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ダビンチの「モナリザ」について

ダビンチが描いたモナリザについて自画像から陰謀論まで諸説あるようですが、単に最後の晩餐などと同様で「教会からの依頼のまま描いたもの」という解説ってあるでしょうか? 最近知ったのですが、当時のヨーロッパでは歯を出して笑ったり、声を出して笑ったりすることが教会によってほとんどの地域で禁止されていたそうで、それならモナリザの微笑む絵もダビンチが描いた他の絵同様に単に教会から依頼されて描いた絵ということで(教会からの笑顔の啓蒙として描かれた絵ということで)腑に落ちるなとか思ったのですが、そういった方向からモナリザの絵が解説された書籍とかってないでしょうか? 当時の時代背景などと共にモナリザの絵について解説されている書籍などがありましたらご紹介ください。よろしくお願いします。

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  • moritaroh
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回答No.1

いちおう「モナリザ」のモデルは、後にフィレンツェの行政官となる絹布商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リザである、とされています。 伝記作家ジョルジョ・ヴァザーリの著書『画家・彫刻家・建築家列伝』(原綴『Le vite de' più eccellenti pittori, scultori ed architettori』1550年出版, 1879年に再販)で、上記のようなことが記されています。 実際にこの本を読んだことはない(いちおう原綴か英語訳などのものはまだ手に入るようですが、日本語訳があるかわかりません…)のですが、伝記ということなので、ダ・ヴィンチから聞いた話を元にしており、また当時の時代背景などもうかがえる記述があるかもしれません。 ヴァザーリの著書が正しいと仮定すれば、教会が依頼したというより、貴族階級に近い豪商ジョコンドが、妻の肖像画をダ・ヴィンチに依頼したもの、と考えるのが普通です。 なお、この説は、フィレンツェの役人だったアゴスティーノ・ヴェスプッチが1503年に、ダ・ヴィンチがまだ「モナリザ」製作途中の段階でも「フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リザの肖像画を描いている」と書き記し、ドイツの大学で資料として保存されているようですので、事実としても間違いはないように思います。 ですので、宗教的な絵画ではありません。 ですが、質問者さまのおっしゃるように『依頼者の望み通りに描いた絵』である、という点は同意できます。 ただ、さまざまな諸説が巻き起こった理由としては2つあります。 1つは「モナリザ」が、絵画技法的にさまざまな試みが行われていること。 もう1つは、「モナリザ」をベースに、ダ・ヴィンチと同時代の画家が描いた絵と、現物の「モナリザ」ではさまざまな違いが見られることです。 絵画技法的な試みとして重要なのは、「スフマート」と呼ばれる何層も透明な絵の具の層を重ねるもので、輪郭を曖昧にし、見る角度によって微妙に見え方が異なるようになっています。このことで「モナリザ」の表情が一定ではなくさまざまな表情に変化します。 また、同時代の画家が描いた絵の場合は、背景に建物や柱なども描き込まれているものがほとんどで、このことから、ジョコンドの妻リザのために肖像画を描いた後に、ダ・ヴィンチ本人が再度、もう1枚のモナリザを描いたものが現在の「モナリザ」である、という説や、実際はもう一回り大きい絵だったが、何らかの理由で絵を切り取った(ポプラ板に描かれている絵なので、切断することは不可能ではありません)という説が生まれています。 ただ、以下は個人的な見解ですが、よくある陰謀説や暗号説のような、ダ・ヴィンチが何らかのメッセージをこの絵に込めていた…というのは、私も考えすぎ(笑)ではないか、と思います。 それは、たとえばダ・ヴィンチが複数枚の絵を描いていようが、スフマートなどの技巧を駆使していようが、「モナリザ」の描かれていた時代は、もはや宗教を中心とした社会から、商人など経済を中心とした世の中に転換している時期で、この時代の美術の傾向としては宗教的な信仰心を感じさせる美よりも人間美を第一と考えていたからです。そして、ダ・ヴィンチは解剖学なども徹底して学び、非常に描写力に優れた超絶技巧の画家でもあったため、本来、人間の表情も風景も、一定ではなく移ろいゆくものである、という現実をしっかりと絵にするため、スフマートのような固定性を無くす技法を使ったのだと思います。 ダ・ヴィンチが超絶技巧であったからこそ、それを見て模倣して学ぼうと、多くの同時代の画家たちが「モナリザ」に似た絵を描いたのではないでしょうか。 仮に、ジョコンドの妻リザのために肖像画を描いた後に、ダ・ヴィンチ本人が再度、もう1枚のモナリザを描いたものが現在の「モナリザ」である…としても、そのようなことをした理由は、たとえば元々のモナリザの絵は、依頼者のために描いたものであるためスフマートなどの技巧が完全ではなく、後にその技法などを完成させようと、画家であるダ・ヴィンチ本人の欲求から改めて描いた、と考える方が適切であるように思います。 ちなみに「モナリザ」は、さまざまな著作の中で約3~4年ほどかけて描いた、とされていますが、肖像画1枚を依頼した側からすれば、今の時間感覚だとちょっとかかり過ぎですよね。 ダ・ヴィンチのような描画技法はとても時間がかかるため、おそらく数枚の絵を同時進行で製作していたと思われるので、肖像画としてのモナリザと現在の「モナリザ」は実は同時進行で描かれた異なる絵だった、というのは有力であるかもしれません。 そのことを裏付けるように「モナリザ」はジョコンドの手に渡らず、1515年~1547年にフランス王であったフランソワ1世が購入しています。また、1525年にダ・ヴィンチが死去する際、弟子のひとりに「モナリザ」と思われる『La Gioconda』という絵を贈っていることから、ダ・ヴィンチの死後、弟子が「モナリザ」を受け取り、それをフランソワ1世が購入…という流れであるように思います。

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