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屠殺場で働いている人は・・・
こんにちは。 スーパーでは毎日、豚肉や鶏肉が並んでいますが、こうして私達が肉にありつけるのは、豚や鶏の恩恵はもちろん、それを殺す人があっての事と思っています。 肉は好きだけれど、その過程を目のあたりにした人は数少ないと思います。 実際、私もどんなに高給であろうとも殺す立場にありたくないというのが本音です。誰しもそうではないでしょうか? それでも屠殺場で働く人は何十万人もいると思います。 以前、知人が「屠殺場で働く人は人間の目をしていない」と言ってました。そうなってしまう気持ちが分かります。 彼らは仕事を終えて寝る前に何を思うのか、そして起きて職場に向かう時に何を思うのか・・・、仕事と言えども毎日何も罪のない生物を殺すのは余程のストレスがあると思うのです。 すごく曖昧な質問ですが、自分のこの気持ちにどう決着をつけたらいいのか分からないのです。 ただ、神はなぜ動物に痛みを覚えさせたのか・・・結局はそれに至ります。
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>ただ、神はなぜ動物に痛みを覚えさせたのか 痛みがあるからこそ、殺す方も殺される方も命の大切さが判ると思います。 あなたの考えてる本質は将にここにあるのですが、例えば刺身が出てきてもおいしいか不味いかだけで、それ以上何の意味もありません。 しかし自分で魚を釣ってそれを殺して刺身にさばいたとしたら、その刺身には魚の命の重みを感じませんか。 命の重みを感じれば、最後の一切れまでも残さず食べて、腹が膨れればそれ以上の殺生はしなくなりませんか。 神が痛みを与えたのは命の重みを知らしめる為と、私は理解してます。 歴史を紐解くと、確かに「屠殺場で働く人」というのは偏見をもって見られ、医者でも血を見る外科医は低く見られました。 また律令時代の官僚でも武官は5位に抑えられ、低く見られます。 血に関する職業は不浄な者と見る偏見は承知してますが、一面誰かが手を汚さなければ生きられない現実も知るべきではないでしょうか。 動物を殺すことも命の重みを感じればよいのではないでしょうか。
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- schorls
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私も質問者さんと同じようなことをよく考えます。 私は、魚釣りすら出来ません。しじみ貝も買えません。 現実から逃げている、ということはとても感じます。 「人間の目をしていない」という話を私も少し分かる気がするのは、 もし自分が毎日動物が死ぬのを見続けたら、感情を捨てでもしない限り やっていけないだろう、と思うからです。 質問者さんもそういう意味で書いたのではないかと、文章から勝手に想像します。 もし自分で殺さなければ食べていけなくなったら、私も泣く泣く蛙や魚を殺して、 いずれはそれに慣れ感謝しながらおいしく食べるようになるかもしれないけど それをしなくていい世の中だから、逃げてるからこんなきれい事が言えるんだと思います。 屠殺は、動物がもっとも痛がらず、一瞬で意識をなくすような方法を選んでいるというし 食肉工場にはよく家畜の慰霊碑が立っているのをテレビで見るので、 現場でも家畜に最大の気遣いをしているのだと想像しています。 しかし、だからと言って「じゃあお前がやれ」と言われたら、出来ないです、身勝手ですが。 保健所で野良犬や野良猫を処分したり、増えすぎたシカやハトを駆除する仕事も・・・ 前に、会社でアリの駆除をやらされたんですが、卵を抱えて逃げ惑うアリに ほんとに申し訳なく、涙が出ました。 なんの回答にもなってなくてすみません。
お礼
気持ちを汲み取っていただきありがとうございます。 問題になった発言は偏見のつもりではなく、感情を捨てない限り出来ない仕事だと思ったからです。 9さん始め、皆さんにご意見をいただき感謝しております。
- dan555
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偏見です。 >屠殺場で働く人は人間の目をしていない こういう考えがあるかぎり部落の差別意識は いまだになくなりません。 身分の低い人達に人が嫌がる仕事(屠殺等)を させていた歴史をご存知でしょうか? >誰しもそうではないでしょうか? それしか選択肢がない人にもそうおっしゃるので しょうか?
