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東大名誉教授の嘆き、「今の学生は…」
東大名誉教授の嘆き、「今の学生は昔の学生よりはるかに非力」 具体例として ・難しい本は読めない ・まともな日本語の文章を書けない ・問題意識が希薄 等など、東大生さえこの有様では、地方国公立大学生や私大生は…。 こうなってしまった原因はいったい何だと思われますか? 教育行政の失敗でしょうか、それともここで批判されている学生達の側に問題がある? 皆さんはどう思われますか? http://www.gakushikai.or.jp/magazine/archives/archives_744_01.html
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- TANUHACHI
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ANo.8の続き。 ついでに言えば大内力も向坂逸郎も同じ穴のムジナ、どちらもマルクスやエンゲルスの考え方を根本的に理解せず実験室の中で作られた理論を馬鹿正直に現実に適用しようとしたレ○○ンやス○○○ンと何ら変わらない。自分達が批判した「権威主義」に自らが縛られていることにすら気の付かない哀れな姿を曝していることだけがせめてもの救いかもしれない。あんたらが政治の舞台でスポットライトを浴びていた時に、東大をはじめ全国の大学で学生も教員も自らの学舎の自治を守るためにギリギリの選択を迫られていたことを知っているかね。 あんたらの遺した負の遺産を俺たちが埋めることで四苦八苦していることに気が付かないのかね。現実を見ずに「社会科学」を看板に掲げられては迷惑するだけだ。
- AUGUUUAAA
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他の方の回答にもある通り、いつの時代でも言われていることです。 その代わり、IT技術など、昔の人たちにはできなかったことができるわけです。 それとも、「ゆとり教育」の弊害で、総合的に見て、実力が下がっているのかな? 大内教授のころの学生は、ふた昔前の学生に比べて、昔は常識だった「哲学」などには興味を示さなくなっていたはずで、古い教授から見ると驚きだったのでしょう。 その代わり、経済学に、数式をじゃんじゃん使って考察するとか、いろいろ変わってきていたはず。 もちろん、昔と違って、大学生の割合が増えていますので、いわゆるFランク大の学生などの質は、目を覆うばかりですけれど。
No.9の追記。もっとも重要なことがあった。 ・きさまらに,「教育」という概念があったかい。
帝大卒のジジイにバカにされっぱなしなのもしゃくなので(爆),ちょいとぼくらの世代からの反論も書いておきましょうね。 ・おれたちゃ,「横のものを縦にして」(外国の成果を国内で焼き直して)メシを食っちゃいないよ。(むろんむかしにも例外はある) ・おれたちゃ,侵略戦争に荷担しちゃいないよ。(むろんむかしにも例外はある) ・大学を「真の新制大学」にしたのは,おれたちだもんね。少し上の世代の第一次ベビーブーマー(団塊の世代)が起こした大学紛争は,「金持ち階級の帝大卒教授」と「わっと増えた貧乏人学生」のあいだの闘いの側面があるとぼくは見ているけども,残念ながら先輩たちは失敗した(おれたちゃその荒廃のなかに入学した)。帝大卒の連中に「定年退職」という引導を渡すには,年月が必要だったんだ。帝大卒の下働きに耐え,大学から帝大臭を排気し,庶民的に改革したのは,おれたちの世代だ。 ・おれたちゃ,学問する意味を社会のなかでとらえてるよ。きさまらに,この質問コーナーで高校生の初歩的な質問にも答えるような,社会貢献の気持があったかい。大学の広報活動なんて概念があったかい。講演料がただ同然の市民講座にホイホイと顔をだしたかい。環境問題のような社会的な問題を研究テーマにしたかい。金持ちのぼっちゃんには,できねえ仕事だよな。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
引用されている資料は経済学者の大内力氏の発言ですね。大内氏を含め戦後復興と高度経済成長期に様々な発言を社会に対して発信していた方々からみれば「物足りなさ」を感じてしまうのも致し方ないかなとは思われます。 戦後の大学教育が最も輝きを放っていた時期の人物は同時に南原繁を筆頭に丸山眞男などの政治学者が有名ですが、こうした先学が大切にした部分は「天下国家と学問の関係を如何に再構築するか」にあったことだけは確かです。少なくとも彼らには「苦い経験」があり、二度と学問を阿諛追従のための道具にしてはならないとの戒めも働いていたことでしょう。 さて当該の資料が作られたのは今から30年ほど以前、「共通1次試験」が導入された時期です。当時このシステムには大学側から猛烈な反発が寄せられていた。