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サッカーなどの試合後の握手について

他のサイトで一度質問したのですが、答えられる方がいらっしゃらなく、こちらで質問させていただきます。 先日、高校サッカーの東京予選決勝がテレビで放映されてました。 帝京が負けたんですけど、試合後、勝利チームと1列ずつになって握手する場面で、帝京の選手は差し出された手をはじいたり、あからさまに握手に応じない姿が流れていました。 悔しい気持ちは分かりますが、スポーツマンとして、また高校生のスポーツ精神として、あるまじき行為に感じたのですが、サッカー(もしくは試合後に握手をするスポーツ)では、こういうことは結構あるものなのでしょうか? 私は試合後握手するスポーツをやったことがないもので、どなたかご存知の方、いらっしゃいましたら教えてください。 ちなみに私のやっていた球技では、強豪校だと他の高校(弱小校)に対してやたらと威圧的で、見下したような雰囲気がありました。そんな体質が関係しての行動なのでしょうか…?

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  • junichi13
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回答No.1

高校生だからこそ、悔しい気持ちがあからさまに出てしまうこともあるでしょう。 古い話ですが、甲子園で、ヤンキースの松井が連続敬遠をくらった試合後には両校の選手が握手をしなかったという話もあります。 一応のルール(?)として「握手をする」という行為があったとしても、もう試合は終わっているので、必ずしなければいけない、なんてことはないはずです。試合後の握手は競技とかチームとかではなく、良くも悪くも個人個人の人間性が出てしまうでしょう。みんなが握手してたとしても、一人だけしてない選手がいるかもしれませんし、帝京の選手の中でも握手を交わした選手もいたかもしれません。 ただ、あからさまに握手をしない、なんてことは稀にしかないと思います。

tatatatabo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。松井選手の件は握手をしない気持ちが理解できるにしても、帝京の試合はトラブルのない好勝負だったので、握手をしない選手を「勝手だな」と思ってしまいました。ご回答に納得です! あるいは顧問や指導者に責任があるように思えてきました。 ちなみに握手している帝京の選手もテレビに映っていました。握手に応じていなかった選手は2・3人でした。

その他の回答 (1)

  • MK1
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回答No.2

この試合を見ていないので、文面通りに受け取って、一般論で答えます。 > スポーツマンとして、また高校生のスポーツ精神として、あるまじき行為に感じたのですが、・・・ もっともです。ただいくつかの問題を含んでいると思います。意見としてはまさにその通りで、帝京高校の監督に「勝敗にこだわるサッカーを教える前に、高校生としての人間教育が欠けてはいませんか。礼を欠く態度は見苦しいです。」といいたくなりますが、ただ今のこうした強豪校を見ると、チームもプロ養成組織、また全国大会に勝つことでチームも個人も評価が上がる(世知辛い言い方ですが、3年生の主力選手はJ1、J2だけでなく社会人や大学への推薦・契約条件も違ってくるのです)。 本人たちも高校生というよりJリーグ候補生のセミプロ感覚でしょう。実際全国の中学からスカウトされ特待生で合宿所に缶詰になって鍛え上げられるわけです。おそらく勝敗に対するこだわりは想像を超えたものがあると思います。しかし一方、まだ17、8歳の社会人としては未熟ですから、その場面ではその「子供」の部分がでたと思います。 それを今のご時世、仕方ないとするか、教育と高校スポーツのあり方を問うかは、貴方、私、その生徒たちや高校関係者それぞれの人間観、教育観の問題だと思います。 とにかくもしサッカー協会に問えば、表向き「スポーツによる人間形成という観点から指導・教育がよろしくない」と反応することでしょう。しかし、問題としてはもっと根深い「高校スポーツとプロ養成のあり方」にそして「カネと経済的価値優先の社会の中のスポーツ」という課題が浮かんできます。ご承知のように米国ではMBLやNBAのプロ選手にはその発言や行動の社会的影響の大きさを自覚させ、その高い評価に見合ったふさわしい社会的行動を求めます。個人の自覚と抑制に期待する、それも一つの方法でしょう。高校生の彼らの人間性を信じたい気持ちはいっぱいなのですが。 この問題の根元は選手自身にあるのではないように思えます。、進むスポーツの商品化、スポーツビジネスの拡大、スポーツ番組に莫大な金をつぎ込むメディアと、結果的に一般社会とは隔絶した高額契約するスポーツ選手・・・。 こんな社会の流れに薄気味悪い危機感をおぼえるのは私だけでしょうか。まあ、そんな大それたことではない、という大向こうの声も聞こえてきそうにも思います。 また、別の観点から、もう一つの意見を付け加えますと、 日本人は正々堂々フェアプレーを尊ぶ美意識があります。ただ、サッカーのように世界規模のスポーツではルールを尊重すれば、勝つためにできる限りのことをするという「グローバルスタンダード」があります。以前日本人はずるさがないから国際試合には勝てないといわれました。最近は結構ズルくなりました。これはどう解釈したらいいんでしょう。「礼を重んじる」こととは別ともいえますが、実際、徹底的にダーティーな試合をされたので、選手たちが頭にきて握手などしなかったという国際試合も代表戦ではないけれども過去にはありました。 「大人は仕方ないが、高校生のおまえたちはやるな」果たして毅然としていえますか。 結局、我々大人の考え方と態度が問われているんじゃないでしょうか。

tatatatabo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。非常にこの件に関する視野を広げてくださいました。人間形成の不十分さや現状の問題点など、大いに納得させられました。 たとえば野球のダルビッシュ選手など、自分が注目されていることを理解し、意識し、常に公共の場では適切な行動をとろうとしているように感じます。 プロへのエスカレーター教育や勝利至上主義の教育であっても、メディアや人の目を意識する「狡猾さ」を教えることは、選手にとってとても有益だとも思います。 11人もいれば、悔しさのあまり握手をしない選手が2・3人いるのは当たり前かもしれませんね。その理由として、ご指摘いただいた大人が作った社会背景が影響していることを残念に思います。

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