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定冠詞は「全体」を表すか。

冠詞についての質問です。少し専門的になる部分がありますがご容赦下さい。  定冠詞theは指示方法に関しては「限定」を表し、指示範囲に関しては「全体」を表す、という言い方をこれまでよく聞いて/読んできました。 でも、私としてはもう一つしっくりしません。たしか、この話は、定冠詞が話し手と聞き手の共有知識内の唯一のものを指し示すという議論から発展したものだったように記憶しています。その話から入ります。 たしかに、The book I bought at the store was interesting. というように、もともと数えられるものであれば唯一のものを指し示すという説明が可能ですが、数えられないものの場合は、唯一のものという言い方ができません。複数名詞の場合もできません。  <定冠詞theは唯一物を指示する>という言い方は数えられないものや複数名詞に適用しにくいわけですが、そうした事態に対処するためにひねり出したのが「全体」を指示するという言い方だったのではないかと思います。  では、具体的な分析に入ります。 The water dried up. において、たしかにthe waterは「水」の全部を表します。でも、これは定冠詞の働きによるものではなくて、upという語句と文脈に加勢されてのことだとも言えます。Shall I drink the water? において、waterが大きな水瓶一杯の水を指して行われた発言であれば、the waterが全体を指すことはありえません。 数えられない名詞が物質の場合を例としてあげましたが、抽象観念(抽象名詞)の例は割愛します。 つぎに、複数名詞の場合です。I gave back the CDs I borrowed from my friend. においてはたしかにthe CDsは全部を表します。ただし、「全体」の意味は文脈から生じたものではないかと思います。特別の事情がない限り全部を返却するものと思われます。 Would you come to New York with me? No thank you. The people are unfriendly, and talk too fast for me. において、the peopleがその国の人たち全員を表すとは思えません。 おそらく、「全体」の意味は語用論的に発生したものでしかないと言えそうな気がします。 では、数えられないものと複数名詞の場合に<定冠詞theは唯一物を指示する>という言い方ができないという事態をどう打開すればいいのかという問題になります。  結論として言うと、どこまでも<唯一のものを指し示す>という言い方で押し通せばよいのではないかと思います。 例えば、The water dried up. においては、話し手と聞き手の共有知識空間において問題とされる唯一の物質を指示する、と言えばいいように思います。また、The people are unfriendly, ---においては、話し手と聞き手の共有知識空間において話題化されている唯一の集団を指示する、という言い方でどうでしょうか。 以前、In autumn the leaves turn yellow and red. において、the leavesが全部の木々の葉を意味するかどうかをネイティブに質問したことがありました。前後の文脈を示しませんでした。文の雰囲気から、秋の風物について述べられていることがわかると思うし、北半球での出来事だということと、常緑樹が話題から除外されることは明らかだと思ったからです。 反応が割れました。all the leavesだと答えた人もいましたが、some of the leavesだと答えた人の方が多かったことを覚えています。 また、It is said the Americans are friendly people. において、the Americansが全体を表すか尋ねるとこれまた反応が割れました。all of the American people とmost of the American peopleとAmerican people in generalとがありました。 the複数名詞が全体を表すという見解を、少なくともネイティブ達の全員が共有しているわけではないと感じました。 たぶん、全体を表すかどうかは、指示されるものの性質、または文脈や状況によってそのものが分割可能かどうかということで決まるのではないかと思います。 The United States of America voted against the proposal at the United Nations General Assembly. において、the United Statesは分割不可能なので全体を表します。これはかなり集合名詞的な表現ですが。crewやteam同様に、要素(成員)内の結合力が強いものは分割不可能だということだと思います。 The water dried up. やI gave back the CDs I borrowed from my friend. においては、the waterやthe CDs の分割は可能ではあっても、状況的に見て分割はそうとうやりにくいはずです。  The people are unfriendly, ---においてはthe peopleに結束力があるとは思えません。全体を表すことはないと思われます。 以上、これまで空間形式による認知の場合を取り上げましたが、今度は時間形式による認知の場合をとりあげます。 I was a second year college student at the age of 19. において、日本の場合は、the ageは19歳の年の全体を表すのが普通ですが、I first met him at the age of 19. においては、the ageは19歳の年の中の時間幅が意識されない時を表しているはずです。前者は分割不可能な時間を、後者は分割可能な(細分化してとらえることが可能な)時間を表しているように思います。  The construction of the airport was a great success. においては建設事業の全体について述べていることは間違いないと思います。a great successと言ってるくらいだから、中断はありえないことです。逆に言えば、戦争とか資金難とかで中断(分割のバリエーション)という事態がありうる場合は、全体を指し示すことがやりにくくなるということです。 The construction of an airport is always my great concern. と言うとき、建設事業・作業の全体に関心が持たれているとは限りません。 また、The arrival of the train was delayed. においては、the arrivalは時間幅が意識されない出来事なので、分割不能ではあっても全体という言い方は困難です。 the constructionもthe arrivalも話し手と聞き手の共有知識空間において唯一関心が注がれている出来事だと考えた方が良さそうに思います。  これまで、the名詞が特定のものを示すケースを扱いましたが、一般的なものを表す場合、つまり総称表現の場合を考えてみます。 The lion is a wild animal. と言う時、the lionは種族の全体を指し示すと言われますが、たしかにその通りです。 でも、全体を指し示すことを可能にするのはtheの働きと言うより、文脈によるところが大きいと思います。例えばThe lion is hungry.では種族全体を表せません。種族全体を表すような文脈が必要なはずです。The lion is a wild animal. においては、a wild animalという種族を表す上位概念が明示されている上に一般的な事実を述べるのに適した文が使用されています。 総称表現のthe lionはlion A, lion B, lion C ---などの持つ個々の差異が捨象されて、それらの共通部分だけを持たされたlion X を指すのであれば、唯一的に特定できるものだと言えると思います。(lion A, lion B, lion C ---のイメージはライオンのもつ共通部分+個別の差異を表しますが、lion X のイメージはライオンのもつ共通部分だけです) また、他の野生動物との対比においてlionが唯一的に焦点化されるためにlionにtheがつくとも言えます。  このように、theを使った総称表現においても、theが全体を表すと言うより、唯一のものを指し示すと言った方がよいと思います。  以上、定冠詞が全体を表すという説に反論を示しました。結論として、定冠詞は何かを唯一的に指し示す働きがあるということになりました。ご意見を伺えればありがたいです。

