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数学の悲しさ
先日来、昔読んだ「数学入門」遠山啓著を読んでいます。 そこで感じました。 確かに数学には感動がある。 しかし、煎じ詰めれば、その感動はまったく人間精神とはかけ離れた、いわば「自然のワイルドな法則の法則」みたいなものをわかって感動しているのに過ぎない。数学という学問はやはり「荒涼とした」ものなのではないか? 確かに感動します。行列式から連立一次方程式を解くときの、特別な乗法の設定などですね。でもこれでさえ、人間精神を人間精神と戦わせているわけではなく、まったく人間的でない自然の法則と戦わせ協調しているだけです。 数学が、真に「人間的」感動に至ることはあるのでしょうか?
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- koko_u_
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>行列式の意味合いみたいなものを読んで、 >それが自由な創造性から生まれたことは分かるのですが、 >その想像する対象が「精神」とは関係ないクイズみたいなものなんですよね。 その教科書ではわざわざ分かり易い例を選ぼうとしてそうなったのでしょう。 線形代数は数学で言えば非常に古い分野で、道路で言えば整地されつくした場所です。正直エキサイティングな分野ではありません。 先に進むと富士の樹海もなんのそのといった混沌を目にするでしょう。 しかし足を踏み入れて戻ってきた者は少ない。。。
- sandr0915
- ベストアンサー率31% (24/77)
学問って 知識欲を満たすだけのものでしょうか? 人生に生活に社会に地球を含めあらゆる生命体に生かされて(役だって)光り輝くモノ(感動)ではないでしょうか。 ささやかな 感動を考えてみました。 その1 私の家A点とお友達の家B点を結ぶ1直線の道。 私の家とお友達の家を結ぶ道は他にもあって その1直線の道上にはないC点を通る道。 点A、B、Cを通るこれらの道路は全て直線で 傾斜はなく これらの道路で3角形の図形が形作られる。 私はお友達を助けなければならず、近道を通らないと まず友達は助かりません。 数学を学んでいれば 迷わず 道を選べます。 お友達は助かった!(数学の正解を出した) 数学を役立てた感動。 その2 1つのロールケーキを 5人の子が順番に手渡ししていき、公平になるようにもらっていく。 1人目は ロールケーキの5分の1だけもらう。 2人目は 残ったロールケーキの4分の1だけもらう 3人目は 残ったロールケーキの3分の1だけもらう 4人目は 残ったロールケーキの2分の1だけもらう 5人目は 残ったロールケーキの全てもらう 数学を知っているから こういう面白いことも事(感動)も実現できる。 小中学生でも分かるレベルで ささやかな感動ですが、 高度な数学知識で、すばらしい感動が もっと身の回りにあることでしょう 私はこういう風なことが「数学が、真に「人間的」感動に至ること」だと 考えました。 質問者さんのお読みになった本を全く読んでいません。 ですから生意気なことを書いて (もしくはピントはずれ) 申し訳ないです お許しください。
お礼
1のほうは本の中に例題として出ていました。そういう知識のある人間が行動するときに一種感動はありますね。ロールケーキは感動というより「なるほど!」っていう感心ですね。 ただ、いろいろな定理定義証明は、それぞれ感動なんですが、しかしあくまで非人間的なワイルドな対象だと感じてしまうんですよ。愛とか勇気とか悲しみとか憎しみとかそういうものにダイレクトに結びついた、数式証明定理がないものだろうかと。
- koko_u_
- ベストアンサー率18% (459/2509)
まずは「感動」を定義して、さらに「人間的感動」がどのようなものかを定義するんだ。 そして数学から得られる感動を計測する方法を確立し、それを人間的感動と荒涼とした感動かを判定する基準を定めるんだ。 。。。なんてコトを言いだすからイカンのか? george-m さんが人間なら得られた感動は「人間的」感動ってことでいいんじゃね?
お礼
行列式の意味合いみたいなものを読んで、それが自由な創造性から生まれたことは分かるのですが、その想像する対象が「精神」とは関係ないクイズみたいなものなんですよね。喜怒哀楽というか、人間臭さが全くないことを、鮮やかな詩人的精神で解決している。これがなんとも寒いですね。数学がホットという言い方は、扱っている問題のクールさを考慮してない気がします。いわば「寒い」感動ですね。
- nanashisan_
- ベストアンサー率20% (55/275)
「人間的」感動に至ることはありません。芸術やスポーツも同様です。
お礼
そうですか?芸術やスポーツはずいぶん「命」みたいなものを感じます。「精神」っていうものですね。
お礼
そうですか。先にはエキサイティングな状況があるのでしょうかね。なかなか信じがたいですけども、もしかすると「人間的」なつながりも出てくるのかもしれないですか?