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文化の違いはあるのでしょうか?
通常、私は複数の人と話すときなど 相手が話している途中に会話の問答を する傾向にあります。 日本では人の話を聞かないという意味で、 あんまりよくないみたいなので、最近は なるべく相手の話が終わってから話すことに しています。 ただ、外国(英語圏)になると、むしろ途中で 問答することを迎合するきらいがある みたいですがどうなのでしょうか? たしかに、昔カナダにいたときは 日本にいるよりも明らかに自分としては 文化的にあっていると感じました。 これは言葉の文化の違いでしょうか?
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私は、むしろ逆だと思っていました。 友人で北欧の人と結婚したアメリカナイズされたフィリピン人がいるのですが、その人はいつも「日本では相槌を打つが、英語では失礼に当たる」と冗談めかした体験談を交えて言っています。実際、テレビなどを見ていて、それも一理あると思います。 ですが、実際にいろいろな人と会話する中で、私自身はあまり違いを実感できません。やっぱり「え? ちょっと待って、それって……」と言いたくなる場面、あるいは突っ込みを入れたくなる場面では会話をさえぎって、日本語圏の人も英語圏の人も皆さん問答しています。 ただ、世の中には文化圏にかかわらず、よく会話をさえぎる人と、あまりさえぎらない人がいるとは感じます。さえぎる人は、それはそれで、話好きの人が集まった場では盛り上げてくれたりします(収集はつかなくなりますが)。 だけど、古今東西、やっぱり、人の話は最後まで聞いてから問答するのが「基本」ではないでしょうか。でも、一人でも途中で問答する人が参加していると、自分もそうしないと取り残される時がありますよね。 要は場を読むことかな。 で、途中で問答しない場合、現実的にはどうなるかというと…… AさんがBさんに話しているとします。Bさんが「え?」と言いたくなることをAさんが言ったとします。するとBさんは「え?」という“顔”をした上で、「まあ、続けて」と手などでジェスチャーする。と、Aさんはひとしきり話し終える。で、Bさんは、「さっき、こう言ったけど……」と問う。という具合でしょうか。つまり、話を続けさせてあげれば「反応」はしてもいいと思いますが。 と、ひとしきり書いたところで思ったのですが、質問者さんがお書きになっているのは、ひょっとして、話し手が話している内容に不明点がある場合でしょうか? その場合、確かに、英語圏では、理解しないまま聞くよりは、「今おっしゃったのはこういうことですか?」と確かめた上で話を続けてもらいますね。で、日本では、それは失礼に当たるのでしょうか? 私はむしろ、「出る釘になりたくない」という聞き手側の良くない消極策だと思っていたのですが。手短かな問答ならいいんじゃないでしょうか。
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- juns777
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アメリカ在住です。 確かにアメリカでは「言ったもの勝ち」という感じがあります。どんどん会話をつないでいきます。一説によると「アメリカ人の我慢できる沈黙は一秒」だそうです。でも、知的な方は人の話の腰を折ったりしません。 別の要素として、会話のスピードですが、これが日本と欧米では反対の感覚だと思います。日本で言う「ぺらぺら」と早くまくし立てるようなしゃべり方をしている人ほど会話をさえぎり、知的には低い印象があります。 高等教育を受けている方は、相手の話も聞き、ゆっくりきれいな英語を話す人の割合が多いと思います(うちのボスはすごい早口ですが)。特に公式の場面、商談、講演などのスピーチでは意識しているように思います。 日本では逆にゆっくり話をすると、ちょっと「にぶい」ように思われるふしがあります。しかし日本の場合は、文末まで論旨の展開が分からない言語構造、人の話をさえぎるのは良くないという感覚があるので、さえぎることは失礼と思われるのでしょう。 >文化的にあっていると感じました。これは言葉の文化の違いでしょうか? 以上から文化の違いもあるでしょうし、場面によりますし、会話している方が友人か仕事相手か、あとは教育レヴェルにも依存すると思います。
日本人は相手が友人、知人、上司、知らない年配の人などによって対応を変えなければなりません。したがって質問のケースへの答えはひとつではありません。 海外で日本にいるときよりも文化的にあっていると感じたのは、たぶん海外では個性を重視するからでしょう。人はひとりひとり違って当たり前、違う意見を もって当たりまえという世界ではプレッシャーもテンションも少なくなります。但し、彼らも相手と違う意見を述べる場合は相手の意見も尊重しながら自説を述べます。したがって日本人と重なる場面もあります。 日本人も反対意見を述べる前に「そうだと思いますけど・・」といいながら、まったく違うことを述べたりしますね。 疑問点をただすために発言をすることと、自説を述べるために発言をすることは違います。自説を述べる場合は、相手の話をよく聞くのが先決です。 文化の違いともいえますが、よく考えれば人間である限り根本はおなじでしょう。表面的に一見違うように 見えるだけだと思います。