- ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:曽野綾子先生、敬虔なカトリックです。)
曽野綾子先生の教えには違和感を覚える
このQ&Aのポイント
- 「70、80にもなって、『年寄りが安心して暮らせる生活を』などというたわけた言っていて、それで通るのが、日本の弱くて強いお年寄りなのである。人生はどこでも、いつでも『安心して暮らせる』ことなど決してないことを、改めて肝に銘ずるべきだろう」
- 霞が関の中央分離帯は、たいていの場合、雑草だらけ。〈中略)こうした公共の場の清掃に、足腰の立つ生活保護受給者には働いてもらった方がいいだろう。
- 放射線の強いところだって、じいさんばあさんを行かせればいいんですよ。何も若者を危険にさらすことはない
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
まず一般論として、敬虔なカトリックだから「優しく美しい人道主義者」であるはずがないということを。 十字軍の遠征で異教徒を大量虐殺し悪行の限りを尽くしたのも、宗教裁判で「異端者」を火炙りにしたのも、魔女狩りで無実の人間を大量に殺したのも、すべてキリスト教徒です。 でもこれは、どんな宗教でも自分たちの教えを広めるために、多かれ少なかれやったことです。 さて曽野綾子さんのことですが、彼女が何と言ったか私は知りませんが、質問者さんが書いたようなことを言ったとしたのなら、それは曽野綾子さんが自分自身も老人の側の人間の一人として、逆説的に主張したのではないでしょうか。 老人だから何でも許されるとか、老人だから何もしなくて良いのではなく、老人にしか出来ないことを一生懸命やろうという、曽野さんも含めた老人に対する「応援歌」のようにも感じます。 あと余分なことですが、寂しさを紛らわすために教会に行くのが良いのなら、キリスト教でなくてもイスラム教でも、創価学会でも、幸福の科学でも何でも良いという理屈になります。
お礼
回答ありがとうございます。