• ベストアンサー

それでもパートナーを愛する理由って。

最近「愛」ってなにかわからなくなってきました。 このサイトでも、相手が・・ ・不倫、浮気している。繰り返す。 ・借金を無断でつくる。 ・暴力を振るう。 と言った深刻なものから、 ・心のない発言をする。 ・向上心がなくだらしない人間だった。 ・家事、子育てをしない。 ・実家に入り浸り。 と言う、結婚前からすでに分かっていそうな事例などをよくみかけます。  「それでも相手を愛しています。」と書かれる質問は確かに少ないのですが、質問からは「こんな相手でも愛しているのでなんとかしたい。」状況が見えます。 うらやましいくらいのエネルギーで相手を引き戻したい感が伝わってきます。  これらの事例は極端ではありますが、人間ってこれらを乗り越える気持ちを持ってして「愛」と言えるのでしょうか。 私にはこういった逆境は少しも越えられそうにありません。 よって、将来起こりうるかもしれない事柄を想像しては「だめだ、結婚できない・・。」と毎回思ってしまいます。 「愛」って何だろう?と、自分の中の「相手への愛」に疑いを感じ前に進むことが出来ません。(相手からの「愛」は十分感じます。) 結婚するにはこのような方の「逆境に耐えうる愛」が必要なのでしょうか。このエネルギーが結婚へ結びついている感も否めません。   「愛」とは何でしょう。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.7

NO.6です。 回答を書いているうちに何を伝えたいのか 自分でもわからなくなってしまい、 長々すみませんでした。 こんな結婚生活をしている人もいることを 伝えたかったのでした。 私も夫と出会う前に結婚を迷っていた人が何人かいました。 「迷い」があるときは決断の時ではないように思います。 無理に迷いを消そうとせずにご自分の素直な気持ちに 耳を傾ければいいのでは。 やがて「迷い」よりも「彼とずっと生きたいという気持ち」が 上回る時が来るかもしれません。 はたまた違う人との出会いがあるのかもしれません。 そうやって考えるうちに自分の中で“譲れないもの”が ハッキリしてくるかもしれません。 私も結婚願望がかなり強くって そうやって相手を見極めているうちに どんどんと結婚が遅くなったクチです。 ただ思うのは、完璧な人間が存在しないように 自分にも欠点や短所があるということです。 幾つかの失恋や失敗を経て 「こんな私でも愛してくれてありがとう。」と 謙虚な気持ちで心から言える心境になった時 私は夫と出会いました。 たとえ逆境が待っていたとしても この人と生きたいって思える時が 質問者さまに訪れたらいいのになぁって思います。 あせらずに・・・ね。

tomaretto
質問者

補足

お付き合いくださり感謝しています。 >自分の素直な気持ちに耳を傾ければいいのでは。 こんなに私を愛してくれ、理解してくれ笑いのツボまで同じなのに心では「NO」の割合の方が少々多いのです・・。悲しいです。 このサイトのライフの質問でも、私を悩ませる質問で、「パートナーに何回も浮気された!」「今も不倫相手がいる!」的なものがあります。(裏切り行為は許せませんので同情はします。)また、「彼は会話をしない人だった。」とか「家事、育児を全くしない人だった。」といった質問もあります。 これらは質問によっては「相手(の見極め)」より「結婚」を選んだことがバレバレで「どんな相手でも許して、愛してあげるのが夫婦じゃないの? さも「今知ったんです!」って書かれても相手の本性は独身時代と変わらないわけで、いまさら責められても相手がかわいそうよ。」と嫌味を言いたくなります。(言いませんが・・。) 私には「結婚」の取り付け自体が大役に見えますので、「安易」にやってのけた人がある意味うらやましく見えるのはもちろんありますが・・。(そこを「私は怠け者や、不誠実な人とは付き合わない!」と保っているのでしょう・・。) でも・・・もしかして、もしかしてこの人達も、実は私のように「考え抜いて考え抜いて・・」の結婚なのかも?  結婚って何かの瞬間に人格を正反対のものにさせるものなのか??? (逆に「結婚前はどんな人だったのですか?」と逆質問してみたいと思ってしまいます。違反のようなのでできませんが・・。) 又、私のことを愛しているはずの彼も、私がばかなことをすればこれらの妻のように逆上して、ネットに悲しい質問をさせてしまうのかな・・。と。 これからは、ネットの世界では「自分にあったもの」「関係ないもの」を自分で選別していく力が必要ですね・・。 情報量の多さも良し悪しですね。 >幾つかの失恋や失敗を経て・・・謙虚な気持ちで心から言える心境になった時・・ 謙虚・・・でなかった気がします。 いろいろ学ぶことができました。 思いを吐き出させてくださったことも感謝します。 ご回答、ありがとうございました。

