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半島での色の表現
中央日報の記事で、新緑を薄緑と表現しているのをみて少なからず違和感を覚えました。 萌黄とか新緑とか若葉色とか表現する言葉は無いのでしょうか? 大和言葉で「薄」を使うのは薄紅、薄墨、薄紫くらいしか思い浮かびませんが。
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ご質問の中央日報の記事は読んでいませんので、見当違いの回答でしたらご容赦ください。 日本の昔の和歌集を見れば、春の部に次のように柳の木や野辺の新緑を「うすみどり」と表現している歌があります。 新古今和歌集 うすくこき/野辺の緑の/若草に/跡まてみゆる/雪のむら消 続後撰和歌集 春霞/立にけらしな/をしほ山/小松が原の/うすみどりなる 玉葉和歌集 峰の霞/ふもとの草の/うすみどり/野山をかけて/春めきにけり 玉葉和歌集 梓弓/をして春雨/ふる郷の/みかきか原そ/うすみどりなる 玉葉和歌集 山本の/霞のそこの/うすみどり/あけて柳の/色になりぬる 風雅和歌集 みどりこき/霞のしたの/山の端に/うすき柳の/色ぞこもれる また近代の日本の文学でも早春の緑を「薄緑」と表現している作品はいくつもあります。 〇しかし、春になつて、木の芽ぶきが野山をうす緑に彩りはじめると、炭焼きの仕事はぐつと暇になる。 (「秋の雲」岸田國士) 〇冬の間、日毎日毎の雪作務に雲水たちを苦しめた雪も、深い谷間からさえ、その跡を絶ってしまった。 十幾棟の大伽藍を囲んで、矗々(ちくちく)と天を摩している老杉(ろうさん)に交って、栃や欅が薄緑の水々しい芽を吹き始めた。(「仇討三題」菊池寛) ところで興味深いのは、冒頭の新古今集の歌です。野辺の緑が薄いか濃いかで、雪が解けるのが遅かったか早かったかがわかるというのが大意で、緑が薄いのは雪が解けるのが遅くて植物の成長が遅かったところ、緑が濃いのは雪が解けるのが早くて植物がよく成長したところだというのです。「薄緑」にそんな微妙な早春の季節感があったとは…。 おそらくご質問者さまが「違和感」と表現されたのは、実はこの「薄緑」には春の初めの季節感があり、日本では初夏の印象が強い「新緑」という言葉(俳句では夏の季語)とは合わないということに由来するのではないかと思います。 しかし調べて見ると漢語の「新緑」はもっと季節的に幅が広いようで、白居易が早春の風景を詠んだ下の漢詩に使用した例もあります。この新緑は湖面に浮かぶ水草の描写のようです。 南湖早春 風回云斷雨初晴,返照湖邊暖復明。 亂點碎紅山杏發,平鋪新綠水蘋生。 翅低白雁飛仍重,舌澀黃鸝語未成。 不道江南春不好,年年衰病減心情。 一方日本で晩春の葉の色を「薄緑」と表現した例もあります。 〇その楓の新芽が、日々に少しずつ色を変えて葉をのばして行き、やがてほぼ同じ色調の薄緑の葉を展開し終わるのは、大体四月の末五月の初めであったが、その時の美しさはちょっと言い現わし難い。実に豊かな、あふれるような感じであった。(「京の四季」和辻哲郎) こうしたことを考えあわせると、「新緑が薄緑か否か」という一般論ではなく、いつの時期の「新緑」のどのような植物を「薄緑」と表現したのかという点が重要で、これがわからなければご指摘の記事の表現の適不適も議論しづらいのではないかと思います。
お礼
詳細なご説明恐れ入りました。自身のボキャ貧?を恥じるところです。 ありがとうございました。 日本語を習った外国人が、単に薄紫等からの類推で漢字を並べただけかと思ったのですが。