進化の過程で苦しまずに死ねる機能の理由と重要性

このQ&Aのポイント
  • 進化の過程で苦しみを感じずに死ねる機能を持つ生物の理由や重要性について考えてみました。
  • 生物が進化の過程で苦しみを感じずに死ねる機能を手に入れた理由やその重要性について探求してみました。
  • 進化の中で生物が苦しまずに死ねる機能を獲得した経緯やその意義について考えてみました。
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なぜ進化の過程で苦しまずに死ねる機能を手にしたのか

進化の過程で『苦しまずに死ねるような』機能を生物が持つに至った理由は何ですか? 単純に疑問に思いました。ビートたけし著の『たけしの死ぬための生き方』で『食われている生物は最初は苦しそうだが最後には気持ち良さそうな表情になっている』と書かれていました。また、鮭などの魚は卵を産んで受精させた後には幸福ホルモンが出て死んでしまうそうです。人間でも非常に高い所から落下すると地面に激突する前に意識を失う人も多いそうです。 なぜ進化の過程でこれらの機能を持つようにいたったのでしょうか。また、これらの機能は生きていく上で、子孫を残す上では維持すべき程に大事なのでしょうか。また、子孫を残す上で必要なら、どの様に必要なのでしょうか。 変な質問ですがよろしくお願いします。

noname#142902
noname#142902

質問者が選んだベストアンサー

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  • mrsamama
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回答No.54

mrsamamaです。 いつも、大変ごていねいなお礼をありがとうございます。 これはもはや回答ではないので、読み流してください。 お礼もお気遣いいただきませんように。 HPを見てくださったとのことなので、 これから先、ご縁があればメールも使えるでしょう。 あなたのお礼のトーンが微妙に変わったように感じました。 ヨロイが一枚、薄着になった感じがして… どちらが、という並べ方にあまり価値はありませんが、 私の方が教えていただくことが多いと思っていましたし、 それがトーンに出てきた感じがして、 あ、なんか関係がおさまりよく落ち着いた?みたいな印象。 オピオイドってのは、まったくよくわからないです。 でも、大学の臨床医などは「末期がんにはモルヒネが効かないんだよ」と よく言っています。 (「だから鍼」って、本当、ゴーマンだよあんたたちは、と思うけど。 実際、彼らはどこまでも「ねじ伏せる発想」の医療ですよね)。 もうひとつ、内因性に対して外来物質になるんだろうけど、 アヘン類は幻覚が違って、不快なネタなんだそうですよ(出所曖昧情報だけど)。 内因性ってことは、コントロールタワーである脳が 準備の上、承認の上の、いわば「末期対応チーム」の1パーツですよね。 でも、外来物質として投与されたものは、脳の予定外。 受容体も化学物質も同じで作用が変わってしまうとしたら、 臨死体験(の幸福感)の本質は脳が作り出すものであって、 オピオイドは仕事をやりやすくする導入剤に過ぎないんでしょうね…。 心(脳)の準備がないところにアヘンを入れても、 心の不安を反映した、いやなネタの幻覚になってしまう、ということかな。 こういう話は、私が「見たもの」を見たまま評価するから出てくるので、 ある意味、いーかげんです。 ただ、論理的にウラを取ろうとすると、 一気に情報が増えて、しかもバイアスがかかり、枠組みが狭まる。 ウラが取れればそれに越したことはないけど、 本質は直感で見た方がやりやすいんです、もちろん大間違いもするけど。 傲慢という言葉が、お礼の中に何度も出てきて(私が書いたせいもあるけど) 私もかなり傲慢です。人を蔑むし、見下したりもするし。 ただ、自分が「ともすれば傲慢さを忘れてしまう」ということを 自分で知っているのと、考えもしないのと、差ってそこだと思うんです。 医者が傲慢になるのは、これもう仕方ないことで、 「まるで学ぶ気がない患者」ばっかりと対峙してるんだから、なおさらです。 ある人が、歯医者で「口の中を無菌にして歯周病を予防する」といわれ、 無保険でマクロライドのシロップで朝晩のうがいを勧められたそうです。 呆れてモノが言えません。耐性菌増やすなんて、知ったこっちゃない。 誰でも同じ、医者に限らず善人もいるしクズもいる。バカも利口もますよね。 「自分の小さな箱から出る方法」というようなタイトルだったと思いますが、 自己啓発モノでありながら、うーん、と唸らせられた本があります。 箱とは「傲慢」のこと、「保守」のことなんだな、と、今言葉になりました。 フロイトが見つけた「防衛」―――測り知れない人類の泣き所。 思う、ゆえに我がある。 でも、動物は「自意識(我)がない」と言われているのに、やっぱり「在る」。 アイデンティティだってもっている。 現代の、目を覆いたくなるような退廃が、 全部「我、《思う》」ところから始まってきたとしたら…。 我、思うけど、我利はなくなった、でないといけなかったんだなー、 なんて思ってしまいます。 パスカルの時代も人々は勝手だったのだろうけど、 さすがに地球レベルで食い潰す憂慮までは、彼は考えなかった。 「結局のところ、」といえる現代、我利のある我、は致命的な気がします。 たった4%の「現実」で、科学が勝負している…っていうのは、 うーん、やっぱり数字(科学)って、モノゴト端的にわかりやすく説明しますね。 4%かぁ…少ないな、と思います。 HPからジャンプするネットマガジンの連載の最終回が 新しい本の最終章からの抜粋です。 トップページのリンクを貼っていないので、 ネットマガジンに入ってから、バックナンバーで跳ばないと出てきません。 ここに書いたことは、もうまったく空想のアソビなのですが、 でも96%(+ダーウィンとアインシュタインで1%ずつ)は 直感的に「見えるもの」だけで考えると、こうなるなー…という話です。 「たからじま」というタイトルで掲載しています。 慈悲や同情。 それは辛いですよね。 なんていうのかな、「殴られる辛さ・他人が殴られるのを見る辛さ」 どっちもどっちも…。 介入して「オレ、いいやつだ!」と 喜びのオブラートでも持ってないと、とても耐えられない。 小室哲也は、私はチャイコフスキーだと思ってました(笑)。 よく知っているわけでないし(何しろ何年もテレビを見てない) 「わかりやすく、親しみやすく、軽いメロディをどんどん作れる」 バレエ曲なんか聞いていると、チャイコフスキーってそういう才で、 小室哲也もコレだなー、なんて思っていました。認識、改めますです(笑)。 利益が優先すると、天衣にハサミ入れて飾り立ててしまうのでしょうかね… もったいないなぁ、現代人すぎたんでしょうね。 漫画は手にするまでにしばらく時間がかかるかもしれません、ごめんなさい。 でも、描いている人たちも医者と同じ、バカも利口も、善人もクズもいる。 最後にスローな雰囲気で回答書けて、よかったです。 多くは、あなたのおかげだと思います。 私はこんな風に、思って、スグ言ってしまう人間なので、 言葉は薄っぺらで、底が浅いといつも思っています。 それでも、そういう見方でいくつかは真実をそのまま見ていると思うし、 真偽の見分けがつかないから一緒くただけど…大事にしたいです。 終始、ご丁寧な対応をしてくださいまして、ありがとうございます。 また、お会いしましょう。互いの健闘・奮闘祈りつつ。

noname#142902
質問者

お礼

そうですね。私は人の縁には恵まれな人生だったので人に対して壁を作ります。鎧とも言えます。あなたのホームページなどを拝見してあなたの人柄などが分かって安心しました。割と迫害されてばかりの人生で、人が怖かったりするのです。私はバガボンドの主人公と割と似ていると思います。 そういえば西洋はねじ伏せる医療ですね。これは参考になりました。人体のフィードバックはまだ10パーセント程度しか研究されていません。(by標準生理学第6版)よってアヘンなどの外因性では体内のオピオイドと微妙に構造式や受容体の種類や作用も違うと思います。そのあたりももう少しくわしく調べると面白そうですね。ひとつ官能基がつくだけでも変わってしまう所が科学の奥深い所です。 私も傲慢ですね。色々と欲深くもあります。確かに己の醜さ・弱さを自覚しているか否かは大きな違いと思いますね。自分の悪を知らないか。自分の悪を知って反省するか。悪と知って、更に悪を犯すか。人間は3種類に分かれそうです。 <誰でも同じ、医者に限らず善人もいるしクズもいる。バカも利口もますよね。 私は人に順列やその様なラベルを貼るのは好きではありません。クズと思われる人も差別しないで、立派な人間に育てよう。そういう姿勢が私は大事だと思います。バカだったら色々と教えてあげれば良いと思っています。こちらのホームページでも。私だって苦労する前はわがまま放題のクズ人間でしたし、勉強する前はバカで仕方がなかったと痛感しています。私自身は誰も責められないと考えております。このあたりは少々価値観が違っているのかもしれませんが……。 慈悲と同意。そうですね。一方でかわいい子には旅をさせないと、とも考えています。昔、成る程と思ったやり取りがあります。「お前は死神とどこが違う。」「死神はお前に終焉をもたらす。私はお前に道を作ってやることができる。あとは自分で歩くが良かろう。」たとえ可哀想でも心を鬼にして鍛える、不幸に耐えさせる。そういう態度は大事だと思っています。自分自身も不幸で色々と鍛えられました。不幸は道を作ることも多いと思っています。 小室さんは私も最初は派手だと思っていました。しかし彼の歌の楽譜を手に入れる機会があって、それらを熟読したら(意外と単純なメロディー)と驚きました。シンセサイザーがうるさいだけで、メロディーラインはいい意味でシンプルでしたね。 こちらこそとても勉強になりました。昨日、産経新聞で衝撃的な内容が書いてありました。どうやら東北大震災に連動した大震災が関東・伊豆半島などで起こるのが確実だそうです。お互いに地震対策を万全にして生き残りましょう。そちらは都心に近いので、どうかお気をつけて。足袋よりも靴を履いてください。脱げない靴をはいてください。浮き輪は火の粉で溶けてしまいます。防火金庫ですら火災に1時間しか耐えられません。家や不動産はあきらめて体ひとつで逃げましょう。防火シートは「燃やして」処分します。防火シートでは不動産は守れません。私はそうします。川に飛び込むと深みに足をとられて溺れてしまいます。公共施設に逃げてください。公園では火の粉にやられてしまいます。子供という弱者を守れる小学校へ逃げてください。荷物は出来るだけもたないで逃げてください。命が大切です。荷物は後でどうにでもなります。 お互いに生き残りましょう。また何らかの機会であなたとの縁があると嬉しいです。この度は本当にありがとうございました。

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noname#160718
noname#160718
回答No.43

 Jagar39です。 >ただし、この場合、平均すればですが、そうでない可能性も起こってしまうと思いませんか?  集団の数、世代数が十分大きければその可能性は限りなくゼロに近ずいていきます。  十分な規模で調べる限り、どのシェパードの系統にも、それらの個体がほぼ等しい率で含まれるでしょう。  これを品種間の比較としても同じです。流行性疾病の有無、飼育場所の標高、飼育地、それらあわゆる条件はシェパードとラブラドールでほぼ等しいと見なせます。環境要因で異なるのは飼育方法と選抜基準のみ、となります。  そしてそれがシェパードとラブラドールの差を作り出した、ということが強く示唆されるわけです。  もちろんシベリアンハスキーとダックスフンドでは、飼育地に明らかな違いが認められます。でも、その結果は体毛や体型に相違点が見られることで帰結しています。  そもそも何を議論しようとしていたか忘れていませんか?  「望ましい性格を持つ犬を選択することで、その性格を品種という集団に固定することができた。このことは「性格が遺伝する」ことの極めて有力な証拠である」ということだったのでは?  飼育方法というのは、「選択淘汰の基準」に含まれますから、始めから考慮に入っているのですが、その他の要因、飼育地の国や標高、伝染病の流行まで「考慮」しないと、上の論理は成立しないのですか?成立しないのならそれはどういう論理によってですか?  というのが「科学の議論」なのです。 >生物でも食虫生物は攻撃的です。 >光合成しかしない植物は温和といえます  それは人の目から見た「擬人化」に過ぎないのでは?  食虫植物は虫を捕らえるときに「この虫を殺してやろう」という「意図」を持っているのでしょうか。 >音楽にはスイッチは本当にあるのですか?  判りません。私は個人的には多分あると思っていますが。解明はされていません。 >自然は音楽にあふれています。  それは「音楽」なのですか?  音楽とは、"能動的に"音を出すこと、さらにその「音を出すこと」自体に情緒的な意図を持つもの、というのが最低限の定義なのではないでしょうか。  自然の音を「音楽だ」と感じるのは、人間が既に「音楽」を持っているから、そういう認識ができるのではないでしょうか。  もし自然の音が「音楽」であって、故に「音楽のスイッチなどない」のであれば、他の動物も音楽を持っていなければおかしいですよね。チンパンジーならば楽団くらい作っているはずです。 >よく考えてみると専門書に書いてある記述すらも怪しいといえるのかもしれません。だからこそ論理が大事ということですか?  最初からずっと言っていることなのですが、知識だけ書かれていて背景の論理が十分書かれていないと、「この知識は鉄壁に近いのか、それともかなり怪しいのか、はたまた明らかな誤りなのか」という判断ができません。  また、きちんと論理が書かれていても、読み手の自分に論理を駆使する力がなければ、その論理が妥当なのか飛躍しているのかこじつけなのかを判断できません。 >逆に言えば客観性のない知識は怪しいとも言えますか?  怪しいというより判断不能、保留、という感じでしょうか。怪しいか否かということを論議できるレベルにすら達していない、という意味です。 >環境の変化も獲得すると私は思っています  それは「生物が獲得するモノ」ではありません。生物は環境によって選択淘汰される立場ですから。 >よって私は環境の変化も生物に影響を与えると思います  それは当然なのですが、その影響とは結局「遺伝子の変化」すなわち「進化」です。  生物が環境を改変し、その改変された環境に淘汰されて生物は新たな進化をする、という繰り返しが「地球と生物の供進化」の概念なのですが、別に生物学的に斬新な考え方でも何でもありませんし、生物が「獲得」するのはあくまでも遺伝子だけ、という点も変わりありません。 >人生は未知だらけ、将棋も未知だらけと私は思っています  未知の性質がまったく違います。  人生の未知には目的はありませんし、真実がひとつだけということもありません。将棋の「目的」は極めて明瞭なので、「未知」はその途中の単なる道程に過ぎません。  科学の「未知」が他と異なるのは、「真実はひとつ」という点です。もちろんひとつの現象が見方を変えることで様々な見え方をすることが多々あるのは承知の上なのですが、例えば「性格は遺伝するのか」という「命題」を設定した場合、その「真実の回答」はひとつだけなんです。  命題はもう少し明確に設定する必要がありますが・・「性格は遺伝子の影響を受けるのか」とか「性格に影響を及ぼす遺伝子は存在するのか」といったところでしょうか。  この命題に対して回答はyesかnoなのですが、「真実」は必ずどちらかに決まっていて、「人によって違う」とか「解釈によるね」などということがない、というのが「科学における未知」なのです。  その唯一の真実に辿り着くためのツールが「論理」です。 >しかし戦場では大多数の人間が死にます  その違いも「牛が人の死を理解している」ことが前提になってますよね。理解しなければ人がどれだけ死のうが牛にとっては知ったことではありませんから。  殺処分の現場では、人は死にませんが牛は「全て」死にますよ。人が死ぬ死なないが決定的な違いになる、という論拠はどういったものなのでしょうか? >牛はあくまでも死に対する理解が浅いだけであって根本的には死を分かっているという可能性はありませんか?  では、その「根本的には」というのか何か、という提案が必要です。死の何を判っていれば、「死を受け入れる」ことができるのか?という論点で。  私は既に、「永遠に動かない」と「自分も含めた全ての個体にいずれ訪れる」の2点を理解することが「死を理解する」最低条件、という提案を既にしています。  質問者さんも、必要があれば「死の理解」の必要条件を提案し、それに従ってこれまでに出てきた"現象"の再説明を試みてください。 ><だと思いますよ(笑)。 >これは肯定と否定のどちらでしょうか?  失礼しました。 「昔の人々は嘘を新聞に投稿するほどずる賢くないと思うのは私だけですか?」に直接答えている文なので、「だと思いますよ」というのは「私だけですか?」にかかっています。