その他の回答 (6)

回答No.6

「愛」とは・・・? 私は結婚して10年目をもうすぐ迎えるのですが、 夫が愛しくてたまりません。(子供もおります!) 夫と知り合ってからずーっとこの状態で幸せだなーって思います。 今でも時々夫の寝顔を見ていると ふっと涙が出てきそうになるんです。 この人と出会えてよかったなぁと。 抱きしめられると嬉しくて溶けていきそうな気持ちになります。 こんなにずっと大好きでいさせてくれる彼に 心から感謝しています。 付き合っている頃から彼の物事に対する考えや生き方、 人に対する態度などを見たり聞いたりするにつけ 尊敬する気持ちが大きくなりましたが 今でもそれは感じ続けています。 彼の人間性には憧れのような気持ちがあります。 今まで喧嘩らしい喧嘩はしたことがありません。 不満を感じることがあまりないのです。 そして、一番嬉しいのは彼といる時の自分が大好きって事です。 結婚してから常に私が心がけている事は ・相手に何かを期待しない。ありのままでいさせてあげる。 ・自分に正直に素直な気持ちで行動し無理をしない。 ・相手を尊敬し、信頼し、心を傷つけない。 という事です。 夫もずっとこれを心がけてくれています。 そう思ってもらえるような私でいたいなぁと思います。 でも、こんな幸せが永遠に続くとは思っていません。 私自身の生い立ちが決して恵まれていなかったせいか 「幸せも不幸も永遠には続かない・・・」という感覚が 染み付いてしまっているのです。 また同時に、「どちらかが明日死ぬかもしれない」とも思っています。 逆境もあるかもしれません。 だからこそ私はすべてに感謝できるのかもしれません。 人間は実はひとりぼっちなのです。 いつかまたひとりぼっちになったとしても しっかり自分で歩き続けられるようにという覚悟が いつもどこかにあるのです。 こういう自立した気持ちを持ちながら お互いに自分の役割を精一杯に努め生活を支えあい、 感謝し尊敬し合いながら自由な気持ちで一緒に喜び生きる。 これが私の「愛」ある生活です。

tomaretto
質問者

補足

ご回答の前半の、sketchさんが旦那様に対して思っていらっしゃることを、過去の何人かの彼から言われたことがあります。 それはそれで幸せで、私の場合「彼を幸せにしてあげられる充実感(?)」のようなものを感じておりました。 私も、彼のことを好きだと信じていました。 しかし毎回結婚話となると、なんだか自分に自信が無くなってくるのです・・。(今の私はある意味作っている。というのか。) それではいけない。と今回はできるだけ相手を尊重し、無理の無いお付き合いにし、今度は私が「彼と一緒で幸せ!」と思える人と付き合いました。 が、神経質なところは変わっておらず当初のラブラブな時期にも「いけない。いけない。落ち着こう。よく相手を見極めよう・・・。」と「見極めて」いるうちにマイナス(と思ってしまう)面ばかりが浮上してきました。(彼はバツ有りでさらに遠距離だったからかもしれませんが・・。)彼の愛は十分感じるのに・・。 sketchさんのご回答も彼を愛していたから結婚しました。とまことに自然な流れに感じうらやましく思います。ですので「私も感覚」で結婚してもいいじゃない。と思うのです。 >こういう自立した気持ちを持ちながら・・・ 「感覚で結婚!」の人の違いには、当人に「自立心」があるか、無いかできっと大きく変わるのでしょうね。 お言葉で気がつきました。 私は「自立したように見せかけている自立していない大人」なんだと思います・・。 だからきっと自分の選択したものに責任を持ったり、認めたりできないのだな。と思いました。 いろいろ気がつきました。 「心がけ」は私も真似させてください。 ご回答、ありがとうございました。

