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相撲界の移籍

よく野球やサッカーの世界では(移籍の話は)よくありますが、相撲ではあまり聞きませんよね? 実際にそういうことって過去(或いは規則)にあるんですかね?

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  • tachiuo
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回答No.2

 昔は東京(江戸)の他に大阪(大坂)相撲や京都相撲などがあり、例えば、親方と折り合いが悪くなった力士が、他に移ることがありました。  横綱双葉山が立浪部屋からの独立を許され、現役力士でありながら双葉山道場を開きました。言わば、プレーイング・マネージャーであったわけです。これが時津風一門の元になっています。  昭和40年頃、出羽海部屋付き親方であった九重親方(元横綱千代の山)が佐田の山・北の富士らを連れて独立した際、出羽海一門から破門されました。このため、九重部屋(北の富士→千代の富士へと継承される)は、高砂一門となっています。これは、当時の高砂親方(元横綱前田山)が九重親方を一門に迎え入れたからです。この九重騒動が、戦後最大の御家騒動でしょう。  この他、井筒騒動などがあります。昭和47年に井筒親方が亡くなった際、君ヶ濱親方(元関脇鶴ヶ嶺=逆鉾・寺尾の父)が後継者であると思われていたのに、先代未亡人が、遺言であるとして強引に陸奥親方(元幕内星甲)を後継者にしたのです。そのため、君ヶ濱親方は、井筒部屋から独立して君ヶ濱部屋を創設しました。後、星甲は部屋経営を放棄して、井筒は北の富士が名乗ることになりましたが、鶴ヶ嶺と名跡を交換して、鶴ヶ嶺が井筒親方となりました。

barcelonista
質問者

お礼

相撲界にもプレイング・マネージャーって存在したんですね。初めて聞きました。 ありがとうございました!

その他の回答 (2)

  • tachiuo
  • ベストアンサー率32% (92/279)
回答No.3

失礼しました。一つ訂正します。九重親方が…のところ、佐田の山は出羽海部屋のままです。そして、後に出羽海親方になりました。佐田の山と北の富士を結び付けてしまったのは、この独立によって、それまで兄弟弟子であった横綱佐田の山と大関北の富士との対戦があったことと、ごっちゃにしてしまったからです。

barcelonista
質問者

お礼

ご丁寧にありがとうございました。

回答No.1

規則で、力士は自分の意思で部屋を移籍することはできないようになっています。 また、親方の意思によるトレードなどもできません 部屋が変るのは、親方側の理由(死亡とか病気とか)で部屋そのものがなくなったり、引退した関取が新しく独立する部屋へ内弟子を連れて行ったりするときだけです。 前者の場合は合併なのでスムーズですが、後者の場合は揉めることもよくあります。 明治時代には、親方と大喧嘩して、2回も自分で部屋を替えた力士もいましたが、現在では考えられないと思います。

barcelonista
質問者

お礼

そういうことだったんですね!ありがとうございました。

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