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日本人の宗教観

年末年始になると良く取りざたされるのが、日本人の宗教観ですね。 クリスマスを祝った一週間後には除夜の鐘を聞き、年が明けたら初詣に行く。 よく考えたら確かに変というか、国が国なら異教徒として迫害されてもおかしくないほどです。 個人的にはこの宗教観もアニミズムの流れを汲んだ、いかにも日本人らしい文化として肯定的に考えていますが、みなさんはどうですか。

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  • ベストアンサー
  • hekiyu
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回答No.5

日本人の基底にある宗教てのは神道です。 神道、といっても国家神道のように、人工的 に造られたものではなく、太古からある 原始宗教としての神道です。 この神道は、万物に魂が宿っている。 だから、人間は自然の仲間であること、 清浄であれ(生命が瑞々しい様)、 先祖を想うこと、ぐらいが教義で、他には ほとんど何もありません。 入信の儀式なんかも無いし、それどころか 信者であるとの自覚も不要という宗教です。 文部科学省によりますと、日本人の宗教は 神道が1億1千万人で、仏教が9000万人です。 でも、神道の信者であるという自覚を持っている 日本人はあまりいないでしょう。 この神道は、万物に魂が宿る、と考えますから 多神教的になります。 だから、一神教のキリスト教も、日本に来れば八百万 神々の一人になってしまいます。 仏教も神道的に変容されて受け入れられています。 この神道の特徴ですが。 1,キリスト教やイスラム教のような、激しい宗教戦争  てのが少ない。 2,教祖てのがいないし、殉教てのも無い。 3,教義も教典も無いから、世界に広めることが  難しい。 4,一神教のように白黒をハッキリさせないから  哲学のような学問が育たない。 5,自然を大切にする傾向がある。  日本は、これほど経済が発達しているのに、国土に占める  森林の割合は、世界第三位。 等々があります。 私は、この神道てのは好きです。 色々な神様が仲良く共存するてのは、集団主義を 執る日本に適合していると考えます。 もったい無い、てのは、万物に魂が宿っているから どんなモノも大切にしろ、ってことで経済原理とは 別のものです。

inuhou0810
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  • mekuriya
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回答No.6

そうじゃないんです。神道にも仏教にも信徒と異教徒を区別する概念が皆無なのです。日本は昔から来るものは拒まず、去るものは追わずが基本原理です。古代から半島や大陸から帰化人を受け入れてきましたが、それに当たって前提条件を設けたわけでもない。日本人にとっては宗教観は、あくまでその人の問題であって、他人が何教徒であろうと全く気にならないのです。神道は五穀豊穣を神に祈るというだけです。自分が一生懸命働くのは当然ですが、どうか神様のご加護がありますようにと願うわけです。目出度く米が取れたら祭りです。歌って踊って神様に感謝の意を伝えます。このように、祈るだけですから神道は信徒の言動を制約する要素が全く無い。仏教は煩悩に捉われる心が災いを招くのだと教えます。仏教に宗派は数え切れないぐらいありますが、それらは煩悩を解く方法論が異なるだけで、教義の違いではないのです。仏教は日本人の心の在り方を教え諭す宗教です。だから神道と仏教は相互補完的に共存共栄できるのです。仏教も神道も日本人の心の中では、全く矛盾せず両立できるのです。どちらにも排他性が存在しない。 これに対して、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、ユダヤ教は極めて排他性が強い宗教です。キリスト教の教義は異教徒は殺しても問題ないが、同じキリスト教徒を殺してはいけないという教義です。こういう教義ですから、信徒は信徒になることで社会から守られることになる。こういう教義ですから、他人は何教なのだろうかという強い関心も生まれます。これが西欧人の宗教観なのです。キリスト教は蛮族であるゲルマン民族を教化して、しても良いこととしては悪いことの区別がつくようにしたのです。獣のようなゲルマン民族をなんとか人間らしくすることがキリスト教、正確に言えばローマ・カトリックの最大の使命だったのです。こういう西欧の歴史を世界史の授業では全く教えない。日本の学校は何のために存在するのだろうか。

inuhou0810
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  • urax2
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回答No.4

まずクリスマスに間しては「宗教観」ではないですよね?初詣のように多くの人が教会へ殺到してミサに参加して祈りを捧げているわけではないですし……。まず江戸時代に地域を管轄する檀家制度ができて、どの家もどこかの宗派に属さなければならなかったのが1点。ほとんどの家の墓がどこかの寺にありますし。ところが戦時中には国家が神道を強要したために、ひどいところでは寺と神社が統合されちゃってるところも……。幕府の都合、国家の都合――それをそのまま引きずっちゃっている側面もありますよね?

inuhou0810
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回答No.3

日本は、元々多神教なのでなんでもアリです。 仏様もキリストも「神」としたら何でもありなんだと思います。

inuhou0810
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  • edomin7777
  • ベストアンサー率40% (711/1750)
回答No.2

クリスマスも除夜の鐘も初詣も… 全てただの「イベント」です。 子供の頃の運動会・遠足と同等なんです。 この頃良くテレビで見るんですが、神社に行ったときの作法をクイズ等で紹介していました。 宗教として初詣に行くんだったら、みんな知っているはずですよね?

inuhou0810
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回答No.1

拙は、無宗教論者ですから。 何の違和感も在りませんが。 何にでも便乗して楽しめば良いのでは。

inuhou0810
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