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ソクラテスについて

みなさんに聞きたいんですがソクラテスって無知の知や徳は知であるとかの説を説いたことで有名ですよね。そこで皆さんに聞きたいんですが皆さんは無知の知とかの説についてどう思います?

みんなの回答

noname#130082
noname#130082
回答No.6

No.5です。 補足:最後の一行は論理が飛躍しすぎですね。これでは、ソクラテスが私より知があるから、とんでもない奴だ、というような非常に傲慢な論理にも見えてしまいます。 しかし、ソクラテスも、哲学者なら哲学者らしく「私の知っていることはただ一つ、『私は何も知らない』というだけだ」と言っているだけだったら(それで本でも書いていれば)無事に済んだかもしれないのに、よりによっていろいろな人のところへ出かけていって、政治家などの権力のある人にまで「あなたは結局何も知らないのだ」ということを論破してしまう、なんてことを実行したのだから、やはり私と関係なく「とんでもない奴」であることに間違いはないでしょう。

noname#130082
noname#130082
回答No.5

哲学に関してはまったくの素人です。 別に哲学者になりたいわけではないので勉強していませんが、無知の知に関しては私は内省という方法を使っています。 絵を理解する方法として、どんなに下手でも、とにかく自分で絵を描いてみる、という方法があるのだから、哲学にしたって、どんなに低脳・馬鹿で幼稚な考えであっても、自分の頭で考えてみたらどうだろう?という発想です。 私の考えたこと: いくら偉人だといっても、人間である以上は、もしかしたら間違いを犯すかもしれない。 もしかしたら、ソクラテスが知らずにいることで、私が知っていることがあるかもしれない。 もちろん、ソクラテスはインターネットについて何も知らないことは明らかだが、ソクラテスのいう知はこういう単なる知識のことではなく、「真とは何か?」「善とは何か?」「美とは何か?」というような根源的なことを指しているのだろう。 ・・・ということで、長年(マジに2桁年考えました)内省してきたが、今になってもソクラテスが知らないが私は知っているものというものは見つけられない。 では、私は「自分は何も知らない」と断言できるだろうか? いや、何か知っているような気もしないでもないので、今のところ断言できない。 しかし、ソクラテスは断言している。 ・・・ということで、確かに、ソクラテスは私より知があるようだ。 結論:ソクラテスは常識を超えたとんでもない奴だ。

  • flashprim
  • ベストアンサー率23% (51/218)
回答No.4

まったく知らないこと、想像さえ出来ないことは人間は考えることは出来ません。知識があって知識を考え、その知識に付帯することを考えられます。その知識を疑って考えればいいのですが、人間は知識に沿って考え、知恵とします。これをソクラテスは突いたわけです。ソクラテスは洗脳されにくい困った人です。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.3

ソクラテス先生の名誉のために一言。 無知の知というのは、金魚ばちの中の金魚の知恵を表現しているのですね。金魚は金魚ばちの世界が全てであると信じていろいろなことを考えるが、人間から観れば金魚ばちの世界でしかない。真実の世界からほど遠いという意味ですね。この金魚を人間とした言葉が無知の知ですね。だから一般的な自らの無知を恥じるという小さい意味ではありませんね。ソクラテス先生は、この世界を金魚ばちとして金魚の知恵を無知の知と呼んでますので実際は金魚ばちを含む壮大な世界の住人であったということですね。これはユダヤ教やキリスト教的世界観を凌駕する一点語ということです。そういう知恵または知は徳であるということでしょうね。凡人では到達し得ない境地ですね。神が哲学者として地に降りた言葉といえばわかりやすいかもしれませんね。

  • sinfonia
  • ベストアンサー率42% (53/124)
回答No.2

非常に分かりやすいと感じます。 主義・思想・信条を超える言葉として広く知られるに値すると思います。 「知」の状態と「無知」の状態は経験的に誰もが知るところですが、 無知であることを意識することは学ぶ姿勢を変えますよね。 「知」という概念の摘出の仕方が上手いと思います。

  • Aizaka
  • ベストアンサー率21% (12/55)
回答No.1

 こんばんは。  まあ、たしかに良いことを言ってるような気がしますが、実はパクリです。旧約聖書のエレミヤ10章23節に、次のような一説があります。   エホバよ,地の人の道はその人に属していないことをわたしはよく知っています。自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません。  これは、たとえ人が良い道を選ぼうとしても、神の助けがなければ失敗してしまうと言う意味です。転じて、ヒトは何も知らない。という事です。  結局はソクラテスも、坂道を登ったり降りたりしながら瞑想にふけった挙句、既に語られていた事を「新発見!俺って天才!?」とか思って発表したにすぎなかったのですね。どうやら、ソクラテスは自分が思っていた以上に無知だったようです。  ダイモンなんたらかんたらも、「人は生まれながらに心に律法が・・・」と言う聖句のパクリでしょう。ダメダメですね、この人。  でも、聖書はいいこと言ってると思いますよ。ただ、パクリはいかんのです。

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