• ベストアンサー

前方後円墳

ekuboの回答

  • ベストアンサー
  • ekubo
  • ベストアンサー率31% (29/92)
回答No.5

 専門家の間でも いろいろな説がありますので、これがすべてではありません。と、逃げ場を作っておいて(笑)、谷川健一の『古代史ノオト』の中の「ひさごとたまご」を教科書にして お話しましょう。  古代日本の主導権を握っていたのは朝鮮半島出身者であることは、大勢の認めるところです。韓国の慶州は、かつて新羅が都を置き、統一新羅王国を築きあげた拠点です。慶州の風景が「奈良」「明日香」と酷似していることに訪れた人は驚くことでしょう。慶州には古墳時代の名残をとどめる古墳群(円墳・土まんじゅう型)が無数に点在しています。その中に真白い「天馬」の絵が描かれた馬の鞍掛け用の布が発見され、「天馬塚」と命名された古墳があります。この天馬塚(慶州皇南洞155号古墳)から土製の壺におさめられた卵の殻が約20個が発見されました。  朝鮮の始祖神話の特徴として卵生説話があげられます。  新羅国始祖赫居世王の場合、「白馬がひざまずいているので見てみると 紫色の卵が1つあり、そこから男の子が生まれた。その卵はひさご(瓢)のようであったので朴を姓とした。ひさごを朴と新羅人は呼んだ。」というものです。  韓国の学者徐廷範氏によると、「王陵や庶民の墓が円墳であるのは、卵の形を模したものであって、卵から再生するという意味がこめられている」のだそうです。天馬塚の例は、まさしくそのことを裏付けています。  朝鮮の古墳が卵を模して造られ、再生を願うものであったとすれば、渡来人たちによってその風習が日本にもちこまれ、日本の古墳の形式に影響を与えたことは十分納得できます。  新羅王陵では、円墳の前に四角い敷石の祭壇が設けられていました。おそらく、この形式が前方後円墳の基になったと思われます。前方後円墳は、横から見ると瓢箪を立てに割ったような形をしています。つまり、ひさご(瓢)型。  卵形の円墳、瓢型の前方後円墳、ともに再生の器と考えることができます。  ここからは、私の勝手なお話です。  日本の3大前方後円墳は、仁徳天皇陵、応神天皇陵、履中天皇陵です。日本書紀によると、仁徳陵は百舌鳥野陵、履中陵は、百舌鳥耳原陵といいます。応神陵については、日本書紀に記載がありませんが、その所在地である大阪府羽曳野市は、ヤマトタケルが白鳥となって飛び去ったところとされます。また、仁徳の和風諡号は、オオサザキ(日本書紀・大鷦鷯、古事記・大雀)と鳥の名前がついています。 応神は朝鮮半島出身であろうとされます。そしてその子・仁徳、孫・履中。日本3大前方後円墳の主に鳥のイメージ。

plankton
質問者

お礼

回答していただきありがとうございます。 おぉ なんだか専門書を一冊読み終えたような充実感を感じております、 亡骸を卵に納めて後の世での再生を願う・・・神秘的ですね。 呼び方の解釈としては古代からではなく現代人の表現方法として・・・で良いのでしょうか。

関連するQ&A

  • 前方後円墳について

    以前、朝鮮半島において、前方後円墳が発見されたといった、ことがありましたが、日本では、前方後円墳がなぜ生まれたのかといった、ことが謎なんですが。日本人って結構そそっかしくて、中国の文献に、身分の高いものの墓について、上方を円く、下方を方形にとあるのを、勘違いして、散った意的に考えず、2次元的に考え、墓のむこうを丸く、手前を四角につくってしまい、前方後円墳が生まれたといった、説を聞いたことがあります。みなさんはどのように、考えられますか?

  • 前方後円のもの

    古墳以外で、 前方後円のものって、何がありますか?

  • 前方後円墳での葬送儀礼について教えて下さい

    本日21時~にBSプレミアムの「英雄たちの選択 古代人のこころを発掘せよ!」という番組で、前方後円墳について以下のように話していました。 番組: https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2021-01-03&ch=10&eid=07267&f=2647 ~~~ 古墳には権威を見せつけるためのイベント性があった。 前方後円墳では、後円部で埋葬の儀式(?)をおこなった後、新たな王は後円部から前方部へ歩いていった。 そうすると、いちばん高い後円部からくびれ部に降りたときに、地面の高さにいる民衆からは一度王が見えなくなる。 その後、前方部へ歩いてくるとまた王の姿が見える。 印象的に登場した王は、そこで民衆へ向けて言葉を述べる。 古墳とはこういう演出をする舞台だったのだ。 ~~~ というような内容でした。 本当であれば面白い話だと思ったのですが、ネットで検索したり、手持ちの古墳に関する本を眺めても、それらしき記述が見つかりませんでした。 「なんらかの儀礼の後、後円部から前方部へ歩いていって民衆の前に姿を表し言葉を述べる」 という行為が本当にあったのかどうか知りたいです。 また、本当にそういうことをしていたのであれば、その上で演出意図があったかどうかも知りたいです。 なにか参考になる情報があれば教えて下さい。よろしくお願いします。

  • 前方後円墳はなぜ出現したのか?

    前方後円墳はどんな経緯があって、またどんな原因で作られるようになったのですか?

  • 前方後円墳の方位について

    前方後円墳の方位設定の考え方は、どのようになっているのでしょうか?

  • 前方後円墳の成立時期

    最近ですが、前方後円墳の成立時期が出土した遺物のC14測定によって、一層古くなり、紀元2世紀くらいまで古くなったと聞きました。また、朝鮮には前方後円墳はないということでしたが、ある地方で見つかったと聞きました。これらは本当の事でしょうか?この方面にお詳しい方、宜しくお願い致します。

  • 前方後円墳=男根が起源?

    前方後円墳は男根の形が起源なんですか?

  • 前方後円墳はどうして鍵穴のような形をしているのか?

    前方後円墳は前が方(四角形)形で後ろが円形という変な形ですが 教科書や参考書などでは上が円で下が方という上下反対が主流ですよね、なぜ前が四角形で後ろが円なのですか? なぜあんなに幅が広い堀が必要なのですか? 古墳は森林で緑になっているところが多いですが、建造当時から森林だったのですか?

  • 【奈良・大阪】前方後円墳の全貌が見える場所は?

    奈良・大阪あたりに観光に行く予定です。 前方後円墳がいくつもありますが、ちょっとした高台などで、自分の目で、前方後円墳の「かぎ穴」の形の全貌が見渡せる場所ってあるのでしょうか?ぜひ見たいので、よろしくお願いします。

  • 伊豆諸島にある青ケ島の前方後円墳は火山の噴火跡です

    伊豆諸島にある青ケ島の前方後円墳は火山の噴火跡ですか? もしかして日本に点在している前方後円墳は火山の噴火跡を模したものだったのでは?