさせることかもしれませんね。 >子どもの頃から、何かとチヤホヤしてもらって 「チヤホヤしてもらえるように振る舞ってきたから、チヤホヤしてもらえた」 これは、「チヤホヤしてもらえるように、相当努力してきた」ということかもしれません。 社会人になると、そう簡単にチヤホヤしてもらえなくなりますし、 チヤホヤしてもらうための方法が、子ども時代のままかもしれません。 >女性ですが、検索キーワードは同じで 「解決していない親と子の問題」というようなテーマですから、男女は関係ないと思います。 ただ、対象が父親の場合も、もちろんあります。

noname#27991
noname#27991
回答No.6

あまり参考にはならないと思いますが聞き流す程度に聞いて下さい。私は女ですが完璧主義、オールオアナッシングみたいなところがあって、それは思春期時代から大きく私の人生を左右してしまいました。いつも完璧な自分を求めて気違いじみた努力をし、自己像は限りなくかけ離れ、少し駄目になると全部放り出し、追求できるものはとことん完璧にする。私の完璧主義は病的なものでしたが、まずひとつ、外見への異常なこだわりという形ででてきました。素人モデルをしていたこともあり、自分の体にかすり傷ひとつできると自分に欠陥ができたと信じ、おかしいと分かっていても気分が異常に落ち込み一ヶ月外へ出れないほどでした。そして痩せていなければという完璧への想いは拒食へ向かったのです。いつも何か下らないことで気違いじみた努力をするのに、いつも自分に自信がない。こんなことじゃだめ、もっと上があるはず。。そうした異常なこだわりは様々な喜びや価値観の溢れた人生を奪い、私の視野は狭くなって、自分や自分の生活のあら捜しと補充ばかりに私を向かわせました。それでもいつも自分に自信がなかった。今はあれからそのようなことの影響で大変な目にもあい、昔の自分の完璧主義を大変後悔しています。不思議なことに、あれから多くを失ったせいか、いつもアップさせ張り詰めたようにして完璧にしていなければならなかった自分の生活、そしてそれへの異常なこだわりが今はすっかりなくなりました。失って、一歩後ろに下がってみると、過去の自分の行動はまるでてんてこ舞でした。あの時だって十分なものをもっていたのに、なんでそのまま受け入れることができなっかたんだろうと思います。私の完壁主義は自分への異常なこだわりと言う形で大きくでていましたので、あれから色々失ったとは言え、周りのものに目を向けたり新しい価値観に目を向けられてよかったと思います。完璧主義に陥ると人の視野は狭くなりますが、人生も生活も思わぬ流れで絶えず動き、変化し角、度を変えていきます。細かいことにこだわっているうちに、より大きなことを失ってしまいます。自分の体験をふまえ、お話させて頂きました。今のご自分に十分自信を持ってこだわらずに進んでください。

masa7808
質問者

お礼

大変なご苦労をされたんですね。 ご回答ありがとうございます。 >細かいことにこだわっているうちに、より大きなことを >失ってしまいます。 おっしゃる通りですね。 気が付かないうちにすでに大きなことを失っているのかもしれません。 一歩一歩、完璧主義を軽減できるように、 今回いただいた回答を参考にしながら、生活してみようと思います。 ありがとうございました。