  • beyonce11
  • ベストアンサー率29% (105/359)
回答No.5

 38歳/男性/結婚8年目/子供3人  >自分の中の「相手への愛」に疑いを感じ前に進むことが出来ません。  私も独身時代に似たような事をよく考えていたので、  何人かプロポーズを見送った経験があります。  私の場合は  ・自分はともかく子供の母親としてふさわしい相手  ・無条件に信頼してくれる相手  ・価値観の似ている相手  ・ふたりの問題解決能力がある程度のレベルを持つ相手  等と数多くの条件を持っていましたので  合致する女性の登場までは安易に結婚しませんでした。  結果として運良く「人生で最高の女性」と巡り会えたので  結婚に至りましたがあるいは今だ独身だったかもしれません。  あなたの条件に見合う相手の出現を以てすれば「逆境に耐えうる愛」も  意外と簡単に備えうるものではないでしょうか?  どこかに必ずあなたの要求を充足する男性がいる事を確信して下さい。  

tomaretto
質問者

補足

うらやましいです。 今の私にはその「希望リスト」が作れません・・。 「彼に合わせるわ。」と言う一昔前の女性みたいなことを未だに思っているような気もしなくはないのですが、実際の私はどちらかと言うと口が達者な「個性的」な人。のようです。「弱い私」は見せたくありません。 ですので「頼りになる私」に女性的な男性が集まってしまうパターンでした。恋愛期間はよかったのですが、結婚となると心の中の男性への依存心が正体を現した感じです・・。 最後の3行は涙目になりました。 ウダウダと支離滅裂な質問にお付き合いくださり、ありがとうございました。

  • ddeenn
  • ベストアンサー率18% (72/381)
回答No.4

(1)結婚を「ゴール」と捉えるか「スタート」と捉えるか。 (2)「結婚がしたい」のか「この人と一生一緒にいたい」のか。 考え方で随分と変わってくることがあります。 (1)も(2)もどちらかと言うと前者で考える人が結婚後に後悔したり悩んだりする人が多いのではないかと思います。 物語のお姫様のように王子様と結婚して幸せにくらしましたとさ・・を本気で信じて結婚すると後から「こんなはずじゃなかった・・」と思う。 結婚さえすれば幸せになれると信じ夢を見すぎて、現実(相手の本質)が見えなくなってしまう。(見ないようにしてしまう) 夢見る女性はとても多いと思います。 ただそんな風に結婚しても選んだのは自分。 その自己責任や少しばかりの世間体、経済力など諸々の事情により離婚より結婚継続を選ぶ人が多いのでしょう。 それらを「愛」という名目に置き換えるという手もありますよね。(意識・無意識両方あると思います) だから悩みの本質は本人にしかわからないということです。 私は結婚に「逆境に耐えうる愛」など必要ないと思っているし、そんなのは存在しないと思っています。 愛はもっと自由で楽しく心地いいものです。 結婚=忍耐と言う人もいますが、そんな結婚も私の中には存在しません。 お互い心から相手を愛し、尊敬し、大切に思えたら毎日が楽しく、そして安心&安定した結婚生活を送れます。 私の場合そういう相手かどうかは結婚前に確実にわかりました。 付き合っている時から何1つ不満・不安がありませんでしたから。 それは結婚して4年経った現在も変わりません。 とても幸せです。 旦那と出会う為の様々な事柄(父母が私を、義父母が旦那を誕生させてくれたこと等)全てに感謝したい気持ちです。 私も旦那と2人でならどんな逆境も乗り越えられますが、1人なら無理です。 愛は1人では成り立たないと思います。 2人の間に成り立つもの、2人で育てるもの・・そう考えます。 質問者様が彼との結婚、彼自身のことを自問自答するのはとても良いことだと思います。 彼と良く話をして、本当の彼を知って下さい。 質問者様の思い込みもあるかもしれませんから。 不安や不満を素直に話し合える関係も結婚には必要ですよ。 ちなみに私は生まれて初めて付き合った人と結婚しました。 初めて付き合った人が旦那だったこと、物凄い幸運だったと思っています。

tomaretto
質問者

補足

幸せな結婚生活って実際に存在するのだな。ご回答を見て希望が持てます。 私の両親は「敵同士」のような関係だったので、結婚生活に憧れるものの「互いを思いやり一緒に生活していくもの。」という言葉は理解できるしその通りだと思うのですが、そのために何が不可欠かよく理解できていないのかもしれません。 >結婚=忍耐と言う人もいますが、そんな結婚も私の中には存在しません。 全く同感です。未婚の人に何を伝えたくて気軽に「結婚は忍耐」と言うのかわかりませんよね。(既婚者になら励まし。とも受け取れなくはないのですが・・。) 私の場合(1)は後者で、(2)は前者のような気がします。「スタートするにあたって、この人で本当にいいのだろうか・・。」という感じだと思います。(2)の動機は危険ですね・・。 >旦那と2人でならどんな逆境も乗り越えられますが、1人なら無理です。愛は1人では成り立たないと思います。 心にとても残ります。 ご回答ありがとうございました。