noname#142902
質問者

お礼

<飼育方法というのは、「選択淘汰の基準」に含まれますから、始めから考慮に入っているのですが、そ<の他の要因、飼育地の国や標高、伝染病の流行まで「考慮」しないと、上の論理は成立しないのです <か?成立しないのならそれはどういう論理によってですか? はい、成立しないと私は考えます。気候によって非常に生物は影響を受けます。和辻哲郎さんが提唱する風土の考えに私は感動しました。宗教や文化の成立は風土による、というものです。同じ人間、ホモサピエンスでも白人と黄色人種はだいぶ違いますね。日本は神道です。ヨーロッパはキリスト教です。これらによって遺伝子も影響を受けます。たとえば日本人は和を大切にして、和を乱すような問題人は排除されます。よって日本人では自己主張の強い遺伝子は淘汰されます。逆に欧米人は戦闘タイプです。日本人のように内気で優しい人は淘汰されます。この様に、風土が違えばそもそも遺伝子も変わってしまう、というものです。様々な視点から遺伝子を考慮する為に広い視点が必要なのです。尚、和辻哲郎さんの説は有名なので、(高校の倫理にも出てきます)説明するまでもないでしょう。 <それは人の目から見た「擬人化」に過ぎないのでは? <食虫植物は虫を捕らえるときに「この虫を殺してやろう」という「意図」を持っているのでしょうか。 食虫植物は虫を食べます。その食べる為に虫を食べるのでは? これは意図とはいえませんか? 意図を持たなければ虫を殺さないのでは? <それは「音楽」なのですか? <音楽とは、"能動的に"音を出すこと、さらにその「音を出すこと」自体に情緒的な意図を持つもの、 <というのが最低限の定義なのではないでしょうか。 <自然の音を「音楽だ」と感じるのは、人間が既に「音楽」を持っているから、 <そういう認識ができるのではないでしょうか。 <もし自然の音が「音楽」であって、故に「音楽のスイッチなどない」のであれば、 <他の動物も音楽を持っていなければおかしいですよね。 <チンパンジーならば楽団くらい作っているはずです。 あなたの定義では音楽は行為を表す概念(act)になりませんか? 『音楽……心の高揚・自然の風物などを音に託し、その強弱・長短・高低や音色の組合せによって聴者の感動を求める芸術。』引用:新明解国語辞典、第6版、210項 と書いてあります。自然の音楽も充分音楽の条件を満たしていませんか? 逆に言えば音が音楽なのですから、会話ですら音楽になりえます。 <もし自然の音が「音楽」であって、故に「音楽のスイッチなどない」のであれば、他の動物も音楽を持<っていなければおかしいですよね。チンパンジーならば楽団くらい作っているはずです。 鳥は美しい声で鳴いています。カエルも鈴虫も鳴きます。異性を引き寄せる為に鳴く動物もいます。それで充分ではありませんか? 何も楽団になってどんちゃんやるのだけが音楽ではありません。また、音楽を知っていても音楽を演奏しなければいけない理由はありません。音楽を知っている人間でも楽団を作るのは『義務』ではありません。ホームレスも音楽は知っていますが、楽団は作っていませんね? 音楽を知っているから音楽を演奏しなければいけない、楽団で演奏しなければ音楽らしくないと私は思いません。音楽は楽しむものであり、ちょっとした歌遊びでも充分音楽です。(かごめかごめ、など)新明解国語辞典でもそう書かれています。 <知識だけ書かれていて背景の論理が十分書かれていないと、「この知識は鉄壁に近いのか、それともか<なり怪しいのか、はたまた明らかな誤りなのか」という判断ができません。 このあたりはその通りだと思います。有難うございます。 <怪しいというより判断不能、保留、という感じでしょうか。 <怪しいか否かということを論議できるレベルにすら達していない、という意味です。 そうですね。 <それは「生物が獲得するモノ」ではありません。生物は環境によって選択淘汰される立場ですから。 そうですか? 現代日本という環境は日本人の努力で『獲得した』と思いませんか? そして社会の変化に従って残っていく遺伝子も変わっていきます。 戦後すぐの日本では優しい遺伝子が残りました。昔は優しい人がいい人と言われていました。農村でも真面目に働くのが良しとされました。現代のようにサービス業が大多数を占めてはずる賢い遺伝子が残っていきます。 <生物が「獲得」するのはあくまでも遺伝子だけ、という点も変わりありません。 情報も獲得します。文化も獲得します。現代人は遺伝子だけでなく過去の人々の文化も上手に使って生きています。生物が獲得するもの、そして私が獲得しているものは遺伝子以外にも沢山あります。 <人生の未知には目的はありませんし、真実がひとつだけということもありません。 逆に目的が無いと断ずることは出来るのでしょうか? 真実がひとつでないと証明できるのでしょうか?  小学生の喧嘩といわれましたが、あなたがそう思う理由を教えて下さい。 <将棋の「目的」は極めて明瞭なので、「未知」はその途中の単なる道程に過ぎません。 そうでもないようです。勝つためではなく、様々な遊びがあります。勝つだけが将棋と思っているなら、将棋についてあなたはあまり知らないのでしょう。失礼ながら。 <この命題に対して回答はyesかnoなのですが、「真実」は必ずどちらかに決まっていて、「人によって<違う」とか「解釈によるね」などということがない、というのが「科学における未知」なのです。 と、いうことは基本的に科学では白か黒かしかないのですか? 私は科学は両極端だと思います。フジテレビのビルは見る角度によって違って見えます。そのように白と黒で決められない物事はいくらでもあると思います。科学は万能ではないのでは?  <その違いも「牛が人の死を理解している」ことが前提になってますよね。 <理解しなければ人がどれだけ死のうが牛にとっては知ったことではありませんから。 <殺処分の現場では、人は死にませんが牛は「全て」死にますよ。 <人が死ぬ死なないが決定的な違いになる、という論拠はどういったものなのでしょうか? 人の生死がかかった状態では緊迫感が違う、ということです。あなたも自分が安全で大量に牛を殺すのと、あなた自身が殺されかねない戦場では全く精神状態が変わってくるはずです。まして殺すのが牛ならまだしも人を殺すのは嫌と思いませんか? 戦争で10人殺した人は戦争が終わっても一日中酒にまみれていました。人を殺すというのはそれ程重く苦しい行為なのです。たった10人殺しただけで人生に耐えられなくなる位の。牛を10頭殺した人間は一生酒まみれになりますか? 殺処分と戦場は決定的に違います。あなたは戦場について研究したことがありますか? <質問者さんも、必要があれば「死の理解」の必要条件を提案し、 <それに従ってこれまでに出てきた"現象"の再説明を試みてください。 科学は白と黒しか無いというのは疑問に思ってしまいます。この世に絶対的な物事はあるのでしょうか? ソクラテスの無知の知を覆せる絶対的な物事は存在するのでしょうか? 何事も反例があるのでは? 利己的な遺伝子という本でも彼が使った概念の前提自体があやふやではありませんか? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BA%94%E5%88%86%E5%89%8D%E4%BB%AE%E8%AA%AC ↑さえも証明できないのでは? <「昔の人々は嘘を新聞に投稿するほどずる賢くないと思うのは私だけですか?」に直接答えている <文なので、「だと思いますよ」というのは「私だけですか?」にかかっています。 明治の人は現代では考えられないほど厳しいのですが……。食事中は口を利いてはいけない、などと。テレビも消して無言で食事です。それが明治時代の人間です。現代人とは全く違う人種ですよ、昔の人間は。そう考えると私は一般人が新聞に嘘を投稿するとは信じられません。横井さんにしても。 色々と嫌なことも書いたかもしれませんが、また教えてくださって有難うございます。鍛えられて成長している自分を感じています。

  • thegenus
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回答No.42

(No.28) ネズミの群れが数の調整をするのに自殺なんか必要なわけないでしょ(笑)それは自然をなめている視点です(笑)なんで自ら数を減らすの?実に自然をあまくみているね。なんか地球がネズミであふれかえるとか書いていましたよね。本気ですか?遠慮しないでやってみろと言いたいね。 どさくさまぎれに本の宣伝だけしっかりしていますが、あまくみてるね。 私は自分の評判の向上につながるような手前味噌をしていません。学会だとか、出版だとか、そういう議論外の利益を持ち込まない人が、誰よりも正しい議論の参加者なんですよ。基本ですよ。 言うだけ言って自分は傍観者などというのは、一番汚い根性です。 脳天にお灸がいるね。 (No.41) >「議論のサイドテーブルにいる感じなので、私は傍観者になります。」 当事者でもないのに横から皮肉を書き込んだら、ぜんぜん傍観者じゃないですよ。 私はそういうのが一番、未熟な人間だと思いますよ。当事者じゃないんだから。 傍観するなら傍観して置けばいいのです。出来ないなら傍観者じゃないの!傍観者とか専門家とか宣言すればそうなれると思っていたら幼稚園生です。 もっぱら人の批判して、論理についての批判ができないんじゃないですかね。そういう理屈っぽいのはダメとか言っているだけで(笑)生物学じゃなくてレス見物者の感想文です。 何度も何度も小学生のケンカがどうとかそればっかりじゃないですか。それでも自分の事を傍観者というのなら自分の事が分かっていない。人に自然を教える前に、自分の不出来を考えたら。質問者さんは分かっているのに謙遜している面が多いですからね。見習ったら? しかも傍観者になる宣言をした後にすぐこれです。↓ (No.41) >「それから、獣医はすごいですよ。 >ヒヨドリからカモノハシから、ヘビまで診てしまえる。 >なにしろ問診できないんだから。 >コミュニケーション力は、医者の比じゃないですよ。 >場があって価値があるわけだけど、医者の知識は広いようでいて、大して広くない。 …… >どうもありがとうございました。 >お邪魔しました。 」 さんざん言ってお邪魔しました、ですか。そんないやったらしい自分の方が大人だと思っているなら、ザマスババアよりイケスカナイネ。獣医の知識がどれほど医学的に広いの?(笑)どうかしている大人が結構いますね。浅い知識で人を任せて良いのか!?真剣に考えて物を言っているのだろうかね。 自分の発言を守れない所が獣医と気が合うのでしょうね。終わりにするといった人が一番連投したり、傍観する人が専ら人物批評しているし。そういう言っている事とやっている事が正反対なところに注目して、客観的に論者を評価できるんじゃないの。自分の主観と関係せずに。客観的に矛盾している行為でしょ。インチキ先生ってのは、国家資格のある人に擦り寄って、自分も身内みたいに振舞いたがるんですよ。皇族や上流階級をかたるまがい物もそう振舞う習性があるでしょ。詐欺師ってそうですよね。質問者さん。私は鼻が利くんですよ。 「ヘビやカモノハシ相手に問診がとれない」(笑)小学生ですか?いくつ?生物カテをなめてんじゃないの? 問診とれるわけないでしょ(笑)どう答えるの?「先月から目が白くかすんで見にくいです」動物に先月も白くも概念が有るかよ!問診の意味が分かっていないんじゃないの。でもおかげで、獣医は医者や看護師とは全然違うことがはっきりしたよ。やはり床屋ほどのリスクも任せられないということだな。注文聞くこともせずに自分勝手に決めるんだろ(笑) そんで、問診とれないのに、コミュニケーションがとれるって、どういうこと。どうやってとれていることが分かるんだよ。自分には分かるっていうのが一番やばい人ですからね。どうやら典型ですかね。そんな感じしませんか。 獣医は動物を治療しているだけだろ! 客観性のない動物信者には、人間において、人間に通じる話ができない方が問題だというのが分からないのでしょうね。動物とコミニケーションする獣医の方が偉いってわざわざ主張する年寄りがまさに餓鬼だろ。餓鬼のへ理屈もいいところだろ。ガキだからコミニケーションとか、ちゃちな言葉使って説明した気になるんだよ。 ヒトに通じる話をできない人が、他の動物とは、コミュニケーションできるんだ?(笑)それが偉いんだ(笑)そっちが偉いんだ?あのさ、獣医が人の患者の問診取れてから言う事じゃないの? まったく獣医ってすごい人だね。わくわく動物信者に受けるんだろうな。 ウォレスは質問者さんが言うように心霊主義なのですよ。どこの教会がウォレスの考えをうちの宗教だと言ったのですか(笑)科学も宗教も歴史も知らない。参加意欲と小姑根性。 勝手な心霊主義のようなものを認めないのが宗教の権威なのですよ。科学と対立してたわけじゃないの!それも知らないの?科学と対立しているのはいつの時代もトンデモ先生なのですよ。今でいう科学は、宗教界が担当していたんだよ(笑)ケプラーもメンデルも本職は何?科学ではなく、勝手な心霊主義を始めると、一般大衆から危険視されるんですよ。大丈夫?今、この日本でもそうですよ。ご自身の思想は危険視されていませんか? まさかダーウィンの反宗教性が、時代的に革新的だったと思っているのですか?(笑)二世紀ぐらい頭がズレてんじゃないの?ガリレオが生きていたらいくつですか?(笑)ダーウィンの時代がどういう時代だったか、知らないのに書いてるんでしょう。間違いなく、中世じゃないですよ(笑)教会と反対意見を出した物語なら、それは中世という短絡思考。いまだ中世なのはご自身の脳ミソです。 ダーウィンは皆が待ちに待っていた自然選択説をまとめた人なのですよ。当時、それにショックを感じて、おどろいたのは、時代遅れの宗教かぶれだけです。加えてトンデモ先生も反対したのです。 実際、みんなよくやってくれたと思ったから、「種の起源」が売れたのですよ。 その時代にあわない事をして、成功するわけないだろ!(笑) EBMとかそれこそ、言葉遊びでしょ(笑)何で?EBM?カッコいいと思っているの?EBMがどうしたの?EBMって書きたかっただけ?EBMよりも動物コミニケーションが偉いんでしょ(笑) 言葉遊びじゃなくて生物学的な説明をしたら?名前自体に効力が有ると思ってないか?そんなの中世以前の霊界人間だな。TCAとか、書けば説得力になると思っていないか。知ってるの?少しは勉強したの? (No.32)What's for?いるか?この英語?臨死体験の話に。For言葉遊びである事が象徴されていないか。生物学的な論理で頼むよ。議論の説教するよりも。 傍観者なら外にいるので、批判したくても批判できるわけないのですが、どうしてでしょうね。 動物は観念的な苦しみも知らず、黙って神経伝達物質を使うと仰る。どういうコミニケーションがとれてるのでしょうね?コミニケーションってカタカナ、これも言葉遊びじゃないの(笑) (No.28) >「地上がレミングで埋まってしまってはならない、―――「倫理観」。 >突飛な解釈だと思われるでしょうけどね、 >ネズミごときであっても、「周囲への申し訳」を心得ているということです。」 突飛というよりも、支離滅裂ですよね。分かりませんか?ネズミは何にも考えてないんじゃないの?どっちなの?自分の一連の発言が、どっちでもいいという回答者が多いね。 初っ端、エンドルフィンが死に際のような時にしか分泌されないとか言っていましたが、結局どっちなの。どっちでもいいの?そんな得がたい物質だったなら、研究対象にもならず、小姑ババアにまで名が知れるほど有名になっていませんよ。まさにまさに言葉をかじっているだけの発言者ですね。 b-w-step さん、No.36のお礼、ありがとうございます。「中世」の部分を除いて、他は賛成できますね。仰るとおりを連発したくなりましたよ(笑)私は少しも権威になびきませんね。なびくという行為は、極めて不誠実でしょ。自己批判精神があれば、そう思うはずです。その自己批判精神を持っている事が、個人が尊重される社会の恩恵を受けられる、人間の条件じゃないのでしょうかね。 原発の問題も日本人が権威好きだからでしょう。コンプレックスがあると権威の太鼓持ちをして威張る人がたくさんいるんですよ。私や質問者さんみたいに個人で議論できない人が、ものすごく多い。 (引用1)(かれとはダーウィンのこと。視覚器官の進化について) 「かれは、自然選択を擬人化した。」…… 「自然選択は」……「「まえよりはっきりした像を生じるようなそれぞれの変化を注意深く選りわける力がある」」……「(岩波文庫版「種の起源」245頁)」 だまされやすい方面にもいろいろと有るわけですよ、質問者さん。わくわく信者はいけませんね。ここの質問者さんは徹底的な否定こそが正しさの証というお考えなのです。 おっしゃるように知識は大事です。しかし結論を学ばれるのは発展性がありません。地盤の強化にもなりません。考え方を学ばれた方がいいと思います。信じるという事はではなく、学ぶのです。 自らを「知識原理主義」というのには知的に笑えましたよ。自らの知識を神格化していない、まともな人である証拠です。質問者さんは!まともです。