  • akipiyo
  • ベストアンサー率56% (101/180)
回答No.5

私も完璧主義で自分に厳しいほうです。結果的に精神を病んでしまいました。(うつ病を発症しては治り、また発症しては治りのくりかえしです。) あなたのおっしゃること・またその悩みが、とてもよくわかります。 そして共感できます。 そんな私がこの壁にぶち当たって、もう15年になろうとしておりますが、やっぱりいくら考えても答えは出ないし、完璧主義をなくすことはできませんでした。 なぜなら(ちょっと哲学的になってしまいますが)、完璧主義で今の自分に満足できない自分は、どこまで行っても「さらに上の自分」を目指してしまうからです。 ゴールとなる地点は年をおうごとにどんどん高いところになっていき、自分はつらいばかりですよね。 たぶん、そういうことの連続があなたを苦しめ、さらには将来このままではやっていけないのではないか?という不安を感じていらっしゃるのではないでしょうか。 そんなあなたに是非お勧めしたいのが、「今・ここで」のものの考え方です。 過去や未来の時点のことではなく、いつも「今」自分は「ここで」こういうことができている(あるいはできないでいる)。だから、現時点で自分はOKなのだ(OKではないのだ)・・・というふうに、自分を評価するのです。 きっとあなたは自分を評価すること自体がうまくできないのではないかと思います。もっと踏み込んで言えば、自分のことを「よい」と評価できないのではないですか? 客観的に見れば、誰が見たって良いし、仕事もできているはずなのに、肝心の自分自身が自分を「良い」と思えないのでしょう?違いますか? こういう状態に陥っているとき、大事なものの見方があります。 自分の感情を一切抜きにして具体的・客観的・理論的に今ある状態を評価するのです。紙に書いたりするとなお良いです。 面倒くさいと思うかもしれませんが、あなたはほかのことは大概全てこのように考え、評価しているはずなのです。 でも、自分に対してはなぜかできないですよね。 それはいつも心の中で「どんな条件がついても自分はだめだ」という大前提を持ってしまっているからなんだと思いますよ。 「どんな条件がついても自分はダメ」なんて、こんなに理不尽なことはありません。でも頭ではわかっていてもそれを拭い去ることができなくて、いつもいつも自分はダメだと思っていませんか? あなたは本来理論的で客観的なものの考え方ができる人です。 それはあなたの経歴や肩書きなどが物語っています。 だからこんな理不尽な思い込みは、理由抜きに捨てましょう。 捨てられないと思ったら(そういう自分に気づいたら)、どうかそんな自分を許してあげてください。 そして、「今・ここで」頑張っている自分を認めてあげてください。 絶対的な(数値的な)評価の方が安心するなら、自分自身で今やっている仕事の通信簿を作ってみてはいかがでしょう? 紙に書かなくても良いのですが、目で見たほうが効果的です。 仕事をしている任意のAさんを評価するのと同じやり方・尺度で、自分自身を評価するんです。 完璧主義者なのだから、自分だけ違う物差しで計ってはダメですよ。せっかく完璧主義者なのですから、それを逆に利用してやるのです。 >もっとうまくできたんじゃないか、もっと早くできたんじゃないか >とか、なんでこれだけしかできなかったんだろうと思ってしまいます。 >ある程度時間がたち、自分がやってきたことを振り返っては、この >ようなことを思ってしまいます 振り返りは大切です。 でも、あなたはそのとき手を抜いていたのではないんです。 そのときのあなたなりに、精一杯、おそらく100%の力で頑張ったはずですよ。 そういう自分をほめられないかもしれないけど、けなしてはいけません。なぜなら、そういった状態を経て、今の自分があるのです。決して無駄な時間を過ごしたわけではなく、そういう「うまくできなかった経験」があるからこそ、この先もっとうまくやっていくことができるようになっていくんです。 失敗なくして成功はありません。うまくできなかった時代がなければ、人間に向上するチャンスは絶対にありません。「よくできた」状態がただひたすら同じ高さで続くだけです。それって、完璧なんでしょうか? 私はそれはちょっと違うと思います。やはりどうせなら、右肩上がりに成長したいですよね。 違う性質の仕事をしている人と比較することは、多少参考にはなるかもしれませんが、あなたもおっしゃっておいでのように、あまり意味はありません。 また、それと同じように、同じ仕事をしている他人と自分を比較することも、あんまり意味はありません。なぜなら、その人と自分とは同じ人間ではないからです。経験してきた出来事も違えば、年やおかれた環境も違います。目標に掲げていることすら違うかもしれません。 自信を持つためには、成功体験を積み重ねていくことが大事です。 逆に言えば、いつも人と比較しては負の評価を自分につけてしまう人が自信を持つことは、大変難しいです。 今の自分を10段階評価で2としか思えないのであれば、3になるように頑張ってはいかがでしょう? そして3になったとき、きちんと評価が上がった事実を受け入れることです。自分をほめるのが難しくても、これならできませんか? 当然、4,5,6・・・と上がるたびに、そのプラスの評価を心に刻んで行くのです。「昔は2だったけど、今は6である自分」を認めましょうよ。10じゃない自分はいやかもしれないですが、最初から10の評価がつくなら、もっと高い目標を設定した方が自分のためです。 口で言うのは簡単ですが、難しいですよね。 でも、これができるようになると、生きるのがとても楽になります。 完璧主義は捨てなくてもいいし、自分をほめられなくてもいい。 でも、非理論的に自分をけなすのは、お互いやめませんか? まずは心の中で常に自分をけなす癖に気づいたら、本当にそれが批判に値することなのか、じっくり理論的に考えてみてください。 「今・ここで」自分がしうる最善の策をとっているのなら、その批判に心の中で反論していきましょう。 長文すみません。 答えにはなっていませんが、これが私にできる最良のアドバイスです。

