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起きれるは可能動詞なのになぜ言うと叱られるの?
「起きれる」は可能動詞だし、IMEでも一発でデフォルトで変換させてくれるのに、なぜ先生から叱られるのでしょうか?
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可能動詞とは、五段活用動詞(文語の四段活用)が下一段活用動詞に転じたものです。五段活用の未然形+可能の助動詞「れる」から転じた形ともいわれています(定説はありません)。 「行く+れる→行かれる→行ける」など。 それに対し「起きる」は上一段活用の動詞ですから、可能動詞はできません。「起きれる」は、「起きる」の未然形「起き」に「られる」がつくべきところに、「れる」がついた誤用とされます。 ただ、室町後期に可能動詞が誕生し、江戸後期から明治期にかけて大量発生したように、今後、五段以外の可能動詞(いわゆるら抜き)も認められるようになるかもしれません。
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- Ishiwara
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学者、一流の文筆家、信頼できるマスコミが、自ら使うようになった時点で、正統の日本語として受け入れられたとすべきです。それまでは「誤り」とされますから、正式な書類や試験の答案で使うべきではありません。 文化庁の資料や、広辞苑などの辞書では、使う人がある割合になれば、「誤り」と決めつけないことになっています。これらの資料が誤りと決め付けないからといって、正統の日本語として認知されたと考えるのは危険です。
日本語(国語)は非常に速く変化していきます。ATOKですと「ら」抜き表現をチェックしてくれる機能が付いていますが、そんなものが存在するくらい、一般化していると言うことですし、気にする人はいると言うことでしょう。 文章でなければ構わないと私は信じています。生き残ったものが勝ちですから。^o^
- Tacosan
- ベストアンサー率23% (3656/15482)
少なくとも, 「スタンダードな日本語ではない」から, でしょうね. スタンダードな日本語で考えると, 「可能動詞」というのは「五段活用の動詞に対する, 『可能』の意味を追加した下一段動詞」です. この観点からすると, 「起きれる」を「可能動詞」と呼んでしまうのは勇み足な感じがします. もちろん言語というのは時代とともに変化するものであるということ, あるいは「ら」を入れない表現を使う地域も存在する (らしい) ことなどを考慮すると「間違い」とまで言いきるのは個人的には気に入らないのですが, 現時点において「起きれる」がスタンダードとしてはまだ受け入れられていないとは言えると思います.
- osi_nari
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専門家ではないので参考に留めてください。 「起きる」の可能表現は元来「起きられる」であることはおわかりですか? 「会う」→「会い得る」(可能表現)→「会える」(可能動詞)と 変化した言葉ではなく、「起きれる」は「起きられる」から「ら」を 抜いた言葉ですから、現代において通用するかどうかはともかくとして、 言葉を扱う職業の人から見れば、「ホントは違うんだけどな・・・」と 言いたくなる類の言葉です。 「学生のうちは、意識して正しい(本来の)日本語を学んで欲しい」 という気持ちから、叱ってらっしゃるのではないでしょうか。
- Wakkey-san
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「ら」抜き言葉は一般化していますが、本来は正しい日本語ではありません。 IMEではなくATOKならちゃんと変換時に「『起きられる』の誤用」と出るはずです。