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「憧れのハワイ航路」のホワイトホテルとは?
晴れた空~♪から始まる「憧れのハワイ航路」という歌の歌詞に出てくるホワイトホテルというのは、実在する(又はした)のでしょうか? ハワイ好きで、先日も行ってきたばかりですが。 ピンクパレスといえば有名なロイヤルハワイアンホテルですが、そのようにホワイトホテルというのもどこかのホテルの代名詞だったのでしょうか? それとも単に、ホテルの象徴としてのホワイトホテルなんでしょうか? どなたか、お分かりの方、教えて下さいませ。
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質問者が選んだベストアンサー
WEBでは根拠となるサイトがないので、簡単にだけ触れている サイトを参考URLにご紹介しておきます。
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- munecyan
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現在のシェラトンモアナサーフライダーです。
お礼
早速の回答ありがとうございました。 モアナサーフライダーという意見が多いですね。 参考になりました。
- goHawaii
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こんにちは。 ここで唄われるホワイトホテルとは、モアナホテルではありません。 作詞をする際にイメージした世界に、ホワイトホテルが出てきただけです。 作詞家の石本美由紀氏が広島の大竹市というご自身の出身地から見える 関西汽船の確か大阪~別府の船を見て、社会が戦後の暗い影を拭い高度 成長期を迎えるとともに、少しずつゆとりの出てきた庶民の夢のひとつ であるハワイへの船もこういう感じかな?と唄ったものです。 要は、氏はハワイに行ったことがありませんでした。 モアナホテルの写真を見て作詞をしたのかと言えば、それも疑問で 当時の写真は参考資料のように白黒がほとんどですから、ホワイト ホテルとは誰かから聞き知った程度の話という可能性も高いのです。 もしかすると、日本国内のどこかの海岸沿いにあるホテルの写真を見て イメージしていた可能性すらあります。 氏は、他にもヒット曲を持つのですが、この「憧れのハワイ航路」を 世に出したのが40歳のとき。実際にハワイに行ったのは50代だった ようで、氏がハワイに初めて着いた時に「おお、ハワイとはこういう島 であったか」と漏らしたそうです。 船でのハワイ訪問だったようで、おそらくワイキキ(モアナサーフ)を 右手に眺めながらアロハタワーのある港へ入港したのでしょう。 当時の日本人にとっては、ハワイに行けただけでも自身の苦労が実った 証のようなものだったでしょうし、彼らが頑張ってくれたからこそ、 6万円程度で1週間もハワイに行けるようになった現在があるのかと 思うと、私は感じ入ってしまいます。
お礼
詳しいご説明ありがとうございました。 当時の別府航路にハワイ航路を重ね合わせてできた歌詞なのですね。 ほんとうの憧れのハワイだったのですね。 たくさんの人がこの歌に夢を感じただろうと思います。 ホワイトホテルの質問から、色んなことがわかりました。ありがとうございました。
- mn214
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#1です。 補足します。 現在は、“モアナサーフライダー”となっていますが、当時は“モアナホテル”と考えた方が正確です。 今の“モアナサーフライダー”は100年の間に隣にあったホテルを吸収合併して現在の姿になっており、今の本館部分が本来の“モアナホテル”であり、本当は隣の部分は“サーフライダーホテル”でした。 従ってこの歌の当時は“モアナホテル”という言い方がより正確ですね。
- mn214
- ベストアンサー率23% (306/1302)
在ハの者です。 『憧れのハワイ航路』の歌詞は存じ上げませんが、ホワイトホテル(白いホテル)ということでしたら“モアナサーフライダー”で間違い無いですよ。 ワイキキでは最も古いホテルで築100年程の歴史を誇ります。 その次に古いのが“ロイヤルハワイアン”で80年程ですね。 また、“モアナサーフライダー”は別名“白い貴婦人”と呼ばれています。
お礼
モアナサーフライダーはワイキキでは一番古いのですね。 歴史のある素敵なホテルですね。 別名”白い貴婦人”と呼ばれているとは、勉強になりました。
お礼
作詞者の方のことがよくわかりました。 ハワイに行かずに書かれたとは意外でした。 だから、憧れの~なんですね。 ありがとうございました。