noname#142902
質問者

お礼

<ネズミの群れが数の調整をするのに自殺なんか必要なわけないでしょ(笑) そうかもしれません。自動的に数は調整されるので自殺も必要ないともいえますね。鋭いです。 <学会だとか、出版だとか、そういう議論外の利益を持ち込まない人が、 <誰よりも正しい議論の参加者なんですよ。基本ですよ。 私も学会は利益が絡むので嫌なのです。 <言うだけ言って自分は傍観者などというのは、一番汚い根性です。 確かに、本来なら傍観者という言葉は良くないとも言えますね。彼女は既に3,4回は回答しているので獣医さんとあなたに次いで回答の数が多いです。 <当事者でもないのに横から皮肉を書き込んだら、ぜんぜん傍観者じゃないですよ。 皮肉とは私は思いませんでした。確かに耳が痛い言葉でしたが、彼女の言うことにも一理あると思いました。色々と学べたのも事実です。あなたは彼女のどこから学べたのだ? と思うかもしれません。何からでも学ぶ。全ての人に教えを請う。そういう態度が大事だと思っています。 <何度も何度も小学生のケンカがどうとかそればっかりじゃないですか。 本来なら大人のケンカも小学生のケンカと変わらないと思います。しかし大人の場合はずる賢くケンカするのでより性質が悪いとも言えます。小学生のケンカはまっすぐなので私は好きですね。大人は性質が悪いです。 <質問者さんは分かっているのに謙遜している面が多いですからね。見習ったら? 謙遜は大事だと思います。自分を謙遜するというのは即ち相手を尊重することだと考えています。相手を尊重しようと思うなら逆に自分を飾り立てられないと思います。謙遜とは相手を尊重しますよ、という意思表明です。 <どうかしている大人が結構いますね。 大人は皆がどうかしています。そしてどうかしたほうが出世します。それが大人の社会です。内心嫌でも上司の機嫌をとり、同僚とは腹の中を探りあい、部下をちくちくと虐める。そういうのがサラリーマン社会では出世するのです。医者などの専門職でも基本的には変わりません。教授のご機嫌をとって自分も出世する。それが大人の社会です。だからこそそういう所がいやになって学会も入らないのです。 <動物に先月も白くも概念が有るかよ! <獣医は動物を治療しているだけだろ! こういう文面はあなたが不利になるので書かないほうが良いと思います。あなたの気持ちは分かりますが、これは罵声に近いとも言えます。(私はここでは良い人を演じていますが、実際には罵声を飛ばすこともあるので、あなたを責める資格はありませんが)ここはぐっとこらえて賢く機知を効かせた方が効率よく物事を進められるはずです。 <ヒトに通じる話をできない人が、他の動物とは、コミュニケーションできるんだ?(笑) ヒトと他の動物は違いますから。 <勝手な心霊主義のようなものを認めないのが宗教の権威なのですよ。 <今でいう科学は、宗教界が担当していたんだよ(笑) <科学と対立しているのはいつの時代もトンデモ先生なのですよ。 そうなのですか。勉強になりました。有難うございます。 <今、この日本でもそうですよ。 最近、変な宗教や思想が流行っていますね。 <EBMとかそれこそ、言葉遊びでしょ(笑) そうでもないようですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%8B%A0%E3%81%AB%E5%9F%BA%E3%81%A5%E3%81%84%E3%81%9F%E5%8C%BB%E7%99%82 実際にいくつか医学書でEBMがもっともらしく書かれていました。大人の社会とはそんなものです。 <自分の一連の発言が、どっちでもいいという回答者が多いね。 私もそれはあると思います。反省します。 <私は少しも権威になびきませんね。なびくという行為は、極めて不誠実でしょ。 素晴らしい態度です。見習います。 <その自己批判精神を持っている事が、個人が尊重される社会の恩恵を受けられる、 実際はこの社会では個人は尊重されません。悲しいですが、それが現実なのです。それで最初は純粋だった若者もその悪に染まるものです。むしろ善で純粋な人こそ潰れてしまいます。学年一優秀だった人もそれで自殺してしまったのです。個人が尊重される社会など私は無いと思っています。それは建前です。大人は本音と建前を使い分けます。そしてそれがよくない、と。 <コンプレックスがあると権威の太鼓持ちをして威張る人がたくさんいるんですよ。 それは私にもいえるかもしれません。 <私や質問者さんみたいに個人で議論できない人が、ものすごく多い。 そうですね。資格も地位もとっぱらって個人になった時の実力。それを知りたいと思います。実力がないから資格や地位に頼るのでしょう。そしていつのまにか実力よりも資格や地位を求めるようになってしまうのでしょう。悲しいですね。 <ここの質問者さんは徹底的な否定こそが正しさの証というお考えなのです。 丁寧に噛み砕いて回答する。無意味な肯定よりは徹底的な否定のほうが良いと思います。 <しかし結論を学ばれるのは発展性がありません。地盤の強化にもなりません。 <考え方を学ばれた方がいいと思います。信じるという事はではなく、学ぶのです。 そうですね。このやり取りで一番嬉しかったのはこのあたりを教えてもらったことです。本当に有難うございます。 <自らの知識を神格化していない、まともな人である証拠です。 <質問者さんは!まともです。 有難うございます。私もあなたは非常にまともな人だとしみじみと感じています。だからこそやり取りをしていて嬉しいです。 彼女はあなたに「個人攻撃するな」と書かれています。私もそれは正しいと思うのです。しかし一方で個人攻撃されかねない態度をとってはならない、とも思うのです。ましてあなたは年下。年上の人間は年下の人間を教え導くのが役目のはずです。昔から世代間格差はありました。実は世代間格差はありません。事実、私も親子ほど世代が離れた人と交流することがありますが、自分が相手を尊重すれば世代は関係なく分かり合えています。そして私は今、個人攻撃はされていません。それは私は個人攻撃されると自分の悪い所を気付いて直しているからです。勿論、自分が悪かったら謝ることは忘れません。個人攻撃をされるならば悪い所がきっとあるのです。火の無い所に煙は立ちません。 一方で私はこうも思います。正直に何でも言ってしまったらこの世は成り立ちません。あなたが学生さんなら考えたことがありませんか? 何故、数学を学ばないといけないの? と。この答えは数学教師には出せません。と、いうよりも数学を学ぶ理由を正確に出した教師を私は知りません。学校制度も同様です。学校で教師は生徒に「勉強しなさい」と言います。理由は説明しません。「教養が大事だから」。教養とは学校の勉強だけですか? 進学校では生徒に言います。「東大に入りなさい。東大に入れば可能性が開けますよ。」本当にそうですか? 東大に入って自殺した人、東大に入って狂った人、東大に入って部活動で死んでしまった人、東大に入って逮捕されたライブドアの堀江さん。 学校制度。それは大人のわがままではないでしょうか。現在、学校制度に限らず、その様なしがらみが幾らでもあります。自己主張は成されても理由が説明されていない。たとえばなぜアナログ放送からデジタル放送に変わったのでしょうか。国民の中でデジタル放送を望んだ人はどれくらいいましたか? 国民投票をしましたか? なぜデジタル放送に変えてしまったのでしょうか。皆がテレビを買い換えたら環境負荷が大きいです。デジタルテレビのほうが高度なのでレア・アースの消費も高度になってしまって困ります。私が内心思っているのはテレビを売る為に制度を変えた、ということですね。デジタル放送への変化に伴って何とかタワーを建設しました。あのタワーの傍には川が流れています。主と直下型の地震が起こったらあのタワーは危険とは思いませんか? すぐ傍に川があるのですから。あそこの住人も「この辺は地盤が弱いから不安」と言っていました。 なぜ何に対しても理由を丁寧に説明しないのでしょうか。なぜ資格で縛るのでしょうか? 薬剤師あたりだったら私は2年通えば薬剤師と同等の働きが出来ます。国師だけなら1年以内に合格できます。しかし6年通ってお金を沢山貢がないといけません。同じ様な人は幾らでもいるはずです。実力があってもお金が無くて学校へ行けない人。実際、奨学金を貰っても返せずに生活保護に転落した人もいます。そういう矛盾があります。 逆に問いましょう。あなたは自分の子供に「勉強しろ」と言った時、その理由を何と説明しますか? 子供から数学を勉強する理由を教えて、と問われたらどうやって説得しますか? 子供から「何でホームレスがいるの?」と聞かれたらどうしますか? まさかホームレスは駄目な人間だから、と言いますか? 違います。ホームレスは恵まれない、不運な人ばかりです。子供から「なぜ地球の環境を破壊するのに車に乗るの?」と聞かれたらどうしますか? 子供から「なぜホームレスを皆が助けないの?」と聞いたらどうしますか? 少し知恵のついた子供に「色々な宗教団体があるんでしょ? なぜホームレスを宗教団体は助けないの?」と聞かれたら? 最早絶句するしかありませんね? この世とはそういう所であり、矢張り自分もホームレスを見殺しにしていて、食事のたびに他の生物を殺しています。 http://www.youtube.com/watch?v=ywRIyiDhswc ホームレス映画です。

