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子供の失敗に「謝ること」を求めてばかりの親って?

テストの点数が悪くても親に謝るのはおかしいと思います。 「せっかく応援してくれてるのに期待に添えなくてごめんね」といニュアンスでは無く、 「点数が悪い=謝りなさい」という感じがおかしいとは思いませんか? 怠けていたとしても「頑張らなくってごめんね」・・・・というのも、 おかしいです。 将来、「自分のしたくない仕事で充実しない毎日で、給料も安くて生活が苦しく、息抜きしたくても生き抜き出来るような余裕が金銭的にも無いうえに、 好きな人ができても金銭的に自立できていないから結婚はできないとか、 (相手が看護婦などで高給なら、それをアテにして結婚できますが)相手の親からの反対がある」とか・・・ 苦労するのは全部自分で親ではないですし。 親が子供にするべきは叱ることや謝らせることではなく、勉強の必要性をどのようにして伝えるかということだと思います。 それが分かった上で怠けるなら、その将来は本人が選んだ苦労です。 塾に行きたいと願っていかせてもらっているのに、怠けていたなら それは親に謝るべきですが・・・。 子供以上に親が心配して必死になるから、「成績の良し悪し」が 子供の克服するべき問題ではなく、親の問題になっていうように思います。 だから、「お母さんが勉強しろっていうから、やる気なくなった。 もう今日はしないからね!」と、 自傷行為に近い?不思議なことを思ってしまうのではないでしょうか? おもちゃ箱をひっくり返してしまったときに叱るのも筋違いですよね。 本人が、片付けるのが大変なだけなのに・・・。 なぜ親が怒るのでしょうか? ちなみに親が手伝ってくれたら「ありがとう」ですよね。 出かけ間際で急いでいるときなら、「時間とらせてごめんね」でしょうか。 ひっくり返しただけで「ごめんね」ではおかしいですよね。

みんなの回答

  • pinocio
  • ベストアンサー率30% (11/36)
回答No.5

おもちゃをひっくり返して「ごめん」は、きっと、「物を粗末に扱ってごめん」ということだと思います。 幼児にしつける手段としてよく「おもちゃが痛いっていってるよ」って言ったりするけど、おもちゃは人に買い与えてもらったものだから、それを粗末に扱って「ごめんね」なんだと思います。 でも、ほとんどの場合「粗末」にしたとかじゃなく、片付ける親が大変だからヒステリックになって怒っていることが多いですよね。 成績が悪くて親に謝るのは確かにおかしいと思います。 私は成績が悪かったからといって謝ったことはありません。 欠点すれすれだったこともあるけど、親に咎められた覚えもありません。 たとえ怒られたとしても謝る必要はないと思います。 親が怒るのはきっとその子の将来を案じてだと思いますが・・・。 自分が親になってみて初めてわかったのですが、親はわが子には幸せになってほしいと切に思ってるものです。 人によって価値観はちがうけど、子どもが勉強しなくて怒る親は「勉強できる=いい大学を出る=いいところに就職できる=いい人とめぐり合える=幸せ」って思ってるからかな。それか「あのとき自分が勉強してたら、違ういい人生送ってたかも」って思った経験があるからかな。

noname#25358
noname#25358
回答No.4

 #2です。  分かりましたよ(笑) >サザエさんでもドラえもんでも  参照しているアニメが古すぎるんです(笑)  昔は、「子供は親の感情に振り回されるのが当たり前」で、そんなことにいちいち疑問を持つ人などいませんでした。  特に厳しい時代には、親の折檻で子供が死亡した場合でも、それは酷いことではあるものの「しょうがねぇ奴だなぁ」で済んでたんです(^_^;  昭和末期まで、日本は「先生の体罰によって子供が死亡した場合、行き過ぎではないのだろうか」ということが本気で真面目に議論されるような国だったんです。(もし可能であれば、古い新聞の検索サービスなどを使って、教育に関する記事を調べてもらえればお分かりいただけると思います)  これは、「折檻されて死ぬような軟弱者なのが悪い」という戦時中の考え方に由来するもので、平成の世になった今でも一部が風習として残っています。  ゆえに、昭和時代の風習に従って描かれているアニメは、参考にはなりません。

potechi777
質問者

お礼

>昭和末期まで、日本は「先生の体罰によって子供が死亡した場合、行き過ぎではないのだろうか」ということが本気で真面目に議論されるような国だったんです。 怖いですね(@_@) でも昭和の時代に育った人が、今親になっているので 自分の親の影響を受けたりし、なごりがあっても不思議ではありませんね・・・。 でも案外、昔の育児書を読むと今と変わりませんでした。(たまたまかな?) 昔は、良く言えば「感情で体当たり教育」で、今は子供に対する影響を考えて気持ちを抑えることもあり、 試行錯誤、育児を勉強しながらという感じのような理性的、理論的な育児をしているような気がしますね。 (昔の育児を好む方はそれを機械的に感じる人、甘すぎるという人もいそうですが)疑問がとけました!!ありがとうございました^^

noname#64217
noname#64217
回答No.3

そういった考えの親は残念ながら、純粋に子供の成長を願っている親とは違うと思います。 むしろ、支配したい。成長を望みつつも、それに関わる成長過程をめんどくさがっている。としか思えません。 ただ、その親の行為に対して、疑問を持つあなたは立派です。 これを反面教師というのでしょうか。 とても頭がよく、自分で考える能力を持っていると思います。 「そういう親なのだ」と割り切って、自分は自分の世界を持つことをオススメします。

