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淨い
淨いとはどういうことでしょうか。 どうぞよろしくお願いします。
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澄んだ静水に色のしずくを落とせば、さーっと波紋を描いて、 揺れるかたちに歪みなく、染まる彩りに濁りなく、余計な力がかかっていないでしょう。 そんなふうに、他者の心の力が加わるとき、 揺らせば揺れ、響かせれば響き、染めれば染まるなかで、 自分勝手に歪まない、自分勝手に何かを足したり引いたりして濁らない、 そんな呼応の場は浄いですね。 ひとつの全一の存在には備わらない性質であり、他との関わりにおいて場となるところに、 浄さははじめて生じるものだと思います。
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- kanto-i
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別件で調べていた所、面白いものを見つけましたので載せますね。 知識は、ふたつの形で存在する。 ひとつは、本の中に、生命のない形で。 もうひとつは、人の意識の中に、生きている形で。 後者こそがとにかく本質的なものである。 前者は、絶対必要であるように見えるが、たいしたことはないのだ。 アルバート・アインシュタイン おそらくは、同じことだろうと思います。 自分の中が示す方向でしか、結局は見つけられませんから。
お礼
すなわち文字として記載された浄いと言う事柄については何というほどのものもなく、心のなかにある浄きものこそ浄いのだと、それは語りえないものだという解釈をしました。 ご回答ありがとうございます。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
★ (No.7お礼欄) そうですね、しがらみの中でも何かを希求する心は清いといえるとおもいます。希求するそれが、ハスの花に形容されるようなそれならば。 ☆ 《希求するもの》は 《自由》であるに決まっています。 泥ないしシガラミの中に生活しつつ自由を希求するのは 共生という花です。 共に生きることをのぞむというのは 結果です。果実です。 その推進力としての 自由の希求は じつは 自己という物差しで行動しています。自己中心的な思考形式です。もっと言えば 利己志向です。 つまり はっきり言えば 自分の利益を問い求めつつ 自由を実現させたいのです。そして その中身は 共生となって現われる生活共同であり 社会として共同自治であり 世界の人びととの交わりです。 これが 人間にとっての《きよい》心です。そのほかに たとえば《純粋で私心のない精神》だとか 《他人(ひと)に対する慈悲心》だとか そういった蒸留水などを設定することは ただ日頃お上に寄りすがって生きていることのきわめて消極的な反動として起こることであって けっきょく事なかれ志向の内にいだく希望によって描いたマボロシなのです。 宗教が そのために――為政者の側からは――利用されています。 哲学しましょう。あたまの中に 知らず知らずの内に 或る回路が敷かれている状態へと誘導されて来ています。 《和を以って貴しと為す》は その最たるものです。和は もともと 人びとのあいだに――けんかをしながらも――保って来た生活実態です。そんなことを お二階から言われなくても 実践していることだからです。 上からのお墨付きなら 信じてついて行く。マツリゴトとして 政治と宗教とは 変なタトエをすれば シャム双生児です。 マボロシとして描いた《きよさ》から わたしたちは解き放たれましょう。地に足のついたきよらかさを取り戻しましょう。
お礼
自由ですか。どうもありがとうございます。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 これは 昔から決まっているのではないですか。 泥の中に花を咲かせる蓮。 ゴータマ以前からのことわざなのではないでしょうか。 シガラミの中にあって という条件をつけるということではないですか? 泥の中に根を張っていますからね 蓮は。 ひとつの要素や部分としての状態を取り上げるのではなく 人間の全体あるいはその生きる情況の全体を前提として ものごとを捉えてみなくっちゃ。 互いにおのが心に 無理に逆らうことなく 思いっきり自由に振る舞える生活の場あるいは延いては社会を築いていこうとしている心。これが 清いです。
お礼
そうですね、しがらみの中でも何かを希求する心は清いといえるとおもいます。希求するそれが、ハスの花に形容されるようなそれならば。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
大人時代の感動ですが(^ ^; 頭だけで考えると、私も分かりません。 頭と心、同時に使った時だけ理解できるんです。 心が知識の中から、探してくれてると思います。 腑に落ちる感覚のように、繋がるのですね。 心が指針を示してる。 これはもう、自分にしか分からないですね(^ ^;;;
お礼
そうですね、カント・アイさんの感覚ということになりますが、説明下さってありがとうございます。心が探してくれるという台詞が響きました。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
>真っ直ぐさ、素直さのようなものでしょうか。 思わず、探してみました(笑) 純粋さですね。 子供などを純粋とすることが多いと思いますが 大人でしたら、単純に何かに心から感動した時。 心の向いている方向と頭が考えてる方向と 真っ直ぐに同じ方向を向いている「超感動に打ち震えてる状態」が 物凄く純粋な時として感じますよね。 やっとの思いで告白して、OKもらった時の感動のような(笑) あんな純粋さが、淨いに属してるものと感じます。 心と頭が同じ方向の時の純粋さが、私の感じる「淨い」ですね。
お礼
意外なご回答でしたが、それは私の了見が狭い所為でしょうか。 恋愛や、子供時代の感動が、純粋とは思えど淨いとは思ったことはありませんでした。 参考にさせていただきます。 うーむ、淨いとはなんだろう。。
- 雪中庵(@psytex)
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ある価値観において、それとは異なる価値観による妥協や、 その価値観の直接的な適用から離れた複雑な展開による 修正を行わない事。
お礼
純粋に似ているでしょうか。
嫌なことがあって澱んでいた私の心を、 たちどころに洗い流して行った、あの娘さんの 爽やかな笑顔、のことかな?
お礼
それは、老婆の笑顔や子供の笑顔じゃダメなんでしょうか。
- ふじ-さん おたま-さん(@OtamaFJWR)
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「よごれ」--->「きよい」状態に【変化させる】言葉で有名なのは、以下の言葉です。 カタルシス【katharsis】 《浄化•排泄の意》 1:文学作品などの鑑賞において、そこに展開される世界への感情移入が行われることで、日常生活の中で【抑圧されていた感情が解放】され、快感がもたらされること。特に悲劇のもたらす効果としてアリストテレスが説いた。【浄化】。 2:精神分析で、無意識の層に【抑圧されている心のしこりを外部に表出させること】で症状を消失させる治療法。通利療法。 具体例は以下をご覧になって、もしも「なぜか気分がよくなった」としたら、それが「カタルシス」と呼ばれるものの実体です。 https://www.youtube.com/watch?v=c-iDxoSaOnA
お礼
なるほど勉強になります。カタルシスですか。
- kanto-i
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打算や自己都合・周りの目など、外部に振り回されること無く 心から真っ直ぐに、真摯に生きてる姿でしょうかね。 全体も淨いが、部分を切り取っても淨いならとっても淨いですが 淨いに拘らず、自分らしさで生きていて結果淨ければ、それがいいですかね。 形に囚われない、心の底まで真っ直ぐに生きていれば 自ずとくっついてくるもの。 そんな風に思います。 人に求めず、自分が自分であればいい。
お礼
真っ直ぐさ、素直さのようなものでしょうか。
お礼
詩的な回答で、美しいと思いました。全一なる存在こそが浄いと思いがちですが、そうではないというご回答に、頷くものも有りました。ありがとうございます。