noname#142902
質問者

補足

補足欄ですみません。大人も我侭といえます。一方で大人にも理由はあるのです。悪には悪なりの理由があるのです。 死んだら何も無くなるというのが普通の人の感覚です。死んだら全ておしまいだったら、死ぬ前に好き放題したいと思いませんか? 私だったら死ぬ前に好きなことをして死にたいと思います。たとえ悪になってでも人生を謳歌したいと思いませんか? あなたはどうですか? ずる賢く生きて人生を楽しんで死ぬ。清く美しく生きて他人にこき使われて虐げられて一生が終わる。あなたは善に生きることが本当に幸せだと思えますか? 良心は痛まなくても苦しいことばかりの一生と、良心が痛むけれども楽しいことだらけの人生。あなたはどちらを選びますか? この選択肢を提示されても、あなたは本当に善として生きられますか? 私は悪に生きても責められないと思います。私は彼らの気持ちも充分分かるからです。 そして。歳を重ねるたびに叶えられなかった夢が増えていきます。歳を重ねることは想像以上に残酷です。私自身の場合は 出生:普通の身体で生まれたかった 幼年時代:普通の家庭環境で生きたかった 少年時代:普通の人間関係を持ちたかった 青年時代:善に生きて大いに損をした 中年時代:家族を持ちたかった 老年時代:こんな人生は嫌だった と苦しみが増えているのです。本当に善に生きればこうなります。これでも、あなたは善に生きますか?  善とは自己犠牲です。良心が痛まなくても心の傷は間違いなく増えます。良心や理想というものだけを守って他を犠牲に出来ますか? 他人からの尊敬も得られず(人を陥れて出世すれば他人に敬ってもらえますね)、家族も持てず(善は他人に陥れられて損をします。そんな人と結婚しようという奇特な人は普通はいませんね)、楽しい思いも出来ず(美食や賭け事やビリヤードなどの娯楽には縁の無い人生ですね)。 あなたはこれ程のどん底の人生を生きてでも善になりたいですか? 苦役列車という小説が芥川賞をとりました。善に生きれば簡単にあのようになります。苦役列車の主人公も悪に生き、他人を落としいれ、矛盾を無視して利己的に振舞えばいくらでも出世できたはずです。しかし彼は善に不器用に生きて苦役という列車に乗ってしまいました。利己的にずる賢く生きれば良心が痛むけれど享楽的という列車に乗れる可能性は非常に高いですよ?  大人は悪です。しかし善に生きることも大変です。私は大人、というか利己的な人たちを責める気にはなりません。傲慢な人達ですら傲慢さによって自分を肯定して自分を守っているのです。この世が苦しみならば悪になって自分を守ることすら当然ともいえます。 そう。人間は悪です、というより悪の部分は必ずあります。それはこの世が苦しみに溢れているからです。他の生物を殺して犠牲にして食べて生きていく。そのような苦しい世界では醜くなるのがむしろ当たり前です。ブラックジャックによろしくという漫画でも『この世で純粋でいたいというのはエゴだ。悪になれ。さもないと悪に呑み込まれるぞ』などという台詞がありました。この世は誰もが幸せになれる場所ではありません。必ず犠牲の出る世界です。善という理想論はこの世という場所では通用しないのです。理想は理屈で思うだけです。ビートたけしいわく『できないから理想なんだよ』その通りです。 善は綺麗ごとであり、学校の道徳教育も綺麗ごとです。道徳を教える位ならホームレスを助ける方が余程良いことです。しかし実際の教師でホームレスを助ける人など私はほぼ知りません。夜回り先生は立派な方ですが、他の先生はそうでもありません。日本の高校には偏差値によるランク付けがあります。ですので高校教師でも『偏差値の高い高校は砂漠の中のオアシスだ』などと言っている位です。本当は逆だと思うのですが。偏差値の高い高校にいる優秀な生徒など大した教育は必要ありません。むしろ底辺校といわれる高校の生徒たちにこそ重点的に教育を施し、導き助けていくのが本来の教師の姿であり、それこそが教師のやりがいのはずです。しかし実際は『夜間高校にいるような生徒はクズだ。』などと言う教師までいます。 だいぶ厳しい文面ですみませんでした。読んでくださって有難うございました。

  • mrsamama
  • ベストアンサー率41% (35/84)
回答No.41

mrsamamaです。 私の方こそ、ありがとうございました。 「理由付けはいらない」ということではなく、 私もかなりキッチリ帳尻は合わせてから納得する方ですし。 ただ、言葉って麻薬みたいですよね。 繰ることで何かを得ると、何でもできるように思えてしまう(無意識に)。 言葉がすべてみたいに中毒すると、 アタマいいヒトでも、かなり片手落ちなところで満足感得てしまう… 言葉はどこまで行っても、 「ならオマエ、照明してみろよー!」っていうガキのケンカの論理と同じですもん。 総合力と言葉は別ですから…このテーブルのメンバーがみんなそうであるように♪ 議論は、論旨自体を戦わせるものであって、 発言者を攻撃するようになってくると、もはや議論ではなくなる。 議論の勝ち負けとか優劣とかは、観客席から評価するのはいいけど、 当事者がこれをすると、これまたもはや討論ではなくなる。 私も、ウォレスの宗教的解決は、あの時代の「ごく普通」だったと思います。 「ウォレスは心霊主義」という評価は、現代の価値観だし、マスコミ的下世話な評価だと思う… 彼の軌跡を辿ると、引用されていたせりふ (偶然の変異が純粋に偶然なら、こんな結果になるわけがないだろう)を理解するのに、 神、だから天国、だから心霊現象…ごく妥当だと思うな。 なにしろ、アダムとイブはサルだったなんて…ありえない時代。 私たちと違うのですよ、テレビも新聞も百科事典も、 みんな「人間は神が泥こねて作った」って言っていれば、私たちだって… ダーウィンの「理に徹し方」は、あくまでも自然淘汰と突然変異を押し通し、 ウォレスの「理に徹し方」は、あくまでも「不自然すぎる好都合」を追求した、 だからダーウィンの進化論は、正道だけど、今も「アナがあるじゃん」と突っ込まれ (突っ込むのは、もっぱら陰口的にですけど) ウォレスは奇行する変人と呼ばれてしまう。 ま、現段階でみた限り、ダーウィンの方が正道だね、という状況。 「事実を感情で曲げた」とは私は思わないので、 その辺はJagar39さんとは、ちょっと考えを異にするんですけどね…。 少なくとも感情じゃないと思うけど、彼の価値観いまさらわからないですから。 議論のサイドテーブルにいる感じなので、私は傍観者になります。 ひとつ、前から気になっていたことがあって、 たまたま口蹄疫の話が出ていたので、書いてしまいますが、 私は、あれって、殺処分しなければならない疾病と思えませんでした。 ウィルスは確かに広がるけど…殺さないとダメ? いかにも鳥フルの理解をそのまま横流ししたような結論でした。 政治がらみで天然痘ウィルスをばら撒く、なんてフィクションを思い出してしまう、 私には、茶番に思えてならないんですよ…政権交代の直後、っていうのがね。 それから、獣医はすごいですよ。 ヒヨドリからカモノハシから、ヘビまで診てしまえる。 なにしろ問診できないんだから。 コミュニケーション力は、医者の比じゃないですよ。 場があって価値があるわけだけど、医者の知識は広いようでいて、大して広くない。 医者はヒトだけだし、動物は触れないですからね。歯医者なんて口だけだし。 専門範囲もあるにしても、獣医というのはスゴイなぁと、私は思います。 「どっち<どっち」が価値だと思うヒトにはわからないかもしれないが。 (ヒトと畜生、にしても、オマエとオレ、にしても) どうもありがとうございました。 お邪魔しました。 ..

noname#142902
質問者

お礼

<ただ、言葉って麻薬みたいですよね。 確かにこれは鋭いですね。言葉に頼っているのが私達人間ですね。 <言葉はどこまで行っても、 <「ならオマエ、照明してみろよー!」っていうガキのケンカの論理と同じですもん。 確かに餓鬼の喧嘩の論理は大人の論理と名付ければ正当化させられそうですね。 <議論は、論旨自体を戦わせるものであって、 <発言者を攻撃するようになってくると、もはや議論ではなくなる。 確かにそうですね。私自身も攻撃していることが多々あった気もします。気をつけたいと思います。 <ひとつ、前から気になっていたことがあって、 <たまたま口蹄疫の話が出ていたので、書いてしまいますが、 <私は、あれって、殺処分しなければならない疾病と思えませんでした。 <ウィルスは確かに広がるけど…殺さないとダメ? <いかにも鳥フルの理解をそのまま横流ししたような結論でした。 私もそれは不思議に思っていたのです。口蹄疫で殺処分するのは極端ではないか、と。他の国でも口蹄疫で何百万頭も殺した、というのを見て何かおかしいとは思っていました。 <それから、獣医はすごいですよ。 <ヒヨドリからカモノハシから、ヘビまで診てしまえる。 <なにしろ問診できないんだから。 <コミュニケーション力は、医者の比じゃないですよ。 そうだったのですか。言われてみて気付きました。 あえて書きづらい内容を書いてくださって有難うございました。熱くなっていて恥ずかしいのですが、少しは冷静になれました。

noname#160718
noname#160718
回答No.40

 Jagar39です。文章量を抑えようという努力はしているのですが・・・なかなかコンパクトにならないですね。 >しかし学会という場が本当にすばらしいか、考えてしまいます  素晴らしいか否かという問題ではないんですよ。前にも書きましたが、しょせん人間のやることですから学会でも国会でも町内会でもどこだって本質的にはたいして違いはありません。  私が何かひとつでも学会に入れば如何でしょう、と薦めるのは、それが学問について議論をする「土俵」だからです。土俵に上がらなければ相撲取りとは認めてもらえない、というのと同じ単純な理由からです。  断っておきますが、学会にも感情的な反論、反論のための反論、他人を否定することで自分を肯定しようというような人はいます。どこにだっていますよ、そんな人は。そんな人たちは相手にしなくて良いです。どうせ誰からも相手にされていませんから、そういう人達は。それも他の社会と同じです。  ただ、学会は「議論の場」なので、科学的な議論の方法、つまり何かを立証あるいは論証する方法を徹底的に学ぶことが可能だ、というだけのことです。  質問者さんが広く浅く専門書読みを趣味にしている、というだけなのであればこんなことは薦めませんが、「徹底的に勉強する」のが信条であるならば、何かひとつだけでも学会で議論できるレベルの分野を持った方が良いと思います。普通は「徹底的に」というのは、これがその「入り口」ですから。 >本当に完全なら酷評しようがないものです  そんなことはないです。  どんなに完璧な学説でも、理解できなければその人にとってはただのゴミですから。 >もし利己的な遺伝子論が完全に正しいならばキリスト教やイスラム教などが解体するはずです  それも違うでしょう。信仰と科学は別だからです。  ちなみにキリスト教では1996年にローマ法王のヨハネ・パウロ2世が進化論を受け入れる発言をしています。でも、それと教義は別ですよね。  キリスト教の教義は「学説」ではありませんから、科学的知見とどんなに矛盾しようが修正する必要はない、と無神論者の私でも思いますから。 >少し読んだのですが、彼はまっすぐな議論をしていない印象があります。何かと例を出したりして論旨が丁寧でなく感じてすぐに読みやめてしまいました。今度また読んでみます  それは「専門書」の、知見のみを淡々と書き連ねる書き方に毒されてますよ。  少なくとも「反論の足がかり」をたっぷりと与えているという点で、ドーキンスの本の議論はこの上なく丁寧です。  ただし、たいていの人が思いつく反論については、再反論は既にその本の中に用意されているのですが。もちろんそれは本になる前に多くの学者との議論を経ているのでそれも当然なのですが。 >それなら基礎を学会系でさらっと勉強して、その後はそれぞれの専門書を学会に所属しないような人達のを使って学ぶというのもありだとは思います  逆ですね~。  学会系は少なくとも「基礎を勉強する場」ではありません。専門書で基礎知識を勉強して学会でみっちりそれを生かす、というのが普通、というかほとんど唯一のあり方です。  それに、「はそれぞれの専門書を学会に所属しないような人達のを使って」というのも不可能です。仮にも専門書を書く人が学会に所属していない、ということはあり得ません。  学会に所属していないと論文を書けないです。論文はその学会員でないと投稿できませんから。そして「研究者」の評価は論文が全てですから、学会に所属しない研究者、というのはチームに所属しない野球選手と同じくらいあり得ません。  私は「研究職」ではありません。他の業務のいわば片手間に試験研究をして発表しているのですが、それでも「学会」には5つ所属しています。これでも最近ようやく2つ抜けたんですよ。もう2つほど抜けたいのですが・・・年会費だけで3万ほど払っているので・・・  試験研究をするときには「予算」が当然無いので外部から公募型の予算を取ってきたり、学会発表するにも旅費は出ないので自腹で行ったり他団体から助成してもらったり、論文投稿は自腹切るしかないですが、そんなわけなので所属学会は1つで十分なのですが・・・  普通の研究者は最低でも私の倍は入っています。専門書を執筆するような偉い先生は、3つや4つの学会で理事とか評議員くらいはしているはずです。 >しかしこういう場合はその上の人を敬う為に査読を甘くする可能性はありませんか? 個人情報や査読者は不明とされていても、本気で調べれば分かるはずです。  まあ人によるかもしれませんが、私は何も遠慮しませんでしたが。「この箇所、意味不明」なんてコメントしてましたから。  私の場合はブラインドとはいつても、編集委員として所属と氏名が公表されているので、モロわかりです。それに私のところに査読が回ってくるのは「私が得意分野だろう」という事務局の判断によるものなので、すなわち著者もたいていは知り合いなんです。  もっと大きな学会であればブラインドにもそれなりの実効性があるのですが、私の場合はまあ形式みたいなものですね。 >例えば私もあなた(Jagar30様のことです)の個人情報(氏名、住所、電話番号、経歴)などは調べようと思えば調べられます。手間がかかるので普段はやりませんが……  あまり手間もかからないかと・・・  このサイトでも私はあまり積極的に自分の素性を隠そうとはしていないので、けっこう簡単に判ると思います。  「Jagar39さんって貴方ですよね」ってメールが年に10通くらい来ますから。  別に素性を知られて困ることは書いてないので。 >逆に言えば私が挙げた学会の情報をあなたが切り捨てたとしたら、あなた自身が学会を否定することになるとは思いませんか?  それは、知識そのものではなく、その知識を使った「貴方の論理」にツッコミを入れているわけです。  それと、「学会とは議論の場」なので、否定は学会の否定には繋がりません。学会の中でもやっていることですから。 >これは納得させれば良い、ということになりませんか?  簡単じゃないですよ。  世の中の大半の同業者を「まあこういう見解もあるのか」と納得させるには、議論のテクニックではなく本物の論理が必要ですから。