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  • Nakay702
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かねてお知らせをいただいた疑問点に関するご投稿を拝読しました。 ご指摘そのものは、局所的に見れば概ね妥当な内容とお見受けしますが、その局面だけに限定せず、もう少し広い視点から俯瞰すると、幾分異なる解釈像が浮かび上がってくる可能性があると思います。例えば、 >I gave back the CDs I borrowed from my friend. においてはたしかにthe CDsは全部を表します。 ⇒と、このように仰せですが、失礼ながら、この場合の定冠詞theは「全体」というよりはむしろ「友人から借りた(CD)」という「限定」を表しているように見えます。このような限定・特定の機能が優先していることによって、友人から借りたCDの全部を返すのか一部を返すのかといった区別などには言及しない、つまり「全体とか部分とかということには関知しない」表現だと思います。この前後の文も、「その水瓶に入っている(水)」・「ニューヨークの(人々)」という限定がかかる表現なので、大同小異これと類似の状況内容と感じられます。ひと言で言えば、「これらの文のtheは、限定(だけ)を表している」ということになると思います。 このことから、《ある構文におけるtheが「限定」を表すと確定される場合、パラダイムとしてのtheが可能性として持っていた幾つかの意味機能から1つが選択されたということで、同時にそれは、他の機能が排除された、ということも意味するのであことになる。いったん「限定」というに意味機能が確定したら、そのtheは、それ以外の、例えば、「全体」とか「部分」の区別などには関わらない。要するに、theが二重の意味機能を同時に満たすことはない。たまたま2つの意味が重なっても、それは単なる結果に過ぎない》と言えるわけで、これ錯覚を起こしやすい事柄なので、よく認識することが必要だと思います。 >結論として言うと、どこまでも<唯一のものを指し示す>という言い方で押し通せばよいのではないかと思います。 ⇒なるほど、上記の「友人から借りたCD」などでのtheの用例は、(下記〔表1〕の)限定系のうちの用法(2)に該当しますね。この〔表1〕で分かるとおり、theの機能としては「限定」が大部分を占めるので、この状況を見れば「唯一のものを指し示すという言い方で押し通す」ことが絶対不可能とは申しませんが、他方、用法が多様化した現代英語に鑑みれば、かなりの無理ないしこじつけが出てくることも懸念されます。 文法書によると、定冠詞theの用法は大ざっぱに分けて、(1)前に一度出た名詞を「その~」と繰り返す場合、(2)前後関係などからそれが何を指すかはっきりしている場合、(3)ただ1つしかないと考えられるもの、(4)形容詞の最上級や序数の前で、(5)同じ種類のものを代表して表す場合、(6)習慣的に定冠詞をつける固有名詞がある(海・川・山・公共施設、国家・民族など)、(7)後に続く句や節で特に限定されている場合、(8)the+形容詞等で複数名詞や抽象名詞の意味になる、(9)複数名詞の前について特定のものの全体を表す場合、(10)慣用句の中で用いられる場合、などに区分されます。―〔表1〕 これらのうち、(1)(2)(3)(4)(6)(7)は「限定」系で、(5)(9)は「全体」系、(8)(10)は特殊系ということになると思います。英語史上、定冠詞theは中世のころ指示詞から派生したとされるだけあって、限定系が多いのは道理、というところですね。とはいえ、定冠詞と不定冠詞とが一対になって相関し、用法が多様化し、体系化してきている現代、すべてを限定機能に集約できる状況でもなくなっている、ということもまた事実です。 >It is said the Americans are friendly people. において、the Americansが全体を表すか尋ねるとこれまた反応が割れました。all of the American people とmost of the American peopleとAmerican people in generalとがありました。