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ヨーロッパ列強が新しい土地に植民地を作るのに熱心だった理由とその背景

15世紀の終わりから16世紀?ごろでしょうか、、ヨーロッパ列強がどうしてそんなに植民地づくりに励んでいたのか、その理由と背景を知りたいです。

みんなの回答

  • mohito
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回答No.2

第一の理由としては国益の確保だと思います。 ヨーロッパでは産出しない香辛料や資源を持ちかえることによって国庫を潤すことが目的だと思います。 例えば、中国のお茶・絹・陶器がヨーロッパで流行し、それを大量に輸入したため、イギリス国内の銀が流出、結果、国費の不足に繋がりました。 そこでイギリスは銀の変わりにインド産の阿片で、取引を行ったといわれています。

noname#118466
noname#118466
回答No.1

背景は複雑で歴史を溯ることになりますが、孤立して眠っていたようなヨーロッパが動き始めたきっかけから見るのも分かりやすいかもしれません。 500年前までのヨーロッパはギリシャ・ローマの流れを汲む国々とは思われぬ状態ー世界から孤立ーでした。ヨーロッパを一歩出ると、西は恐ろしい太平洋(その先端がどうなっているか知る人はいなかった)地中海の南にはアフリカ大陸が広がり、地中海沿岸以外は未知の大陸でした。それらの地域を支配していたのはイスラム教徒だったのです。イスラム諸国は先進国、ヨーロッパ諸国は後進国だったのです。 イスラム教徒は711年スペインに侵入してイベリア半島を支配、北上の試みはフランスの抵抗でかなわず、ピレネー山脈の南にとどまりました。イベリア半島のキリスト教徒はピレネー山脈に抵抗線を張り、徐々にイスラム教徒を南へ押し返しました。(500年間以上続いた国土回復運動、レコンキスタ)ポルトガルが先ず国土回復に成功、スペインに先駆けてアフリカ西岸の探検に乗り出しました。(後に喜望峰経由インドに至る航路を発見)スペインは1492年、イベリア半島南部に残っていたイスラムの王国を下し、この年、コロンブスの支援を決定しています。 ポルトガルがアフリカ南端周りの航路を抑えたために、新生スペインは西回りでポルトガルとアジア貿易を競うことにしたわけです。こうして大航海時代が始まり、新大陸が発見され、太平洋が発見され、西回りでアジアに達する航路が発見されました。ポルトガル、スペインに続いてオランダ、イギリス、フランス、ドイツなどが、スペインとポルトガルの支配していない地域に進出しはじめ、紆余曲折の末、 イギリス系のアメリカ、ラテン系の中南米、オランダ、フランス、ドイツ系のカリブ諸国(植民地)が生まれ、その後オランダ領、フランス領の一部の地域を除き全て独立を達成しました。 以上は状況説明に過ぎませんが、眠っていたヨーロッパを目覚めさせ外界に向かわせた誘因は多々あります。 1、イスラム包囲網の突破 2.ルネッサンスにより自信を取り戻した(ギリシャ、ローマ文化の回復) 3.イスラムによってもたらされた高価な胡椒(アジア原産)取引 4.宗教革命(ルター)によるプロテスタントの新しい土地の欲求。 これらを可能にしたのが中国伝来のコンパス(磁石の応用)と火薬(鉄砲と大砲の発達)であり、時代に目覚めたヨーロッパ人のハングリー精神だったと思います。

english01c
質問者

お礼

詳しくご説明いただき、本当に有り難うございます!!!

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