noname#142902
質問者

お礼

<質問者さんが広く浅く専門書読みを趣味にしている、というだけなのであればこんなことは薦めません <が、「徹底的に勉強する」のが信条であるならば、何かひとつだけでも学会で議論できるレベルの分野<を持った方が良いと思います。普通は「徹底的に」というのは、これがその「入り口」ですから。 私は楽しく学んでいくつもりです。楽しさを第一に学んでいきます。勉強は遊び。その本質を忘れたくはありません。一方でむしろ学会にとらわれずに自由に学んでいきたいとも思っています。 <どんなに完璧な学説でも、理解できなければその人にとってはただのゴミですから。 誰にでも理解させるように説明するのも完璧さに含まれると私は思っています。理解できるように噛み砕くことも大事です。 <それも違うでしょう。信仰と科学は別だからです。 そうですか? 信仰を打ち砕くほどのものが完璧な科学だとは思いませんか? 私は科学が完全な形になり、それが信仰と一致しないならば信仰は砕かれてしまうと思います。最後は科学はそこまでいくと私は考えます。 <少なくとも「反論の足がかり」をたっぷりと与えているという点で、 <ドーキンスの本の議論はこの上なく丁寧です。 そうだったのですか。知りませんでした。しかし反論すらさせない素晴らしい内容をなぜ彼は書かなかったのでしょうか? 丁寧な議論では反論の足がかりすら与えないはずです。 <逆ですね~。 <学会系は少なくとも「基礎を勉強する場」ではありません。専門書で基礎知識を勉強して学会でみっち<りそれを生かす、というのが普通、というかほとんど唯一のあり方です。 逆ですね。学会系というのは学会系の参考書を指しています。基礎を勉強する場では正しくない学会系なら私は学会と書きます。  <それに、「はそれぞれの専門書を学会に所属しないような人達のを使って」というのも不可能です。 <仮にも専門書を書く人が学会に所属していない、ということはあり得ません。 ここでの専門書の定義を覚えていますか? ギャノング生理学などです。それは難易度では基礎に含まれます。上の文章の専門書が指しているのはもっと突っ込んだ内容のものです。この専門書の定義の違い、あなたは気づきませんでしたか? また、この言葉尻を取り上げるのは大事なのでしょうか? <学会に所属していないと論文を書けないです。論文はその学会員でないと投稿できませんから。 しかし論文を書けなくても専門書、即ち総論に対する突っ込んだ各論は書けますし、事実、私はそのような本も持っています。 学会に所属して議論すると仮定します。あなたのような方と議論するのは大事ですが、それでは実力は伴わない気もします。学べることは多々あります。一方で矢張り議論に勝つためでは相手の言葉尻などを取り上げることが多くなってくるのでしょう。このお礼でも2つ、言葉尻を取り上げられました。それなら、自分なりに学んだほうが実りは多いと感じます。こういうのに煩わされるのは私は好きではないのです。 厳しいことを書いて申し訳なかったのですが、色々と教えてくださって誠に有難うございました。

noname#160718
noname#160718
回答No.39

 Jagar39です。 >一方で単純化すれば単純化できるとも思います  「単純化」というのは、自分でやるのなら良いのですが、単純化された結果だけを勉強しても背景の複雑さは理解できませんよね。  雑学のごとく手当たり次第に読んで「ああ、そうなんだ」と自分で納得するだけなら良いのですが、その知識を基に何かを解明しようとか誰かと科学議論をしようということなると、英語に例えると単に洋書を読むのではなく、長短はともかく自分で英語の小説を書く、というのに等しいです。 >そういう意味ではあなたもそういう遊び心、子供の純真な好奇心でもって学問に向かう気持ちを持って欲しいです  私にとっては進化論がまさにそうなのですが。専門分野の知識や経験もかなり生きているので、遊び心だけでやっているわけではありませんが。他にもいろいろありますが。  いずれにせよ、私の場合は「知識の収集」を目的としたことはありません。  知りたいことが先にあって、そのための参考文献の収集から実験方法の検討をし、実験結果をまとめて考察をする、という、まあ普通の科学的手法ですね。理系分野だけでなく、文系分野でも同じことをしたことがあります。文系分野だと「実験」はしないので、文献収集と考察に終始しましたが。  それらは「趣味」なので別に論文を書くわけでもなく、webに書き殴っただけで終わっていますが、その趣味の専門誌から原稿依頼は来ました。結局仕事の方が忙しくてすっぽかしてしまいましたが。  息子の小学校4年生の時の夏休みの自由研究で、「エベレストの頂上では水は何度で沸騰するか?」という課題を与えたことがあります。webで調べれば一瞬で判るのですが、きちんと実験をして論証せよと。  で、いろいろな標高の場所でお湯を沸かしてその温度を測定し、グラフを描いて8850mでの沸点を推測する、という方法を息子が考えたので(サジェスチョンはしましたが)、高精度な電子温度計を買い与えていろいろな標高の場所に連れて行って実験させました。まあ国内なのでせいぜい3000mまでのデータしか取れませんが。  で、息子は小学生なので方眼紙にデータをプロットしてデータ間に直線を引いて、その延長上のx=8850の位置のyの値を読む、という方法でエベレスト頂上での沸点を推測し、レポートにまとめて提出しました(もちろんそのやり方は自分で考えさせた)。  私は裏でこっそり、息子が取ったデータから回帰式を出してエベレスト頂上での沸点を計算したのですが、共に68℃くらいの結果が出ていて、かなり正確な結論が出ていましたね。  webで調べれば5分で判ることですが、「知識」だけを得ても意味はない、と思います。まああくまで小学生の話ですが。  どうすれば「知識」に辿り着けるかを考え、データを集め、それをまとめて考察して結論に辿り着く過程そのものが「科学」ですから。  専門書そのものを否定するつもりはありません。私も使ってますから。  ただ、そこから得られた「知識」は、それらを繋げて自分が考えた「論理」に組み込めなければ意味はない、とまでは言いませんが時には却って危険です。  動物は「死」を知っているか?→幼児は「死」を知っているか?という議論の中で、質問者さんは、「少なくとも専門書には幼児は死を知らない、という記述は知りませんでした」と書かれましたよね。  私は、専門書に「幼児は死を知らない」というそのものズバリの記述は必要としません。むしろそうズバリ書いてあってもそのまま信用はしません。これはエピネフリンを投与すると心拍数が上がる、というようなシンプルなステートメントではありませんから、専門書であろうが論文であろうが、「この著者は何故この結論に達したのか」という論理が詳細に書かれていて、それに納得して初めて「幼児は死を知らない」という記述を受け入れるでしょう。  ですから、専門書にそんな記述がなくても、他の記述から論理的に導けることもあるでしょうし、身の回りの「現象」だって論拠になり得ます。「単なる経験談」ではなく、客観性を持たせることができればですが。 >ここで前提として疑問に感じるのが機能を遺伝子と仮定してしまうことです  質問が「進化の過程でその機能を手に入れたのは何故か?」だったので。  この質問そのものがこの「機能」を「遺伝子」と仮定しています。そのつもりはなかったのかもしれませんが、「進化の過程」で獲得するのは遺伝子だけです。生物学で言う「進化」は様々な定義の仕方がありますが、その1つに「集団内での遺伝子頻度の変化」があります。(他の定義は遺伝子の関与を必要としない、という意味では決してありません) >ノミによって作られた機能は遺伝子によるものではありません  遺伝子によるものです。  まったく同じノミの一撃を加えても、素材(すなわち遺伝子)が違えば、できる形は違うでしょう?  ノミの必要性を否定するのではありません。もちろんノミの一撃がなければ最終的にその形にはならないわけですから。  でも、遺伝子が違えばやはり最終的には同じ形にはなりません。10歩譲っても、同じ形にするには違うノミの使い方が必要になります。さらにそうしてできた「同じ形」でも、次にノミの一撃が加えられたときには違う形になってしまいます。  そういう意味では、「ノミによって作られた機能」は、ノミだけでは決してできなかったし、遺伝子だけでも決してできません。  性格のような環境に対する反応性に関連する「機能」は、後天的な影響を受けて形成されるのが前提なので、「遺伝子が主体か環境が主体か」という議論自体に意味がない、と思います。彫刻は素材が主体かノミが主体か、という議論に意味がないのと同じです。 >数学や将棋などでは身につきませんか?  学校で習うような知識は、大学の学部レベルまではあくまで「知識」です。  上に挙げたエベレスト頂上での沸点推測にしても、息子に「方眼紙にグラフを描く」という「算数の知識」がなければ推測は不可能ですよね。同じデータを使って私がこっそりやった方法も、回帰式の使い方という数学的知識がないとできません。  「未知のことを論証によって推測する」論理は、あくまでその中でしか身につかないと思いますよ。 >まさかあなたが実際に戦場に行ったことはないでしょう  口蹄疫の殺処分の現場は、戦場もかくやと思うほど異様なムードがありましたよ。その場にいる人間は心のどこかの回路を自分で切っておかないと、その場にいることすらできないくらいの。  それと、「戦場だからこそ牛は死を覚悟した」という論旨は、「牛は死を知っている」ことを前提にしないと成立しませんよね。  この事例はそもそも「動物も死を知っている」という主張の論拠として提出されたのですが、その論拠が「牛は死を知っている」ことを前提にしないと成立しないのならば、これは循環論法に陥ってしまいます。  牛が「死」を知らないのならば、戦場がどれだけ異様な状況であろうとも、牛はそれを自分の死と結びつけることはできないはずです。 >昔の人々は嘘を新聞に投稿するほどずる賢くないと思うのは私だけですか?  だと思いますよ(笑)。  大本営は先の戦争中、真っ赤な嘘を発表し続けていたのですから。もう少し時代を遡れば謀殺や暗殺が当たり前の世の中ですし。  それと他でも触れたと思いますが、何でもない行動を「死を覚悟した」というような思いこみをした可能性も高いです。  とかく人にとっては、動物が自分とはまったく違う目で世界を見ているとは想像するのが難しいですから。

noname#142902
質問者

お礼

<Jagar39です。 何度も本当に有難うございます。 <「単純化」というのは、自分でやるのなら良いのですが、単純化された結果だけを勉強しても背景の複<雑さは理解できませんよね。 そうですね。純粋に学ぶだけでは限界があるかもしれません。少なくとも自分で考えることは大事でしょう。 <雑学のごとく手当たり次第に読んで「ああ、そうなんだ」と自分で納得するだけなら良いのですが、そ<の知識を基に何かを解明しようとか誰かと科学議論をしようということなると、英語に例えると単に洋<書を読むのではなく、長短はともかく自分で英語の小説を書く、というのに等しいです。 そうですね。ただし私達が日本語を自在に操れるようになるまで義務教育終了の15年もかかることを考えると、ゆっくりと楽しく学ぶのが良いとも思えます。私は学問は芸術と思っております。学問を純粋に楽しむ気持ち。私はその気持ちを忘れたくないのです。小説も自分が楽しくなければ書けないと思いませんか? 楽しく学んでいけばいつかは自在に操れるようになります。何でも。また、楽しい気持ちで学べば記憶も早いと聞いたことがあります。中国人作家も日本語の小説を書けるようになるまで20年もかかったそうですので。英語の小説を書く場合にも英語の小説を沢山読めば割と書けるようになると思います。 <息子の小学校4年生の時の夏休みの自由研究で 息子さんがいらっしゃるのですか。 <webで調べれば5分で判ることですが、「知識」だけを得ても意味はない、と思います。 それはそうともいえますね。急がば回れです。 <専門書そのものを否定するつもりはありません。私も使ってますから。 <ただ、そこから得られた「知識」は、それらを繋げて自分が考えた「論理」に組み込めなければ意味は<ない、とまでは言いませんが時には却って危険です。 確かにそうかもしれません。その危険性も教えてくださると嬉しいです。 <私は、専門書に「幼児は死を知らない」というそのものズバリの記述は必要としません。 <むしろそうズバリ書いてあってもそのまま信用はしません。 よく考えてみると専門書に書いてある記述すらも怪しいといえるのかもしれません。だからこそ論理が大事ということですか? <「単なる経験談」ではなく、客観性を持たせることができればですが。 逆に言えば客観性のない知識は怪しいとも言えますか? <「進化の過程」で獲得するのは遺伝子だけです。 環境の変化も獲得すると私は思っています。植物の登場によって地球は酸素濃度が一気に上昇しました。人間社会を見ても時代を経ることに環境は全く変わってきます。よって私は環境の変化も生物に影響を与えると思います。地球と生物の共進化という概念を名古屋大学の方々が提示しています。 <性格のような環境に対する反応性に関連する「機能」は、後天的な影響を受けて形成されるのが前提な<ので、「遺伝子が主体か環境が主体か」という議論自体に意味がない、と思います。彫刻は素材が主体<かノミが主体か、という議論に意味がないのと同じです。 このあたりは説得力があると思います。 <「未知のことを論証によって推測する」論理は、あくまでその中でしか身につかないと思いますよ。 そうですか? 人生は未知だらけ、将棋も未知だらけと私は思っています。これは屁理屈ですが。数学はある程度は方向性などが決まっていますが、将棋は本当に複雑で論理の力は鍛えられる気もします。一手の間違えが致命的になることも多々あります。10手くらいは読むのが将棋でもあります。 <口蹄疫の殺処分の現場は、戦場もかくやと思うほど異様なムードがありましたよ。その場にいる人間は<心のどこかの回路を自分で切っておかないと、その場にいることすらできないくらいの。 私は口蹄疫の殺処分の現場は戦場とは全く違うと思います。口蹄疫の処分に行っても大多数の人間は死にません。しかし戦場では大多数の人間が死にます。矢張り戦場と殺処分の間には多大な差があると私は思います。 <牛が「死」を知らないのならば、戦場がどれだけ異様な状況であろうとも、 <牛はそれを自分の死と結びつけることはできないはずです。 ここで疑問に思いましたが、死をしっかりと理解しなければ死を結び付けられないのでしょうか。たとえば誰でも死についてはある程度知っています。しかし誰でも死後の自分の身体の原子一つ一つの行き先は分からないでしょう。同様に牛はあくまでも死に対する理解が浅いだけであって根本的には死を分かっているという可能性はありませんか? 死を理解するのに人間と同等の知識が本当に必要なのでしょうか。 <だと思いますよ(笑)。 これは肯定と否定のどちらでしょうか? <動物が自分とはまったく違う目で世界を見ているとは想像するのが難しいですから。 そうですね。 何度も丁寧に教えてくださって誠に有難うございます。色々と勉強になっています。