masa7808
質問者

お礼

こんばんは。 今日から実践できる方法を教えていただき、ありがとうございます。 仕事で、業績評価(自分自身で評価をする欄と、上司が評価する欄があり、評価内容について双方で話し合いをします)を毎期行いますが、「これだけ自分はがんばりました!」というアピールはとても苦手で、頭の痛い問題です、、。 まず、自分用に通信簿を作ってみます。 >そういう自分をほめられないかもしれないけど、けなしてはいけま >せん。なぜなら、そういった状態を経て、今の自分があるのです。 >決して無駄な時間を過ごしたわけではなく、そういう「うまくでき >なかった経験」があるからこそ、この先もっとうまくやっていくこと>ができるようになっていくんです。 確かにおっしゃるとおりですね。少しずつ自分自身を認められるよう に、やってみたいと思います。 ありがとうございます。

  • nobchan
  • ベストアンサー率23% (121/519)
回答No.4

ご質問者様は男性、ということでよろしいでしょうか。 「完璧主義→疲労の蓄積→鬱病→自殺」というコースはよくあることですので、 あまり軽く考えない方がよろしいと思います。 特に、肉体が疲れ始めると正常な思考が妨げられ、病気の進行が自覚できなくなります。ご注意ください。 また、ご質問の内容も現時点では、 >どうしたら自信を持てるように >どうすれば完璧主義をなくす とありますが、ご存じの通りなかなか、ひとっ飛びに「自信が持てる」ようになることは難しいですし、 「完璧主義をなくす」ことは、もっと難しいでしょう。 現状の回答としては、「自信を付けるには時間がかかり、完璧主義は簡単には消えない」 ということになりますが、それでは「完璧主義の」ご質問者様は納得できませんよね?(笑) 「完璧主義」という言葉を書かれるぐらいですから、すでにいくつかの書籍も読み、サイトも閲覧していることでしょう。 「ストレスチェック」などもされているかもしれませんね。 完璧主義の根本には「ほめられたい」という欲求があり、「十分にほめられて育ってこなかった」ことが、 ご質問者様の悩みの根源だろうと、わたしは思います。 ありきたりで申し訳ありませんが、「アダルトチルドレン 母親」などを検索してみてはいかがでしょうか。

masa7808
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >ご質問者様は男性、ということでよろしいでしょうか。 女性です^^ >完璧主義の根本には「ほめられたい」という欲求があり、「十分にほ>められて育ってこなかった」ことが、 >ご質問者様の悩みの根源だろうと、わたしは思います。 他の方にもご回答いただきましたが、「周囲の目を気にしすぎ」 なのでは?という仮説は当てはまっている気がします。 子どもの頃から、何かとチヤホヤしてもらってきました。 褒められて育ってきた子どもが、大人になって褒められなくなった。 それが褒められようとして周囲の目をいつのまにか気にしているという ことなのかもしれません、、、。 原因はさておき、今の状況を受け止め、 「アダルトチルドレン 母親」をチェックしてみたいと思います。 女性ですが、検索キーワードは同じで大丈夫でしょうか?? お時間があればまた教えてください。 ありがとうございました。

