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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:素数の判定)

素数の判定と証明についての疑問

f272の回答

  • f272
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回答No.2

(命題) 「自然数Nがn以下のすべての素数で割り切れない」ならば「Nは素数である」。 (証明) 「Nがnより大きい素数qで割り切れた」と仮定すれば,そのときの商をpとして,(途中略)Nはn以下の素数で割り切れる。これは命題の仮定に反するので「Nはnより大きい素数qで割り切れない」。これと命題の仮定を合わせると「Nは素数で割り切れない」となってNは素数であることが導ける。 > 自分は不合理を示す証明は、背理法を使っていると思ったのですが、その場合自然数Nが素数でないと仮定して証明を始めると思いました。 背理法を使っていると思ったのはよいが,なぜ自然数Nが素数でないと仮定しなければならないのか?ここでは「Nがnより大きい素数qで割り切れた」と仮定すれば不合理だから「Nはnより大きい素数qで割り切れない」としているだけですよ。 > また√Nを越えない最大の整数をnとし、Nがnより大きい素数q以外では割り切れないとすると、という文章の解釈でよいのか これが「Nがnより大きい素数qで割り切れたとすると」の解釈ということですか?そんなことは書いていませんね。 > 最後に対偶をとってそれを背理法で証明しているのかと思いました どこにも対偶らしきところはないですね。 > 本に書かれた証明で、pで割り切れると何が不合理なのか 証明しようとしている命題の仮定は「自然数Nがn以下のすべての素数で割り切れない」です。これと明らかに矛盾しているでしょ。 > 自分の証明の方針のまちがいを指摘してください 正しい命題なのですから「対偶をとってそれを背理法」でやっても証明できます。本と同じである必然性はない。

situmonn9876
質問者

お礼

質問に答えていただき、ありがとうございます。

situmonn9876
質問者

補足

良ければお返事ください。 命題「pならばq」の否定は、「pであってqでないものがある。」これが成り立つすると不合理がある。というのが背理法と思っていました。今回の定理ではqは「素数である」と考えていて「素数でない」と仮定すると思ったのですが、pにあたる「自然数Nがn以下のすべての素数で割り切れない」を否定すると、「Nがnより大きい素数qで割り切れた」となりその場合も不合理が生じれば、背理法ができたということでしょうか? 命題(定理)の仮定pにあたるものを否定してみても、背理法になるか確認したいです。お返事おねがいします。

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