- ベストアンサー
アンデルセンの「お母さんのはなし」のラスト
アンデルセンの「お母さんのはなし」のラストをおしえて下さい。 暗い話が多いけど、アンデルセンの作品は好きです。 この「お母さんのはなし」は私が小学生の時に読み、強烈なショックを受け、ものすごく印象に残りました。 その時のラストはお母さんが泣く泣く子供を天国に行かせる事に決め、そのお母さんがとても可哀相だと思いました。 それから、大人になって図書館でその話を見つけた所、ラストが違っていました。 ラストは不幸な人生でも子供の可能性を信じて生かす事に決めたと言う内容でした。 私は個人的には最初に見たラストが印象に残っているので天国に行かせる方が、しっくりくるのですが、本当はどちらのラストが正しいのか教えて下さい。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
アンデルセンの原作のラストでは、死神が子どもを連れ去ってしまいます。この作品が書かれた時代と国を考えると、キリスト教の影響が濃くみられ、アンデルセン童話にも「けがれのない子どものうちに天国に行くほうが幸せ」というテーマはよく出てきます。ラストが違う本があるとしたら、後に他の人が書き換えたのでしょう。原作のままでは(日本の子供の読者にとって)かわいそうすぎると思ったのかもしれません。子供向きに書き換えるというのは、アンデルセン童話にはよくあることです。有名な「マッチ売りの少女」も「人魚姫」も主人公の死で終わりますが、ハッピーエンドに変えたものもあるそうです。もちろん改作者や出版社にはそれなりの意図があるのでしょうが、アンデルセン本人が見たら「それは違う」ということになりますね。おおまかにいうと、本の著作者名のところに「訳」と書いてあれば原作どおりですが、「文」と書いてあれば改作(短くする、なども含めて)の可能性あり、ということで見分けがつきます。
その他の回答 (2)
- xcrOSgS2wY
- ベストアンサー率50% (1006/1985)
ラストがA,Bの2種類あるとします。どちらかが「何らかの誤りにより発生したもの」(例えば口伝継承の際、記憶違いによって文章が変化したなど)であれば、元になった文章が正しく、変化した文章は誤りです。 しかしアンデルセン童話は明らかに「書かれた文章」ですので、そのような「誤り」が発生する余地はありません。誤植が発生する可能性は常にありますが、誤植がストーリーを変えてしまう可能性は非常に低いので無視できます。(※注:翻訳文学では翻訳の間違いによる誤ったストーリーの派生があり得ますが、ひとまずここではそのような誤りがないものとして考えます。) したがって、どちらのラストも「誤りにより発生したもの」ではなく、両方とも「意図して制作されたストーリー」ですので、どちらも「誤り」ではなく「正しい」ラストということになります。 複数のラストシーンがある映画などがありますが、ご存知ないでしょうか。そういった映画で、どれか1つが「正しいラスト」で、残りはすべて「誤ったラスト」だと判断する人はあまりいませんし、そう判断することは制作者の意図に反するでしょう。絵本であっても事情は同じで、版によってストーリーが異なることはよくありますが、それらは個々の制作者(原作者とは限りません)が意図して制作したストーリーである以上、どれも「正しいストーリー」です。
お礼
どちらのラストも正しいと言う事ですね。 全く相反するラストが存在するというのも面白いものですね~。 ありがとうございました。
- php504
- ベストアンサー率42% (926/2160)
英語に翻訳したものがあったので最後の部分だけちょっと読んでみました Death carried away her child to the unknown land. 死に神は子供を天国?へ連れて行ったようです。 http://hca.gilead.org.il/sandhill.html http://www.andersen.sdu.dk/vaerk/hersholt/TheStoryOfAMother_e.html
お礼
原作では子供は天国に行った事になっているんですね。 ありがとうございました。
お礼
やはり、原作では子供は死んでしまうという事ですね。 確かに子供心に衝撃を受けました。 >子供向きに書き換えるというのは、アンデルセン童話にはよくあることです。 そうですね。 他にも見たことがあります。 人魚姫のラストが、ただ、水の泡になって消えた。というのと人魚姫が最終的には風の精になったという二つのラストでした。 子供心には風の精になったと言う方が救われましたが・・。 ありがとうございました。