kzsIV の回答履歴

全757件中101~120件表示
  • 古本ヤケ表記に関して

    古本購入履歴三十有余年に垂んとする者ですが、今回殆ど改めてと言っていい程に、古本のヤケに関して疑問に感じる事例が生じ、御意見をお聞かせ願えればと質問させて貰います。 先ず、本題前に古本のヤケ認識は皆さん如何なものでしょうか。勿論個人差や相対的な事柄でも有り、断定は避けたいのですが、少なくとも私の内にあるヤケとは、経年や日光に晒された(保存に於いては稀でしょうが)等で、変色したものという認識でおりました。 この事を踏まえて、今回某古書店(現在書店に確認中─未だ連絡は在りませんが─でもあり実名は敢えて避けますが)で購入した古本の背ヤケが、その想像を超えて、焼け焦げていました。 その古書店に於けるヤケとはまさしく焼け焦げをも差すのかと驚きを持った次第です。 ヤケに関する認識の甘さと言ってしまえば其れまでなのでしょうが、何分このような酷い─多分に私的には─事例は初めてのことであり、実際他の方々におかれましても、こうした経験をお持ちの方がおられるのか、驚きと多少の怒り(自身の甘さ?を含めて)の内に質問とさせて貰います。

  • 思い給へしに、の「に」と「し」の判別方法

    古文の問題を解いていて 見給へむと思い給へしに、 というところを訳せとありました。 まず見給へむのむが未来系統の意味になるから上は未然形になることから 給へのへは未然形としての給へより、見給へむは「拝見しようと」 となると考えてあとは選択肢からこれを選んでもちろん正解でした。 さて、問題がその下のパート、 思い給へしに、 です。 同じようにこの給へが謙譲語か尊敬語かわからない補助動詞なのでしらべようとしたところ、 「に」に躓きました。 ということで解答を見たら「に」の上は連体形がかかるのでこの「し」は「き」の連体形である。 よって、ここのパートは謙譲語の訳になる。 とかいてありました。 … 「し」が「き」由来以降の説明は理解できますが肝心な 「に」の上は連体形がかかるので。 が意味不明でわかりません。 には様々な形が考えられて、連体形なのか、連用形なのか?体言なのか、あるいはナ変の動詞なのか?などを判断して「に」が何由来かを考えるとは知っていましたが、 「に」の上は連体形だから とどうしてこの部分ではそういいきれるのでしょうか。 解答はあっていても全部理解できていないので非常にもやっとしています。 急いではいないので丁寧な解答解説をご指導いただきますよう謹んでお願い申し上げます。

  • 高校の古典です。

    高校の古典です。 古典の助動詞の活用の問題で活用のさせ方がわかりません。 例えば さようの人の祭見(き)さま、 で(き)を活用させて答える問題なのですが、 どう活用すればいいのかイマイチわかりません。 活用表は覚えてますが、うまく使えません。

  • 数詞が助詞ではないのはなぜですか

    『数詞(すうし)とは、数を表す語である。言語及び数詞の種類により、名詞、形容詞、限定詞などの下位の品詞に分類されるが、その性質は独特である。文法上の数とは異なる。』~Wikipedia「数詞」 この『名詞、形容詞、限定詞などの下位の品詞に分類される』ということならば品詞のひとつだと思います。 しかし以下リンク先の11の分類 http://国語文法.com/%E5%93%81%E8%A9%9E%E3%81%A8%E3%81%AF.html の品詞の中には数詞がありませんが数詞という語は存在します。 数詞には下位に種類があるそうで、たとえば基数詞(日本語の「いち」、「に」、「さん」)、序数詞(第二、第二回)などいくつかありますが品詞として独立していないのは、『名詞、形容詞、限定詞などの下位の品詞に分類される』とおり、数詞は名詞、形容詞など、いずれの品詞のなかに存在する(つまり抽象的である)ゆえに品詞として扱われないのでしょうか?

  • 数詞が助詞ではないのはなぜですか

    『数詞(すうし)とは、数を表す語である。言語及び数詞の種類により、名詞、形容詞、限定詞などの下位の品詞に分類されるが、その性質は独特である。文法上の数とは異なる。』~Wikipedia「数詞」 この『名詞、形容詞、限定詞などの下位の品詞に分類される』ということならば品詞のひとつだと思います。 しかし以下リンク先の11の分類 http://国語文法.com/%E5%93%81%E8%A9%9E%E3%81%A8%E3%81%AF.html の品詞の中には数詞がありませんが数詞という語は存在します。 数詞には下位に種類があるそうで、たとえば基数詞(日本語の「いち」、「に」、「さん」)、序数詞(第二、第二回)などいくつかありますが品詞として独立していないのは、『名詞、形容詞、限定詞などの下位の品詞に分類される』とおり、数詞は名詞、形容詞など、いずれの品詞のなかに存在する(つまり抽象的である)ゆえに品詞として扱われないのでしょうか?