回答No.3

ここのサイトは問題(悩み)があって質問する場ですので、何の問題もなく仲良く夫婦でいらっしゃる方の存在が見えにくいだけだと思いますよ。 実際に悩みがない夫婦はここに「質問する」ことをしないだろうし・・・。 あなたが思っているよりも平穏な何の問題もないご夫婦は多いと思います。 「愛」とは何か?ですが、(難しいですね) 「無条件の信頼」かな?(それだけではないでしょうけど) 私は夫を信頼しています。夫も私を信頼しています。 結婚10年目ですが、いまもなおとても仲がいいです。 あなたが質問文に揚げた「乗り越えるべき問題点」は皆無です。 ですので、乗り越えるエネルギーは初めから考えたこともありません。 結婚前に相手のことを充分見て、お互い「この人なら大丈夫」とわかってたからかな? 「将来起こりうる」かどうかは、相手を見てればわかるんじゃないでしょうか? あと、相手の家(実家)に行けばどういう育ち方、育てられ方をしたのかがよーくわかります。 女の子は母親の影響を受けますし、男の子は父親の影響を受けます。 全く同じタイプになるか、親を反面教師にするのかは、実家での振る舞いを見てればなんとなくわかると思うし・・・。 あまり自分の頭の中ばかりで考え込まないで、相手を見て、相手の家族や家の中を見て、よくいろんなことを話し判断されればいいと思います。 結婚って賭けみたいだとは思いますが、データ重視の賭けです。勝負に出る前にいかに相手のことどんな人間かをわかっておくかだと思います。 あと結婚は異なる文化の合体ですから、実際に生活を始めると「自分の常識は相手には非常識だった」「相手の常識は自分には非常識に思える」なんてことが多々発生します。 そこから二人の生活のルールを作っていくのが大事な作業です。(スタートは違って当たり前なんですから) そこがうまくいってから、妊娠・出産・育児とスタートさせたので、我が家は非常にうまくいってます。 とっても幸せです。あなたがおっしゃってるようにうちも >。(1)に配偶者、(2)が子供。(3)が親。 ですよ。 子供にも愛情を注いでいますが、それよりも夫の方にたくさん注いでます。

tomaretto
質問者

補足

多分私も「データ」をたくさん集めるタイプだと思うのです。(石橋を叩くが、なかなか渡らないタイプ?)集め過ぎて何が重要かわからなくなってしまいました。 「あらさがし」しているかも?とも思います。 毎回、精神的にはOKな相手と付き合ってはいるのです。 弱者いじめや差別発言はしない。怠け者ではなく、前向きで責任感が強く自己管理もできるタイプ。さらに私への愛どころか、家族への愛までも十分感じる人。子育てや家事もできる範囲で嫌がらずやってくれると思います。 しかし、このタイプは「人よりも前に出よう!」「勝負には絶対勝ってやる!」「男は仕事でがんばって給料を得る!」といった競争心は少々しかないようで、 「貧しいながらも楽しい我が家。」のような家族でも「愛」があればいいじゃない!と言う感じです。 「金」の話ばかりの男性は嫌いなくせに、あまのじゃくな自分に疲れます・・。 生活面の意識がこんな感じで結婚して大丈夫なのでしょうか・・? 私も「財テク」に情熱を燃やすタイプではなく、借金こそ作りませんが計算は苦手です・・。 彼も同じだと私たち二人で倒れるのではないかと・・。「二人で」倒れるのならいいでしょうが、倒れ掛かったときに、そんな相手を選んだ自分をトコトン責め、そして相手自身も言葉で責めてしまうような気がするのです。 「愛か」「金か」両方あるに越したことはありませんが、私の場合、バランスが「愛」側に偏り過ぎている気がするのです。 婚約する方々は、「愛している!」だけで結婚を決めたのか、金銭面など生活面もクリアー済みで結婚に至っているのか・・? きっと、ここの「悩み質問」に質問している人はクリアーできず結婚。回答者はクリアーしてから結婚。なのかな・・。と思いました。 >あまり自分の頭の中ばかりで考え込まないで・・ そうですね・・。自分でもツライです。 いろいろ考える自分が好きでしたが、考え過ぎる=晩婚の一途。なのだな。と感じます・・。 >二人の生活のルールを作っていくのが大事な作業です。 身にしみます。ご回答に感謝します。

