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水戸学について
水戸学は宗教(カルト)的な学派だったんですか? 調べてみると朱子学(儒学)と国学(古事記、万葉集や平安時代の古典)を学ぶ機関だったらしいんですが、そんな危険な学問ではないような気がします。 福沢諭吉は嫌っていたそうですが。
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いいえ。 組織や学派や宗派というものは、ときどき、時代と共に変質しますね。 創始者が持たなかった意図を、何代かあとの後継者が持ってしまう。あるいは、歴史の流れの中で創始された時点ではなかった圧力が外部からかかって来て、それに対抗していく間に先鋭化してしまう。 藤田幽谷の「正名論」を読んでもそこに「カルト」と称されるような部分はありません。(以下のURLでその本質的な部分を読むことができます)https://kakuyomu.jp/works/1177354054889451896/episodes/1177354054891186090 しかし、1825年に外国船打払令、1853年にペリー来航から開国へと、水戸学が企図していたとされる「天皇の伝統的権威を背景にしながら、幕府を中心とする国家体制の強化によって、日本の独立と安全を確保」しようという国家目標を幕府が達成できないことが明らかになってしまったので、そこから倒幕という新たな,劇的な要素が加わったようですし、また水戸学を自らの過激な行動の「大義名分」とする人々もいて、そういうイメージになったんでしょう。 諭吉さんに限らず、蘭学、洋学、実学などを学んだ人達、西洋列強の力を身をもってたたき込まれた人達の中には嫌う人が多かったそうですね。まぁ、それはそうでしょう。いつだって、実態を知っている人達はそれを知りもせず大義名分を唱える人達を嫌います。
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