  • 「の」と「が」の使い方について

    君の便りが/嬉し悲しき を 君が便りの/嬉し悲しき と書いた方がどこか語感的にしっくり感じるのは間違いですか。 歌の歌詞なんかに「の」と「が」を逆に使った例があったような気がしますが、これは日本語として間違いですか。

  • 連歌毘沙門の一部分について

    連歌毘沙門の一部分について教えて頂きたいです。 『本文』 某がいふさへさやうにいう、おこせいありようにして分てやらふ と云って、 わたすまねして、とりて 先づ見事なありのミでハないか、是はやる事ハなるまひ 一たび下されてから、取かへさせらるるといふ事ハあるまひほどに、下されい 是ハ戯言じや、さあらハ小刀があるかおこせい われももたぬ~といふ ぶたしなミな者どもじや、さらハほこにてわらふが、さびたらハとがさなるまひが、 研賃ハ何とせうぞ それは両人いたさうといふ それまでもない、 此ほこハ、なんばの鉾とて、かくれもなひほこじやによつて、さびもせぬよ 『訳』 私がいうにそのように言う。( )な有様にして分けてやとうといって、 渡す真似をして取り、何はさておき見事な有の実ではないか。これはやることは(することは)ないだろう。 一度お与えになってから取り返されるということはありはしないだろうほどにいただき これは冗談だ。それなら小刀があるかどうが( )私も持たないという。 用心の足らない者たちだ。皿は鉾で割れるが錆びていれば研がなければいけないだろうが、 研賃は何と言うか。それは二人が居たようだ言う。 それまでもない、この鉾は南蛮の鉾でも人目につかない鉾であるからさびもしないよ。 という風に訳したのですが今一つきちんと中身が分からず、訳もあっているのか分かりません。()の部分もどのように訳せばいいか辞書を引いたりして考えたのですが、そちらも分からずじまいでした。私自身勉強不足なことを重々理解しています。ですがどうにも頭を悩ましておりますので、どなたかお力添え頂けないでしょうか。

  • ◆文章の意味が分かりません

    「good(善)」と「ought(義務)」という2つの言葉の意昧には密接な関連がある。このことは道徳以外の分野を考えると明らかである。しかしそうする場合,我々は単にこの2つの言葉の意味を比べることによって分かることを知ろうとしているに過ぎないということを覚えておくことが重要だ。我々が当然知っているように,この2つの言葉は多くの異なった状況で,また様々な意昧で使われている。別の文脈から意味を推測して,例えば善は健康に等しく,悪は病に等しいと考えるなどして,その意味を単純に道徳に当てはめるという間違いに陥らないことが重要である。我々はこのような類推から「善」と「悪」の道徳的概念について何かを知ることはできるが,我々が全てを知ることができるわけではないのは間違いのないところである。 ◆この文章の意味が分かりません。噛み砕いて教えてください。

  • 和歌の添削をお願い出来ましたら幸いです。

    「つれなきは 水底をこそ知らざらめ 糸を求むる魚もはべらむ」 貴方がつれないと言う事と魚が釣れないと言う事を掛け、糸の様な細い関係でも繋がっていたいという気持ちを和歌にしてみました。古語の係り結びの法則等、文法的に合っているかどうか教えてもらえると嬉しいです。

  • 「かぶれる」を漢字にすると

    皮膚が荒れてかぶれる時の「かぶれる」を漢字にすると どう書きますか?

  • 「4よん・7なな・9きゅう」と呼び始めたのはいつ?

    いち・に・さん・し・ご・・・は中国の数え方を拝借しており 本来の4、7、9の読み方は「し、しち、く」であると聞きました。 「し」ですと「死」を、「く」ですと「苦」を想起させる、 「しち」は「いち」と間違えやすいなどの諸説により 「よん(よ)、なな。きゅう」も追加されたようですが 日本でこの「よん(よ)、なな、きゅう」を合わせて読むようになったのは いつ頃からでしょうか。 その件にまつわるエピソードなどをご存じでしたら、ぜひ教えてください。 よろしくお願いします。

  • 「頭子音」とは、何ですか?

    「頭子音」とは、何ですか? 「母音」と「子音」はわかります。 説明できる方、ヨロシクお願いいたします。

  • 日本語を学ぶ外国人から質問されました。

    A「セミの声を聞くと、あの懐かしい夏の日々が思い浮かぶ。」 という文を読んだことがあります。ところが、それと同じ構文で、 B「日本と聞くと、外国人は富士山が思い浮かぶだろう。」と書いたら、日本人に、 C「日本と聞くと、外国人は富士山を思い浮かべるだろう。」と訂正されました。 どうしてですか? なぜ、Aは正しくてBは変なのでしょうか。 答えられなくて困っています。皆様のご意見をお聞かせください。

  • 画像にある一行の字と意味を教えて下さい。

    画像にある一行の字と意味を分かる方、 すみませんが教えて下さい。 よろしくお願いします。

  • この国語の問題解けますか?

