日本人の第2第3言語と国際感覚やプレゼン能力

このQ&Aのポイント
  • 日本人が第2第3言語をマスターし活用することは少ないのは、島国であるために学習・使用機会が少なかったこと、外国との交流が限定されていた歴史的背景から国際感覚や情報伝達能力の必要性が希薄だったこと、取り組みが軽視されてきたことなどが考えられます。
  • 日本の言語のルーツや文法上の共通性が少なく、学びにくい要素もあります。
  • しかし、近年は国際化が進み、英語や中国語などの必要性が高まっています。将来はどのように国際化が進行するか注目されます。
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日本人の第2第3言語と国際感覚やプレゼン能力

オリンピックでの誤審や採点への抗議とか首脳会談や外交に友好関係の向上に、第2第3言語と国際感覚やプレゼン能力が必要&重要だと改めて思いました。 特段、英語や中国語に拘ったり、阿る訳ではありませんが、エスペラント語の国際言語化の実現や実効性には期待が持てず、共通言語としての汎用性や使用機会を考える時、知識・教養・価値観や見識に加え、その思いや情報や考察を伝える情報伝達能力や表現力、共通言語の重要さを考えますと 英語や中国語の必要性を思います。 更には特殊な職業や交流にはドイツ語やフランス語やスペイン語等も身に付けたいものです。 <質問> そこでお聞きしたいのは、ECCやTOIECや英語での会議や外国人採用の話題は増えて来ているように思うが、それでも日本人の多くが第2第3言語をマスターし活用しているとは思えないのですが、その原因は何故でしょうか?<一番、貴方のお考えに近いのは・・・> 今後はどのように国際化の中に変化して行くのでしょうか? (1)島国であり、ほぼ単一民族であり、日常生活で必要性も学習&使用機会も少なかった。 (2)大海原を超えての海上交通の危険性や困難さから、外国との交易・交流・往来は限定されていた、その上に鎖国やキリスト教弾圧の時代があり、居住する外国人も少なく、一般の民衆に国際感覚や情報伝達能力は実際に必要性も学習機会も希薄だった。 (3)沈黙は金なり、剛毅木訥が評価され、以心伝心とか虚心坦懐を美風とし、巧言令色&雄弁を尊重して来なかった中で、言語能力・プレゼン力も軽視され、初等教育にも反映されていなかった。 (4)言語のルーツ、文法上や文字に共通領域が少なく、覚えにくい学べ難い。 (5)その他

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  • Nannette
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回答No.1

 島国であり、ほぼ単一民族であり、日常生活で必要性も学習&使用機会も少なかった…。たしかにそうだったのでしょう。外国との限定的な交流、そして鎖国政策…、開国はしたものの異国人への畏怖感…等々。とはいうものの、過去から近世まで、渡来人、あるいは宣教師、貿易商、軍人、そして技術者や芸術家などと多くの外国人が日本にやって来ています。ですが、多くの日本国民にとっては彼らと直接接する機会はごく少なく、当然のことながらコミュニケーションの必要性もさして大きくはなかったのでしょう。  しかし、それはすべて過去のこと、今日では、街を歩けば大勢の外国人を見かけますし、仕事上や道案内などのシーンでも多少の外国語の素養は求められるようになっています。しかも、なによりも海外旅行の大流行、となれば、このご質問で書かれた国際感覚や情報伝達能力は、誰が考えても欠かせないもののように思います。なのに、なぜ日本人は、あいかわらず外国語に弱いのでしょう。  外国語、世界で一番通じやすい言語はフランス語ですが、他方、国際間の伝達言語としては次第に英語のウエイトが高くなっています。つまり、英語とフランス語が使えれば、どこの誰と出会おうが、そう困ったシーンには至らないものと思います。  なぜ、この日本でフランス語教育が遅れたのかは知りませんが、たしかに、外国語を学ぶに際しては、英語は比較的覚えやすい言語だと思います。ことに、この日本は過去からアメリカ、イギリスと縁が深かった、そうした背景から英語教育が始まったのでしょう。そして今日では、中学校と高校の6年間も英語の授業があり、大学の教養課程を含めればほとんど8年も英語を学んでいる日本人。それでいて、ほとんどの日本人が英語を話せない…。  日本人の中には英米の文学を原書で読み、ペーパーバックスを気楽に開く人も多いものです。ところが彼らが英会話に精通ているか…といえば、多くがNoです。以下は個人的な推測にすぎませんが、日本人にとっての勉強、あるいは教育というものを振り返って見る時、その多くが「読み、書く」というスタイルであることに気づきます。そして現実に、学校教育の場でも読み書くスタイルは多いものです。英語を話せない日本人、わたしはここにその理由があるように思うのです。  この教えてgooでも、英語のカテを見ますと、過去分詞がどうとか、関係代名詞がどうとか、文中のItとthatの関係はとかと、構文だのなんだのと理詰めな質問と回答の多いこと。これらはまさに読み書く勉強、ただ、それが大学進学への道程であるなら、仕方がないのかもしれません。  ですが、そんな文法や構文なんかには何ひとつ知識が無くても、東南アジアの子供たちは学齢に達するやすぐ、英語で話される言葉をいとも簡単に理解できるようになりますし、ハワイの日系高齢者の方たちの英語を聞いていますと Today rain falling so little cool.などと、とても不思議な表現をしたりしていますが、それでもちゃんと英語として通じるのです。  ということは、やはり教育のあり方の問題なのでしょう。耳でとらえ、脳内で翻訳することなく、口で答える…、ただ、こうした実践的な教育にウエイトをかけたなら、必ず、日本人は英語を話せる民族になることと思います。現に、幼稚園で教えられ、小さな彼がいとも自然に口にする、その見事な英語力に、とても驚かされるのです。  ただ…ねえ、かく言うわたしも過去、さる航空会社のCAとして働き、そしてそののちは、別の企業の海外広報などに携わっては来ましたが、結婚を機に退職してから11年、毎年私用でパリには出かけているものの、外国語による会話力は年々落ちて行っていることを痛感します。使わなくてはすぐ錆びる、語学力とはキッチンの包丁のようなものらしいです。  