回答No.2

確かに、青少年や若い方がこのカテをご覧になったら、結婚に対して夢も希望もなくなって、ますます晩婚未婚少子化が進むのではと、危惧しておりましたが。。。 長い結婚生活にはいろいろあるものですが、それらを乗り越えたときの喜びもあるのですから、結婚する前から心配するのもどうでしょう。 「愛」にも形があって、「家族愛」というのもあることをお忘れなく。

tomaretto
質問者

補足

ここは「悩み」のコーナーでさらにネットの世界でもあるので「結婚生活はこれらの悩み質問が現実。」と思ってはいけない。 と自分に言い聞かせてはいるのですが、プロポーズする恋人や過去の恋人達、さらには「付き合ってX年。彼は結婚そろそろ考えているのでしょうか。」なんて質問をみると「どうしてそんなに気楽に言えるのか?これらの質問を見てみろ~!結婚生活は大変なんだから!」と叫びたくなります。 しかし、「・・・ひょっとして、願婚する人はすべてクリアー出来る自信があるから言ってるの?信じていいの?」とも思うのです。 しかし、相手のうそをつく性格や、怠け者などは付き合っているころから兆候は十分あるわけであって、多くの質問者がうすうす気がつきながらも、さも「今知った。」のように質問されているのが「結局、結婚している多くの人は相手を見極めていないで結婚。(見極めできない。又は、別れるのがいやで気がつかないフリした。)」結果に見えるのです。(自業自得。) 私はそうなりたくない。と自分は相手を見極めているつもりでも、実はそうではないかも?と不安が渦巻くのです。  「愛」を度外視して相手を見ればおのずと「結婚してはいけないタイプ」が見えます。が、「愛」を含めればその目が濁ります。 今の私は愛を度外視して見た彼の不安要素が、将来問題になるものなのか、「愛」でカバーしてうやむやにしていいのか、今日も悩んでいます・・。 「家族愛」はまだよくわかりませんが、「夫婦愛」のある夫婦になりたいと思います。(1)に配偶者、(2)が子供。(3)が親。(彼も、同じ意見なのに、不安なんです。)  ご回答の上記2行、自分自身も含め同意見です。同じ意見でうれしく思いました。 世の既婚者は自分の生活をもっと自慢してほしいです。 ご回答ありがとうございます。

  • eri28
  • ベストアンサー率31% (5/16)
回答No.1

難しいですよね。 私は結婚して6年ですが、「愛って何ですか?」と聞かれたら、「何でしょう?」という感じです^^; ちなみに、うちの主人は不倫をして、人生最大の修羅場を迎えましたが、今では仲良くやっています。 もちろん、主人の事は愛しています。 だからこそ、乗り越えられたという部分が大きいと思います。 私自身、乗り越えられるとは思っていませんでした。 主人の事は愛している。でも、もし不倫されたら私は耐えられないから離婚してしまうだろう。と思っていたし宣言もしていたんですが、現在も夫婦です。 私が思うのは、逆境を乗り越えるという気持ちも「愛」でしょうが、乗り越えられないからと言って「愛」ではないとはいえないと思います。 人それぞれで「愛の形」というのは違うものだし、その形も変わるものだと思うからです。 うまくいえませんが・・・^^; 一番大事なのは「今」ではないでしょうか? もちろん、将来も大事だとは思います。 ですが、例えばその相手の方が不倫する「かも」しれない。 でも、しない「かも」しれませんよね? 今現在、相手の方からの愛を感じる事ができるのであれば、それが一番大事なのではないでしょうか? 「かもしれない」事で、一番大事な「今」の自分の気持ちを疑ってしまっては、一番不幸な事ではないでしょうか? それに、「逆境に耐えうる愛」というのは結婚生活の中で育っていくものではないかな?と思います。 上にも書いたように、私は不倫された時点で即離婚のつもりでした。不倫されたら耐えられないと思っていたからでうす。 ですが、実際は乗り越えてます。(最中ですが。。) 周りの家族からもびっくりされました^^; まとまりのない文章になってしまいましたが、今を大事にしてください。 不倫をされた私が言うのもなんですが、結婚っていいものですよ^^