    この国語の問題解けますか? まず、言語表現にたいする不信と絶望を前提にしなければ、作品に自己の全存在を賭けるなどという無謀な決意も、生まれてくるわけがないのである。 ふつう、日常が安定してみえるのは、表現と現実の一致感に支えられているからだろう。その一致感が破れた時、すなわち、表現に対する不信が生じたとき、ちょうどクモが巣のほころびを、つくろいはじめるように、作家も創作本能を働かせはじめるのだ。表現から逃げ去っていく現実を追って、あたらしいクモの糸を吐き出しはじめるのだ。 むろんそれも、破られたのと同じクモの糸である。けっして、鉄の糸でも、グラスファイバーの糸でもない。いくら、つくろい続けたところで、再び安定して日常を取り戻すことなど不可能だろう。不可能を承知で、しかもつくろいつづけなければならないのだ。いや、不可能だからこそ、つくろうという行為が、賭けるに足る仕事にもなりうるのである。…… 問い 言語表現は現実を絶えず取り逃がすが、それでも作家はその言語表現に賭けるしかない。 ↑は本文の内容に合致してますか?してませんか?

  • 「ではあった」について教えてください

    「 修道院が建てられ始めた頃、ロレンスはその新しい顧客《こきゃく》の匂《にお》いに期待していたのだが、どうやら修道院は在野《ざいや》の商人を介《かい》さず独自に物資を調達しているようで、ロレンスの期待は儚《はかな》くも散ったのだった。  とはいっても彼らは贅沢《ぜいたく》をせず畑も耕すので、商売ができたとしても実際の実入《みい》りはかなり少なかったりする。その上、無理やり寄付《きふ》をさせられたりケツを踏み倒されたりもするので考え物だ。  単純な売買の相手としては盗人《ぬすっと》よりも性質《たち》の悪い相手ではあったが、それでも彼らと商売をすれば商人にとって都合の良いことがある。  そんなわけでロレンスは未練《みれん》がましく修道院のほうを見ていたのだが、不意に目を細めた。 修道院のほうで、誰かがこちらに向かって手を振っているのだ。 」 こんにちは 日本語を勉強している中国人です それはライトノベル「狼と香辛料」の一部です その「性質の悪い相手ではあったが」の「ではあった」は「過去からそんな相手であった」という意味でしょうか。それを「回想」と理解すればいいんですか。 どうか教えてください、よろしくお願いします

  • 文書の内容日本語

    これまであった先生や家族や、先輩、友達の中に、あの人に対して恥ずかしい事はできない、と思う人があるはずです。小さい事であれ、自分が嘘をつきそうになる時、ほんの短い間でいい、口をつぐんだままでいるのです。そして、あの人が今自分を見つめているとして、この嘘をついていいか、と考えてみる事です 私の場合、そういう人たちとして、大学でフランス文学を教わった先生や、優れた音楽家だった友人や、またこの人は外国人ですが、白血病と闘いがら文学や世界の問題に確実な考え方を示している学者の友人があります このん文章の私の場合は"あの人(先生など)に対して恥ずかしい事はできない" 賛成ですかまたは否定 "そういう人たちとして"->そういう人たちはどんな人ですか 自分が嘘をつきそうになる時->誰ですか 少し文の内容はあまりつかめません:( 著者は何か言いたいですか

  • 短歌 意味

    学校を休んでいたため 授業を受けられず、意味が全く理解できていない状況です PCをみたりもしたんですけど、全く分かりませんでした 1つめは 紫草の にほへる妹に 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも 意味は、PCだと 紫草のように香れる君がもし憎かったなら いまは兄の妻の君を どうして恋い慕うことがあるものか と、書いてありますが「あるものか」の使い方が分かりません あと、「君がもし憎かったなら」はどっちがどっちを憎いんでしょうか? 「あるものか」をさらにわかりやすくするとともに 解説もお願いします

  • 「~やしない、~やいかに」の『や』?

    ~やしない ~やいかに このように『や』をもちいる慣用的表現をよく聞きますよね。 その度にこの『や』は何なのか疑問に思うのです。 辞書等をあたるも正確な答えにたどり着けず、今回質問させてもらいました。 「~やしない」の『や』 「~やいかに」の『や』 それぞれの『や』についての意味、品詞(古語?現代語?)などについてお教えください。

  • 形容詞の時制、よく分かりません

    皆さん、こんにちは 日本語を勉強している中国人です。 小説の「狼と香辛料」には 「 下男には見えない。彼らはこげ茶色の汚い作業着を身にまとっているからだ。手を振っている者はねずみ色っぽい衣服に身を包んでいる。わざわざそちらに行くのは面倒くさかったが、無視すると後々問題になりかねない。ロレンスは仕方なく馬の進む方向をそちらに向けた。」という地の文があります。 よく分からないのは「面倒くさかった」の時制です。 「そちらに行く」のはたぶん未然のことなのに、なぜ過去形の「…かった」を使うのですか。 よろしくお願いします。