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どちらの人間の方が「良い」?
- 周囲の視線を気にせず、また周囲の雰囲気に流されず、個人的見解を伝えれる人間。
- 周囲の視線を気にして、最後は結局周囲に流されてしまう人間。
- 周囲の人間と行動を共にすることでその人たちと仲良くなっていき、仲間外れにされる確率は下がる。
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質問者が選んだベストアンサー
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質問の書き方に誘導性を感じました。質問者本人が(2)なのでそちらを擁護してますね。 (1)の形容が実に否定的で読むほどに、(1)が嫌いになって行きます。 私は(2)を選びますが「良い」というのは誰にとってでしょうか。独裁者にとっては国民は皆(1)でいてくれたら嬉しいですよ。
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- hyakkinman
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(2) 世界中にひとりくらいは、私の意見を認めてくれる人がいる。 そう信じれば、孤独ではない。 だから、自分が信じる道を歩きます。 自分の意見があるのに、他人に迎合する生き方は、ひとりの時間になった時に、たまらなくむなしくなるので嫌です。
- vk4501
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私自身は(2)の人間です。
- thomasa
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人間というよりも「態度・姿勢」に関するアンケートかと思います。 (1)は、消極的態度。 あまりにも、情けない。いわゆる「人見知り」というものです。 事なかれ主義とも言うようです。 (2)は、積極的態度。 ただ、No.1の方が、すでに回答されていますが、 「しかし」以降が、(1)の人の考え方ではないですか? 周囲と対立したりぶつかったりしながら、一人の人間として成長していく。 裏で悪口を言ったり、仲間外れという幼稚なことをするのは、どうなのでしょうか? 常に、何かに怯えながら、一人になった時に孤独を感じているのは、(1)の人なんです。 (2)の人には、同じく、一人の人間として自立した強い人が集まってきます。 「私は、○○と言います。」と、正々堂々と自分を売り込める人と、(1)のように、逃げて逃げて逃げまくる人と、どちらがいいのでしょうか? 判断は、お任せいたします。(^^)
- ka28mi
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40過ぎの会社員です。 「しかし」の前後が必ずしもそうなるとはかぎりませんね。 (1)の自分の意見を言えない人間というのは、ある意味、「その人でないと」という引力のない人間なので、他に人を引き付ける魅力がなければ、誰からも積極的に誘われることはない人間になるケースもあります。 (2)は前後が少し矛盾しています。 「自分の考えをうまく相手に伝えることができる」なら、「対立したりぶつかったり」はしません。自分の考えを主張はできるが、そのテクニックが「上手く伝える」とは言えない場合にぶつかるわけです。 それに、人間は色々いますので、何人かとぶつかったからと言って、周囲全部と対立するわけではありませんし、実力のある人間であれば、少なくとも、その方面においては人がついて来ます。 ご質問の真意が、周囲の状況を観察し自分の意見を殺してでも周囲に合わせる方がいいのか、周囲を気にせず孤立の可能性があっても自分の意見を主張する方がいいのか、ということであるなら、正解は「ケースバイケース」だと思いますよ。 たいして重要でもないと思っている事や、周囲の大多数の意見が違う中で、自分の意見に固執して譲らないのは、視野が狭いでしょう。 でも一方で、何一つ自分の意見を言わない人間は、仕事でしたら、不要な人間です。作業員としては有能であっても、企画立案や計画推進の場にはいらないと切り捨てられます。 たとえばゲームなどで、オリジナリティがまったくないゲームを、わざわざ金を出して買う人はいないですよね。 でも、ハード、ソフトの両面で、操作性も展開も、何もかもが既存のゲームとまるで違ったら、覚えにくくて仕方がないと思いませんか? 人間も同じ事です。個性の主張も、周囲との協調性も、どちらも必要です。