tomaretto
質問者

補足

>結婚っていいものですよ もっともっと既婚者から聞きたい言葉です。 >「かもしれない」事で、一番大事な「今」の自分の気持ちを疑ってしまって・・ 今の私は、まさにこれです。 いろんな場合を考えては「私は、本当に彼のことを愛しているのかな?他の人はもっと疑いなく愛しているようだし・・。別れたほうがいいのかな・・。」と不安になってしまうのです。(相手が変わっても毎回。) 「だからあの時考えなかったから今最悪じゃない!」って自分が後悔するのが怖いのです。 私は「裏切り行為」こそしない自信はありますが、将来なにかの理由で「性格の不一致」の時期が来てしまったら、相手はそれでも今と変わらずこんな神経質の私を引き続き愛してくれるか自信もありません・・。 親の納得いく条件の相手でないので、相談相手になりません。 >もちろん、主人の事は愛しています。 うらやましいです。 告白された人数を自慢するより、愛する人をゲットした人の方が数倍輝いて見えます。 心が休まるご回答ありがとうございます。 何回も読み返してしまいました。

関連するQ&A

  • 接続詞「だから」が用いられた以下の文構造について

    はじめまして。 こちらのサイトを利用させていただくのははじめてなこともあり、不慣れな点はありますが、よろしくお願いします。 早速ですが、本題 順接「だから」について、以下の文の構造(文構造というよりも論理構造についてでしょうか)についてお聞きします。少々長文になります。よろしくお願いします。 とあるゲームで、 「私はどんな逆境でも希望はあると信じています。だから、(あなた)も信じてみませんか?」といった発言があります。 この発言(文)についてですが、 "だから"を辞書どおりの意味で解釈するならば、"だから"は、前の事柄が後の事柄の理由・原因になることを示す言葉… つまり、 私がどんな逆境でも希望はあると信じていることが、何かの理由・原因になることを表しています。さて、何か、とは何でしょうか? 1.あなたもどんな逆境でも希望はあると信じること 2.相手に対して私が「あなたも信じてみないか」と提言すること のどちらかだと思いますが、どちらでしょう? どちらにしても、私がどんな逆境でも希望はあると信じていること とは論理的な関係は見受けられないような気がしますが、この発言(文)に含まれている「だから」は、用法として適切といえるのでしょうか?

  • パートナーの放屁

    パートナーの放屁 つまり オナラ これ我慢できますか? 我慢してますか? 許してますか? 笑って流してますか? 幻滅しますか? 受け入れてますか? 目の前でやりますか? 私 今 お付き合いしてる人がいます 最近、緊張感がなくなったのか 私の居るところで オナラをするようになりました 私は相手の前ではオナラをしません 皆さんは相手の前でも平気でオナラをしますか? 出来ますか? 私は一応礼儀かと思ってるので相手のいる範囲では オナラをしません 因みに かなり臭いです 胃腸の調子が良くないのかなーとか内心思ってます 正直、少し幻滅しますね 人間だからオナラするのは 解るのですが… どうでしょうか?

  • 結婚する理由

    結婚した理由といえば「愛する人と家庭を築きたいから」というのが多いような気がしますが。 しかし実際自分の周りにいる既婚者を見ると、そうでもない気がします。 「子供が欲しく、自分の年齢で今から新しい恋人を探すと時間が厳しいから、この人でいいか」 「仕事をしたくないから、さっさと寿退社したかった」 「そこまで愛してないけど、自分のスペックでこれ以上の高所得は捕まえられないだろうから」 女性にしか聞けていないので男性側の意見は分かりませんが、割と現実的(?)な理由でした。 夫のことを全く愛していないわけではないらしいですが、「別に良い人がいればその人でも良かったかな」と言っています。 (中には全く愛はないけど金目当てに結婚したと言い切る女性もいましたが…) 結婚する理由って人それぞれだと思いますが、割とこんな感じなんですかね? もちろん、彼のことが大好きで、駆け落ち同然で結婚する人もいました。 が、あくまで私から見てですが。ラブラブで結婚した人ほどすぐに離婚していたり、家庭内別居だったりという人が多いように見えます。 むしろ「愛してないけど、自分の願望のため」と結婚した女性の方が、相手の悪い面も受け入れきっている分、離婚しない印象を受けます。 それを見ていると結婚って愛がどこまで必要なのか分かりません。愛が全くない(信頼感0)では共同生活が成り立たないと思いますが、さほど愛していなくても結婚生活はなんとかなるものなのですか?昔はお見合い結婚が主流でお見合いの場で初めて相手のことを知るのも多かったというので、それでも上手くいくのかと不思議です。

