• 締切済み

宗教はなんのために

あるとお考えですか。

みんなの回答

回答No.13

魂の救済のためです。 今の人達『心に圧迫を』受けた状態の人達は、を宗教家の元には行かないで精神科医や心療内科の元へ行くようになりました。精神科医や心療内科が存在していない時代は、宗教家の元に行っていたと想像出来ます。 この『心に圧迫を受けた状態』『何処から来るのか分からない、漠然とした不安』に対しての開放が、宗教の中に存在します。 ではこの事を科学的な見地から、文献を載せて説明してみます。ウイキペデアからです。 ”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が『それぞれ独立した意識』を持っていることを実証した。” 脳梁を切断した場合、左脳の方には『言葉が存在しています』ですが右脳の意識は言葉を持っていない事が分かりました。 この言葉に拠らない情報を、脳梁を通して絶えず自我意識は『受け取っています』是は人間の心に湧き上がる感情となって『心=自我意識』は受け取っている事を意味しています。 ですが『心=自我意識』はこの情報が『何処から送られているのかを知りません。』今の医学でもこの事が、分からないでいるように感じられます。 つまり、人間苦=心が苦しくなる現象=漠然とした不安=罪の意識=業、と言うものが何処に起因するものかを、今の医学でも、宗教でも、科学でも特定出来ていない事のように感じます。 天国に一番近い存在は幼子、と云う意味は、脳の機能が未だ未発達の為に『心がひとつしか無い』と云う意味になります。脳の機能分化が完成に近くなる頃、つまり思春期頃から『人間は、二つの機能を持った心に矛盾や対立や分裂を感じて』苦しみが始まる事になります。 この脳の機能分化が完成した状態を『失楽園』『罪』『業』として宗教は教えている事になります。宗教の目指す所は『心の矛盾の解消』と云う事になります。 そこで右脳に関する想像を書いて見ます。人間には、蜘蛛が蜘蛛の巣を張る事や餌を、教えられなくとも知っていると同じ理由から『人間を人間たらしめている記憶が脳に刷り込まれたいる可能性が存在する事を示唆しています。』 人間が、母親のお腹の中で、命として芽生えた瞬間から働き出す働きです。細胞分裂から始まって、生まれるや否や、泣く事も、安心する事も、不安がる事も、全て教えられなくとも知っている記憶です。 高い所、狭い所、スピードの出し過ぎ、人間が環境における全ての情報、五官から入ってくる情報全てが『その者』による情報と言っても良いかも知れません。 その者が送る情報と、その者自身を恐れる事を『心を病む』深刻に悩む、神経症になる、自律神経失調症と呼んでいると感じます。 魂の救済とは、『心の矛盾や対立や分裂の解消』を云います。それが宗教の目的ですが、右脳の意識と左脳の意識との出会いで解消出来ます。 それが仏教的に表現するなら『悟り』です。キリスト教的に表現するなら『神とあって和解する』と云う事になります。どちらも心的内容は同じです。 自身の心を圧迫していたものが『何だか分かる事』を意味します。心の奥底からの不安が『心の奥底から解消する』と云う意味になります。 今までは、何処から来るのか分からない不安に、心も、身体も全てで緊張して生きていました。その不安の正体が分かる事から、身体中の全ての力が抜けてゆきます。『心身脱落、脱落心身』と云う現象が起きます。 それ以後『心同士の争いが無くなります』強迫観念が消えて、心には『子供時代のようなへ何が訪れます』『心の中が飽く迄も静かに、静まり返っている様です』この心境を涅槃といっています。 右脳の意識『無意識の意識=命そのものを働かせている意識』と左脳の意識=自我意識の間に『ホットラインが通じた事を意味します』 宗教の目的とは『心の矛盾の解消です』脳の説明からするなら、左脳の意識と右脳の無意識の意識が手を繋ぐ事を意味します。その時は『心に矛盾が無い』時だからです。 今の医学で処方されている薬は、脳梁を介して送られる情報を遮断する働きがその効力となっています。完治とは反対の事をしている事を意味します。 送られた情報を素直に受け取った時が完治です。全てを肯定する生き方になる事を意味します。全てを否定する考え方とは『送られてくる情報を受け取ろうとしない』分別が働いている事を意味します。」 禅などで、分別を捨てろ!と云われる由縁です。禅は『右脳の意識を引き出すテキスト』です。右脳には言葉が無いからです。