the複数名詞が全体を表すという見解を、少なくともネイティブ達の全員が共有しているわけではないと感じました。 ⇒この英文は、上で見た表1の用法(6)の「限定」用法で、all of ~やmost of ~などの違いは個人的な印象の違いで、theの語法とはさほど深い関係はないと思います。このような文法論・意味論を考察する際、個人語すなわち、個人間のパロール的な誤差を無視せよなどとは言わないとしても、その前に、言語の社会慣習から見たラング的冠詞体系をしっかりおさえておく必要があるとは言えるでしょう。重視すべきは、むしろこの観点ではないでしょうか。 英語史上、定冠詞に遅れて不定冠詞が数詞から派生するに及んで、この両冠詞が組み合わさって作る「限定:非限定、全体:部分」という相対性や対照性の図式が成立するに至りました。その構造は、〔定冠詞対不定冠詞×指示範囲対指示方法〕を縦横に配置した表を描くと、枡が4つでき、その一つ一つに意味機能の中味が入る、という格好になっています。 ................................................................................................. 左上〔定冠詞×指示範囲〕:全体「~というもの」。 左下〔定冠詞×指示方法〕:限定(特定・既知)「例の・その」。 右上〔不定冠詞×指示範囲〕:部分「一つ(幾つか*)の」。 右下〔不定冠詞×指示方法〕:非限定(不特定・未知)「ある~」。 ―〔表2〕 .................................................................................................. 画面上の制約の関係でうまい図表にできなくて残念ですが、2行×2列の市松模様というか格子縞の図表をイメージしてください。 >theを使った総称表現においても、theが全体を表すと言うより、唯一のものを指し示すと言った方がよいと思います。 ⇒お言葉ですが、このThe lion is a wild animal.のTheは「代表」という形で全体を表す用法だと思います〔表1中の(5)〕。この用法の典型例が、有名なThe whale is not a fish.です。 ちなみに、全体を表すもう一つの用法、表1(9)複数名詞の前について特定のものの全体を表す場合の例として、ある参考書に、They are the teachers of our school.は先生の全部を指し、They are teachers of our school.は一部を指す、という説明が載っていました。 蛇足的補足:英語には不定冠詞の複数形はありませんが、英語以外の印欧語のほとんどにはそれがあります。その歪形というか非対称性を補って考える形態論学者は、例えば上例文の後者をThey are φ teachers of our school.のように書くことがあります。この「φ」は「ゼロ形態」といって、「無形の」不定冠詞複数形がここについている、と想定するのだそうです。そうすると、表2の3行目で示した「一つ(幾つか*)の」のカッコ内が生きてくるので、均整がとれる、ということのようです。 >以上、定冠詞が全体を表すという説に反論を示しました。結論として、定冠詞は何かを唯一的に指し示す働きがあるということになりました。 ⇒定冠詞が限定を示すとするのは結構ですが、それだけに焦点化することには若干抵抗感があります。文法説明というのは実際の運用状況を後追いして、規則化や体系化を計ります。ということは、古英語の時代ならまだしも、定冠詞の用法が多様化した現代にあっては、少なくとも2つの機能(限定と全体を表す)を認めるのが文法の体系的理解のためにはより具合がよいと思います。 文法論は共時言語学の下位分野ですので、現行の言語状況を「論理的に、包括的に、首尾一貫させて、全体的整合性をもって、疎漏なく、かつなるべく経済的に」体系づけなければなりませんが、その意味から言っても、この(定冠詞theの意味機能)の定義問題は、「表2に立脚して、2つの機能(限定・全体)を措定する」のが最も妥当な判断である、と言えるものと考えます。 ご期待に添えなくてすみませんが、以上ご回答まで。