  • そのパートナーで良いかと思った結婚

    私は1度目の結婚の時にもう相手とは長いつきあいだった事もあって本当に好きな相手なのかと疑問は感じつつもなるべく相手の良い面を見ようと不安な部分は自分にだましながら結婚しました。 自分の気持ちに素直になれなかったのは適齢期という事もあって周りで既婚者が増えてきたのと自分と相手の結婚に対する憧れと重なって時期としては良いと思っていたからです。 結婚してから相手の嫌な面ばかりみる日々でとても幸せと感じる事が出来ずに、また互いに未熟だった事からも譲り合ったり譲られたりと話し合いなども出来ずにすれ違いが多い夫婦生活が続き一年という短い期間で終わりました。 今は再婚して穏やかですが、幸せといえる結婚生活を送る事ができました。 ふと、ウエディングプランナーという映画をみていて一生を共に過ごす相手を決める大事な事なのに何でもっと慎重に自分の不安を隠す様な事をせずに結婚前に解消できなかったのかと自分に対して疑問を抱きました。 結果として私はあの結婚生活でも自分の未熟な所を思い知る事ができたので1度目の結婚が無駄だったとは思っていないのですが・・。 結婚て一番好きな相手と必ずしも結婚できないとは言われますが、好き???と疑問を抱きながらも流れで結婚してしまうという事はあるのでしょうかね? あの時何でそんなに焦っていたのだろうかと思いました。 既婚者の皆さんも多かれ少なかれそんな気分になった事はあったのでしょうか? 変な質問ですみません。

  • 夜型の私には、夜型のパートナーがいい?

    結婚相手は、自分と同じ生活習慣、考え方の持ち主がいいのでしょうか。 たとえば、タイトルのように、私は夜型で朝がまったくだめです。しかし「朝を有効に使えたらいいなぁ。」ととても思いますし朝の強い人は尊敬します。 私と同じ夜型の相手なら気を使った生活にはならず、気ままな生活かもしれませんが、「朝方」を上に見ているため、自分は夜型なのに将来「夜型」の相手を軽蔑しそうです。 また、同じ理由で「朝方」の相手との場合、朝の弱い自分に劣等感を持ったり「いつか嫌われるかも・・。」と不安になりそうです。  朝方の健康的な考えが大好きなのですが、私は健康的なことが苦手です。(いまのところ・・。) しかし、いつかはそうなりたいと思います。挑戦もしますが苦しいです。 結婚してもうまくいくのは、朝だらだらしてもOKな「夜型」の相手でしょうか。 それとも、私の中にある「人間は朝方であるべき!」の考えをそのままもった相手でしょうか・・。 「朝方・夜型」は一例ですが、 つまり「本音(欲求)」が同じの相手 (=自分を高めて行けるかどうかに疑問)がいいのか、 自分の「理想」と一致する相手 (=自分を高めるために努力がたくさん必要)がいいのかどちらなのでしょう。 恋人。ではなく結婚相手としてお願いします。

  • アンドロイドと結婚するのは正しい事ですか?

    空想の質問です。 暇な時に回答して下さい。 僕の友達が、自分でデザインしプログラミングしたアンドロイドと結婚しました。 僕は内心腑に落ちない部分があったのです。 アンドロイドにインストールされている「結婚」というプログラミングが、倫理的に問題があると思ったからです。 何故なら、「相手を一生愛する」「他の人を愛してはいけない」というアンドロイドの自由を侵害するプログラミングだからです。 しかし相反する考えもあり、ジレンマに陥ってしまいました。 「相手を一生愛する」「他の人を愛してはいけない」というものが愛の証拠だとするなら、本物の愛というものはどれだけあるのだろうか、という事です。 実際、社会では同じ伴侶と添い遂げる事は尊ばれます。 しかしそれには我慢が必要な例が殆どなのです。 離婚する自由もありますが、「世間体」「経済力」「孤独」と「我慢」を天秤に掛けた結果です。 つまり、仮に愛というものが枯渇したとしても、仕方なく結婚を継続している例も有り得るのです。 人間は、自分達が作った制度によって雁字搦めになっているのです。 先程の問題と照らし合わせると、愛を強制されて結婚している人間と、マリオネットのように疑いも持たずに相手を愛しているアンドロイドとでは、どっちが不幸でしょうか?

  • なぜパートナーを事前に調べないのでしょうか?

