- ベストアンサー
初期のフォークは反体制的なものだった?
- 吉田拓郎さんが引退しましたが、1970年代後半にフォークと云うジャンルをマイナーからメジャーに押し上げたり、既存の歌謡界(アイドルや演歌歌手)に曲を提供したと云う功績があります。
- 吉田拓郎さん以前にも高石友也さんや岡林信康さん等の歌は世間に知られヒットしておりましたが、セールス的には乏しいのはマスコミに登場せず、事務所の力等が無かったためです。
- 吉田拓郎さんはデビュー当時、エレックレコードというマイナーな会社に所属していましたが、自身がプロデューサーやマネージャーとしての仕事も全て自分で行っていたからです。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
「吉田拓郎がマイナーなフォークをメジャーにした」というと、たぶんフォークファンから異論が噴出しそうな気がします・笑。 元々フォークソングはアメリカから来ました。サイモン&ガーファンクルとボブ・ディランが日本にフォークを浸透させた人たちだといえるでしょう。共通するのは文学性の高さですね。 サイモン&ガーファンクルは自己の内面を表現する曲が多かったと思います。代表曲「サウンド・オブ・サイレンス」はまさにそうですね。 そしてボブ・ディランはそれに加えて「政治的メッセージ」を多く入れるミュージシャンでした。 時はまさにベトナム戦争反対運動が全世界的に若者たちのムーブメントになっていた時代です。ジョン・レノンの「平和を我等に」がその代表ですね。そういうヒッピームーブメントの中のフォークソングだったので、日本でのフォークソングは政治性が高いものでした。質問者さんがいうように岡林さんや高石さんなどは反戦ソングを出していました。だから、フォークソングとは「プロテストソング」でもあったのです。 プロテストソングでピンと来なかったとしたら、尾崎豊がその系譜にいた人です。「卒業」や「15の夜」なんかがそうですね。だからそういう曲というのは一部の若者にはとてつもなく刺さるけれども、全員に刺さるものではないです。 吉田さんはそういう政治的メッセージを込めない曲を作ったので幅広い世代に受けましたし、テレビでも使いやすかった。テレビはそんなに偏った思想を髣髴とさせる人はそうそう使えないじゃないですか。 ただ「プロテストソングこそフォーク」と思っている人にとっては「時代に迎合した軟弱者」に見える部分はあったと思います。 80年代のロックバンドでも、レコードのセールスはそんなでもないですよ。伝説のバンドであるボウイでも、一番売れたシングル曲の「マリオネット」の売上は24万枚です。でもボウイ世代のアラフィフくらいの人たちなら、ボウイのファンではなくてもマリオネットがカラオケで歌えない人はほとんどいないと思います。私も歌えるもん。他も10万枚も売れればいいほうです。 シングルの売上がインフレを起こすのは、90年代になってからです。80年代までは全世代向けの歌謡曲と、若者向けの後にJ-POPと呼ばれるようになった曲は違う世界にそれぞれいたと考えていいと思います。
その他の回答 (2)
- sonomamadeii
- ベストアンサー率12% (289/2380)
所ジョージも「反戦歌手」ですよ!
お礼
御回答有難う御座いました。 所ジョージも「反戦歌手」ですよ 所ジョージさんの楽曲もセールス的には振るわなかったが、意味深い者があると聞いております。
- gokukame
- ベストアンサー率22% (1016/4537)
吉田拓郎の社員兼歌手と云う扱いはフォーライフの時ですよ。
お礼
御回答有難う御座いました。 >吉田拓郎の社員兼歌手と云う扱いはフォーライフの時ですよ フォーライフは社長業に専念し、歌手の活動は縮小し それで原田真二さんや水谷豊さんのプロデュースを行い 会社は持ち直したが、「商業主義に迎合」と反発し退社したのが泉谷しげるさんだったと聞いております。
お礼
御回答有難う御座いました。 >元々フォークソングはアメリカから来ました。サイモン&ガーファンクルとボブ・ディランが日本にフォークを浸透させた人たちだといえるでしょう。共通するのは文学性の高さですね。 サイモン&ガーファンクルは自己の内面を表現する曲が多かったと思います。代表曲「サウンド・オブ・サイレンス」はまさにそうですね。 確かに、サイモン&ガーファンクルは自己の表現と訳しても歌詞の文学性の高い事が伺われます。 云い得ていると思います。 >そしてボブ・ディランはそれに加えて「政治的メッセージ」を多く入れるミュージシャンでした。 時はまさにベトナム戦争反対運動が全世界的に若者たちのムーブメントになっていた時代です。ジョン・レノンの「平和を我等に」がその代表ですね。そういうヒッピームーブメントの中のフォークソングだったので、日本でのフォークソングは政治性が高いものでした。 確かに、ベトナム戦争反対運動の時代であり、その反戦を歌われた事が伺われました。 >質問者さんがいうように岡林さんや高石さんなどは反戦ソングを出していました。だから、フォークソングとは「プロテストソング」でもあったのです。 プロテストソングでピンと来なかったとしたら、尾崎豊がその系譜にいた人です。「卒業」や「15の夜」なんかがそうですね。だからそういう曲というのは一部の若者にはとてつもなく刺さるけれども、全員に刺さるものではないです。 確かに、尾崎豊さんも80年代の若者のメッセージを体現したものだと思われます。 が、万人受けする者ではない事も伺われました。 >吉田さんはそういう政治的メッセージを込めない曲を作ったので幅広い世代に受けましたし、テレビでも使いやすかった。テレビはそんなに偏った思想を髣髴とさせる人はそうそう使えないじゃないですか。 ただ「プロテストソングこそフォーク」と思っている人にとっては「時代に迎合した軟弱者」に見える部分はあったと思います。 確かに、「プロテスソング」から「生活や心理を体現したフォーク」に変わっていったのだと思います。 それが、井上陽水さんや南こうせつさん 武田鉄矢さん とメジャーで売れていく人が続いていくのだと思います。 >80年代のロックバンドでも、レコードのセールスはそんなでもないですよ。伝説のバンドであるボウイでも、一番売れたシングル曲の「マリオネット」の売上は24万枚です。でもボウイ世代のアラフィフくらいの人たちなら、ボウイのファンではなくてもマリオネットがカラオケで歌えない人はほとんどいないと思います。私も歌えるもん。他も10万枚も売れればいいほうです。 私もそうです。昔は、レコードのセールスはそう売れなかったことが伺われました。 考えれば、借りてダビングしたり、FM放送からダビングしておりました。 (前述の尾崎豊さんのデビュー~活動時期 このボウイの全盛期に小中学生でした) シングルの売上がインフレを起こすのは、90年代になってからです。80年代までは全世代向けの歌謡曲と、若者向けの後にJ-POPと呼ばれるようになった曲は違う世界にそれぞれいたと考えていいと思います。 確かに、90年代に入り余り知られていない歌も簡単にミリオンセラーを起こす様に成ったと思います。 CDの値が庶民でも買えるレベルにまで成ったと云う事なのでしょうか?