noname#27199
noname#27199
回答No.3

初めまして、おじさんです。 私も超完璧主義です。 しかし、自分の完璧主義について、自己分析した日記が有りましたので、紹介させて頂きます。 完璧主義である。極端な迄に 1)自分の「完璧主義」についての考察(1) 完璧主義とは、「完全を自分にも相手にも追求する」性格を持つ人を指す。「誤った考え方」で言う、「全か無か主義」である。 完璧に出来る事など、先ず有り得ないと、自分では分かっているつもりでも、「より良く」と頑張ってしまう自分が居る。 そして悪い事に、頑張っている時は「完璧を追求」している自分に全く気付かないで、その事に夢中に成ってしまっている。 しかも目標を高く持ち、もし失敗した場合には次の目標を更に高く設定してしまう。 (ア)その時の自分の気持ちを振り返ってみると A)全ての相手に対して、自分が成した事に「常に賞賛の期待」に満ちている。 B)もし、相手から期待通りの賞賛があれば、自分は満足し、「当然である」と言った気持ちを持っていた。 C)もし、相手から何も反応が無かったり、否定されたりすれば「自己否定に陥ってしまう」と言う考え方をしていた。 D)自分に有益な情報は無いか、手当たり次第に探し回る。 又、そのために費やす時間は相当な物である。 D)の理由として、自分は全ての事に付いて知って置きたい。 又、真実であるか確認したい衝動に駆られる。 この様に、「相手の自分に対する言動の結果評価」が、自分の気持ちを揺さぶっている。 何故、相手の言動が「マスター」で、自分の気持ちが「スレイブ」なんだろう? 「誰かが自分に反対ということは、自分の考えや言動に何か問題があるのに違いない」と考えてしまう習慣が身に付いている。従って、その様な事態を回避する為に「完璧主義」を、無意識に追及してしまう。 他人に反対される事が、そんなに怖いのだろうか? このような考え方をすれば「人から反対されるたびに気分が悪くなってしまう」逆に、「誉められれば、気分が良く成る」と当然考え、他人の意見ばかり気にしている。 煽てられればすぐにのぼせる自分である事は理解している。 又、その裏で陰口を言われているだろう事も推測できる。 しかし、何故この考え方が不合理なのか? 「自分の気持ち・気分」を左右するのは、「自分自身の考え方次第」であると言う事に気付いていないからだ。 他人の賛成や非難などは、自分が「あなたの言う通りだ。全くだ!」と、納得さえしなければ、自分の気持ちに何の影響も与えないはずだ。 だから、たとえ誉められたとしても、自分の気分が良く成るのは結局、自分の考え方次第なのだ。 つまり、「他人の賞賛 = 自分の価値」では無いのだ。 此処の所を、しっかりと肝に銘じて置かなければいけない部分だ。 賞賛ばかり求めると、当然他人の意見に振り回される様に成ってしまうことは明白だ。 つまり他人によって「賞賛」の言葉(お世辞であろうと無かろうと)でコントロールされることになる。 賞賛を求めるあまり、「自分の考えより他人の求めていることを優先」しなければならなく成る。 これは感情的な被害妄想ではないか? こんな事では、自分の気持ちは常に揺れ動き、自分の考えも表現出来ずに、次第に自滅の方向に向かってしまう。 自分の気持ちと言う物は、自分でコントロールされていなければ、いけないんじゃないか? 「自分の感じ方に働きかけるのは、自分の考え方だけでなければ駄目だ」からだ。 他人は自分について、何でも、言ったり・思ったりできるが、自分の感情に影響を与えられるのは、「自分の考え方」だけなのだ。 相手の出方次第で、自分の気持ちが揺れ動くなんて、何と馬鹿馬鹿しい事ではないか。 冷静に考えて見れば理解出来る事である。 1)どの様に考える事が良い方法か? ・ 相手の事など気にしないで、自分の行った事が自分にとってどうであったか? ・ 完璧など求めず、自分の行動の自分への満足感が、問題ではないだろうか? ・ 言い換えれば、自分の気持ちがそこそこ満足できれば、それで良いのではないんだろうか? 例え不完全であっても ・ 他人からの批判に耳を貸さなければ、いやな感じは受けないはずだ ・ 非難は批判する人の考えの表現方法の手段なのだ ・ 完璧には成り得ない事を理解し、前に進み続けるしかない ・ 自分が正しいと、論理的に証明し様とする無駄な努力を止める どうしても自己防衛の姿勢に成ってしまう為、相手の発言を聞く事が疎かになる。これを回避する為、相手と自分は対等であると考え、相手の意見をも尊重する。 