    家族の質問サイトでよくレスで困っている人の質問を見かけます。その原因の一つで途中からでなく夫婦片側が元々極端に性欲が少ない、もしくはないというもう手の打ちようがないものがありますよね。いわゆるこんなはずじゃなかったという。 彼ら(彼女)はなぜ結婚前に相手の性欲について調べてないのでしょうか?不思議でしょうがないです。質問者は結婚するときセックスというのを優先順位として重要な位置に置いてなかったのでしょうか?お見合いならまだしもある程度長く付き合っていれば性欲が強い、夜の営みを大切にするか一言聞けばわかるのに理解に苦しみます。聞かなければ判断できないなら私は迷わず聞きます。それで上記のようだったらどんなに他が合っていても止まります。おそらく私なら別れるでしょう。聞ける状況というものがあるかもしれませんが、昨日今日付き合いましたじゃないのですから。これから人生を長く共に歩むパートナーをしっかり知る必要があると思うのですが。そうしないと相手に失礼だしお互いに不幸になりますよね。中にはわかっていて楽観視したのか結婚しレスで悩んでる人もいてどうにも理解できません。

  • キリスト教で言う『神は愛なり』について

    キリスト教では『神は愛なり』と言っていますが、何故そう言えるのか、実感が湧きません。 神が愛であるということが実感できるような具体的な事柄を教えて戴きたいと思います。 人間の罪を購うために、父なる神がその子イエスをこの世に遣わし、イエスが十字架上の死をとげることによって、人間の罪を許したのが、神の愛の証拠だと言われても、信じる人には有難い話かも知れませんが、普通の人間にとっては、全く馬鹿馬鹿しい荒唐無稽の話としか思えません。 もし、神が全能であって、人間の罪を許そうと思うなら、なにもイエスを地上に派遣してイエスを死なせるなどとややこしい小細工をしなくても、いくらでも許せるのではないでしょうか? しかも、この話を信じた者は救われるが、信じない者は救われない、と言うのでは、なおさら、神はえこひいきの神としか思えません。 クリスチャンの方々から見れば、とんでもない、不遜な質問ですが、真面目に悩んでますので、信者さんの信仰告白的な話ではなく、信者でなくても、普通の人間でも神の愛を感じざるを得ないような、具体的な「事実・事柄」を教えて欲しいと思います。 勿論、人によって感じ方の差はあると思いますが、具体的な「事実・事柄」を教えて戴ければ、それを神の愛の表れだと感じられるような人間になれれば幸せだと思っています。

  • パートナーとの関係維持のための「お財布事情」

    パートナーとの関係維持のための「お財布事情」 *この質問は,交際や結婚にかんする質問です。そのため,現在,特定のパートナーのいる方々,あるいは,過去に,特定のパートナーがいた方々に,コメントを限定させていただきます。 単刀直入に表現すると,パートナーとの人間関係を構築するために,さらには,維持するために,あなたはこれまで,どのくらいの費用を負担しましたか? (1)出会いにかかった費用 ・出会い系サイト(オンラインゲーム,など) ・お見合い(結婚相談所,など) ・ナンパ講座 ・料理教室(カルチャースクール,など) (2)交際にいたるための交流費用 ・デート費用 ・プレゼント費用 (3)人間関係の維持のためにかかった費用 ・デート費用 ・プレゼント費用 ・生活費 ・結婚式などの費用 表向きには,あるいは,タテマエとして,「愛よりもお金」と語る人々であっても,お金にかんすることを語らないわけにはいきません。どのような立場であれ,社会事情などを主な理由に,「お金よりも愛」のはずです。愛さえあれば何でも解決できるわけではありません。 つけ加えて,上記に挙げた費用を負担する(した,している)ことにたいして,どういった「意義」があるのでしょうか? 金融商品であれば,利益を得ることのできた金融商品なのでしょうか? あるいは,得るものよりも,失うもののほうが大きい金融商品なのでしょうか?

  • 地球に優しく?

    私は「地球に優しく」という言葉に対し、非常に違和感を覚えます。なぜなら、数々の環境問題で一番困っているのは人間だからです。 だから私は「地球に優しく」なんて回りくどい言い方をしなくてもいいのではないかと思います。なぜ「地球に優しく」しなければいけないかと言うと、自分たち人間のためだからじゃないでしょうか? 自分たちのためだと言ったほうが、身近な問題として受け止められ意識の向上が期待できるのではないかと思います。少なくとも私はそう思って身近なことですけどゴミやエネルギー消費に対して気を使っています。 こんな私の考えはずれてるんでしょうか?

専門家に質問してみよう