お礼
ごめんなさい、歴史には無知でした。 勉強します。ご意見ありがとうございました。
- zakikko
- ベストアンサー率40% (173/423)
>以前、知人が「屠殺場で働く人は人間の目をしていない」と言ってました。そうなってしまう気持ちが分かります。 確かにこれは行き過ぎですね。ご自身で体験・もしくはその方を見られたのならともかく、知人の言葉を鵜呑みにしてしまうのはどうかと思います。 皆さんがおっしゃられていますが、植物も動物もみんな命をもっています。だから畜産農家の方や漁業の方や農家の方はそれらを育てるのに相当な愛情を注がれて育ててられるのだと思います。罪の無い生命あるものを殺す(言い方が殺すと言うのはちょっと適当だとは思いませんが)ために育てている方なんていらっしゃらないでしょう。 動物実験を行われる方などは、必ず供養されていますよ。 畜産農家の方なども供養しているかどうかはわかりませんが、心の中では供養の気持ちをお持ちになっている方が大半だと思います。ストレスはあるかもしれませんが、きちんと供養の気持ちももたれていると思います。 飽食の時代になり、便利な時代になり、それらが当たり前の現在の中で、私たちは生きていますし、生かされていると思うのです。それに感謝する心を忘れないようにすればよいのではないでしょうか? >神はなぜ動物に痛みを覚えさせたのか・・・結局はそれに至ります。 これに関しては、どちらかといえば、キャリアカテではなく宗教カテのほうがよいかもしれませんね。
お礼
そうですね、軽率な発言をしてしまいごめんなさい。 当たり前のように食べている物に、改めて感謝したいと思います。 ご意見ありがとうございました。
- gamasan
- ベストアンサー率19% (602/3160)
ん~難しい質問で ここで書くことが微妙な歴史的背景も 含みます 無難な回答とすれば それが人間の「業」(ごう)という もので 周りの命を頂いて生かされている ありがたいことだ という仏教的考えです。 実際その人たちに聞いたことはないのですが 自分達がこういう仕事をいてるから 一般人が肉を食べられるんだ という 職業的プライドを持ってらっしゃるかも しれませんし 命に対する感覚が麻痺するのか?という疑問がありますが とりたててその職業の人が殺人犯になる 粗暴的だとは 断定するだけの資料は無いと思いますよ。 じゃ 魚を捕る漁師さんはどうなの?ということと 同じになります。一見同じには思えないですが 農家の方だって植物という違いがありますが 命という意味では同じです。 屠殺されるものは その瞬間泣き叫ぶであろうと 想像がつきます もちろん残酷なシーンであるため その瞬間を一般人がテレビで見たりということは 無いでしょう 私もどうやってるかは知りませんが これだけ機械文明が進んでるのですから もしかしたら せめて命を奪う瞬間は機械で その心的負担を 減らしてほしいと思いますよね 後は「物」として扱えるでしょうから。
お礼
ありがとうございます。 物として捉えるのはあまりにも身近すぎるという感じが抜けきれません。 やはり多くの人に分かってもらうために必要な場面かと思います。
- buffaloman
- ベストアンサー率22% (6/27)
そう思うならベジタリアンになるか動物愛護団体にでも入って活動されてはいかがですか? >以前、知人が「屠殺場で働く人は人間の目をしていない」と言ってました。そうなってしまう気持ちが分かります。 これはかなり問題発言ですよ。 私も高みに立ってモノを見てるというか、偏見に凝り固まっている印象を受けました。 >ただ、神はなぜ動物に痛みを覚えさせたのか・・・結局はそれに至ります。 プロフ拝見しましたが、あなたの好きな競馬も興味の無い私にとっては、無理矢理お尻をばんばん叩いて走らせてるようにしか思えないのですが・・・ 競馬はいいの?