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質問者からのお礼

ご丁寧な回答、ありがとうございました。 <いったん「限定」というに意味機能が確定したら、そのtheは、それ以外の、例えば、「全体」とか「部分」の区別などには関わらない。要するに、theが二重の意味機能を同時に満たすことはない。たまたま2つの意味が重なっても、それは単なる結果に過ぎない》と言えるわけで、これ錯覚を起こしやすい事柄なので、よく認識することが必要だと思います。> --私の迷妄でした。ご指摘ありがとうございました。 <このような文法論・意味論を考察する際、個人語すなわち、個人間のパロール的な誤差を無視せよなどとは言わないとしても、その前に、言語の社会慣習から見たラング的冠詞体系をしっかりおさえておく必要があるとは言えるでしょう。重視すべきは、むしろこの観点ではないでしょうか。> --おっしゃるとおりだと思います。 <定冠詞の用法が多様化した現代にあっては、少なくとも2つの機能(限定と全体を表す)を認めるのが文法の体系的理解のためにはより具合がよいと思います。> --納得です。というか、自分の勉強不足ぶりを痛感しました。 英文法の勉強は市販の文法書を渉猟しただけなので(といってもかなりの分量でしたが)生半可な理解と知識しか得られていないのだろうと思います。当方は大学受験の教科指導に必要なレベルをそこそこ超えた水準までは習得しておこうと、授業その他の合間を縫って労力を文法学習にかけてきました。もちろん、本格的な勉強に取り組む余裕はありませんから、音韻論にしても、統語論にしても、意味論にしても、どれも一定の知識を得た時点でそれ以上踏み込まないというやりかたをとってきました。それゆえ、獲得知識が生半可なものとなって、独断と思いこみを排除できない事態になっている可能性があると思っていましたが、案の定でした。  私の迷妄を正して頂き、ありがとうございました。 ところで、最近の私の質問投稿は冠詞と関わることが多いのですが、私の文法学習において最大の難関だった冠詞について、一度総整理を行ってみようと思い立ち実行しているところです。 ところが、自分でも不分明なところがあることに気づいて、不分明さを解消できるものならそうしようと思ったわけです。専門家の方に指導して頂いてラッキーでした。今回のご指摘を受けて、冠詞の体系的理解に少し時間をかけてみようと思います。     なお、近いうちに、前置詞atの働きについて質問を投稿します。よろしければ、またおつきあいして頂けるとありがたいです。私には、前置詞は冠詞の次に難物なのです。ありがとうございました。

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    特許の明細書の翻訳をされている方々にお聞きします。 それは、明細書内での定冠詞の用法に関してです。例えば、初出の名詞でも図面から1つしかないもの、例えば、「装置上1つしかない中心点を通る線」の「中心点」を表す場合、"a line passing through the center of a device" というふうに、"the center" というように定冠詞を用いるのか、または"a center of a device" というふうに不定冠詞を用いるかについてです。 発明協会発行の「米国の特許明細書の書き方」を参照すると、明細書中は、初出の名詞には不定冠詞を用い、既出の名詞には定冠詞を用いる。このルールは厳格であるという説明がなされています。このルールは、学校で学んだ冠詞の用法や、科学技術英語の冠詞用法とは違うような印象があります。どうも特許の明細書だけのルールのようです。科学技術英語は、学校で学んだ冠詞のルールそのままのようです。 今まで私は、1つしかないような「中心点」、「垂直方向」、「前面」についても、不定冠詞を用いてきました。例えば、初出の場合は、"in a vertical direction" として、その後は、"in the vertical direction" にするということです。そもそも「垂直方向」は特別な環境下にいない限り地球上で1つしかない方向なので、"in a vertical direction" という表現には違和感を感じます。("a vertical direction","a first direction","a second direction" など、様々な方向を議論するなら、"a vertical direction" もあり得るので、時と場合によりますが。)これは私の考えよりも事務所の考えでした。しかし、この例のような冠詞の使い方は、どうももすっきりしないのです。 皆さんは、定冠詞と不定冠詞との基準はどうなさっていらっしゃいますか?

