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沖田総司

沖田総司は剣の実力が天才的で 土方や山南、藤堂などを 竹刀の稽古で子供扱いにしていたそうですが、 試衛館や天然理心流は当時はそれほど 評価が高くなかったみたいですし、 当主の近藤勇は真剣では強かったそうですが、 竹刀では弱かったと言いますし、 それだけの実力がありながら 彼は北辰一刀流とか、神道無念流などの 有名な道場に移籍しようとは考えなかったんでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • pri_tama
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回答No.2

 天然理心流って開祖から出稽古を重視し他所の道場に行きますし、そもそも天然理心流の強みって江戸に近いことも有って、他流派の情報を得やすいので徹底的に研究して対策を練るという点が有ります。  ですので、剣術修行の為に他の流派に移籍しなければならない必要性は薄いです。  あと、天然理心流って江戸時代後期に評価が低かった訳ではありません。 (天然理心流の近藤勇の一派(一応本家だけど…。)が、少し衰退していただけ。)  江戸時代の著名な剣術家を乗せた「武術英名録」には天然理心流の剣術家として全体の1割の64人も載っています。 (流派ごとの統計では、第3位の人数を輩出している。)  幕府が設立した講武所に、天然理心流出身の師範も居た様ですし…。

o2b32
質問者

お礼

そうだったんですね。 ありがとうございます。

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その他の回答 (1)

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (420/1308)
回答No.1

足軽の倅が剣の腕を磨くのは、世に認められて足軽から脱却する 為と思います。 腕に自信が有って、名を挙げるチャンス到来と思えば、剣の修行 より、チャンスの方に向かうのが男の生き様で無いでしょうか。 近藤勇、土方歳三、と行動を共にする事がチャンスだったのです。 この事で、沖田総司は歴史に名を残しました。 後から参加したのでは伊東甲子太郎の二の舞になっていたかも知れ ません。

o2b32
質問者

お礼

ありがとうございます

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