お礼
おっしゃる通りです。 現に、私は鳥を飼ってから鶏肉が食べられなくなりました。それは愛着という一言に尽きます。 競馬場の馬を飼っていたら、おそらくその馬に愛着が湧いて手放せないでしょう。 今回の質問は、屠殺場で働く人はどのような心境かということです。 決して興味本位ではないのです。 その点を理解していただければいいかと思います。
- ruru-po2
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そう思うのならば食事を摂る前に必ず、食べ物と関係者に感謝をすることを忘れないことです。 動物も魚も植物も一緒ですよ。 屠殺場の方々だけではありません。 漁師の方々、農家の方々、みんなに感謝の念を持つことが大事です。 もちろんご飯粒一粒残さず食べる。 当たり前ですが、出来ない人の方が圧倒的に多いですね。
お礼
そうですね・・。 ご飯一粒残さず食べるのは、昔からピンときませんでしたが、やはり食べ物は多くの生物を犠牲にしているわけです。 生物を犠牲にした以上、人間はそれを食する義務があるわけです。 ご回答ありがとうございまし。
「鬼手仏心」という言葉をご承知でしょうか。 屠殺に限らず、医療現場でも数多の命が犠牲になっていきます。 ワクチンを作るために鳥が殺され、火傷の皮膚を保湿したり内視鏡の練習台に豚が殺され、新薬の開発のためウサギやネズミ、モルモットが殺されます。 人間だって解剖実習で切り刻まれます。 我々一般人も薬を飲んだり肉を食べたりしますから、自らの手を汚さないようにしてるだけで、そうした殺戮に荷担してる事実は変わりません。 そうした鬼のような所業をしても心に仏の気持ち、つまり牛や豚を殺す時食の安全を守るという使命感を持てば、罪悪感は無いと思います。 生きるものは全て他者を殺して生き続ける訳ですから、殺す生き物に心で詫びながら、多くの人の食を守ってると思えば誇りをもてると思います。 医者でも実験動物を殺す時は、多くの人間の役に立ってくれてありがとうと、動物に感謝しつつ殺してることと考えます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私は文鳥を飼っているのですが、なぜ食べられる鳥とそうでない鳥がいるのか、ずっと疑問でした。 実験動物で数知れない動物が殺されているのも現実として受け止めなければなりません。 本当に、殺される動物はそういう使命だとは思いますが、殺す人間にも何かしらの思いがあると思います。 毎日、その仕事をしている方はどんな思いだろう?と考えているのですが、2さんのような思いがあれば動物も報われるかもしれないです。
別に家畜をしめることくらい珍しくないと思いますけど。 団塊の世代なんかは自宅でニワトリをひっぱたいてしめた上に 羽毛を全部とって食べてたわけです。当たり前のことです。 食べるために必要であったわけです。職業にしている人は それをすることで生計を立てる必要があるわけですよ。 職業だろうが、家庭だろうが必要なことだからする。 >以前、知人が「屠殺場で働く人は人間の目をしていない」と言ってました。 >そうなってしまう気持ちが分かります。 こんなことを書き込むのは偏見としか思えません。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 そうですね、職業として・・というのは充分承知なのですが、殺す立場としては何か葛藤があるのではないかと思いました。 人間の目をしていない・・・というのは、書きすぎだったと反省してます。 ただ>自宅でひっぱたいてしめる というのは少しショックでした。 ホントに、支離滅裂でごめんなさい。 私は根本的な考えが間違っていそうです。
お礼
そうですね、痛みがあるからこそ命は尊いのかもしれません。 屠殺場で働く人に決して偏見があるわけではないのですが、辛い職業だと思っていました。 ご意見、参考になりました。ありがとうございます。