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勝海舟の絵だとして紹介された頭蓋骨の絵について知りませんか?
とても印象に残った絵と文章の作者を探しています。 「開運!なんでも鑑定団」の出張鑑定(栃木県小山市)で勝海舟の絵として出品された 「ずがい骨」の絵について知りたいのです。 放送日は平成16年10月12日(関西では17年11月13日に再放送されました)です。 鑑定では勝海舟の絵ではないと言っており、作者の名を鑑定士の方が言っていたのですが聞き取れませんでした。 誰かこの作者がなんという人だったか知らないでしょうか? また絵と一緒に文章が書かれていてその文章を読み上げていました。とても印象に残る言葉でした。 とても心動かされる言葉で意味だけを今は覚えているのですが、自分としては一字一句思い出したいのですが思い出せません。 ビデオか何かに録画されていてその言葉を一字一句わかる方いたら教えて下さい。お願いします。
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- txbhh996
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天田五郎が書いた「東海遊侠伝」という本の中に山岡鉄舟が描いた頭蓋骨と富士山の絵に勝海舟が書いた題字を添えた絵があります。その絵は現在遠藤まゆみさんという方が所有しているようです。「清水次郎長」高橋敏著岩波新書を参考にされると良いと思います。このことから、頭蓋骨の絵は山岡鉄舟が好んで描いたものと考えられます。
- gusuienyuu
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しゃれこうべの禅画というば山岡鉄舟です。 鉄舟は幕末三舟の一人で、禅と剣の達人で、海舟の依頼で西郷隆盛に 命がけで会い和平工作をした人です。高橋泥舟(槍の名人で高潔な人)は 鉄舟の親戚筋です。 三人ともお互いに非常によく知り尊敬しあっていたようです。 鉄舟にはしゃれこうべと剣を描いた、剣と髑髏画参賛があります。これは 鉄舟会所蔵で、他にも似たようなものを描いたのかもしれません。 髑髏は禅の生死とに関係します。この髑髏絵賛には「正与磨則什も生 (まさによもならばそもさん)」という禅の言葉が書いてあります。 山岡鉄舟の菩提寺である、東京谷中の全生庵(臨済宗の禅寺)でおたずねになればもっと詳しいことが分かるでしょう。 ちなみに、海舟の場合には髑髏を描いたかどうかはわかりませんが、 錨や富士山、船(咸臨丸)などの絵に詩を付したものはあります。 愚酔
- pyon1956
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うろおぼえですみませんが・・・・ 作者は確か幕末の三舟のひとり(海舟以外の。)だといっていたような。
お礼
返事ありがとうございます。 「・・・の三人の内の一人」って言うのだけ覚えていました。 幕末の三舟・・・少し手掛かりが出来てとても嬉しいです! ありがとうございます。
お礼
丁寧なお返事有難うございます。 鉄舟会、全生庵、髑髏・・・手掛かりのキーワードが沢山出てきて嬉しい!本当に有難うございます。 ところで「正与磨則什も生(まさによもならばそもさん)」はどんな意味なのでしょうか?よければ教えてください。