他人の言動等は、個々により当然違うであろうし、そんな物に、いちいち振り回されていては、自分の気持ちは、どの方向に進むべきか次第に見えなくなってしまい、最後には自己破滅と成ってしまう。 2)自分の価値とは? 非難が自分の誤りの為に、発生する場合もあるだろう。 しかし、その誤りで自分の価値が無い人間だと言う事に成るのだろうか?  他人の否定的な答えは、自分のその発言・行動した事に対してのみ。つまり誤りを非難している訳で、自分の価値を否定しているのでは無いのだ。 人間は常に誤った事をしている訳では無い。大切なのは自分の気持ちの有り方なのではないか。  賞賛が「良い気分」をもたらす事は事実で、それは自然な正常の考え方だ。 逆に、非難・拒絶は「いやな気分」と言う事も同じだ。 それは人間的な証拠で、認める事が出来る。 しかし「他人の批判」が「自己価値を決定する権利は無い」はずだ。 何故「他人の批判」に気遣い「自己価値を決定する」と考えるのだろうか? 仮に誰かに、言動の欠点や間違いを指摘された場合、「自分にとって新しい考え方の一つである」と理解し「自分は不完全であり、他人はその事を教えてくれる『役割』を持っているのだ」と解釈するのが自然な考え方であると思う。 逆に常に自分を褒め称える他人こそ、その裏で陰口を言っているかもしれない。 その様に考えると、自分の間違いや欠点を指摘してくれる人程、本当の自分の良き理解者ではないか? 又、自分が期待するほど、自分の言動など相手にとって影響は与えては居ないし、それ程自分に実力が有る訳でもない事も、事実である。 3)自分の気持ちの持ち方 しかし、自分が誰かに反対されるたびに「自分を卑下してしまう悪い習慣」が子供の時に身に付けてしまった事は、自分の落ち度では無い事を理解し、この欠点を持って育ってしまった事も仕方が無い。 過去の育てられ方によって、その様な自動思考を持ってしまった事は、現実の自分として認め、将来に向かってそれを矯正する為に、認知療法を利用して、自分の言動について先ず、「自分の気持ちはどうなんだろう?」と、「未完全でも、自分の合理的な気持ち」を考えてみてはどうだろうか? こうした試練と努力を積み重ね「完璧を求めない自分を目標」に、「気持ちの日記」を書き続けよう。 物事を現実的に考え、上記の様な脆さを克服する努力は、自分自身の責任なのだ! 完璧主義のメリット・デメリット ・メリット・ 1、達成感・充実感・自己満足がある 2、次ぎへの事の意欲が湧く ・デメリット・ 1、完璧でない部分が存在するかもしれないという不安が常に付きまとう 2、又、その事で常に頭が一杯である 3、「常に完全に」を求め、神経質に成っている 4、やり始めると中断する事が難しい(長時間思考による疲れが溜まる) 5、次から次へと完璧のハードルを高く設定してしまう 6、不完全なものが許せなくなり、人生の考え方にゆとりが全く無い 7、完全と言う幻を追いかけているため、当然出来るはずも無い 8、不完全な自分や他人を許せない 9、不完全な醜い自分を社会にさらしたくないため、閉じこもりと成る 10、そして、自己に対する批判ばかり頭の中を渦巻いている 11、常に「〜しなければならない」と言った考えに執着してしまう <比較結果> 自分の満足度と完璧には相関関係は無く、自分の気持ち次第である事が分かる 「この位で良し」と考えるゆとりと習慣を身に付ける 「完璧主義」の考え方を裏側から見ると「不安と恐怖」と考えられる 自分の得意とする部分が、実は自分のウィーク・ポイントである事に気付いた 1)完璧主義からの脱出 以下に、10項目の私のこれからの考え方を掲げてみた。 A) 現在の有りのままの自分を理解する(今の自分で良いのだと認める) B) 自分が犠牲者・敗北者であると言うレッテルを貼らない C) 予定とそれに対する結果を予測しないで実績のみでとらえる D) 相手の考え方を変え様としない E) ~に違いないといった歪んだ考え方を止める F) 非難・怒り・絶望・怠惰などから自己を開放する(子供だった頃の気持ちに帰る) G) 自分が自分を大切にし、どの様に接して欲しいか考え、その様に相手に接する H) 人生に於て、自己責任を正しく理解する(全て自己責任のような歪んだ考えを捨てる) I) 自己の考えを自分で認めた上で相手と妥協する心の広さを持つ様に心掛ける J) 自分が納得できる「之で良い」と言う意識を持つ(自己の妥協点の発見) 以上、ご参考までに