potechi777
質問者

お礼

確かに今でも「親の言うことを良く効く子=良い子」という考え方がありますよね・・・。 それは親から見た理想の子供像っぽいですね。 でも社会に出ると、上司の指示ばかりを仰いでしまうようになってしまったりもするのですが・・・。 >これを反面教師というのでしょうか。 とても頭がよく、自分で考える能力を持っていると思います。 そんなこと、おっしゃってくださると照れます^^; 私の親はここまではひどくありませんが 子育てで無駄に空回りしたくないとは思いました。 確かに反面教師ですね~。なんでも頭ごなしに叱るやはり雷親父が良いというのは違うという考え方が正しいですよね。雷親父のお母さん版はよく見かけますが・・・・。駄目ですよね。 ありがとうございました^^

noname#25358
noname#25358
回答No.2

 おっしゃること至極ごもっともで、異論反論などないように思えるのですが、それで質問の趣旨はどこでしょうか。  もし、自分の意見が間違っていないか確認したいだけなら、全くその通りだと思います。特に問題ないです。  ですが、もし、この質問に際して何かもっとこちらに察して欲しいことがあるなら、なぜそんな当たり前のことをわざわざ質問しようなどと思ったのか、その経緯をお話ください。

potechi777
質問者

補足

そういう親の態度はどうしてなのか、それは正しいことと思われているのか?もしかして私が変わってるのでは無いかとも思いましたが、問題ないと言ってくださって安心しました^^; サザエさんでもドラえもんでも、また、周りを見渡してみても、 このような叱り方をしている方が結構多いように思いました。 自分がコーヒーをこぼした時に、 ふと「そういえば、どうして大人は謝らないのに、子供には謝るように叱るんだろう」と思ったので。 私自身は、叱るというよりも「ありゃー。気をつけないと・・・。 ここにおいてたからヒジが当たっちゃっんだね~」と言い、 「どうすれば回避できたか」を考えれるように心がけていますが、 イライラしているときは「ちょっと!!」と危うく怒りそうになるときもありますが。 「最近の親は子供を甘やかしている、親(または先生)の威厳が無い」や、 「言い分なんかいちいち聞かないでガツンといかないと!最近は雷親父がいない」とか、言うコメンテーターもいるので・・・。 一体何が良いのかわからなくなってきます。

  • E-1077
  • ベストアンサー率25% (3258/12620)
回答No.1

 広い意味で「謝る」と言うことは自己責任をとるという過程において必要ではないかと思います。  おもちゃをひっくりかえす=家を傷つける、買って貰った物を大事にしないことは良くない  テストの点数が悪い=教育を受けさせているのは親、だからがんばらなきゃいけない!親の面子がない。  と言う理論なのでしょうね。非常にばかばかしいですね。  でも、なんでも自己責任だから謝らなくてもいいのか?といえばこれもまた「違う」という事になると思います。     おもちゃも出来ればひっくりかえさずに使った方がいいだろうし、成績も良ければそれに超したことはないだろうし、就職将来の事についても安泰であることを願うことになんらの罪はありません。  つまるところ「親の支配下にある」ことが嫌なのでしょう?謝ることで相手の下にいる気分になるわけですよね?それが相手に直接かかわることでないから余計に「なんで?」となるわけですよね?  親に謝れ!という理論は極端すぎだと思いますが、裏を返せばそれだけ努力したと自分を評価できるのかどうか考えたのか?という自問自答につながるだろうし、そう言う点で衣食住を提供し教育を受けさせる義務を行使している親に対して「成績」という対価をあげられなかったのだから謝るのはおかしくない。とも云えます。  矛盾していますが、そういった思考があるのかもしれません。  ご質問の中に出てくる「親」は確かに行き過ぎた理論の持ち主ですね。私は支持出来ません。しかし、その思考は理解できます。  ちなみに我が子は親には敬語です。重箱の隅をつつくようですが、 「ありがとう」ではなく 「ありがとうございました。」か「ありがとうございます」です。 「時間をとらせてごめんね」ではなく 「時間をとらせて済みませんでした」と言わせます。 「おはよう」ではなく 「おはようございます」です。  親子なのに堅苦しいと言われますが、親子だからこそ礼節が必要だと私は考えています。  「ごめんね」と言わせているのは親に対してなのでしょうか。  じつはおもちゃ本体だったり、がんばった自分に対しての事ではないのでしょうか?    

potechi777
質問者

お礼

なるほど、おもちゃに対してあやまる・・・というのも、正しいですね。 子供を親の支配下に置くと、 逆に子供が追うべき責任が親に移転してしまうような気がします。 「お母さんの言ったとおりしたのに、失敗したじゃないの!」や、 「大学に行かせてくれって誰も頼んでないじゃない!そりゃやる気になれなくて当然よ」なんてことを言うようになるかもしれません。 むやみやたらに謝りなさいだと、意味が大事なのに、それを略してしまっているので駄目なんですね。 E-1077さんのおっしゃるような説明を子供にする必要があるような気がします。ありがとうございました。

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