  • mrsamama
  • ベストアンサー率41% (35/84)
回答No.38

mrsamamaです あ、また出てきた…というか、 会議のテーブルを借りて、参加者と別のやり取りしているようで、すみません。 ><ただ、個々の欲求を成り立たせる方便で、社会を複雑に階層化して、 ><みんなの折り合いをつける必要が出たから…それだけで、 >このあたりの回答が非常に真理をついています。 「倫理」って言葉の創始者がヒトでありながら、 もともとそういう概念(?)が地上に存在してたのに その中に一番小さい枠を定めて、発明者みたいに思い違いしてますよね…私はそう思います。 発見者だから自分らの価値観で規定する、そうすると「倫理ってこういうものよ」みたいな。 転校生に、いきなりクラスのルール決められちゃったみたいに、 廻りのみんな(動物?)がアゼンとしている…という感じですよね。 そこに気づかないのって、恐るべき無神経だと思うし、 それが大局的な視力の欠如によるなら、人間ってアホウだなぁ、と思う。 「知性の存在」では、このアホウを正当化できないですよね、 地球は元々、地球サイズでみんなでやってきている歴史なんだから。 ><多分、真の倫理において、動物の方がヒトよりずっと正道を行ってるでしょう。 ><知性は勝っても、倫理においてヒトは動物よりずっと下に墜ち果てていますよ。 >あなたはそう考えますか。そのような意見を言う人はそれ程いないので逆に新鮮です。その意見も取り>入れて私のこれからの考察を勧めていきます。 論拠がないので、ぜひ参考程度に留めてください。 だって、倫理って、普通に生きれば(ルソー風に)それほどいらないでしょう。 エサを探して、メスを見つけて、生殖して―――命題はそれだけですから。 知性を得たゆえに全てがフクザツになったのが必然だ、というなら、 知性を得たのは必然なのかい?と言いたいわけです(誰に対してじゃなく、世の価値観に)。 得た知性を利己的に使うか、対極的に前向きに使うか、 必然じゃないとしたら、どっから来たの、なんでくれたの、を考えて当然でしょう。 そこを無視して手前勝手だよな、それほどバカな知性じゃないと思うし、でも、 それ以前に、大局的な視力が欠陥じゃ語る資格もないだろうよ、と思うんです。 ちょっと違う話だけど、このコミュニティでも「原発反対?賛成?」って言ってますよね。 自分が需要者の立場で、先に賛否を論じるの、私は愚だと思いますけど。 物には順序があるし、賛否言ったって使ってるなら、実質賛成じゃないか、と。 視力の欠陥って、もうどこにでもあるんですよね、 しかもそれって必ず自分の視点が基準だから、生物界規模でもスケール違うけど本質同じでしょう。 ><私は、ほとんどの臨死体験は、オピオイドによる「生涯最後の夢」だと思っています。 >そうですか。個人的には夢の必要性が感じられないと考えることもあります。それ程に高機能の夢が必>要なのだろうかと思ってしまいます。 必要だから作る・死んじゃうんだからいらないだろ…人間の発想ですよね。 心臓病持ちの「お守り」ニトログリセリンみたいなものじゃないですか? 意識を持つが故に、安心が必要になった、で、どういうわけだかオピオイドができた。 機能があって、分泌は脳が可否決定権を握ってる…使ったもん勝ちじゃないですか。 カント君とかゲーテ君でしょ、「理由がほしい」のは。動物は黙って使いますよ。 (この質問を終わらせちゃうようなことを書いてますけど) 大して高度な夢でもないんじゃないですか、 「死ぬと天国行く」の既成概念ベッタリの三流ドラマ調ですもの。 安心が得られればいいから、脳はその人の価値観的「最高の幸せ」を 描くドラマを一本でっちあげるんでしょう。「安心」目的なら充分です。 死んだ家族に会うのか、花畑か…最後に思い知る自分の価値観、というか。 オピオイドがあるんだから、苦しむより夢に使った方がいい。 生物ってそもそもそういうやつらですよ。エサが落ちてれば「らっきー♪」で食っちゃう。 人間は考えすぎる葦なんですよ、 葦が考え事するってのも、こっけいで無用の長物だけど… そんなための知性じゃないと思うんだけどな…神様ガッカリでしょうよ、 共産主義に走っちゃったムスコの母親の心境、というか。 私はそんな風に思います。 また「たわごと」言っちゃいました、議論の底でイオウ噴いてるみたいですいません。 >確かに精神医学は理論と臨床の乖離が特に大きいかもしれません。 乖離…書ききれてないし、書き手が見きれてないんでしょうね。 というか、殆ど「心理」を黙殺してメカと理論の作り物っぽい気がするな。 脳科学と心理が互いに譲らないから、もともと一つのものなんだから 乖離というなら、「心と脳機能の乖離」ですよね。 >免疫による抗原認識あたりでしょうか。 ><基本、植物は明確な「個」をもたず、動物はハッキリと「自己・他者」を区別します。 >そうなのですか。教えてもらって驚きましたが、そういう視点は非常に鋭いです。 免疫は「意志」って考えた方がいいかもしれないと、私は(特異的に)思っています。 「自己と他者」の認識は、独立した「意識」に不可欠ですよね。 機能ありきじゃなく、「これによって何が出来る?」ということ。 あなたの心がどこまで私の心なのかわからないね…ってんじゃ、動物成り立たない。 (双子は自己が二人いるから、意識が共有できたりしますよね) 植物は役割が違うんだと思います。 太陽エネルギーを、喉をとおりやすいものに換えて 動物が動物たる「意志行動」を取るのを支えるエネルギー供給ですから。 なんだっていい(言いすぎ)んでしょうよ、デンプンと酸素作れれば… だから簡単に接木とかするし、進化する必要があまりないから自家受精でも問題出ない。 このあたり、論拠じゃなくて「だって、そうじゃん!」というくらい 視野の問題なんですけどね。 私って遠視気味なんで、近いと本とか読めないんですよ。 大局視野もっているけど、細かい身近なことはパーみたいに見逃します。 視点がズレてるわけですよ。 >これからは自然観察も重視していきます。 科学の王道は医学と物理で、ドリトル先生なんかは格落ち。 そういう価値観がもう蔓延していて、 誰も本質が生物学の方にあるなんて、認めやしない。 生物学者のほうがずっと視野が広く、かつ知識を適当に使うことを知っている。 すてきなプレゼントをあげましょう。 「世界のラン科図鑑」というサイトで「オフリス・スペキュラム・ルシタニカ」という ランの写真をごらんなさい。こいつのしていることの意味がわかる人ほど悩んで、 一週間くらいは「なんで?」を楽しめますよ。 だからウォレスは悩むわけですよ、こういうモノが実在する事実に。 アインシュタインの「宇宙信仰」っていう言葉がありますが、 結局ウォレスも同じだったんでしょうね。そう思います。 ><EBMにスイッチしたとういことは、それ以前は「勘と度胸ベースドメディスン」だった…? >鋭い意見です。当たらずも遠からずです。 EBMには「逃げ道に続く根拠」だけがあって、患者の利はありません。 ファーストチョイスが機能しなかった場合、その症例は「例外」で切り捨てです。 Jagar39さんの、薬の与え方とかの話を見ていればわかるように、 「カンと度胸」と経験ベースド時代の医者は、模索しました。 今は「第一なんだから、飲んでよ」しか言いません。他がないのです。 これも、考えすぎる葦の価値観が、大局失ったかっこうですよね。 医者も患者の権利も、思考に乗っとられてます。 カントが一生懸命考えて答えを出したって、誰一人救えるわけじゃないのに、 それなら「成功率最大を選ぶEBM]の方がナンボかマシです。 考え込むのが悪いわけじゃないし、 カントだって考えるだけ考えて袋小路だった、と確認できたんなら、 それはそれで価値あるんだけど、のっとられすぎですよね現代人は。 レミングの方が視野も倫理も、シンプルでかつ上だよな、と思うわけです。 >あなたの獣医の方へのメッセージを読んで思ったのが私の反省です。やはり私は非常なる未熟者で、こ>このやり取りでもどこか一貫していない態度をとっています。 >相手の技量を計測することや論理の正当性を断定することは 相手をへこます議論が好きです、人は。 前に話題になったアドレナリンのおかげで。 一貫してたら神様で、揺れるし、洩れるし、人間ですから。私だって揺れて洩れて(笑) 疑問を反論すること、回答をとにかく受けて吟味すること、 それがないと議論の価値ないですよね。 相手を量るってのも、必要だし無礼だしで、どっちとも(笑)みんなそうするし。 ただ、相手が一定の価値をもった方だったら、 少なくとも受けて吟味したり、疑問を突っ込みたいですよね。 それでハラたてるようなら、初めからするなと(双方共に)。 リクツをこね回す、それをキャッチボールするってのは、 もう本当に幼稚な遊びですから、私ももっと大人の議論しなきゃと思っています(が、なかなか)。 また、覗いてみます。 ありがとうございました。 本ですが、タイトルがまだ決まらなくて、お知らせも出来ませんが、 その割には8月中旬の予定をしているみたいです(出版社は)。 8月の末になったら「とらんすがいあ~ぜ」というキーワードで検索すれば、 本のことがひっかかるのではないでしょうか。 このやりとりがいつまで続くかわからないので、書いておきました。 言いたい放題の無責任の羅列ですが、ご一読いただければ幸いです。 他の皆様、会議の邪魔に入ってしまって、すみませんでした

noname#142902
質問者

お礼

凄く鋭い内容ばかりで本当に勉強になることばかりでした。生物学が全ての王道という考え方も初めて知りましたし、理由が必要でないという考え方も大事と思えます。興味深いホームページまで教えてくださって嬉しく思います。御礼が短くてすみませんが、非常に為になりました。

noname#160718
noname#160718
回答No.37

 Jaar39です。どの回答のお礼に対するresか混乱してきましたが、No.30のお礼に対するresです。 >チワワなどの愛玩系の品種と怖い系の品種に対する飼育方法は変わると思ってしまいます  文脈をきちんと読んでみてください。  チワワとシェパードの飼育方法が同じ、と言っているのではありませんよ。ここではチワワならチワワの中、シェパードならシェパードの中で同じだと言っていたのです。  チワワやシェパード、レトリーバー系の「飼育法法」がそれぞれ異なる、というのは私がしつこいくらい何度も述べてきたことで、「それらの飼育方法(訓練)」に"ついてこれる"個体を選択し、ついてこれない個体を淘汰してきたのが「人為淘汰による品種改良」と述べてきました。  ですから、私は、 >それは、集団と世代数が十分大きければ、平均すればどの系統も同等、と見なせます  という文章の中で、「品種」ではなく「系統」という言葉を使ったのです。チワワとシェパードの差を論じるのであれば、ここは「品種」という言葉を使ったでしょう。系統というのは、シェパードならシェパードの中での話です。  このあたりは育種の言葉の使い方ではあるのですが、生物学でも同様の意味で使う言葉です。 >同じノミとは限らないと思います。犬への飼育方法も時代によって違ったはずです  シェパードをシェパードたらしめるための「訓練方法」はいつの時代もそれほど変わりません。その訓練方法と、それについてこれる個体を選択し、ついてこれない個体を淘汰してきた、という手法が、現在のシェパードという犬を作り上げたわけですから、その「シェパードの性質」を問題にしているときには、他の性質や飼育方法は無視して良いです。  例えば、お気に入りのモノを穴を掘って埋めたがる、という「性格」は、シェパードやレトリーバーを育種するときには問題にならなかったでしょう。そういう「性格」があっても、ヒトが命令したときに忠実であれば良いのですから。  ですから、そのような「淘汰の基準とならなかった性格」は、淘汰や選択をされていないわけですから、どの犬種にも概ね等しく残っている、ということです。  一般的な飼育方法は「訓練」の成否にもちろん影響を与えたでしょうが、それらは大きな集団で長い時間で見ると、平均すればどの系統でも同じだと推定することができます。  例えば同じシェパードの中に、100年前にいたAという犬を始祖とする"系統"とBという犬を始祖とする系統があるとします。  そしてどちらの系統も50世代を重ねているとします。  Aという系統では2世代目の飼い主が虐待を加え、5頭生まれた子犬の1頭しか「シェパード」として残らなかったかもしれません。つまり他の4頭は訓練についてこれずに淘汰されたわけです。でも14世代目の飼い主が非常に上手く、15頭も生ませてそのうちの10頭が「残った」かもしれません。  そしてそれらの条件は、B系統でも同じでしょ?というのが「平均すれば同じ」の意味です。B系統もA系統と同じような率で良い飼い主と悪い飼い主と巡り会っているはずです。この2系統だけで世代数も少なければ、もしかしたら「A系統は代々3ヶ月齢から訓練に供されてきたがB系統は6ヶ月齢からだった」みたいな「差」があるかもしれませんが、C系統、D系統・・・と集団を大きくすればするほど、「どの集団も平均すれば大差ない」ということになっていきます。 >植物でもクラシックを聴かせると生育が良くなるという情報がありました  ここで議論の対象にしている「性格」は、攻撃的とか温和などという「精神活動」的なものですから、100歩くらい譲っても中枢神経系を持たない生物は対象外でしょう。  まして植物と音楽の関係はきちんと立証された話でもないですから、ここでは考察しません。 >性格というものが進化の途中でどこから獲得したか  という問題を論じるということは、「性格は遺伝する」ことが確定してからですよね。今は「性格は遺伝する」仮説が正しいか否かを論証しているので、「性格は遺伝する」=「進化の中で獲得した」ことが確定しないと、「どこから獲得したか」を論じても無意味です。 >遺伝子が全てではないようです。たとえば一卵性双生児でも指紋は違います。親知らずなどを抜く時には頭蓋骨を削ることもあります  ここでは「会話の成否」を決める要因として頭蓋骨の形や骨格を質問者さんが挙げたので(意図はしていなかったようですが、そう取れる文章になってました)、「頭蓋骨や骨格」限定の話です。指紋や牛の斑紋など、一卵性双生児やクローン個体であっても異なる形質があることは知ってますが、論旨とは関係ないので触れなかっただけです。  また、抜歯の話はただの後天的な加工なので、これも論旨とはまったく関係ないかと。 >ただ、バイオリンの演奏ではそのような限られたスイッチはないのでしょう  判りませんよ。まったく音楽を聴かずに成人したのなら、そういう推測も一定の確実さで推測できますが、現代人にはそんな人はいませんから。小学生の頃にリコーダーを吹くことで「楽器の演奏」スイッチが入っているのかもしれませんし。

noname#142902
質問者

お礼

<一般的な飼育方法は「訓練」の成否にもちろん影響を与えたでしょうが、それらは大きな集団で長い時<間で見ると、平均すればどの系統でも同じだと推定することができます。 ただし、この場合、平均すればですが、そうでない可能性も起こってしまうと思いませんか? その犬がどこで育てられたか。犬は飼い主だけに影響されるのではありません。疫病が起こってしまう地域に住んでいたシェパード。やや標高の高い場所に住んでいたシェパード。イギリスに住んでいたシェパード。何かの拍子で日本で育てられたシェパード。本当に平均はあるのでしょうか。ホモ・サピエンスという一種類の生物すらも欧米に住むのと日本に住むのとではだいぶ性質が違うと思います。よって飼育方法だけでなく、受け継がれる遺伝子に変化を与えうる全ての要素を考えるべきかもしれません。 <ここで議論の対象にしている「性格」は、攻撃的とか温和などという「精神活動」的なものですから、<100歩くらい譲っても中枢神経系を持たない生物は対象外でしょう。 と、したら生物にも対象は含まれてしまいます。生物でも食虫生物は攻撃的です。光合成しかしない植物は温和といえます。よって上の論理は不完全かもしれません。 <まして植物と音楽の関係はきちんと立証された話でもないですから、ここでは考察しません。 立証されていませんが、きちんと否定されていないともいえるかもしれません。。 <判りませんよ。まったく音楽を聴かずに成人したのなら、そういう推測も一定の確実さで推測できます<が、現代人にはそんな人はいませんから。小学生の頃にリコーダーを吹くことで「楽器の演奏」スイッ<チが入っているのかもしれませんし。 音楽にはスイッチは本当にあるのですか? 自然は音楽にあふれています。木々のざわめき。吹き抜ける秋風。鳥の鳴き声。水のせせらぎ。それらも全て立派な音楽です。そう考えた時、音楽にスイッチがあるという論理はそもそも荒唐無稽とも思えるのですが。なぜなら、音楽のスイッチが入らないような環境は私は無いと思うからです。 だいぶ否定意見ばかりで申し訳ありませんでした。色々と勉強になっています。有難うございます。