minaotehon
質問者

お礼

とても参考になります。 ご回答ありがとうございました。

回答No.12

宗教は、気休めのためにある。この世には、神仏はいない!あの世には、いる。君も死ねば分かるだろう。この世にいるのは、我欲に満ちた人間だけだ。私もその一人だ。我欲が強すぎると、神々が、憤り、大災害を引き起こす。最早、神々は、この世を全て、瓦礫の山にしようとなさっている。神の怒りが、大爆発したのだ。それを鎮めるという意味においては、宗教の存在意義もあろう・・・。以上です。

minaotehon
質問者

お礼

気休め… 難しいところですね。 軽んじてもいけない重く考えすぎてもいけない。 あの世のことを知る人はこの世にはいるのかなと…素朴な疑問が。 我欲… 自然現象… ですと心穏やかに生きることが大切なのですね… 参考になりました。 ご回答ありがとうございました。

  • parakaro
  • ベストアンサー率20% (6/29)
回答No.11

お金の為です。 宗教も一種の職業でしょう。

minaotehon
質問者

お礼

参考になります。 中にはそういったところもあるのでしょうか。 心理云々でとやかく信者を増やそうとするところ。 変ですねとても。 ご回答ありがとうございました。

noname#134608
noname#134608
回答No.10

短いようで長い、終わってみれば束の間、 艱難辛苦避けられぬ人生と言う名のマラソン。 その「止まり木、休憩所、給水ポイント」でしょうか…^^。

minaotehon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 心の参考にさせて頂きます。

  • kuwa1961
  • ベストアンサー率25% (42/164)
回答No.9

学会員です。強くいきていく為です。よく宗教をやってる人は弱い人間だと思われがちですが、そうではありません。人生には幾度の困難がやってきます。その困難がやってきた時に、困難から逃げるかその困難に立ち向かうかです。池田先生が仰る「勝つ」といゆうのは戦争や喧嘩をしろと仰るのではありません。その困難に打ち勝てと仰っているのです。こんな素晴らしい宗教はありません。

minaotehon
質問者

お礼

一応まだ学会員です。 参考になります。 理解致します。 自分の心の弱さに勝てとの意味。 しかしながらふと思います、 病むもやも知れぬ可能性や疑心を与える可能性も考えず、故意に多勢で一人の強さを試したり心を侵害した人間は一人もいませんでしたかと。 又否応なく退転せざる得なかった御方らや 退転し不快になられたままの御方らがおるのではとのことからですが 退転者に上記の様な故意をした御方らは一切いませんでしたか。 と思います。 ご回答ありがとうございました。

noname#159579
noname#159579
回答No.8

生命個体群人間を構築

minaotehon
質問者

お礼

参考になります。 生きているだけで群れていますのにね。 ご回答ありがとうございました。

  • hyakkinman
  • ベストアンサー率16% (738/4426)
回答No.7

「人間の愚かさ」を、わからせるため。 宗教で戦争する人間たち… 宗教で金儲けする人間たち… 自分たちの宗教だけが正しいとし、他宗教といがみ合う人間たち… 愚かだなあ…。

minaotehon
質問者

お礼

参考になります。 不自然であってはならない場所が不自然をし つらい心の人間をだす。 へんてこだと思います。 時間が変わりました為昨夜となりますが 数時間前父の原付でお散歩に出ました際 小さな悪ふざけな大人らがおりました。 一人一度悪ふざけをしたとしましょう。 受けるわたくしは一人です。 フラッシュバックすること様々思い出します。 大の大人がなぜ気づかないのか。 なぜにやけ出来るのか。不思議でなりません。 一時間後くらいでしたでょうか帰宅し リハビリがてら着替えをし自転車にてまたお散歩しました際は微々たること以外ございませんでしたが。 争いをするためでもあるまいし 違いませんかとなります。 ご回答ありがとうございました。