  • カテゴリーと外延と冠詞の関係について

    外延とは辞書の定義によれば、概念が適用される事物の集合のことです。外延はカテゴリーの成員(タイプの実例)のことです。又、外延は漠然としたものではなく具体的なものです。それを実体(実物)と呼んでおきます。今回の議論においては、抽象的なものに見えても、言語使用者に具体的な影響を及ぼすものであれば実体であると見なします。それは空想の産物であっても構いません。結局、実体でないのはカテゴリーのみという考え方で議論を行います。  今回の質問は外延と冠詞の関係がどのようなものかということですが、これからこの件について説明を始めます。おかしいと思われることがあればご指摘をお願いします。今回の投稿における例文は辞書の記述を利用したもの以外は自作のものです。ネイティブチェックも受けていません。  外延と冠詞の関係について、物質名詞(water)、抽象名詞(love)、固有名詞(John Smith)、普通名詞(lion)について見ていきます。今回の議論においては形容詞1語が付加された形は扱いません。どうしても限定語句が必要な場合は前置詞句又は関係詞節を使います。 waterという概念に対応する外延はたくさんありますが、そのうちの冠詞と関係するケースを挙げてみます(無冠詞も含みます)。--- water (実体としての不定量の水), some water (実体としての一定量の水), the water (実体としての特定の量の水), a water (空間的にひとまとまりと見なされる水の集まり-すなわち湖-可算名詞用法) ---ここで使われたsomeは具体的な量を示さず、単に一定量を表すしるし(不可算名詞につく冠詞)のようなものです。フランス語の部分冠詞に相当するものです。 カテゴリー用法の例文を挙げておきます。Water is a clear pure liquid. 同じようにloveの外延を挙げてみます。--- love (実体としての不定量の愛) 、I felt love for her.と言う時、なにがしかの愛を現実に感じているので実体と言えます(目に見えなかったり触れることができなかったりするものは実体ではないとする見方は、ここでは採用しません)。他の外延としてはa love (可算名詞用法)がありますが限定語を伴います。例えばa love of artとか。他にthe love she lostなど。some loveという言い方もあります(一定量の愛情ですが、もちろん実体です)。カテゴリー用法の例文です。Love is strong affection for another arising out of kinship or personal ties. (Merriam-Webster) John Smithの場合外延は2通り考えられます。John Smith をある文化環境における唯一の人物ととらえると、固有名詞用法です。外延はJohn Smith一人だけです。一方、文化環境による属性の違いを考慮しない場合は、外延にJohn Smithが多数いることになりますが、属性として「John Smithという名の人」だけを持ちます。これが普通名詞用法です。その場合、外延は{a John Smith, a John Smith, a John Smith ----}という集合です。 カテゴリー用法は両用法において共通のものになります。例えばJohn Smith is (a commonly-used noun demonstrating) a male person in English speaking countries. とか、My uncle's name is John Smith, not Joe Biden. を挙げておきます。カテゴリー用法は両用法において共通のものであるとする私の説が正しいかどうかと、上に挙げたカテゴリー用法の例文が適切なものかご意見を伺いたいと思います。  なお、some John smithは使えません。waterやloveと違って、カテゴリー全体のうちの部分を言い表せないからです。 限定語のつかないthe John Smithも使えません。John Smithは唯一の実物を指し示す名詞であると言語共同体によって承認されているので、これ以上そのような性質を持つもの(定冠詞)を付与することはできません。