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ひとむかし前の大学受験は?
1960~1980頃の大学受験がどんな感じだったのか知りたいのですが 当時のことを書いてあるサイトや書籍をおしえてください。
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60年代末期~70年代初頭にかけては大学紛争がピーク。 東大医学部の学生がインターン制度に抗議。これに端を発し、またたく間に全国の大学に広がりましたね。東大に限らず以前より他大学医学部でも登録制度に対する問題はあったようで、また、多くの国公立・私立でも学費値上げ等に対する反対や抗議はあったようで、ここにきて一気に紛争に発展。 確か東大はその年の入試を中止したと思います。それほどに国を揺るがす出来事だったのです。 あと、国立大は一期校と二期校があり前者が一流(メジャー)、後者が二流(マイナー)というイメージがあり受験生や家族もそういった色眼がねで捉えていて、特にへんぴな地方国立大に行くより華やかな都市部の私立大へ行く傾向は当時からあったようです。 入試偏差値は当時も今も大きく変わりはないかと。今も昔もいい大学は入試の難易度が高いのも変りません。 東大・京大、をはじめ旧帝大、一橋、東工大、東京医科歯科、全国の国公立医学部・歯学部、をトップとし(偏差値:60以上)、私立では関東の早・慶、立教、明治、中央。関西では同志社、関学、といった特に伝統的名門校が上位で、理系単科大では東京医科、日本医科、順天堂医学部、東京理科、芝浦工大、東京歯科。女子大は津田塾、東京女子、日本女子、など。(偏差値:概ね、文系60以上、理系55以上)
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- yakuin_ryokou
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1979年に大学受験しました。第1回目の共通一次(今のセンター試験の前身)での受験生になります。 前年まで国立大学2校受験できたのが、1校しか受験できなくなりました。 公立大学は、受験日が別の学校もありました。(高崎経済大学など) 私立大学で、この共通一次を取り入れているところは、まだなかったと思います。 受験制度が大きく変わったために、前年までのデータがあまり役にたちませんでした。 入試難易度の序列は大きく変わらないものの、倍率が全く予想できませんでした。 それまでは、一期校が比較的上位の大学で、二期校が比較的下位の大学でした。一本化されたため、旧一期校志望でボーダーラインの学生は大変苦労したのではないかと思いますが、逆に下位校志望の学生は入りやすかったのではないかと思います。
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- staratras
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1973年に大学を受験した世代です。 当時は「センター試験」やその前身の「共通一次試験」が始まる前で、私立大学はもちろん、国公立大学も個別に入学試験をしていました。国立大学は試験の時期によって、一期校と二期校に分かれていましたので、受験生は2校受ける機会がありました。国立大学の入学試験は、普通1回でしたが、東京大学や一橋大学など大学独自に1次と2次の試験を実施して、選択式中心の1次試験で受験生の数を絞ったうえで記述式の2次試験を行う大学もありました。 40年近く昔のことで、私の記憶も細部は曖昧になっています。詳しいことは、大学受験の情報誌として昔からある『蛍雪時代』(旺文社)のバックナンバーを大きな図書館などでご覧になってみたらいかがでしょうか。ただし「合格体験記」の一部には多少脚色して書いている可能性があります。(実際に合格体験記が掲載された友人が「現実よりよく勉強しているように書いた」と話していました。)
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- nishikasai
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♯1です。 確かに当時は国立大学の評価は高かったです。 評価は、 国立一期校>早慶=国立二期校>公立大学>MARCH という感じでした。 あの頃は日本がまだ貧しく学費が安いことはたいへん重要な問題でした。 それと女子大の評価は高かったです。 あの頃、津田塾なんて言われたら(才媛だろうな)と思いました。お茶ノ水なんて言われたら近寄りがたかったです。恐らく当時は娘を男女共学の大学に行かせたら不良になるくらいに思っていた親が多かったんでしょう。
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- crocuscrocus
- ベストアンサー率0% (0/1)
ちょうどその頃大学受験がありました。 」 古本屋で遊んでいましたら、懐かしい書籍を購入しました。 昭和49年初版の「どの大学が入りやすいか」学研 オレンジ色の新書サイズの本です。付録に大学難易度一覧があります。 他の方の回答にもありますように、国公立は2校受けれました。 東大と医科歯科も受けれたようで、併願の合格結果、進学先も記載されています。 詳しくは省略しますが、現在とそれほど大きくは変わっていないようです。 農学部の人気が低く、工学部最盛です。 歯学部も人気でしたね。 早慶も結構人気があり、難しいかったです。 探してみて下さい。
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追加。 ・国立大学でも推薦入試が始まったのは,記憶では1990年代なかごろだったと思います。それまでは私立大学が実施していました。いまは,推薦,前期,後期,私立と受験回数がふえ,いわばパチンコ台であちこちの釘にぶつかったあげく,しかるべき穴に入る感じでしょう。むかしはもっと単純で,天釘にはじかれ,上下のどの穴に入るか,あるいは底の穴に入って浪人するかだったのです。制度を複雑にしていい結果になるためしはないと,ぼく個人は考えています。
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ぼくは書籍は知りませんが,あなたがなにかみつけたときの視点を書いておきます。以下は経験的な記述です。 ・以前は,国立大学に1期校・2期校の区別がありました。1つの大学では,いまの前期日程・後期日程のどちらかしか実施しないようなものです。当然に1期校(旧帝大+伝統校)に落ちた受験生が2期校を受けますので,その序列化や,2期校には大学全体として鬱屈した意識が生じるなどの問題がありました。 ・私立大学には,いまほどの評価はありませんでした。「国立に落ちた連中が,金を払って入れてもらうところ」。ぼくをふくめて古い世代には,こういう抜きがたい意識があります。 ・地方進学校の生徒の視野のなかで,地元の国立大学の比重が大きかったように思います。子供(とくに娘)を親元から離したくないとか,経済的に都会に行かせられないという家庭がたくさんありました。 ・センター試験(前身は共通一次試験)が導入されてから,全ての大学の序列化が進んだように思います。この質問コーナーでも,「○○大学と△△大学のどちらがいいでしょうか?」という質問が絶えないですよね。あんまり知能が高くはなく,「自分次第でどうにでもなる」という思考様式がない受験生なんでしょう。
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- dogday
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- nishikasai
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1966年(昭和41年)に受験しました。 私の年は史上最高の競争率と言われていました。 ぼくの頃は偏差値という言葉がまだ存在しませんでした。 旺文社という受験に関する書籍を発行する会社がやっている模擬試験を受けてその結果で志望校を絞りました。 貴方は○○大学xx学部志望なら合格率は65%です、とかそんな感じでした。数字はちょっと甘いと受験担任の先生が言ってました。 私は第一志望が55%、第二志望が65%でした。猛烈なラストスパートをかけましたが、第一志望は落ちて第二志望になんとかひっかかりました。
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