そこには「今は国公立大学のみに適用されているが何れは日本にある全ての大学に範囲が拡げられ、そのことにより『大学の序列化』と『学生・児童の間に線引きが行われる』との危惧」でした。少なくともこの時の危惧は現在、より一層鮮明化してもいます。 大学教育本来の目的がいつの間にやら規格化された人間の排出装置へと変質してしまったことは日本の将来に禍根を遺すと言わざるを得ないことに、大学教育に携わる者としては「取り返しの付かないことをしてしまった」と悔やんでも悔やみきれません。こうしたサイトで繰り返される質問に「偏差値が幾つで、この大学に受かるにはどうすればよいでしょうか」といった類の質問が繰り返されている背景と重なる問題でもあると考えます。「大学は学問を考究する場所」であり本来ならば「この学問領域を専攻するにはこの教授の指導を受けたい、だからこの大学を志望する」のが筋道であって、それがネームブランドとしての有名性や成績から合格可能な大学を選ぶといった主客転倒の様相を呈してしまう現実に現れてもいます。こうした点に基づき「今の大人達すべてに責任がある」というのが少なくとも僕の結論です。当時も今も日本では20歳以前の年齢層には「選択する権利」が付与されていないのですから。大人達は彼らの代弁者としても責任を果たさねばならないことになります。そして「学の自立(自律でもある)と復権」を取り戻すことが社会から信頼される学問の姿であるとも思われます。 ある意味、学問は近視眼的なスタンスが似合う性質の対象ではありません。けれども近代以後の日本は「追いつけ、追い越せ」を念頭に置き近代化路線を意図して突き進んできたことから、モデルである西洋の「成功例」に固執し「失敗例」の部分を切り捨ててきた、ここに問題の根があると思われます。それでも現在は独立法人となったため以前の旧帝大よりはマシ(完全な紐付きではないから本来の研究に没頭できるはずとの意味で)にはなりつつあるとも感じています。 ただ大内氏自身も別の面ではボスであったことも事実で「東大の看板」の上に胡座をかいている感も否めませんが。
- cigardansyak
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こういった類のことは古今東西言われていますよね。私はあまり気になりませんし、会社で若い世代の人と接する限りでは、私達の世代よりよっぽどちゃんとしていると思います。
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
そうかその時から劣化していたのか。 私は当時はまだ大学が遠い所にある年齢だからね。でもその頃から受験に対しての動きは強かったね。学習というよりテクニックの時代になっていったのかな。合格することだけを重点にしてきたので、学習して能力が高い人間よりテクニックとして高得点取れる人が入る時代だったのかもしれません。 その後バブルの時代に入りますが、私が大学受験という時期に友人の言葉で「大学は遊びに行くところだ」という意見が出た。私は勉強がしたくて行きたかったが、そんな考えで行くような所には行きたくなくなった事を思い出します。 高学歴は出世するためには必要と考えて居たので、無理にでも東大などに入れたい親と子どもが多かったのでは? 現在でもより悪化していますからね。 それと知識の偏りもすごいからね。昔の先生って結構多趣味でも有ったみたいですから。
リンク先を読まずに回答を書いちゃったもんで。 No.2の方>リンク先の日付は「昭和54年」ですよ。1979年、30年以上前。 わはは! 「今の学生」って,ぼくらのことだったんだな!
・「いまどきの若いもんは,なっちょらん」というぼやきは,古代からあったようなので,一部は年寄りにありがちな愚痴。 ・「もはや高等教育は維持できまい」という危惧は,敗戦後に新制大学が設立されたとき(大学生が一挙に増えた)にありました。ぼくらは,帝大卒のプロフェッサーに教わった新制大学の学生だったわけですが,「今の学生はバカばっか」と思われていたでしょね。そのバカがいまプロフェッサーになり,「今の学生はバカばっか」とぼやけば,一抹の滑稽さがありますね 笑。 ・マジになるべき問題は,「若者の上昇志向」が,他国にくらべてあきらかに低いことでしょう。日本社会が「老成」したからなんでしょうかね。 ・日本には江戸時代から,親が子供の教育に熱心で,庶民でさえ「読み書きソロバン」や芸事を習わせる特長がありました。いま,「お受験」やら「モンスターペアレント」やら「偏差値競争」とかではなく,真に子供の教育に熱心な良識のある家庭が減ったのではないか。そう考えると暗然としますね。
- FEX2053
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ええとそれって、明治時代から「教授」って職業の人間はいつも言っていたコトなんですけど。私も30年以上前の大学在学中に結構聞きましたよ。それも東大のセンセから・・・。
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