  • thegenus
  • ベストアンサー率49% (330/673)
回答No.36

ウィルスの半減期は長いですねえ。 獣医党は、結論先にありきの説明ばかりですが。 2つのレビューのどこが酷いわけ?賛成レビューの方が出来は悪いでしょ。 また説明出来ない意見を感情論で回答したのですか?逆に多数派のレビューのどこが専門的に素晴らしいわけ? (No.35) http://www.amazon.co.jp/product-reviews/43140100 … >「この2つのレビューはどちらも"かなり酷い"ですが、いずれにしろ基本的に「素人」が書いたレビューです。それらをもって「利己的な遺伝子論が反論されている」と言うのは、現実の曲解なのでは? >そもそも英語日本語どちらのサイトでも、星5つを付けているレビュワーが最多なのですから、総合的に見れば「利己的な遺伝子論は受け入れられている」というのが状況を妥当に伝える言葉でしょう。 「現実の曲解」(笑)。現実って、評判の「現実」の事ですよね、評判しか分からない人が素人なんじゃないの(笑)。ほんとにそうか、検証してください。星2つを付けているレビュワーの方が、賢いことかいてるじゃん。最多のレビューワーの方が素人的内容でしょ。考えられない人が多いと、考えない人が出世できるのですね。 支離滅裂。「素人」が書いたレビューだから……どっちなの?参考になるの?参考にならないの? 獣医師の説明、ほんと酷いですよね。本や論文からの引用じゃない時は、この分析力です。この酷さが分からない閲覧者が多いというのが現実なんじゃないの? 星5つと星2つの内容を読んでみれば、そのレベルの差が明らかですよ。多い方が正しいなんて感覚は、肩書き先生の価値観ですよ。 獣医って、隙間産業なんですが。誰も読まないような、そこの同人雑誌を、科学者の世界だと思わないように。 隙間産業の少人数の中でトップになるのは簡単だろ?トップでも隙間産業なんだよ。医者やその他の科学者にどれだけライバルがいると思ってんの。他の分野では、猿山の大将になれませんよ。 低レベルの宣伝しているだけですよ。 (No.35) >どんな論理、知識でも理解できなければ反論もするものです。 >相対性理論も「間違っている」と書かれている本は今現在でも数十冊は刊行されていますが、ではそれをもって「相対性理論はあやふやなため反論されている」と言えるのですか? 相対性理論を理解して、賛成しているわけ?レビュワー獣医師は? 理解できるできないを理由にしておられますがご自身の理解の方は大丈夫ですか。 相対性理論も理解して賛成している獣医師先生は、 (No.29) >「査読については、私もある学会誌の編集委員(常設の査読者)を受けているので知ってますよ。} その「ある学会」の会員数は?町内会と間違っていないか?細菌やウィルスの学会なんですよね?その壮大な学会に、医者は何人いるの?千人?二千人?日本猿山学会の常務理事ぐらいにはなれるでしょう。編集委員じゃなくてさ。 素人相手の自慢でしょ。素人批判するけどさ、素人でいい思いしてんの誰だよ。 権威好きのバカ素人以外、誰も感心しないんだよ。 恨みつらみではありません。 人をダシにして、いい加減な事な自己顕示を続けているからですよ。 大した事ない隙間科学者が素人相手に。 (No.33) >「 まあ、あの時代の人としてはウォレスが普通なのであって、論理に徹し切れたダーウィンの方が凄い、と思います。」 ウォレスが普通?(笑) 論理に徹し切れたダーウィン? ウォレスみたいな考えが普通の時代があったのですか?(笑)適当に言いすぎ! 論理に徹したのウォレスの方なんだけど。「論理に徹する」という意味を考えられない人なんでしょう。別にいい意味じゃないぞ。(笑) これだけ頭悪くてもシンポジウムに呼ばれるのですか。 その思考力で、学者は、不向きです。肩書き自慢学者でしょ。考える事を楽しんで来た人ではないですね。 (引用1)「ダーウィニズム論集」(八杉龍一・編訳。岩波文庫)(一般書) 「ウォレスは、当時として最も解答を必要とする問題を、次の三つとしている」…… 「2.なんらかの有利な結果を生ずるのに必要ないろいろの変異の精密な整合は、十分速やかにまた確実になされうるか。」

noname#142902
質問者

お礼

<獣医党は、結論先にありきの説明ばかりですが。 確かに結論を先に示して説明しているとは感じます。 <支離滅裂。「素人」が書いたレビューだから……どっちなの?参考になるの?参考にならないの? レビューは素人が書いているとは限らないと思います。素人がレビューしているという前提自体が怪しいとは思います。 <獣医師の説明、ほんと酷いですよね。 少なくとも彼の説明が本当に素晴らしければあなたや私が反論しようがないはずです。 <多い方が正しいなんて感覚は、肩書き先生の価値観ですよ。 多いほうが正しいとは限らないと私も思います。第二次世界大戦でも反戦を主張した人は非常に少数派でしたが、実際は彼らの方が正しかったはずです。 <権威好きのバカ素人以外、誰も感心しないんだよ。 正直言って上を批判しながらそれでも権威を好む自分もいます。このあたりは恥ずかしくは思ってもいます。矢張り一般大衆としては権威を持っている存在は好んでしまうものなのでしょうか。 <恨みつらみではありません。 <人をダシにして、いい加減な事な自己顕示を続けているからですよ。 <大した事ない隙間科学者が素人相手に。 恨みつらみでなくて良かったです。私もどちらかというと素人に入る気もします。彼はまだ良いとして、本当に怪しい商法に引っかからない位には成長するつもりです。 <ウォレスみたいな考えが普通の時代があったのですか?(笑)適当に言いすぎ! ウォレスは心霊主義だったそうです。(出典:WIKI)中世ヨーロッパあたりは心霊主義というか信仰が中心だったはずです。ただ、ウォレスの進化論と心霊主義が同居した考えが普通の時代は無かったと思います。 <これだけ頭悪くてもシンポジウムに呼ばれるのですか。 <その思考力で、学者は、不向きです。肩書き自慢学者でしょ。 <考える事を楽しんで来た人ではないですね。 割と上にいる人々はそういう感じです。学問に限らず、どの分野でも。戦争体験者は割と素晴らしい人が多いですが、財を築いた跡の二代目になるとどうしても(?)という人が増えてしまうようです。 <(引用1)「ダーウィニズム論集」(八杉龍一・編訳。岩波文庫)(一般書) <「ウォレスは、当時として最も解答を必要とする問題を、次の三つとしている」…… <「2.なんらかの有利な結果を生ずるのに必要ないろいろの変異の精密な整合は、十分速やかにまた確<実になされうるか。」 この引用は凄いです。 正直言って私などまだまだです。何度も回答してくださって本当に有難うございました。

noname#160718
noname#160718
回答No.35

 Jagar39です。  新しい回答にレスが付かない状態で古い回答に補足レスが付くと、いったりきたりしながらテキストを探すのが大変ですね。  まず、「利己的な遺伝子」への反論について。  反論はどんな論にもあるものなのですが、amazonのレビューを持ってくるのはいくら何でも不適切なのではないでしょうか。どんな人でも書きっぱなしにできるレビューで例え100人に酷評されていても、それがその本の価値を落とすものではないでしょう。ほとんど妄想みたいな話を書き連ねているレビューもありましたし。  また、わざわざ英語のamazonのレビューを持ってこなくても、日本語のamazonのレビューでも反対意見はありますよ。 http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4314010037/ref=cm_cr_pr_hist_1?ie=UTF8&showViewpoints=0&filterBy=addOneStar  この2つのレビューはどちらも"かなり酷い"ですが、いずれにしろ基本的に「素人」が書いたレビューです。それらをもって「利己的な遺伝子論が反論されている」と言うのは、現実の曲解なのでは?  そもそも英語日本語どちらのサイトでも、星5つを付けているレビュワーが最多なのですから、総合的に見れば「利己的な遺伝子論は受け入れられている」というのが状況を妥当に伝える言葉でしょう。  どんな論理、知識でも理解できなければ反論もするものです。  相対性理論も「間違っている」と書かれている本は今現在でも数十冊は刊行されていますが、ではそれをもって「相対性理論はあやふやなため反論されている」と言えるのですか?  だからとにかく読んでみてくださいと以前より言っているのです。  自分で読まずには何の判断もできないでしょう。  ちなみにネットで検索しても「ドーキンスの利己的遺伝子論はおかしい」と書いているサイトは相当数見つかります。  でも、それらのほとんどは、きちんと利己的遺伝子を読んでいないために、彼が言ってもいないことを批判しているか、逆に彼が丁寧に説明していることをやり玉に挙げているかです。  特に日本では生物学に詳しいはずの某氏によって数冊の一般書(本当に軽く読める本で"科学書"の範疇には入らないような)が書かれていて、その内容がまた酷かったんです。その本の内容を挙げて「利己的遺伝子論」を批判しているサイトすら多数ありますから・・・そりゃ某氏の本はほとんど全てがデタラメだったけどさ・・・  ですからとにかく読まないとそこから先の議論はできません。それも相当読み込まないと、論旨が理解できなければamazonのレビューみたいな「さらっと一読しただけなんだろうな」という異論を持ってしまうでしょう。 >あなたの仰る『論理が大事』の原点の論理自体が強者によって都合よく曲げられている可能性があると思いませんか?  「論理」は曲げられません。知識は嘘を教えられれば信じざるを得ませんが、論理は曲げれば気づきますから。  論理は「これこれの論理はこうです」と教えられて覚えるものではなく、訓練ですから。 >日本の学会ならまだしも、欧米圏ではその現象は顕著です  その割には英文の翻訳本をありがたがるんですね。  質問者さんが座右の書としている専門書は、全てそれら質問者さんが信用できないと言われている「学問の世界」の頂点にいる人達によって書かれているのですが・・・?  また、それらの本に書かれている記述は"全て"が、幾多の「学会」によって議論されてきた結果の「知識」ですよ。 >正直言うと論文の査読制度など、身分が『上の者』は信頼できないという気持ちが私にはあります  それは査読制度というものをちゃんと理解してないですね。  論文投稿者と査読者の間には上下関係は存在しません。現に私は、普通の状態だったら執筆者の講義を受講しなければならないくらい「上」の人の書いた論文を「査読」したことがあります。  査読者と執筆者が互いに知っているか、というのは雑誌によってもいろいろなのですが、ほとんどの場合は論文投稿者が「査読者が誰か」ということを知ることはありません。査読者が投稿者を知ることができるか否かは雑誌によって異なりますが、私の場合は知っていました。どのみち投稿者がブラインドされていても、内容を読めば判ってしまう場合が多々あるので、ブラインドしない雑誌も多いです。  また、1本の投稿論文に査読者は複数付くのですが、査読者達は互いに誰が査読者になっているかを知らないのが普通です。  私の場合は、私は投稿者が誰か知っていましたが、投稿者には私(査読者)が誰か、ということはブラインドされています。  また私はその雑誌のパーマネントの査読者(編集委員)なので、分野が該当する論文が投稿されれば私のところに査読が回ってくるのですが(編集委員は公開されているので、そういう意味では投稿者も査読者の想像はつきます)、私はもう1人査読者を紹介するのですが、それは当然私は知る人です。もちろん投稿者には判りません。  また、編集部の方で私とは別に査読者を設定していても、それは私には判りません。  そして他の査読者が投稿論文にどういう査読をしているか、もお互いに知りません。  論文の査読制度というのはそういうものです。  「学会」というものを権威主義的な場と捉えて敬遠されているようですが、それは「高価な専門書」のみを信用するスタンスと矛盾するように感じます。専門書に書かれている記述の中で、「学会」という組織と無縁に挙げられたものはありませんから。それらの中からの取捨選択も、権威主義たる頂点の大先生がしているわけで。  学会そのものは(それぞれの学会にもよるでしょうが)、別にそれほど権威主義的というわけではありません。  私が今、準備している演題は、今まで誰もそんなことは言ったことがない、という点では新規性が十分あるのですが、私自身も本当にそうなのか?というのは半信半疑、というような演題です。  なので、「こんなデータが出てしまったけど、みなさんはどう思います?」みたいな気持ちで出す演題になってます。  もちろん完全なサンプリング、完全な統計解析ができているわけではないので(それらができていたらもっと大見栄切って出すのですが)、それらの手の内も明かしつつ、私の発表を聞いた人が補完した実験をして検証してくれれば良いわけで。  私が持っているフィールドではこれ以上高精度なサンプリングは望めないので、「できる人がいればやってよ」って感じですかね。  学会なんてそんなもんですよ。もちろん自分がさらに高精度な検証ができる環境下にあれば、手の内を隠したりそもそも発表自体しなかったり、ということもありますけど。今回は、「さらに高精度な検証」も、私の"身内"が既に着手している、という事情もあって、そういう演題になったのですが。  むろん、その発表の中で論理的な誤りがあったり恣意的な分析をしていれば、それは「検証」以前の問題です。そういう発表は相手にされないか、質疑で袋叩きに遭って終わりです。質疑で袋叩きに遭うほど、すなわち7分や10分といった短い発表時間の中でそこまで不備が見えてしまう発表というのも相当なもの(低レベルという意味で)なのですが・・・  自分が何らかの印象に残る(どちらの意味でも)発表をすれば、休憩時間にでも誰かに質問を受けたり議論をしたりすることも多々あります。  「論理」というのは本に書いてあって読めば身につけられる、というものではありません。そういった場で「どうすれば自分の考えを人々に納得してもらえるのか」という訓練を経て身につくものです。  むろん、統計学の本も数冊は読む必要があるでしょう。ドーキンスの「利己的な遺伝子」のような「良い一般書」を読み込むのも良いと思います。それこそ100時間かけるつもりで。「良い一般書」というのは、論理構成が判りやすく批判がしやすい、という意味です。言い換えれば著者が自分の論理構成について手の内を全て明かしている、という意味です。書いてある「知識」が正しいか間違っているかは二の次です。というより間違っていれば自ずから論理的に指摘できるような作りになっている、ということです。  まあ、安易な読み込み方で批判をすれば、その答えも既に本書内に書かれていて、「ちゃんと読んでないな」と言われてしまうので、本当に読み込む必要がありますが。  政治でも学問でも人間がやることなので完全な公明正大さは期待する方が甘いと言われても仕方ないでしょう。  性でも学問でも、その権威主義による不公平さや不正を可能な限り排除するために、現在のようなシステムが考案されています。それでも不正や不公平を完全に排除するのは困難です。というより人の立場や思考、利害に多様性がある以上、完全な公明正大さなどというものは最初から存在しない、と考えた方が良さそうです。  だとすれば、間違えば修正してながら前に進むしかないのでは?  「外」にいれば「間違いや不正」は目立つのでよく見えますが、上手くいっていることはなかなか見えないものです。ですから「外」からあれこれ批判するのも本当に「公明正大か」と問えば、やはり少しずれていることも多々あるのではないでしょうか。

