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学生時代って無駄な事しちゃうの何故?

 学生時代って、よく考えるとやらなくてよい事をやってませんでしたか?  前に、韓国から入ってきた宗教「摂理」の元信者の人にインタビューしていて「当時は大学生で人間関係を広げたいと思ってた時に、友達から紹介されたのでのめりこんだ」と言ってました。  やっぱり刺激を無駄に求めてしまうのが若さなんでしょうか?  共感される方いますか?  エピソードもあればお願いします

noname#200375
noname#200375

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.6

赤ちゃんの時は、もっと無駄なことをしてません? でも、無駄に動くことで、筋肉を育て、無駄な行動をすることで、世間を広げていっています。 大学生でも同じ。まだ、未熟なわけだから、行動をして、自分の出来ること、知りたいことを知るわけです。 社会人になっても同じですよ。自分の知っている範囲、できる範囲だけで仕事をする人は、その後も出来る範囲の仕事しか任せてもらえません。

noname#200375
質問者

お礼

人生そのものがそんなもんなんじゃないですかね 中学生の頃を思い出すと両親を見て「自分達を育てるために毎日同じ事の繰り返しでつまんなくないのかな」と思ってました。 が、しかしその後成長すると、自分も似たような毎日同じことを繰り返す生活を送るようになり、 中学生の頃は思いつきで好奇心から自転車で旅に出たりなど、もうしなくなりましたよね。

その他の回答 (5)

noname#232424
noname#232424
回答No.5

ほかの回答も拝見したら,No.3の方とおなじでしたね。失礼しました。まあ,複数のオヤヂがそう感じているということです。

noname#200375
質問者

お礼

 私もそろそろオヤジ領域に突入してきたので、そういうことなのかなと思うんですが、しかし、当時はそう思えなくて苦しいんですよねぇ  今でも正直苦しいですけど

noname#232424
noname#232424
回答No.4

その後の人生で役にたたなかった行為を,<結果的に>無駄だと感じているだけだと思います。もし役にたてば,「有意義な経験をした」というでしょう。若いときには原理的にそれが判断できないので,多くの「無駄」をします。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.3

そういうことですか。 人間には、生来の「好奇心」、「野次馬根性」というものが備わっています。 何のためかわかりませんが、備わっているということは、人間という生物が進化し、地球上で最強になってきたことに何らかの役割を果たしてきたと考えるのが自然だと思います。 単純な例としては、毒があるかないかわからないキノコを好奇心で食べた人がいて、運良く毒キノコでなかった場合は、その話を聞いて他の人達も食べるようになり、運悪く死んでしまったら、それを見ていた人が「あれは毒キノコだよ」という伝承をしたのでしょう。 また、仲間を引き連れて旅をして新天地を見つけ、そこを新たな住まいとするということも行われてきました。 そうして、地球の陸地全体を制覇してきたわけです。 人間は時々何かをチャレンジします。 それが自分にとって益になるか無駄になるか、はたまたマイナスになるかは結果論です。 あなたの場合も、それが無駄な経験だったとわかったのは、しばらく経ってから「結果として」無駄だと判定しているわけであって、当時は無駄なのかどうかは判定するすべはなかったのではないでしょうか。 たまたま役に立ったことは、結果として無駄でなかったという、ただそれだけのことだと思います。 私は若い頃に何人かの女性と付き合いましたが、正直言ってその中には、付き合ったのは無駄だったと思う人はいますし、出会わなければよかった、大きなマイナスだったとさえ思える人もいます。 惚れたり惚れられたりで、そのときの勢いですけど、「この人と付き合ってよかった」という人も何人かいます。そして、その中の最後の一人が現在の嫁さんだということなのですが。 そんなもんですね。 無駄も無駄でないことも、たくさんの経験・試行錯誤の中の一つにすぎず、しかも、後になってしかわからないものです。 そのときに判定できなかったという点で言えば、不要のものを衝動買いしてしまう心理とはかなり違うことだと思います。

noname#200375
質問者

お礼

なるほど、 若い頃は試行錯誤を繰り返し、正直言って「これ楽しいのかわからない」と思いつつも、それを止められなかったり。 男女でも、ナンデこんな男に?と思う人と付き合う女性がたまにいますが、それも若さゆえにチャレンジし、勉強の途中なのかもしれませんね その途中で取り返しのつかない事件になったケースもありますが