よって、"You said you saw John Smith at the station a few minutes ago, but he / John Smith is here now". において、he / John Smithの代わりにthe John Smithを使うことはできません。 The John Smith I talked with today was not the John Smith I met 10 years ago. においては、John Smith は普通名詞として表現されています。2人のJohn Smithが同一人物である場合と、別人である場合とが考えられますが、いずれにしても、文中のtheには指し示す働きはありません。単に、特定のものであることを示しているだけです。 普通名詞(lion)について見ていきます。 野生動物であるライオンの概念は無冠詞のlionです。その外延で、冠詞がつき、かつ限定語がつかないものはa lion, the lion, the lionsです。冠詞がつかないものとしてlionsがあります。 ところが、ライオンのカテゴリーを表すものは無冠詞のlionではなく、a lion, the lion, lions, the lionsです。ということは、概念であるlionに対応する外延としてのa lion, the lion, lions, the lionsが拡張用法的にカテゴリーを表していることになります。おそらく、定冠詞と不定冠詞が登場して以降、数えられるものには(たとえカテゴリーであっても)冠詞をつけるべきだと考えられたのだろうと思います。そうなると、外延のa lion, the lion, lions, the lionsを使ってカテゴリーを表すしかなかったのだろうと推測されます。 もちろん、もともと外延として使われるものなので、よほどの文脈的な支えがなければカテゴリーを表すことはないはずです。 a lionは一頭一頭の個別のライオンを表すので、カテゴリーを表現する際には、どのライオンにも共通する基本的・本質的性質を表すことにしたものと思われます。A lion is a large wild animal of the cat family with yellowish-brown fur. (Cambridge Dic.) また、the lionは唯一のものを指すので、(ライオン族の持つ典型的な属性を備えた)ライオン族の代表を表すことにしたのではないかと思います。a lionと違って抽象的な表現です。 冠詞の解説書には、ライオン族の代表つまり唯一のものを指すからtheがつくという言い方がなされていますが、実際はその逆だったのではないかと思います。つまり、もともとthe lionをカテゴリーを表すために使おうという意図があって、定冠詞を使うからには唯一のもの、すなわちライオン族という一つの種族-を指すしかないという考えだったのではないかと思います。この考えはいかがでしょうか。The lion is a wild animal that preys on the zebra. というふうに上位カテゴリー(ここではwild animal)が明示されている方が、分類学上の種族を表しやすいと思います。   lionsも無冠詞lionの外延でありながらカテゴリーを表します。カテゴリー表現として一番よく使われるものはこれです。lionsはsome lionsと違って数量的には不定のものですが、カテゴリー表現として使われる時は不定であってもかなりの多数集団を表します。実物のイメージを残しています。基本的・本質的性質に留まらず、ライオン族の属性や状況を一般的に表すには、単数より複数の方が安心感が得られたのではないかと思います。Today lions are found in Africa and northwestern India. the lionsは外延ですが、「そのライオンたち」という集団を種族全体にまで広げた時に使われます。種族全体を表すので一応カテゴリー表現であると言えますが、実物のイメージも残しています。Some zoologists say the lions will die out by the beginning of the next century. 以上ですが、記述におかしな点はありませんでしたでしょうか。議論の前半は、物質名詞、抽象名詞、固有名詞、普通名詞について外延と冠詞の関係を俯瞰しました。後半では、普通名詞のカテゴリー用法について考察しました。