回答No.6

人間という生き物は生きる上で変に思考能力が高くなったものだから、何かにつけて意味を見出そうとします。 先ず、物理的に存在が明確なもの(物体、生き物)についてはその形体、利用目的などで分類して名前を付ける事で分類し、理解し、安心しました。 ところが、世の中には論理的な思考では理解できないことや、手で触れたりすることが出来ないものなどが存在しており、これらをどう処理すれば良いのかが分かりません。 『何故あの光る丸いものはあの山の端から上に昇って、逆側のあの水溜りの彼方に沈んで行くのだろう?』、『何故こんなに地面が揺れて多くの友や知り合いが死んでしまったのだろう?』、『何故みんなこんなに急に吐いて下痢して苦しんで動かなくなってしまうんだろう?』、『育てていた稲が枯れてしまったのは何故なんだろう?』、『そもそも、自分が死んだ後、この意識はどうなってしまうんだろう?』・・・etc. これらの事は自分ではコントロールすることが出来ず、時に一方的に猛威をふるわれ、耐え忍ぶ以外に手立てはありません。 そして考えます。そこには何か意味が在るのではないかと。 最終的に考え到った結論が、自分達よりも上位の存在がいる、というものでした。所謂『神』の誕生です。 自分達の上には自分達の事を見守ってくれている全能の存在がいる、ということを”発明”した訳ですが、この“発明”のもと色々な現象を説明してみたところ、何事もスムーズに理解されて行きました。 更にこの概念は自分達が団結する上で有効である事が分かり、一部の人達はこれによって地位を獲得して仲間の内で強大な権力を持つようになりました。 権力構造と結び付いた『神』という思想の下、権力者が人々を支配する構造を構築して行き、結果それが宗教と呼ばれる体系となりました。 とは言え、そもそも、概念の発端自体が人間にコントロール出来ないものであったことから、権力者自身、この『神』、『宗教』を支配下に置きつづけることが出来る筈も無く、結局支配される側に落ち着くことになりました。 そうして長い歴史を経た結果、『宗教』はそれを信じる全ての人々の心の中に存在することでその人の精神を安定させ、生きる意味を示し、生きるよすがとなって行きました。 この段階で人々は自然現象に対する不安を全て、『神』という存在に預けることで心に平穏を招くことに成功した訳です。 ところが昨今、科学文明の発達により、今まで神の御業と思われていた多くの物事が論理的に説明がつくようになってきました。 そうすると、人々の中に『神』に対する不信感が芽生え始め、一部の人達は宗教から離れ始めました。これらいわゆる無神論者は心の中に『神』を持ちません。一部の人達の中で、神は死んだのです。 しかしここで問題が発生します。科学は確かに色々な現象を説明してくれますが、それはまだ、ホンの一部に過ぎません。科学が解き明かしているのはこの世の事象の数%程度でしかありません。 この事は神を信じられなくなった人々に多大な影響を与えることになりました。 つまり、『神』を信じられずに失ってしまった事により、人間は不安感の預け場所をも失ってしまい、精神的な危機に晒されてしまうことになったのです。 その結果が無軌道無意味な殺人行為として現れたり、神経症、鬱病、などの精神的な病をひき起こすことになりました。 ということで、『宗教』は『人間が生きて行く上で必要とした精神的な安全装置だったもの』と、敢えて過去形で定義させていただきます。 長々と失礼しました。

minaotehon
質問者

お礼

とんでもございません。 参考になりました。 ありがとうございます。 敢えて過去形… 今や心理云々で とやかくする滑稽な時代。 宗教関連だけとは断定致しませんが 心理云々だと気づかず一体どれだけの人間が泣き寝入りしてきたのか とさえ思います!。 奇異でなりません。 ご回答ありがとうございました。

noname#160590
noname#160590
回答No.5

信じるため。

minaotehon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 今必要な課題です。 心の参考にさせて頂きます。

minaotehon
質問者

補足

文章足らずでした為補足させて頂きます。 全てではありませんが課題です。 失礼いたしました。

noname#149158
noname#149158
回答No.4

人の自然との乖離を無くさない為に有るのだと思います。 昨今、電気、ガソリン、と言われています。が、 食べないと、活かす主体である人間が活きません。 恵まれているところの今の人は、生在る者に感謝して、 頂きます。と言って食べているか。 回答には成っていませんね。 日本人の動作であれば、ご馳走様と言ってお皿を上げる 動作です。

minaotehon
質問者

お礼

感謝 一味違った感謝になりかけているのか と様々考えさせられます。 ご回答ありがとうございました。

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