noname#142902
質問者

お礼

<amazonのレビューを持ってくるのはいくら何でも不適切なのではないでしょうか。どんな人でも書き<っぱなしにできるレビューで例え100人に酷評されていても、それがその本の価値を落とすものではな<いでしょう。ほとんど妄想みたいな話を書き連ねているレビューもありましたし。 火の無い所に煙は立たないと考えています。酷評されているという煙があるならやはり火もあると考えてしまいます。本当に完全なら酷評しようがないものです。 <わざわざ英語のamazonのレビューを持ってこなくても、日本語のamazonのレビューでも反対意見はありますよ。 英語のAmazonレビューのほうが多様な意見があったので持ってきたのです。 <いずれにしろ基本的に「素人」が書いたレビューです。 実際は分からないと思います。この場に獣医学者のあなたがいるように、意外な所で意外な玄人が登場するかもしれません。恐らくは素人が大勢でしょうが……。 それらをもって「利己的な遺伝子論が反論されている」と言うのは、現実の曲解なのでは? <そもそも英語日本語どちらのサイトでも、星5つを付けているレビュワーが最多なのですから、総合的<に見れば「利己的な遺伝子論は受け入れられている」というのが状況を妥当に伝える言葉でしょう。 そうでしょう。ただし、受け入れられていても正しいかどうかは分からない気もします。もし利己的な遺伝子論が完全に正しいならばキリスト教やイスラム教などが解体するはずです。それらがまだ存続している時点で矢張り完全では無いのでしょう。 <どんな論理、知識でも理解できなければ反論もするものです。 それは間違いなくあると思います。人というのは他を否定して自分を肯定するのでしょう。私自身も恥ずかしながらそういう部分が沢山あると感じています。 <相対性理論も「間違っている」と書かれている本は今現在でも数十冊は刊行されていますが、 <ではそれをもって「相対性理論はあやふやなため反論されている」と言えるのですか? 恐らくは言えないのでしょう。 <だからとにかく読んでみてくださいと以前より言っているのです。 <自分で読まずには何の判断もできないでしょう。 少し読んだのですが、彼はまっすぐな議論をしていない印象があります。何かと例を出したりして論旨が丁寧でなく感じてすぐに読みやめてしまいました。今度また読んでみます。 <ちなみにネットで検索しても「ドーキンスの利己的遺伝子論はおかしい」と書いているサイトは相当数<見つかります。 <でも、それらのほとんどは、きちんと利己的遺伝子を読んでいないために、彼が言ってもいないことを<批判しているか、逆に彼が丁寧に説明していることをやり玉に挙げているかです。 一方で宗教が存続しているうちは利己的な遺伝子論も完全では無いのでしょう。 <特に日本では生物学に詳しいはずの某氏によって数冊の一般書(本当に軽く読める本で"科学書"の範疇<には入らないような)が書かれていて、その内容がまた酷かったんです。その本の内容を挙げて「利己<的遺伝子論」を批判しているサイトすら多数ありますから・・・そりゃ某氏の本はほとんど全てがデタ<ラメだったけどさ・・・ そういうのはありますね。 <ですからとにかく読まないとそこから先の議論はできません。 確かに読まないと話にならないといえますね。どこかで読めたらと思います。 <「論理」は曲げられません。知識は嘘を教えられれば信じざるを得ませんが、論理は曲げれば気づきますから。 古代のギリシャではソフィストは正しい論理ではなく相手を上手にやりこめる論理を使っていたようです。よって曲げた論理が気付かれない可能性もあると思います。 <その割には英文の翻訳本をありがたがるんですね。 日本の専門書は未だに翻訳本くらいしか良いのがありません。医学書で日本で良いものは医学書院の標準シリーズや朝倉系くらいです。 <質問者さんが座右の書としている専門書は、全てそれら質問者さんが信用できないと言われている「学問の世界」の頂点にいる人達によって書かれているのですが・・・? <また、それらの本に書かれている記述は"全て"が、幾多の「学会」によって議論されてきた結果の「知識」ですよ。 そうですね。非常に鋭い指摘です。逆に言えば現代の学問も大体は学会によって組織されて非常に肩身が狭い思いもしている気もします。また、私が挙げた専門書は学問全体から見れば基礎的ではありませんか? あなたが先程の回答では生化学の専門書でも一冊なら『まとめ的』になると書いていました。それなら基礎を学会系でさらっと勉強して、その後はそれぞれの専門書を学会に所属しないような人達のを使って学ぶというのもありだとは思います。 <現に私は、普通の状態だったら執筆者の講義を受講しなければならないくらい「上」の人の書いた論文<を「査読」したことがあります。 しかしこういう場合はその上の人を敬う為に査読を甘くする可能性はありませんか? 個人情報や査読者は不明とされていても、本気で調べれば分かるはずです。例えば私もあなた(Jagar30様のことです)の個人情報(氏名、住所、電話番号、経歴)などは調べようと思えば調べられます。手間がかかるので普段はやりませんが……。 <「学会」というものを権威主義的な場と捉えて敬遠されているようですが、それは「高価な専門書」の<みを信用するスタンスと矛盾するように感じます。 私は高価な専門書のみを信用するとどこで書きましたか? 他を信用しないとどこで書きましたか? <専門書に書かれている記述の中で、「学会」という組織と無縁に挙げられたものはありませんから。 逆に言えば私が挙げた学会の情報をあなたが切り捨てたとしたら、あなた自身が学会を否定することになるとは思いませんか? <「どうすれば自分の考えを人々に納得してもらえるのか」という訓練を経て身につくものです。 これは納得させれば良い、ということになりませんか? 正しいことを目指すのではなく、納得させることだけを目指す、と。偏差値だけを目指す勉強のように。資格試験を通るだけ、入学試験を通るだけなら簡単です。実力と資格や肩書きは一致するとは限りません。 <政治でも学問でも人間がやることなので完全な公明正大さは期待する方が甘いと言われても仕方ないでしょう。 <人の立場や思考、利害に多様性がある以上、完全な公明正大さなどというものは最初から存在しない、 このあたりは非常に鋭い意見です。とても勉強になります。 <だとすれば、間違えば修正してながら前に進むしかないのでは? そうですね。 <ですから「外」からあれこれ批判するのも本当に「公明正大か」と問えば、やはり少しずれていること<も多々あるのではないでしょうか。 この世では完全は無いのでしょうね。 何度も繰り返し色々と教えてくださって誠に有難うございます。

noname#160718
noname#160718
回答No.34

 議論が膨らむと書く分量が大きくなって大変なので絞りたい・・・と思いつつも膨らむ一方ですね。 >http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1437929174 >についてあなたはどう考えますか?  2つめの記事には何も論じるべきものが見いだせないので、1つめの記事についてコメントします。  このベストアンサーに書かれた「経験談」は、動物が「死」を知っている、という論拠には何らならないと思います。「犬に感情がある」という論拠になるだけでしょう。  というより、むしろ「起こそうとする」、「探す」という行動からは、「死を知らない」という主張の論拠になりそうですね。  私も職業柄、動物の死は数え切れないほど見てきていますし、犬やネコも常に飼っているので死に瀕した行動や他個体の死に際した行動も見てきています。ここに挙げられた行動も、私も実際に見ています。  ですが、私にはこれらの行動は逆に「彼らは死を知らない」故の行動に見えます。  何か重大な異変が起きている、ということは十分理解しているようです。起こしても起きない相手に狼狽もしていますし、探してもいないことを悲しんでもいますね。  でもそれは「死」を理解しているとは言えない行動でしょう。死を理解していれば起こそうとはしませんし、探しもしないでしょう。  死に関する行動ついでに思い出しましたが、質問者さんが挙げた「死を前にした牛が足を折って涙を流す」という記事について。  これ、まず間違いなくフィクションです。最大限好意的に解釈して拡大解釈による見間違い。  私は職業柄、そるこそ数え切れないほど牛も豚も「殺して」きました。昨年の宮崎にも防疫員として派遣され、殺処分にも従事しています。まあさすがに「銃殺」はしたことがありませんけどね。他の方法です。  でも、この記事のような現象は、見たことも聞いたこともありません。  そもそもヒト以外の動物は、「情動による涙」を流すことはないとされています。まあ牛が涙を流していたら、まず疑うのはいくつかの感染症です。  また、足を折った、というのも鎮静剤でも投与していてそれが効いただけではないのか?という好意的解釈もできますが。 >追伸:カプラン臨床精神医学の151ページに『犬の研究において,ひどい折檻や虐待が愛着行動を増すことが示された.』という記述があります。これは利己的な遺伝子からいくとどの様な意味を持ちますか?  この短い断片的な文章からだけでは、何の考察もできません。  その実験のデザイン、すなわち被検犬の月齢や品種、実験を開始した月齢、虐待行為の具体的な内容等と成績の具体的内容、すなわち被検数と「愛着行動」の判定基準、「増す」というのは率的にか頻度的にか強度的にのどれなのか等々が判らないと。  原本には前後関係も書いているのかも知れませんが、少なくともこの1行は「知識の断片」ですらありません。  この「愛着行動が増す」のが適切な実験によって得られた妥当な結論なのだとしても、実験のデザインによっては同様に適切な実験によってまったく逆の「妥当な」結論を引き出すことも可能かも知れません。 >動かなくなって、少しずつ腐敗臭が漂ってきます。死体が消失する前に腐敗することに気付くとは思います。腐敗に気付くからハエがたかるのです  ハエがたかるのは腐敗した有機物から出る化学物質に反応しているだけでしょう。  また、腐敗することに気づく、というのと「死と腐敗」の因果関係を認知するのは、また別の問題です。  また、死体の消失の仕方はいつも同じとは限りません。他の動物に食われることもあるでしょうし、川に流される場合も土砂に埋まる場合もあるでしょう。また自分が移動して結果を知らずじまいのことも多々あるでしょう。むしろ死体が消失するまでその場に留まることは生存上のリスクを伴いますから、「消失するところまでは見ずじまい」というのが標準的な結末なのではないでしょうか。 >本質が変わらなかったら入らなくても良いと思います  入る、というのは学会にですか?  学会に入るのは「英語の本を読むため」ではありません。  「議論の現場」を見るためであり、最終的には「自分の議論を世に問う」ためです。 >100時間も語り続けることをドーキンス氏が持っているか、ということです  だから数字そのものには意味がないと言っているのですが・・・  ちなみにドーキンスは30年間、語り続けています。100時間、一方的に講義するのはいくらなんでもしんどいですが、議論ならどれだけでも可能です。私も自分の専門のウイルスについて議論した時間であれば、100時間なんて軽く突破してます。  それを2時間の講義に要約してくれと言われればやりますし、シンポジウムのパネラーとして15分で喋ってくれと言われれば15分に要約します。両方とも経験がありますし。  でも、要約はあくまで要約です。  もちろん全ての分野を「徹底的に」勉強することはできないので、ほとんどの分野は「要約」で勉強することになるのですが、少なくとも1つは「徹底的に」勉強する分野を持たないと、「幹や根」が判らないんです。

noname#142902
質問者

お礼

<というより、むしろ「起こそうとする」、「探す」という行動からは、 <「死を知らない」という主張の論拠になりそうですね。 そうかもしれません。実際、動物は死を理解できるのでしょうか。 <でもそれは「死」を理解しているとは言えない行動でしょう。死を理解していれば起こそうとはしませんし、探しもしないでしょう。 そうですね。死を理解していない、という可能性が高そうです。 <死に関する行動ついでに思い出しましたが、 <質問者さんが挙げた「死を前にした牛が足を折って涙を流す」という記事について。 <これ、まず間違いなくフィクションです。最大限好意的に解釈して拡大解釈による見間違い。 そう思いますか? 出展は朝日新聞出版の『戦争体験』です。戦争体験者の投稿を集めて本にしたものです。この牛達は『日常的に虐待が起こって殺し合いが起こる戦場』で観念して足を折って涙を流しました。 <でも、この記事のような現象は、見たことも聞いたこともありません。 まさかあなたが実際に戦場に行ったことはないでしょう。この現象は戦場で起こりました。爆弾が飛び交い、罵声が飛び交い、人々が殺し合う。そういう場所でした。ですのでそういう極限状況では起こりうるのかもしれません。また、昔の人々は嘘を新聞に投稿するほどずる賢くないと思うのは私だけですか? <そもそもヒト以外の動物は、「情動による涙」を流すことはないとされています。 そうなのですか。初めて知りました。サルもですか? <また、足を折った、というのも鎮静剤でも投与していてそれが効いただけではないのか?という好意的解釈もできますが。 第二次大戦がやっと終わったばかりでは鎮静剤を投与する余裕がないと見るのが自然でしょう。 <この短い断片的な文章からだけでは、何の考察もできません。 そうですね。様々な背景を知ることがいかに大事か色々と教えてもらえて嬉しく思います。 <学会に入るのは「英語の本を読むため」ではありません。 <「議論の現場」を見るためであり、最終的には「自分の議論を世に問う」ためです。 そうですか。しかし学会という場が本当にすばらしいか、考えてしまいます。裏での根回しがあるのではないか、などと。講義の1時間を自分の自慢話ばかりする医者が上のほうにいる現実やルービン病理学でまさしく致命的なミスをしてしまう教授がいる現実などを考えると私は学会は入りたくないと思ってしまいます。彼らに失礼とは分かっていますが。 <少なくとも1つは「徹底的に」勉強する分野を持たないと、「幹や根」が判らないんです。 そうかもしれません。 何度も色々と丁寧に教えてくださって誠に有難うございます。

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