  • 定冠詞、無冠詞を教えてください。

    Cherry blossoms or falling leaves? (エッセイのタイトルです) 1:Japanese students may soon be staring out THE classroom windows on the first day of CLASSES to see falling leaves instead of cherry blossoms if Tokyo University has its way. 2:The university has proposed starting the school year in THE fall instead of April. 3:That will not be an easy change. 4:So ingrained in Japanese life is the April start of SCHOOL that moving the first day feels like rescheduling Christmas or celebrating New Year's Day in July! 週刊STのエッセイの出だしです。 わかりずらいので番号を振りました。 質問したい箇所を大文字にしました。 なぜそこに定冠詞をつけるのか、なぜ無冠詞の単数形(複数形)なるのかわかりません。 わかる箇所もあります。of が付くと限定されてtheが付くと、前にここで習いました。 どなたご教授お願いします。

  • 不可視の冠詞について

    以前<無冠詞とゼロ冠詞について>という質問投稿をしました。その時に検討課題として残しておいた問題を再度取り上げたいと思います。これから、無冠詞についての説明を行いますがおかしいと思われる点があればご指摘下さい。テーマは働きや性質が異なる無冠詞を区別する際に、どのようなやり方があるかということです。この議論を進めるからには、このような区別にたしかに意味があるとする前提で話を進めなければなりません。ご了承をお願いします。  説明の際には、最初に登場する無冠詞を無冠詞Aとし、ついで無冠詞Aと明らかに働きや性質が異なると思われる無冠詞を無冠詞B, C, ---とする、という体勢で臨みたいと思います。  まず、無冠詞(冠詞がつかないこと)がどのような事態なのかを説明します。そのためには、冠詞(不定冠詞)がつくことがどういう事態なのかという議論から始めなければなりません。(なお、今回の議論においては定冠詞は関係のない話題なので、これ以降、不定冠詞は単に冠詞という言い方で話を進めます) 冠詞が使用されるようになったのは、数えられるものに対して、数えられるものであることを示すための目印をつけるようになったことに始まります。例えば、ライオンであれば、それまでLion is running toward us. (現代英語で使用される語彙を使っています)だったのが、A lion is running toward us. となったわけです。何のためにそのようなルールを作ったかということですが、数えられるものと数えられないものの識別が文中において目に見える形でなされてほしいという要請によるものだったと推測されます。 その場合に、あるものが数えられることを示す要件は、そのものが空間的に一つのまとまりを持つと認められることでした。a lionは空間的にひとまとまりのものとしてとらえられるライオンの姿を表すわけです。  逆に、数えられないものは空間的なまとまりを持たないものです。それにはどのようなものがあるのでしょうか。  一般に<もの>は必ずカテゴリーと実体を表します。カテゴリーは概念によって表されるものなので(概念は心の中にあるものなので)数えることはできません。よって、カテゴリーを表すwater(物質名詞), love(抽象名詞), John Smith(固有名詞)を数えることはできません。 ただし、数えられるものの場合は、例えばライオンの場合、カテゴリーを表すのはa lion とthe lionとlionsです。--- A lion is a wild animal. / The lion is a wild animal. / Lions are wild animals. ここでのa lion, the lion, lionsは概念ではありません。lionという概念の外延でしかないものなのに(上のような特殊な文中において)内包的な働きを行い、カテゴリー(ライオンの種族)を表します。 この時、カテゴリーを表す普通名詞lionには冠詞がつくのに、カテゴリーを表すwater(物質名詞), love(抽象名詞), John Smith(固有名詞)にはつきません。統語的に偏りが存在すると言えます。この偏りを改善しようとすれば、water, love, John Smithに不可視の冠詞がついているのだと考える必要があります。この場合の無冠詞を無冠詞Aとしておきます。無冠詞Aはカテゴリーを表す不可算名詞につけられるものということになります。  では、実体の方はどうなのでしょうか。a lionは空間的なまとまりを持つ実体(実物)としてのライオンを表しますが、普通名詞ではなく数えられないもの-water, love, John Smith-の場合はどうなるのでしょうか。実体であっても空間的に一つのまとまりを持たないもの-数えられないものには冠詞がつかないはずですが、実際、waterには冠詞がつきません。loveも同様です。(なお、不可算名詞の可算名詞用法(a water 湖 / a love (of art) / a John Smithは可算名詞の用法に準じます) ところが、固有名詞のJohn Smithは実物として一つのまとまりを持つものです。現実に身長や体積を測定することができます。ところが、実物のJohn Smithはこの世に一つしかないものと想定されるので数えることができません。