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日本語の乱れについて

年とると今の若い奴は、今の世の中はと云う人がいますが、わたしもその一人かもしれません。 が、まずアナウンサーのしゃべり方です。やたら”ら”と“れ”が多すぎる。例えば~をなさられていらしゃるのですか。また、今後もご活躍なされるよう~。--敬語と受け身の言葉と混同しています。近ごろは身内の「死」を亡くなったと云います。身内は「しんだ」でいいんです。もう1つ総理大臣が身内の大臣に「職務をきちんと果たして「いただきたい」。これも「職務を果たしなさい」でいいでしょう。とにかく言葉が丁寧過ぎて言葉の本来の意味が分かりにくい。皆さん「どう思われますか」。意見聴きたい。反論も。

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  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.3

そうですね。 アナウンサーが乱れると、日本人全員が乱れる 危険性があります。 それから、やたらひらがなが多いのも 気になります。 私は、NHKの高校講座を視ているのですが、 最近、やたらふざけたというか、易しすぎる というか、ものすごくレベルが落ちた教え方 をしているのも気になります。 面白おかしくは良いのですが、あれで 勉強になるのかしら。

その他の回答 (4)

回答No.5

敬語の誤用はたしかに耳障りなことも多いですね しかし、何が正しい日本語なのか、と言われると果たしてどうでしょう 庶民や貴族のその時はやった言葉がそのまま残っているものなどはたくさんあります 言葉が時代とともに変化していってしまうのはしかたありません きっと平安時代や江戸時代にも言葉使いの乱れを憂いた人たちがいたはずです 余談ですが、卜部兼行は、最近カッコつけて読みにくい名前をつける人が増えたね、と嘆いていたそうです

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15359)
回答No.4

 言葉は生き物である。常に変化している物である。  それと、それぞれの職業的な部分での言い回し方などもあります。方言の違いも有ります。    この方言もくせ者でして、敬語がない言葉もございます。  過去には武士の言葉、町人の言葉、公家の言葉などなどそれは様々です。話し言葉に書き言葉。これもことなるのです。あまりにも複雑ですし、生まれ育った時代とか異なった人間が大勢いますから、正しい日本語と決められても直ぐに対応できない人も居る。その人達の言葉を聞く子供達もいる。ある意味バイリンガルな状態ですが、正しくない日本語も継続されていきます。  NHKは比較的注意されていますが、わざと正しくないいい方もあります。それは耳で聞いてわかりにくい場合、混同されやすい物などが変化を付けている場合もあります。  それと、相手に合わせるという場合もあります。つい、つられてという。  あまりにも決まった言葉でとか考えると、ちょっと昔の言葉とか分からないようになりますし、失われていく言葉も大切にはしたいですね。  私は正しい日本語って無いと思っています。方言無視ですか? それに言葉は変化していく物ですから、それは認めないことなんでしょうか?と反論します。  

  • jess8255
  • ベストアンサー率45% (1084/2359)
回答No.2

あなたの仰るとおりですよ。言葉のプロであるアナウンサーの日本語にも「おいおい」と呟くことも多くなりました。 総理大臣や政治家の発言もあなたの仰る敬語と受身形の混在と誤用が目立ちますね。同時に出る字幕ではそれを直してある時も見かけますが、多くはそのまま垂れ流しです。私はムッとしてよく放送局のサイトから意見を送ります。さすがNHKは誤りを認める返信をよこしましたが、民放は放置プレーです。 さて、総理大臣にとって閣僚はどんな大物だろうが、自分の部下であり身内です。野田総理は民主党代表でもありますから、輿石幹事長や前原政調会長も部下です。いったい世の中のどこに、記者会見の社長が部下のことで「○○専務にはよくやっていただいている」だの、「・・・していただきたい」だのと言うでしょうか。部下だって他人の前で自分の会社の社長のことを「・・・していらっしゃる」なんて言いません。言えば無教養、無学とバカにされます。 よほど部下が尊敬の対象か(あり得ない)、あるいは何か弱みでも握られていて部下として扱えないのでしょうかねえ。部下だからと言って呼び捨てにする必要はありませんが、謙譲語や尊敬語はやめるべきです。

回答No.1

   二重・重複・過剰 ~ 敬語は無料の化粧品である ~    日本語の敬語は、天皇を頂点とする階級制度が生みだした文化です。  英国民も、クィーンズ・イングリッシュで語っていないはずです。  麻生さんの漢字ばかり非難されたが、安倍さんのテニオハも怪しい。    落語の大家さんも、八っあんや熊さんの乱暴な言葉づかいをたしなめ ながら、あくまで寛容な立場で接してきたのです。  法のもとで平等になっても、品格や教養に格差があるのは当然です。    いつか天皇も、歌会始で「まくりけるかも」と詠まれるでしょうか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1367681848  憂国文法 ~ しまくる、しまくら、しまくり、しまくれ ~    日本語の命運は、翻訳ソフトが理解できるような進化が望まれます。 http://adlib.hatenablog.com/entries/2012/06/10  起承転結入門 ~ わたしの過去回答より ~  

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