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因果応報?って言うのかな?

因果応報の意味間違ってるかもしれませんが、例えば人を騙したり、人を故意に傷つけたり、人を陥れたりした人って幸せになれると思いますか?具体的に言えばオレオレ詐欺で人から取り上げたお金で、加害者は金持ちになり、被害者は不幸になってって絶対そんなのおかしいですよね?だから、そんなやつは絶対幸せになんかなれない!自分が人にした事は絶対返ってくると信じたいんですが、皆さんの経験上どうでしたか?

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  • LOLIPON35
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回答No.6

人が生きているのは獣が生きているのと同じで、 必ずしも善が勝って悪が負けるとは限りません。 そういった単純な理屈でわかってしまうほど、 因果応報というのは簡単なものではないと思います。 個人的な感情としては、悪事を働く者がのさばることは 許せないのですが、だからといって、全てのことが 結果的に公平になるとは限らないことも理解しています。 世の中、というより、自然は決して公平ではありません。 一方的に不幸なまま亡くなるという結果もあるし、 さして不幸な目に遭うこともなく終わる一生もあります。 何が幸福で何が不幸かという受け取り方の違いはもちろん、 いろいろな意味でバランスが取れていることはなく、 世の中に不公平なことはあるのだと思います。 だからこそ逆に、一方的に世の中をよくするという 希望もありえるのだと思ってみたりするのですが…。 理論上はありえない永久機関も、幸不幸という人間の 主観においては可能なのではないか、と。 閑話休題。 僕が、因果応報として考えるのは、「人がどんな考えで どんな生き方をするか、それがそのままその人だ」ということです。 どうすれば長生きができるのかを考えるのではなくて、 長生きをしている人を見れば、人それぞれに、 長生きをしているそれなりの理由があるのだと気づかされます。 単にその真似をしたからといって、長生きができるとは限りません。 ただ、長く生きれば生きるほど、何らかの積み重ねがあって、 それはひとつのこととは限らないし、人と同じとは限らない。 人それぞれの考えで一歩一歩歩いてきた結果というだけで、 必ずしも長く生きるだけがいいことでもない。 そういう原因と結果があるというだけのことで、 人は全ての要因を知って生きているわけではないのでしょう。 「家系」とか「家名」にこだわり、家長としてわがままを したい放題してきて、親類にも見放された老人が、 よく知りもしない人に養子の紹介を依頼したという話があります。 人の気持ちも考えずにいた人が、今更自分の孤独に 耐え切れなくなって、自分の死んだあとのことを心配している。 「家」のためと言いながら、結局、考えているのは自分の都合。 依頼された方も、そんな人には紹介できないと言っていました。 そういう生き方をしてきたのだから、それなりの結果になる。 あるいは、ある一時を切り取って結果というのは無理でも、 普段の生き方がすべてそのままその人なのではないでしょうか。 そういう意味での因果応報は、常にあるのだと思います。 他人を傷つけたり騙したりして幸せになったとしても、 それは、結局自分から他人を信じることも頼ることも できないようにしてきたという意味で、不幸なのでしょう。 他人を傷つける人は人から傷つけられることを恐れますし、 他人を騙す人は人から騙されることを恐れるものです。 それはつまり、自分で人を信じる安心を放棄することです。 法的にどうこうではなくて、自分が幸せになりたくて選択したことに 自分自身が足元を掬われる、ということなのだと思います。 ただ、そういうことに気づかずに一生を終えることもありえます。 では、気づく人が幸せなのか、気づかない人が幸せなのか…。 僕は、どんな悪事を為すかということよりも、この気づくことが 幸不幸を分けているのではないかという気がしています。 子どもは、無邪気さや無知ゆえに人を傷つけることもあります。 そこに悪意はなかったとは言え、そのことに気づいてしまえば 後戻りすることはできません。気づくことでより広く考えることも できるようになりますが、より辛いことにも気づいてしまうでしょう。 どんな幸せを求めてどんな善や悪を行うのか。 行動がどんな風に自分に跳ね返ってくるのか。 それに気づくことができるかどうか。 気づいてからどう生きていくのか。 悪意に染まってしまえば、気づくこともできないし、 気づいたとしても取り返しがつかないかもしれません。 では、悪意を持たずに生きてさえいれば、 人は絶対に幸福になれるのでしょうか…。 因果応報と言えばそうなのかもしれませんが、 とても一言で理解できることではないと思います。 長文でごめんなさい。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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回答No.5