よって、不定冠詞をつけることができません。 物質名詞(waterなど)や抽象名詞(loveなど)は実体であるにもかかわらず空間的なまとまりを持たないので冠詞つかないわけですが、それらには実は不可視の冠詞がついているのだと考えることができます。その場合の無冠詞を無冠詞Bとしておきます。 John Smith(固有名詞)は実体であって空間的なまとまりを持つものですが、冠詞がつきません。その場合の無冠詞を無冠詞Cとしておきます。 冠詞のつかない状況を3種類紹介したことになりますが、もう一つ抑えなければならないものがあります。先ほど紹介したカテゴリーを表すlionsです。(Lions are wild animals.) 無冠詞Aはカテゴリーを表す不可算名詞につけられるものでしたが、lionsはカテゴリーを表す可算名詞です。それなのに冠詞がついていません。 形態素の- s -は名詞が数えられるものであることを示すために登場しました。ところが、それは同時に複数のものであることを示すものだったので、単数でありかつ数えられるものであることを示す働きを持つものとして不定冠詞が登場しました。そうすると、- s - が複数を表すものであるだけに、oneの意味(一つという意味)が残っている不定冠詞を- s - と共起させることはまずいということになります。その場合、lionsは1ではない自然数のライオンたちということになります(1<X <∞)。ということは、一定の数量的な(空間的な)まとまりを持たない集団だということになります。この場合に使われる冠詞を無冠詞Dとしておきます。 ところで、When the hunters got out of the jeep, they saw lions running in the prairie. という文も書けます。実物を表すlionsですが、一定の数量的な(空間的な)まとまりを持たない表現です。この場合に使われる冠詞を無冠詞Eとしておきます。 結局、無冠詞が5種類取り出されました。これは面倒だということで、区別することを放棄して一括して「無冠詞」として扱うことも可能です、実際、冠詞の解説書の多くがそうしています。  5種類のすべてを認めることは非効率的です。可視の冠詞でさえ2つしかないわけですから、実際的な面、例えば冠詞の指導といった面を考えると、せいぜい2つに絞るべきだと思います。実際、ゼロ冠詞とナル冠詞という呼び名が流布されていることだし、その線で考察を進めたいと思います。では、5つの無冠詞をどう調整するかということですが、ここで整理しておきます。  無冠詞A-カテゴリーを表す不可算名詞につけられるもの (water, love, John Smith) 無冠詞B-実体であるにもかかわらず空間的なまとまりを持たない不可算名詞につけられる もの (water, love) 無冠詞C-実体であって空間的なまとまりを持つにもかかわらず数えられないもの (John Smith) 無冠詞D-カテゴリーを表す可算名詞で、空間的な(数量的な)まとまりを持たないものにつ      けられるもの (lions) 無冠詞E-実体を表す可算名詞で、空間的な(数量的な)まとまりを持たないものにつけられ     るもの (lions) 絞り込みのやり方として、もっとも適当と思われるやり方を考えてみたいと思います。絞り込む前に、不定冠詞がいかなる目的のために作られたものであるかを再確認しておきます。要は、数えられるものと数えられないものを区別するためのものだったわけですが、それは空間的なまとまりをとらえることができるかどうかという問題と関わっていました。そうであるなら、絞り込みのポイントはそうした観点から考察するのが適当だと考えます。 5つの無冠詞のうち空間的なまとまりをとらえることができる(限定詞と同じ発想の)ものは無冠詞Cだけです。そうすると、無冠詞Cとそれ以外の無冠詞(無冠詞A,B,D,E)を区別するのが本義に沿うやり方ではないかと思います。 ところで、付け足しになりますが、固有名詞John Smithの実体(外延)であるJohn Smithは言語共同体において唯一のものと承認されているものなので、定冠詞がついているのと同じ効果を持ちます。そのことも考慮に入れると、やはり、無冠詞Cは別格の存在ではないかと思います。 これ以外の区別の仕方として、カテゴリーか実体かというのもありますが、あまり本質的な着目ではないという気がします。ご意見をお待ちします。

  • a と the の違い

    こんばんは。 定冠詞について学習しています。 とある参考書を読んでいた際に、aとtheの違いについて下記のような説明がありました。 a:はじめて会話に持ち込む際の定冠詞 (話し手が認識している名詞でも、聞き手が想像つかないものであれば必要) the:唯一のものであったり特定できるもの、過去の会話にでてきた際に使う定冠詞 上記のような認識のもと、下記の問題について疑問があります。 I've broken [ ] neighbor's window. 答えは「the」らしいのですが、この会話の文中において、「neghbor's window」 についてはっきり理解しているのは話者のみであるので、「a」が正しいと思うのですが… 分かる方、どうか教えてください。 宜しくお願い致します。

  • one/itとthat/thisの違い

    先ほど質問させていただいたものにまた 新たに疑問が。。 The climate of japan is milder than that of England(日本の気候はイギリスの気候より温暖だ) このときのthatは前の文のThe climate をあらわしています でもこれって、名詞のかわりをするoneやitと同じじゃないですか?? oneとitの違いは定冠詞の不定冠詞みたいなかんじのくべつ、でも どういうときにthatをつかうのでしょうかoneやiyとの違いはなんでしょう。