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.2

こんにちは。 あなたのご質問の趣旨において、 無駄 = 宗教 = 刺激 ですか? よろしければ補足欄にどうぞ。 ちなみに、私の親戚・知人で宗教にのめりこんだ人は、すべて、社会人になってから入信してます。

noname#200375
質問者

補足

いえいえ、そういうわけではありません。 自分の場合、若い頃に付き合わなくて良い人たちの群れに付いてってたりしてたのが、今考えるとその無駄が悔しかったりするんですよね で、その動機を考えてた時に、摂理のニュースで被害者女性が語ってた言葉がしっくりきたので、たまたま引用させてもらいました。 その女性はセクハラの被害に合い裁判を起こした人で、自分の過去の入信体験を話している時に「当時は自分ばかだったなぁ」と失笑しながら、話していた印象を受け、若い頃の自分を振り返ると同じかもと思えたんです。

回答No.1

自分はまだ高校生なので 若者の意見になりますが… 若者はまだ経験が少なくて、 知らないことも多いので、 その答えを知るために行動にうつしてしまう、 と思うんですよ。 知らないことは知りたいと思うのが 普通ではないでしょうか? 大人は多くの経験をしたので 若者の好奇心ゆえの行動を 無駄だと判断してしまいがちです。 しかし、事実を知らないわたしたちにとって 世界は未知だらけです。 知りたいことだらけです。 なのでそれを知るために行動する。 たとえば小さい子供はよく なんで?と聞きますよね! それと同じだと思うんです。 いくつになっても 知りたいことは知りたい。 だから若者は無駄なことをしているわけじゃないと思います。 いつか無駄だと言われた行動が 役に立つ日が来るかも知れません。 結局は、人の考え方次第ですよね… 高校生が生意気に失礼しました!

noname#200375
質問者

お礼

大人な高校生さんですね ちゃんと分析ができている 高校生の頃なんて、不安と苛立ちでこんな分析できませんでしたよ あなたは物事を整理して、前に進める大人になれそうですね

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    「学生時代に頑張ったこと」に対しての添削をお願いします。 私は19歳、短大1年の女です。 志望職種は事務職、志望業種はまだ絞れていませんが 情報処理、情報サービス、通信を中心に 広告、印刷、メーカー(電気機器、印刷関連)も考えています。 字数などを気にせず書いたので、少し長いかもしれません。 私は「視野を広げること」に力を注ぎました。 きっかけは高校時代、複数の社会人の方と接する機会があった際、自分の視野の狭さや知識の乏しさを実感したことでした。 短期大学では幅広い知識を吸収できる学科を生かし、様々な分野を学びました。 興味のある情報・ビジネスを中心とした講義だけでなく、色彩、食品、心理、児童福祉など、全く知らなかった分野も積極的に受講しました。 また短期大学から始めたアルバイトでは、提供される側から提供する側に立ち、お客様との接し方や仕事に対する責任感を学びました。 視野を広げたことにより、アルバイトでお客様に柔軟な対応で接することができたり、初対面の人に好印象な配色の服装を選べたりと、多様なものの見方ができるようになりました。 書いてはみたもののどうも微妙で。 私が不安に思うこととして ・エピソードが弱い ・学業とアルバイト、2種類エピソードがあり散漫になっている感じがする (かといって学業だけにするとだから何?という感じになり アルバイトだけにするとそれしか頑張ってないの?と思われる可能性がある上に アルバイトをエピソードにするのはあまり良くないと聞くため、どちらか一方に絞れない ・言いたいことが言えてるかいまいち分からない ・視野を広げた結果どうなったか、という部分が少ない気がする (しかし結果どうなったという事実があまりない) ・無駄な文が多い気がする (特にきっかけの部分は省いてもいいかなと思ってしまいます) と不安だらけですが・・・ これ以外にも頑張ったこととして「資格取得」があるんですが 取ることを頑張っただけであまり話が広がらなかったので書けませんでした^^; 添削お願いします!

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