そういうのを難しく言うと「天網恢恢疎にして漏らさず」(てんもうかいかいそにしてもらさず)と言います 悪事はいつかバレる、という意味です まさに因果応報ですね 私も結婚していた時代に小姑にいびられっぱなしでした もう離婚して10年以上なるので、どこでどう暮らしているかも気にしていませんが、「ろくな死に方せんやろな」と思っています >自分が人にした事は絶対返ってくる ハイ!! 間違いございません 今のそのピュアな心を忘れないでください 私は色白の腹黒なんでもう無理ですww.

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

回答No.4

人に酷いことをすれば自分に跳ね返ってくるということは、確かにあると思います。 ただし、それが数年後になるか、数十年後になるか、もしくは子孫に影響が出る場合もあるようです。 例) Aさん:45歳男性。長く交際した40歳の彼女がいた。 彼女のお母様が白血病になり、まだ結婚式に出席できるうちに結婚を希望し、迫った。 すると、Aさんは「本当に好きだから結婚したい。運命の人なら自然とそんな気持ちになるはずだけど恋心がついていかない。一生結婚できなくても構いません」と言って別れました。 その一年後、Aさんのお父様が要介護となり・お母様が認知症になってしまいました。 そして、ご自身も糖尿病になり、親の介護と自分の治療で長時間働けなくなり、 出世コースから外れました。未だ親と自分の介護をしてくれるようなお嫁さんを求め続けています。 今となっては縁談は一件もないそうです。 Bさん:60代男性。学歴コンプレックスがあり、大卒のアルバイトのお姉さんたちをいびりまくっていました。数年後、お孫さんが大学を出ても就職がなく、引きこもりになってしまったそうです。 上記は小さなことかもしれませんが、 人間って自分が同じ立場になってみて初めて人の気持ちがわかるものかもしれません。 「口は災いの元」と、自分を日々戒めて教訓にしています。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

noname#196244
noname#196244
回答No.2

私もよく分かんないんですが、因果応報っていう言葉通り、何かした人にはそれなりのことが、還っていくんじゃないでしょうか。 私は、ずっと嫌がらせされましたけど、仕返しもしてません。なにかの本で読んだんですが、心の中で思ったり考えたりしたことも、悪いことに入るそうです。 ついつい、されたことを思い出して、相手に悪い感情をもってしまいそうになるんですが、その感情ですら自分に還ってきてしまうそうです。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >私は、ずっと嫌がらせされましたけど、仕返しもしてません。 殊勝な方ですね。

回答No.1

私は経験上、因果応報信じます。 主に若い頃の恋愛においてそう感じましたが、人を苦しめたりすると必ず自分に戻ってきます。 それはきっと、自分の中に「良心」があって、その良心が人を苦しめた事をちゃんと記憶していて、帳尻を合わせるためにあるタイミングで自分にその苦しみを味あわせるんだと思います。 そういった良心を持たぬ人は、悪い事を悪いと思わず、修羅道に落ちていくんだと思います。例え詐欺で金持ちになれたとしても、そのままでは人間としての幸せを手に入れる事はできないと思います。 そうゆうのを全部ひっくるめて、「お天道様は見ている」って言うんでしょうねw

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >私は経験上、因果応報信じます。 日本人はとりわけ、因果応報の考えが強いですよね。

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