masa7808
質問者

お礼

こんばんは。 ご丁寧な回答をありがとうございます。 1)自分の「完璧主義」についての考察(1) の箇所は、私と重なる部分がとても多いです。 相手の思っていることを常に意識しているつもりはありませんでしたが、実はそうなのかもなと気が付きました。 上司もいつも、自分のレベルでがんばれば良いと言ってくれています。 詳細な分析、ありがとうございます。大変参考になりました。

  • sdfsdfsdfs
  • ベストアンサー率19% (514/2703)
回答No.2

自信がなくても結構、完ぺき主義でも結構!!と思うのですが(笑) 自信がなさ過ぎてくよくよしすぎたり、完ぺき主義が酷すぎてメンタル面で病気に…というところまで行ってしまうと大変ですが…。 変に自信過剰で何にも出来ない人間より、仕事に対して向上心があっていいような気がしますけどね。 あなたの言うように求められるものが10年目と2年目の人は違うので、10年目の人と同じことが出来なくても周りは責めたりしないでしょうけど、『10年目の人と同じくらいのことをやりたいっ』っていう気持は悪くないと思います。 気持の持ちようでしょうか。同じ事柄でも『先輩と同じくらいのことをやってやろうっ』と前向きに考えるか、『どうして同じことが出来ないんだろう??』と若干後ろ向きになるか…。 日常生活でも完ぺき主義で周りの人間にも強要するようではちょっと困りますが、自分の仕事への満足感ということに限るのであれば悪くはないと思います。

masa7808
質問者

お礼

こんばんは。ご回答ありがとうございました。 >同じ事柄でも『先輩と同じくらいのことをやってやろうっ』と >前向きに考えるか、『どうして同じことが出来ないんだろう >??』と若干後ろ向きになるか…。 なるほど、リフレームしてみるというのも良い方法ですよね。 まだまだ下っ端なので、周りの人に完璧主義を強要するようなことは ありません。後輩ができたら要注意かもしれませんね^^ ありがとうございます。

回答No.1

友人のおっしゃられるように 意図的に、すこし堕落するようにリラックスを 心がけるといいと思います。 心理学の本を読んでも 100点を取らなければとガチガチになっている人は 「80点ぐらい取れればいいなぁ」という人よりも 失敗する可能性が高いという結果だそうです。 と、いうように完ぺき主義は決して優れないということを 理解することで、何かが解るのではないでしょうか?

masa7808
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 完璧主義は優れない。 確かにそうなんですよね。 80点取れればいいやという心情になるには どうすれば良いでしょうか。。。

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    私はときどき人から「完璧主義のようで、そんな人生だと疲れるでしょう。」と言われます。 自分で完璧主義だと心労ばかりたまり損だと思っていても無意識に完璧を求めてしまうみたいです。 それは私の死んだ母が「異常なほど完璧主義」だったからかもしれません。 母のせいにするのはよくないかもしれませんが。 母はとにかく神経質で100パーセントどころか120パーセントとか200パーセントなどという言葉を使ってました。 私にも「あんたは120パーセント頑張らないといけない。」とか「これは150パーセントの出来栄えね。」とか言うので私は精神的に追い詰められることがよくありました。 私は完璧主義のせいかいつも身体じゅうに力が入っている感じで身体のあちこちが凝ります。 朝起きたときから、身体がガチガチに凝ってることもあって辛いです。 完璧主義を捨て、自然体でリラックスできる性格に変える方法(考え方)はないでしょうか。

  • 完璧主義を治したいのに

    私は完璧主義な所があり、一度自分の欠点を自覚すると我慢出来なくなって辛くなってしまいます。例えば自分がした判断や意見に対して当然のように批判されたり強く指摘されたりすると、突然自分の行動も判断さえも間違ったものに思えてしまって自信を喪失してしまいます。たとえそこで負けじと自分の意見に自信があるように見せても。 大体 指摘にも一理ある場合が多いので、密かに心のどこかで納得してしまう自分がいて辛くなってしまいます。気にしなければ良い話なのですが、完璧主義気質なあまり見逃す事が難しいです。貫き通したい自分の意見と納得してしまった指摘のギャップにどうすれば良いか分からず悔しくて涙が出る事もよくあります。17歳で未熟だからかもしれませんが、考えすぎてしまいます。 そこで完璧主義的な思考癖を治そう(少しでも和らげよう)としたのですが、他人の評価を必要以上に気にしない事が大切というのを見て、ぶっちゃけ他人の評価を何も気にせず求めなくなったら、もしくは求めない人間は、何を思って何のために生きているんだろう?と思いました。人の評価を求めない人間なんて居るのでしょうか。そういう人は何のために生きるのでしょうか。 私も私のために生きているし、自己満足を大切にしていて常に人の評価を求めてわざわざ万人受けの良い行動をしたりはしないのですが、心のどこかでそんな私を好きになって欲しいというような、承認欲求のような感情がある事は否定できません。 人の評価を気にしないように生きるとはどういう生き方を指すのか、また、完璧主義的な思考癖を改善するにはどうしていけば良いでしょうか。本気で露頭に迷っています 元々楽観的で こうすればいいじゃん!など意見をお持ちの方、また似たような境遇から少しでも改善することが出来た方、アドバイス頂けると救われます。