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主語述語とか人物の関係性とかいい加減に書いていいものなのか?
- 歌詞は正確に伝わらなくても許されるか
- 歌詞っぽい言葉羅列して韻踏むとかしてたら歌詞になるように感じがしてなりませんし、そういうのって、ノリだけの歌しか生み出さないと思います。
- 私的には、歌詞の世界であっても作者が意図的に曖昧にしたい場合を除いて、主語述語の関係や人物の関係、状況などは正確にリスナーに伝わるように努めるべきだと思うのですがどうでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
同じアートでも、クラシックの演奏ならかなり決まりがあるし、 近代美術館にあるような作品だと、かなり見る側に任せる部分が 多いですね。 作詞、詩って、言葉であればそう呼ばれるものを作れるので、 しっかり人物の関係や状況がわかる者から、 受け取る人に任せたものまで、幅広いのかと思います。
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- hunaskin
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それは作っている人の考え方次第。 聴く人の理解力も様々です。 それらしい単語があれば納得してしまうひともいるし歌詞なんか耳に入らない人だっています。 >歌詞っぽい言葉羅列して韻踏むとかしてたら歌詞になるように感じ 歌詞はそういうものだと考えているひとはいくらでもいます。 >ノリだけの歌しか生み出さない それで構わないと考えているひとはたくさんいます。 かくあるべき、と思う形があるならそのひとはそのように作詞すればよろしい。 それだけのことです。 他人も同じであるべきだと考えるのは傲慢です。 ただし、自身の趣味に合わないものについての批評は、当然のことですが許されます。 つまらない歌詞を聴かない自由もあるのです。 私の個人的なポリシーでは それっぽい言葉を並べて通俗的なイメージで共感を呼ぼうとするような歌詞はどうでもいいです。私が聴くべきものではありませんし、作りません。 ノリだけなのは歌詞でなくてもバカだと思うだけです。 >主語述語の関係や人物の関係、状況などは正確にリスナーに伝わる のようなものは説明文と呼ぶべきなので、そういう歌詞に興味は持てません。 単語一つとっても聴くひとの知識や理解力や想像力は様々ですが、すべてのレベルに伝わるように意味を歌詞内で説明してしまっては野暮ったくなるだけです。 >作詞の世界って、そんないい加減で人任せな世界なんでしょうか? 一例を見て全てについてそのような思いを持ってしまう、その思考のいい加減さに気づくべきですね
お礼
まず本題とそれることになりますが >一例を見て全てについてそのような思いを持ってしまう、その思考の>いい加減さに気づくべきですね この表現に若干センス感じました(笑) あの後もメンバーとしゃべっていて思ったのですが、結局はターゲットは誰か、何をコンセプトにしてるのかで重視すべき点が変わってくるのかなという気がしました。そういう意味だと私も視野が狭くなっていたようです。鋭いご指摘ありがとうございます。
- sakura5678
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歌詞は正確に伝わらなくても許されるか ■多少、質問の内容が広いため、「誤解・錯覚」があり「混同」している面もあるような感じがします。 音楽制作してる仲間と話してるときに「歌詞は主語とか登場人物の関係性とか分かりにくくてもいいじゃん‼リスナーの想像に任せりゃいいじゃん‼」て言われました。歌詞って、そんなに主語述語とか人物の関係性とかいい加減に書いていいものなのでしょうか。 ■これに関しては、「正確」にすべきです。 ただし、「正確」とは、「私は(あなたは)~」。「~思います」 的な「説明文」は、「歌詞」では、望ましくありません。 できる限り、「主語・述語」を、「直接」書くことは避け、 「間接的」に、すなわち、「描写」で描く。「察する」ようにするのが一般的かと思います。 それだったら、歌詞っぽい言葉羅列して韻踏むとかしてたら歌詞になるように感じがしてなりませんし、そういうのって、ノリだけの歌しか生み出さないと思います。 ■「羅列して」は、また、別の話だと思います。 この辺を、「混同・錯覚」しておられるような気がします。。。 ということで、まだ、作詞について、「混同・錯覚」している面があるような感じがしますので、「作詞」のやり方の本も、たくさん売られていますので、一読してみると今回の疑問も整理できるかと思います。
お礼
混同・錯覚している面というのがもう少し具体的に掘り下げていただきたかったですが、主語・述語の関係性に共感いただいた点については少々安心しました。ありがとうございます。
- gldfish
- ベストアンサー率41% (2895/6955)
そもそも「登場人物が設定されている」なんてのが、音楽の「必要不可欠」でもなんでもないんですよ。 dopenKさんは、「詩の中に登場人物が設定されている」音楽ばかりを聴いてきて、それに共感したり人物模様をイメージしたりしてきたのかもしれませんが、実際は、世の音楽(あるいは詩)の表現の幅というのはそこまで狭いわけはありません。 以前、外国人視点で日本の文化を語るある番組で、日本の少女達の音楽事情について「恋、共感、自分探し・・そんなのばかり」みたいに皮肉っていた番組がありましたが、この皮肉の意味ってわかりますかね・・・? >誰の視点か分からなくなるぐらい錯乱した状況を表したいケースとか なんておっしゃっていますが、実はそれは異例なケースでも何でもありません。そもそも「誰かの視点」なんてものを考えていることが、極端に一面的な発想なのです。 歌詞の無い音楽・・例えば多くのクラシックやジャズやクラブ・ハウスミュージックのような所謂インストゥルメンタルに、「登場人物・物語」なんてものが設定されていないことは言うまでもないと思いますが、「歌詞のある歌」も1つの音楽である限り全く例外ではなく、詩に具体性(物語性含む)を持たせ過ぎないことで聴き手を「音の感覚」に解き放つという表現手法もごく普通にあるのです。 >ノリだけの歌しか生み出さないと思います。 そうです、それが「批判」にも「否定」にもなっていないのです。「いい加減」とかではなく、「そういう音楽」であり「それが最も必要」とされて生み出された音楽なのです。 ありきたりなjpopのように「設定、物語」に縛られた歌には表現出来ないものを表現した、はるかに魅力的な歌というのは、現にこの世には多く存在するのですから、これは否定のしようがありません。 音楽は「詩」でも「共感」でも「人物描写」でも「恋愛・友情」でもなく、それ以前に「音」であり「感覚」(時としてノリとも呼ばれる)です。それが音楽の素晴らしいところです。理屈に縛られた音楽ほど稚拙でつまらなくて垢抜けないものはありません。 その仲間達は(少なくともdopenKさんよりも先に)それを見抜いているようです。
お礼
確かに芸術性を極めていくとなったら理屈に縛られすぎるのはよくないというのは分かります。ひたすら芸術性とか前衛性とかを追求するのかどうかを作り手はまず考える必要あるかもしれませんね。ありがとうございます。
お礼
最近の芸術っていうのは自由すぎて逆に難しいですね。ありがとうございます。
補足
問題に対する解としてはaki-laさんのが一番簡潔で正確なのかなという気がしたのでこちらの方をベストアンサーにさせていただくことにしました。ただ、この解の背景としては皆さんのご回答がとても重要だなと思いました。ターゲットやコンセプトによって何を重視するか、どこまで自由さを求めるかが変わってくるのかもしれませんね。皆さん、ありがとうございました。