lions-123
質問者

お礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 種々の視野視点からの分析・考察をお教え頂き、大変、参考に成ります。 語がk力は日常の会話能力に加え、見識・価値観がバックボーンにあってこそ、その意見や提案を伝え説明説得力に変換&展開するのが、プレゼン能力なのでしょうね・・・

その他の回答 (1)

noname#202494
noname#202494
回答No.2

5)その他で、いくつか、日本人の美質が異文化の人たちとの交流を妨げている点をお知らせします。 まず、会議の時の即決性のなさ。 これは、和を持って尊しとなすを旨とする、あるいは根回しをした上で会議に臨むのが当たり前の国民性をもった日本人には、信じられないほど難しいことなのです。 例えば、私がアメリカの小学校のPTAの会議に出たとします。そこで、問題点が出る。。。いじめの問題でも良いです。。。すると、お母さん方は直ちにこの問題を追及する委員会を作ろう、といいます。そして、必ず、委員長になりたい、と立候補するお母さんが出て、彼女が、月に二回、何曜日の何時から自宅で委員会を開くとその場で決めます。十分間でここまで決まります。 そして、委員になるお母さん、責任者になる先生の見当をつけて、その日のうちに、委員会がたち上がります。PTAの会議に出ていたお母さんの中から委員が何人か出て、委員長と、問題の追及を、”その場”で始めます。これが、当たり前の会議の姿です。 日本での会議のように、これを上役にもって言って、来週もう一度。。。ということはありません。会議の出席者には、それだけの権限と責任が与えられているからです。 次に、笑われると”バカにされた”と傷つきがちであり、自分の家族の話をすると、”自慢話”ととられがちである。 笑われたら”うけた!”と喜び、家族の話は、”貴方と親しくしたい”というしるしなのです。その辺りが変わってゆくと、初対面の人とでも、楽しく、笑いながら家族の話しができるのです。そうして、自分のことを周りの人に理解してもらっておくのが、コミュニケーションをとる上での下地となることが多いのです。無駄口がきけるなら、きいておくに越したことはないのです。 最後に、3)ですね。 特に男性は、あまり親しくない人、あるいは、何人かの聞き手の前で話をする機会があったとしても、喜んで話し始める人が少ない。選択があれば”沈黙”を選んでしまう。 私は、明石家さんまさんが英語を話したらどんなだろう、といつも想像してしまうのです。うちの近所の(アメリカ人の)おっちゃん達でも、あのぐらいはなす人はたくさんいます。やたらとうけ狙いです。黒柳徹子さんは、英語がお上手だそうですが、やはり、たぐい稀なコミュニケーション・スキルをお持ちだからだと思います。 小学生の子供達に、毒にも薬にもならない読み書き英語ではなくて、自分の感情や状況を的確に相手に理解させるような、教育システムができるよう、祈っています。 私は、日本独自の文化は素晴らしいものだと思っています。でも、そのために、誤解を受けることが多いのは実に残念です。ここと、あそこを少し変えるだけで、滑らかに物事がすすむのに。。。と感じることが多いので、長文になりましたが、回答しました。

lions-123
質問者

お礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 種々の視野視点からの分析・考察をお教え頂き、大変、参考に成ります。 さんま氏の英語での話の比喩・ケーススタディは分かり易く、色んな事が思い浮かび考えさせられる・・・ 語学力は日常の会話能力に加え、見識・価値観がバックボーンにあってこそ共感や受容に繋がるのかも・・・ さらに、その意見や提案を伝え説明説得力に変換&展開するのが、豊富な情報の中から抽出されたエビデンスやデーター、それを活かすプレゼン能力なのでしょうね・・・

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